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2. 建国祭
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月の国の夜は、いつもひっそりとしている。
人々は人工の太陽である“国の灯火”が点ると共に目覚め、それが消えると同時に寝静まる。 外を出歩く者など皆無で、街には明かり一つ灯らない。
だから、空を見上げれば、そこには満点の星空が広がっていて、ロベルトはそんな静かな夜が大好きだった。
__けれども、今日は違う。
灯火が消え、世界が闇に包まれた時、街に眩い明かりが灯った。あちらこちらに人が姿を現し、昼間のように声を張りあげる。その大人達の隙間を縫うようにして、子供達が通りを駆けていく。
彼らの目は、期待と興奮の輝きに満ちていた。
一変して、大広場。そこは、先程とは比べものにもならない人の量で溢れかえっていた。
やがて、一人の男がバルコニーに姿を現した。人々が固唾をむ中で、彼はぐるりと見回す。
「皆、よく集まってくれた。そなた達とこの記念すべき日を迎えられた事を、とても誇りに思う」
もう一度首を巡らすと、男__国王は笑みを浮かべ、高らかに手を掲げた。
「これより、第五百回目の建国祭を開催する!皆、思う存分楽しんでくれ。記念すべき日と愛する国民に、乾杯!」
ドッと歓声が沸き起こる。そして、その熱は収まる事なく、街中に伝播していった。
「おい、ロベルト。…いい加減に部屋から出てきたらどうだ」
「やだっ!絶対に出ない!」
頑固たる拒否に、流石のヒースもうんざりして天井を見上げた。
今は夜、もうすぐ深夜に差し掛かろうという時間だ。けれど、外は昼間よりも明るい。
それもその筈、今夜は待ちに待った建国祭の開会式典なのだから。
建国祭は、全部で五日間。この間、街は昼も夜も眠らない。興奮と喜びに溢れた熱気のせいで、誰もが眠りにつけないのだ。
それなのに、ロベルトときたら、そんな人々を尻目にして、ずっと部屋に籠もっている。朝からずうっとだ。お陰で、今日一日彼のお守り役を命じられたヒースはもう随分長いことこの場に立たされたままで、そろそろ彼も腹がたってきた。
射殺さんばかりの鋭さで扉を睨み付け、僅かに声を低める。
「本当にいい加減にしろよ。お前がそうやって駄々をこねようとな、若が忙しくなくなるわけじゃあないんだ。だいたい、誰の為にそのような事をなさっていると…」
「ち、違うよ!そんな理由じゃなくて…」
妙に慌てた声が返ってくる。
それすらも煩わしくて、彼は剣呑に目を細めた。気配で分かったのか、息を呑む様子が窺える。
「じゃあ、なんでだ」
「…」
答えはない。思わずヒースは舌打ちをして、扉に手をかけた。それは、ロベルトが開けようとしたのと同時だった。
「あ…っ」
「…!」
ヒースは大きく目を見開いた。ロベルトが扉を開こうとしていたからではない。それは、彼が身にまとう衣装ゆえだった。
袖の短い黒のブレザーに半ズボン、全身を漆黒で包んだその姿は、白い肌によく映えていた。襟元をリボンで結び、胸元には赤薔薇のブローチを、両手には純白の手袋をしている。そして、頭には小さなシルクハットがちょこんと乗っていて、加えて女の子めいた顔立ちと少年らしい細い体をした彼は、どこからどう見ても愛らしい人形にしか見えなかった。
呆然としていたヒースは、ロベルトが泣きそうに顔を歪めるのを見て、ハッと我に返った。
「だから、嫌だって言ったのにぃ…」
「分かった、分かった。俺が悪かった」
慌てて彼を抱え込んで、宥めにかかる。ロベルトはなかなか泣き止まず、ぐずぐずと鼻をすすっていた。
内心、ヒースは頭を抱え込んでいた。
「…落ち着いたか?」
「うん…」
ロベルトはおずおずと体を離した。
その目は僅かに腫れているものの、意識しなければ、目立つものでもない。顔を洗えば済む話だろう。
そう判断してから、ヒースは肩の力を抜いた。目を瞬かせるロベルトに軽く微笑むと、頭を撫でてやる。
「わ…っ。止めてよ、帽子がずれるじゃないかっ」
「なんだ、やっぱり気に入っているんじゃないか」
「そうじゃなくてっ」
怒りでらんでいる彼の頬をつつきながら、もう一度まじまじと見る。それから、今度ははっきりとした笑みを浮かべて、言った。
「大丈夫だ。似合っている」
ロベルトが、大きく目を見張った。そのまま動かない彼を不思議に思って、ヒースは顔を覗き込む。
「どうした」
「笑った…」
「は?」
眉をひそめるヒースに、彼は目を輝かせる。
「ヒース、すごく嬉しそうに笑った!そんな顔、久しぶりに見た!」
しかし、ヒースには訳が分からなかった。問い返そうとするが、ロベルトに強く腕を引っ張られて、すぐに口をつぐんでしまう。
けれども、ロベルトがあまりにも幸せそうなので、彼は、まあ、いいかと思い直したのだった。
* *
ヒースの手を引いて街に飛び出したロベルトは、空を見上げて歓声をあげた。
赤、黄、橙…色とりどりの灯りが暗闇を照らしている。夜空に浮かぶ数え切れない程の魔灯籠に、ロベルトはしばらく目を奪われていた。
「なあ!あれ、どうやって灯りを点しているんだ?」
「ん?ああ、そういえば、お前はあれをまだやった事がないのか」
「あれって?」
ヒースを仰ぐと、手招きをされる。そうして、彼に連れて行かれたのは、街の中心から少し外れた所にある、小さな広場だった。
「あれを見てみろ」
そう言って、ヒースは木を指差す。不思議な実のなった木だった。
「あれは“魔灯籠の灯”といってな。その名の通り、魔灯籠の原料になる」
「えっ!でも、魔灯籠の動力って、魔力だよね」
「そうだ。だから、こうするんだ」
それから、彼は実に手を伸ばした。
もいでみると、それは思ったよりも小さくて、すっぽりと手の中に収まってしまった。よくよく見ると、ぼんやりと光を放っていて、向こう側が透けて見える。
「えっ…透明!」
「そうだな。まあ、少し見ていろ」
ヒースは実に口を付けると、プウッと頬を膨らました。食べるのかと思っていたのに、彼はそのまま息を吹き出す。
すると、驚くべき事が起こった。実は、まるで空気を吹き込まれたかのようにみるみる膨らんでいき、ついには、彼の顔程の大きさになったのだ。
「ほら、投げてみろ」
突然手渡され、ロベルトは訳が分からず、ヒースを見上げた。
「投げるんだよ、空に向けてな。まあ、出来るなら、思い切りやった方がいいかもしれない」
とりあえず、言われた通りにやってみる。大きく振りかぶろうとして、ハッとした。
__重い…!
とてもではないけれど、片手では支えきれない。そう思った瞬間、ロベルトは耐えきれずに後ろに倒れ込んでしまった。
不思議な実は、彼の手を離れて、宙に放り出される。弧を描いて跳んだそれは、小さな魔灯籠に向かって。
__ぶつかっちゃう…!
その惨状を想像し、思わず目を閉じかける。けれど、完全に目を閉じきる前、彼の目に飛び込んできたのは、まったく異なる光景だった。
ふわりと風が吹いた。ハッとして目を開ける。風は空に流れ、“魔灯籠の灯”を包み込む。実の輝きが強くなった。そして、ほろほろととけ始め__やがて、小さな光の欠片となって、魔灯籠に吸い込まれていった。
呆然と空を見上げていると、不意に、大きな手が彼の頭をくしゃくしゃにした。
「驚いたか。これで、魔力の補給は完了だ」
「えっ、どうなっているの!」
「さっき、実に空気を入れる仕草をしただろう。あれは、息を吹き込んだんじゃない、魔力を注入したんだ」
「え…どういう事?」
ロベルトはヒースを仰ぎ見た。彼は少しだけ微笑むと、“魔灯籠の灯”を見やる。
「あれは、木のなりをしているがな。水を糧にして育つものじゃないんだ。魔力を吸い取る事によって、実を大きくする」
あれは、まだ成熟しきった実ではないのだそうだ。旬は秋。まだまだ先である。だが、その実に直接人の魔力を注ぐ事で、“魔灯籠の灯”は一際大きくなる。また、そうする事で、魔灯籠により沢山の魔力を注ぎ込む事が出来るのだ。
「でもさ。なんで息を吹き込むんだよ」
「そこは深く考えるな。昔の偉人が考えた事だ」
ヒースは首をすくめて答える。
そういうものなのだろうか。
いまいち、納得のいかないロベルトであったが、ヒースがさっさと歩き出してしまったので、彼は慌てて後を追った。
ところが、街に戻ったロベルトは、ヒースとはぐれた事に気付いた。
「あれ、ヒース?」
キョロキョロと見回していると、屋台のおじさんに話しかけられる。
「ヒースなら、おっかねえ顔して、あっちの方に走っていきましたぜ」
「あ、そうか。じゃあ…」
「止めとけ、止めとけ!あんな木偶の坊、放っときゃいいんだ」
横合いから声をかけられて、ロベルトは顔を向ける。
「おい、お前、酔っぱらいが坊ちゃんに話しかけるんじゃねえ!」
「うるせえ!坊ちゃんは、皆のもんだ!」
「いいから黙れ!」
それから、男はロベルトを見て、苦笑いを浮かべる。
「すんません、坊ちゃん。悪気はないんですよ」
「いや、いいよ。…それより、ヒースが怖い顔をしていたのって、本当?」
彼が真剣な表情をして聞くと、男は笑みを引っ込めた。
「ええ、そうですよ。まあ、おおかた、また貴族の連中が何かやらかそうとしているんでしょ。坊ちゃんは気にしなくてもいいと思いますよ」
「だけど…」
暗い顔をしていると、違う所からも声があがった。
「にしても、ヒースも大変だよな。俺たちと同じ平民出だっていうのに、毎日貴族の中に混じって、こき使われて。あいつ、ちゃんと寝てんのかあ」
「ああ、あいつ、全っ然愛想がないしな。相当苛められているんじゃないの」
「そ、そんな事ないよ!ヒース、よく笑うし!ノルンとも、しょっちゅうケンカしているよ!」
ロベルトは慌てて声をあげた。
すると、皆は一瞬顔を見合わせると、彼の近くに腰掛ける。
「そうなんですか!でも、あいつは生意気だからな…」
「えっ、どっちが?」
「どっちも」
ああ、なるほどと、納得しかけて、ロベルトは顔を真っ赤にした。
「そんな事ない!ノルンもヒースも良い奴だ!」
「ええっ、ホントですかあ」
「本当!」
「まあ、なんだかんだ言って、面倒見が良いしな、二人とも」
「ノルンは貴族なのにな」
「それに、すっごく素敵!」
「やっぱ、あいつ嫌い…」
「ヒースは?」
「あいつは、もうちょっと笑った方がいいな。無愛想すぎる」
「聞いてよ!この前も、すっごく怖い顔で怒られたんだよ!」
「またですか?坊ちゃんもやんちゃですねえ」
「あれは鬼だよ…」
真顔で呟くロベルトを見て、爆笑が沸き起こった。
「おい、ロベルトーッ!…って、うわ!」
不意に聞き慣れた声がして、彼らは一斉に振り返る。そこには、話題の渦中にある人物の一人であるヒースがいた。
「あ、ヒース!」
「おお、怒れる鬼が来たぞ」
「坊ちゃん。ほら、早く逃げて」
「お前ら…」
ヒースは肩を震わせながら、大人達の中に埋まっているロベルトを発掘した。彼を地面に下ろすと、体のあちこちを触って確かめる。
「怪我はしてないか」
「う…うん」
戸惑いつつも、ロベルトが頷くと、ホッとしたようにヒースは息をついた。
「おいおい、ヒース。そりゃあないだろ。俺たちが大事な坊ちゃんを傷つけるわけないだろ!」
「うるせえ!気になるものは仕方がないんだから、しょうがねえだろう!」
彼は大声で怒鳴ると、ロベルトの手を握った。思いの外強い力に、彼は思わず顔をしかめる。ヒースはそれに気付く事なく、どんどん歩いていってしまう。
困惑して、彼はヒースを見上げた。
「ヒース、何かあったの」
返事はなかった。けれど、ロベルトには、それが答えであるかのように思えてならなかった。
だから、彼は思わず言っていた。
「ヒース。俺、大丈夫だよ。何か心配な事があるなら、兄様のところに行っても平気だから」
すると、ヒースが勢いよく振り返った。その瞳は、驚きに見開かれている。
「…どうして」
「だって、ヒース、なんだか怖いよ…。何か、悪い事でもあったんでしょ」
だから…と、顔を俯かせる。
しばらくして、ヒースが膝をつく気配を感じた。顔を上げると、困った顔をした彼と目が合う。
「悪いな、ロベルト…。じゃあ、一緒に若のところに行こうか」
「え…いいの?」
思いがけぬ提案に目を見張ると、彼はいつもの優しい瞳で頷いてくれる。
「良かったな、若に会える口実が出来て」
突然、そう言われ、一瞬何を言われたのか分からなかった。だが、すぐに思い至り、彼は頬を紅潮させる。
「ち、違う!そんなつもりじゃ…!」
「はは…!分かっている。さあ、行こう。若はきっと、競技場の方にいらっしゃるだろうから」
ヒースは楽しそうに笑うと、ロベルトの手を握った。今度は優しい手つきだったので、彼はホッと息をつく。
「どうした」
「ううん」
なんでもないと答える代わりに、彼は握り返す手にそっと力を入れた。
人々は人工の太陽である“国の灯火”が点ると共に目覚め、それが消えると同時に寝静まる。 外を出歩く者など皆無で、街には明かり一つ灯らない。
だから、空を見上げれば、そこには満点の星空が広がっていて、ロベルトはそんな静かな夜が大好きだった。
__けれども、今日は違う。
灯火が消え、世界が闇に包まれた時、街に眩い明かりが灯った。あちらこちらに人が姿を現し、昼間のように声を張りあげる。その大人達の隙間を縫うようにして、子供達が通りを駆けていく。
彼らの目は、期待と興奮の輝きに満ちていた。
一変して、大広場。そこは、先程とは比べものにもならない人の量で溢れかえっていた。
やがて、一人の男がバルコニーに姿を現した。人々が固唾をむ中で、彼はぐるりと見回す。
「皆、よく集まってくれた。そなた達とこの記念すべき日を迎えられた事を、とても誇りに思う」
もう一度首を巡らすと、男__国王は笑みを浮かべ、高らかに手を掲げた。
「これより、第五百回目の建国祭を開催する!皆、思う存分楽しんでくれ。記念すべき日と愛する国民に、乾杯!」
ドッと歓声が沸き起こる。そして、その熱は収まる事なく、街中に伝播していった。
「おい、ロベルト。…いい加減に部屋から出てきたらどうだ」
「やだっ!絶対に出ない!」
頑固たる拒否に、流石のヒースもうんざりして天井を見上げた。
今は夜、もうすぐ深夜に差し掛かろうという時間だ。けれど、外は昼間よりも明るい。
それもその筈、今夜は待ちに待った建国祭の開会式典なのだから。
建国祭は、全部で五日間。この間、街は昼も夜も眠らない。興奮と喜びに溢れた熱気のせいで、誰もが眠りにつけないのだ。
それなのに、ロベルトときたら、そんな人々を尻目にして、ずっと部屋に籠もっている。朝からずうっとだ。お陰で、今日一日彼のお守り役を命じられたヒースはもう随分長いことこの場に立たされたままで、そろそろ彼も腹がたってきた。
射殺さんばかりの鋭さで扉を睨み付け、僅かに声を低める。
「本当にいい加減にしろよ。お前がそうやって駄々をこねようとな、若が忙しくなくなるわけじゃあないんだ。だいたい、誰の為にそのような事をなさっていると…」
「ち、違うよ!そんな理由じゃなくて…」
妙に慌てた声が返ってくる。
それすらも煩わしくて、彼は剣呑に目を細めた。気配で分かったのか、息を呑む様子が窺える。
「じゃあ、なんでだ」
「…」
答えはない。思わずヒースは舌打ちをして、扉に手をかけた。それは、ロベルトが開けようとしたのと同時だった。
「あ…っ」
「…!」
ヒースは大きく目を見開いた。ロベルトが扉を開こうとしていたからではない。それは、彼が身にまとう衣装ゆえだった。
袖の短い黒のブレザーに半ズボン、全身を漆黒で包んだその姿は、白い肌によく映えていた。襟元をリボンで結び、胸元には赤薔薇のブローチを、両手には純白の手袋をしている。そして、頭には小さなシルクハットがちょこんと乗っていて、加えて女の子めいた顔立ちと少年らしい細い体をした彼は、どこからどう見ても愛らしい人形にしか見えなかった。
呆然としていたヒースは、ロベルトが泣きそうに顔を歪めるのを見て、ハッと我に返った。
「だから、嫌だって言ったのにぃ…」
「分かった、分かった。俺が悪かった」
慌てて彼を抱え込んで、宥めにかかる。ロベルトはなかなか泣き止まず、ぐずぐずと鼻をすすっていた。
内心、ヒースは頭を抱え込んでいた。
「…落ち着いたか?」
「うん…」
ロベルトはおずおずと体を離した。
その目は僅かに腫れているものの、意識しなければ、目立つものでもない。顔を洗えば済む話だろう。
そう判断してから、ヒースは肩の力を抜いた。目を瞬かせるロベルトに軽く微笑むと、頭を撫でてやる。
「わ…っ。止めてよ、帽子がずれるじゃないかっ」
「なんだ、やっぱり気に入っているんじゃないか」
「そうじゃなくてっ」
怒りでらんでいる彼の頬をつつきながら、もう一度まじまじと見る。それから、今度ははっきりとした笑みを浮かべて、言った。
「大丈夫だ。似合っている」
ロベルトが、大きく目を見張った。そのまま動かない彼を不思議に思って、ヒースは顔を覗き込む。
「どうした」
「笑った…」
「は?」
眉をひそめるヒースに、彼は目を輝かせる。
「ヒース、すごく嬉しそうに笑った!そんな顔、久しぶりに見た!」
しかし、ヒースには訳が分からなかった。問い返そうとするが、ロベルトに強く腕を引っ張られて、すぐに口をつぐんでしまう。
けれども、ロベルトがあまりにも幸せそうなので、彼は、まあ、いいかと思い直したのだった。
* *
ヒースの手を引いて街に飛び出したロベルトは、空を見上げて歓声をあげた。
赤、黄、橙…色とりどりの灯りが暗闇を照らしている。夜空に浮かぶ数え切れない程の魔灯籠に、ロベルトはしばらく目を奪われていた。
「なあ!あれ、どうやって灯りを点しているんだ?」
「ん?ああ、そういえば、お前はあれをまだやった事がないのか」
「あれって?」
ヒースを仰ぐと、手招きをされる。そうして、彼に連れて行かれたのは、街の中心から少し外れた所にある、小さな広場だった。
「あれを見てみろ」
そう言って、ヒースは木を指差す。不思議な実のなった木だった。
「あれは“魔灯籠の灯”といってな。その名の通り、魔灯籠の原料になる」
「えっ!でも、魔灯籠の動力って、魔力だよね」
「そうだ。だから、こうするんだ」
それから、彼は実に手を伸ばした。
もいでみると、それは思ったよりも小さくて、すっぽりと手の中に収まってしまった。よくよく見ると、ぼんやりと光を放っていて、向こう側が透けて見える。
「えっ…透明!」
「そうだな。まあ、少し見ていろ」
ヒースは実に口を付けると、プウッと頬を膨らました。食べるのかと思っていたのに、彼はそのまま息を吹き出す。
すると、驚くべき事が起こった。実は、まるで空気を吹き込まれたかのようにみるみる膨らんでいき、ついには、彼の顔程の大きさになったのだ。
「ほら、投げてみろ」
突然手渡され、ロベルトは訳が分からず、ヒースを見上げた。
「投げるんだよ、空に向けてな。まあ、出来るなら、思い切りやった方がいいかもしれない」
とりあえず、言われた通りにやってみる。大きく振りかぶろうとして、ハッとした。
__重い…!
とてもではないけれど、片手では支えきれない。そう思った瞬間、ロベルトは耐えきれずに後ろに倒れ込んでしまった。
不思議な実は、彼の手を離れて、宙に放り出される。弧を描いて跳んだそれは、小さな魔灯籠に向かって。
__ぶつかっちゃう…!
その惨状を想像し、思わず目を閉じかける。けれど、完全に目を閉じきる前、彼の目に飛び込んできたのは、まったく異なる光景だった。
ふわりと風が吹いた。ハッとして目を開ける。風は空に流れ、“魔灯籠の灯”を包み込む。実の輝きが強くなった。そして、ほろほろととけ始め__やがて、小さな光の欠片となって、魔灯籠に吸い込まれていった。
呆然と空を見上げていると、不意に、大きな手が彼の頭をくしゃくしゃにした。
「驚いたか。これで、魔力の補給は完了だ」
「えっ、どうなっているの!」
「さっき、実に空気を入れる仕草をしただろう。あれは、息を吹き込んだんじゃない、魔力を注入したんだ」
「え…どういう事?」
ロベルトはヒースを仰ぎ見た。彼は少しだけ微笑むと、“魔灯籠の灯”を見やる。
「あれは、木のなりをしているがな。水を糧にして育つものじゃないんだ。魔力を吸い取る事によって、実を大きくする」
あれは、まだ成熟しきった実ではないのだそうだ。旬は秋。まだまだ先である。だが、その実に直接人の魔力を注ぐ事で、“魔灯籠の灯”は一際大きくなる。また、そうする事で、魔灯籠により沢山の魔力を注ぎ込む事が出来るのだ。
「でもさ。なんで息を吹き込むんだよ」
「そこは深く考えるな。昔の偉人が考えた事だ」
ヒースは首をすくめて答える。
そういうものなのだろうか。
いまいち、納得のいかないロベルトであったが、ヒースがさっさと歩き出してしまったので、彼は慌てて後を追った。
ところが、街に戻ったロベルトは、ヒースとはぐれた事に気付いた。
「あれ、ヒース?」
キョロキョロと見回していると、屋台のおじさんに話しかけられる。
「ヒースなら、おっかねえ顔して、あっちの方に走っていきましたぜ」
「あ、そうか。じゃあ…」
「止めとけ、止めとけ!あんな木偶の坊、放っときゃいいんだ」
横合いから声をかけられて、ロベルトは顔を向ける。
「おい、お前、酔っぱらいが坊ちゃんに話しかけるんじゃねえ!」
「うるせえ!坊ちゃんは、皆のもんだ!」
「いいから黙れ!」
それから、男はロベルトを見て、苦笑いを浮かべる。
「すんません、坊ちゃん。悪気はないんですよ」
「いや、いいよ。…それより、ヒースが怖い顔をしていたのって、本当?」
彼が真剣な表情をして聞くと、男は笑みを引っ込めた。
「ええ、そうですよ。まあ、おおかた、また貴族の連中が何かやらかそうとしているんでしょ。坊ちゃんは気にしなくてもいいと思いますよ」
「だけど…」
暗い顔をしていると、違う所からも声があがった。
「にしても、ヒースも大変だよな。俺たちと同じ平民出だっていうのに、毎日貴族の中に混じって、こき使われて。あいつ、ちゃんと寝てんのかあ」
「ああ、あいつ、全っ然愛想がないしな。相当苛められているんじゃないの」
「そ、そんな事ないよ!ヒース、よく笑うし!ノルンとも、しょっちゅうケンカしているよ!」
ロベルトは慌てて声をあげた。
すると、皆は一瞬顔を見合わせると、彼の近くに腰掛ける。
「そうなんですか!でも、あいつは生意気だからな…」
「えっ、どっちが?」
「どっちも」
ああ、なるほどと、納得しかけて、ロベルトは顔を真っ赤にした。
「そんな事ない!ノルンもヒースも良い奴だ!」
「ええっ、ホントですかあ」
「本当!」
「まあ、なんだかんだ言って、面倒見が良いしな、二人とも」
「ノルンは貴族なのにな」
「それに、すっごく素敵!」
「やっぱ、あいつ嫌い…」
「ヒースは?」
「あいつは、もうちょっと笑った方がいいな。無愛想すぎる」
「聞いてよ!この前も、すっごく怖い顔で怒られたんだよ!」
「またですか?坊ちゃんもやんちゃですねえ」
「あれは鬼だよ…」
真顔で呟くロベルトを見て、爆笑が沸き起こった。
「おい、ロベルトーッ!…って、うわ!」
不意に聞き慣れた声がして、彼らは一斉に振り返る。そこには、話題の渦中にある人物の一人であるヒースがいた。
「あ、ヒース!」
「おお、怒れる鬼が来たぞ」
「坊ちゃん。ほら、早く逃げて」
「お前ら…」
ヒースは肩を震わせながら、大人達の中に埋まっているロベルトを発掘した。彼を地面に下ろすと、体のあちこちを触って確かめる。
「怪我はしてないか」
「う…うん」
戸惑いつつも、ロベルトが頷くと、ホッとしたようにヒースは息をついた。
「おいおい、ヒース。そりゃあないだろ。俺たちが大事な坊ちゃんを傷つけるわけないだろ!」
「うるせえ!気になるものは仕方がないんだから、しょうがねえだろう!」
彼は大声で怒鳴ると、ロベルトの手を握った。思いの外強い力に、彼は思わず顔をしかめる。ヒースはそれに気付く事なく、どんどん歩いていってしまう。
困惑して、彼はヒースを見上げた。
「ヒース、何かあったの」
返事はなかった。けれど、ロベルトには、それが答えであるかのように思えてならなかった。
だから、彼は思わず言っていた。
「ヒース。俺、大丈夫だよ。何か心配な事があるなら、兄様のところに行っても平気だから」
すると、ヒースが勢いよく振り返った。その瞳は、驚きに見開かれている。
「…どうして」
「だって、ヒース、なんだか怖いよ…。何か、悪い事でもあったんでしょ」
だから…と、顔を俯かせる。
しばらくして、ヒースが膝をつく気配を感じた。顔を上げると、困った顔をした彼と目が合う。
「悪いな、ロベルト…。じゃあ、一緒に若のところに行こうか」
「え…いいの?」
思いがけぬ提案に目を見張ると、彼はいつもの優しい瞳で頷いてくれる。
「良かったな、若に会える口実が出来て」
突然、そう言われ、一瞬何を言われたのか分からなかった。だが、すぐに思い至り、彼は頬を紅潮させる。
「ち、違う!そんなつもりじゃ…!」
「はは…!分かっている。さあ、行こう。若はきっと、競技場の方にいらっしゃるだろうから」
ヒースは楽しそうに笑うと、ロベルトの手を握った。今度は優しい手つきだったので、彼はホッと息をつく。
「どうした」
「ううん」
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