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遠い遠い西の果てブハイルの湖にて(3)

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4・ 東風Ⅱ

ナガ・ワーリズム城館が持つ五つの城門の内、南西の角に位置するのが聖カドス門だった。ここから外へと出てゆくと、目の前はすぐになだらかな下り坂になり、やがて開けた草地に連なっていった。
 夕刻が近い今、草地からはすでに人が避けられていた。広々と東風の抜ける空間が大きく、がらんと取られていた。
 ……
「朝から風が強い。雲も多い。もう完全に秋が始まったな」
 夕刻までそろそろという頃合いだ。戦闘が止まり、強い物音の消えた自陣の中を歩きながら、ハンシスは言った。
その言葉を受けながら、横のルアーイドはとっくに、敏感に察していた。
「朝から、ずっとだ」
「――何が?」
「機嫌が良い」
 ハンシスは振り向く。指摘された通り、妙に明るい顔で笑いかけた。
「当然だろう? 今日は休戦だ。これが遵守された御陰で、皆と落ち着いて話し合いが出来た。食事もゆっくりと充分に取れたし」
「……」
「それにこれから、久し振りに従弟に会える。上手く行けば、包囲戦にけりを付けられる。私や一族には勿論、ラディンにも良い方向へ進む道筋を作ることが出来る。機嫌が悪いはずないだろう?」
「それだけか? それ以外にも理由があると思っていたが」
「何のことだ?」
 東風を受けながら、ハンシスは笑顔を保っていた。
 ルアーイドの生真面目な眼がじっと、それを見つめている。見つめながら、迷っている。今、このまま追い詰めて問いただすべきかと。
“また勝手に出た。自分達臣下に一言も無く、勝手に会見の場を作ってしまった。先日の嵐の中も単独行動もそうだった。
 どうして? 臣下達と充分に尊重するのが貴方のやり方ではなかったのか? この戦役が始まってからの貴方は少しおかしくないか?”
 いや。やはり今は止めておこう。
「貴方があんまりにも上機嫌に見えたから、それだけだよ、ハンシス」
「――」
「そうだな。会見が万事うまくいくといいな」
「勿論、上手くいくさ。だって私達は仲良しだったんだから」
 夜明け前から始まっていた東風は、一日を通して続いている。曇りがちの空に灰色の雲が次々と現れては、絶え間なく西へと流れ続けている。変わりやすい空の様が、秋の始まりを告げている。
 東風の中をハンシスとルアーイドは緩い坂を登ってゆく。めざす聖カドス門前の草地が、そろそろ前方に見えて来る。すでに両陣の準備は整っていた。決められた人数――十人ずつの兵士と五人ずつの家臣達が、草地を挟んで遠く向かい合いながらその縁に並んでいる。
 戦闘の無い、数日かぶりの静かな夕刻前に、風が草を吹き抜ける風音が響いている。ハンシスとルアーイドも家臣達の間に立ち、風を受けている。受けながら、前方のカドス門が開くのを待っている。
 そして――。東風の中。
 門が開いた。風を受けながら、老ワシール卿の姿が現れてきた。
 風の強さ、それ以上に静まった前方の草地を意識しながら、ワシールは呟いた。
「やはり時間を変えるべきだったのでは。日没前を指定してくる会見など、先例を聞いた事がありません。相手の意図が読めない」
「何を恐れているんだ?」
 二歩を遅れて、ラディンが出てきた。
 小柄な、丸切り少年のように小柄な全身が、風を受けている。いつもながら黒い胴着に映える少年の顔は掴みにくく、子供じみた風貌から浮いていた。決して内心を読ませなかった。
「ハンシスの申し出が気に入らないのか」
「いえ。会見の設定そのものは、望ましいものです。今日一日を休戦にするとの約束が守られている事も。ですが、一日とは、日没をもって終焉するものですので」
 ラディンの闇色の眼が草地よりさらに先の遠景――コルムの軍勢の陣を大きく見捕えた。
 コルムの陣営は休戦日とはいえ、陣の体系そのものは解いていなかった。兵達はのんびり座り込んだり周囲を歩き回ったりしているが、しかし持ち場を離れているという訳では無かった。つまり、聖典の教えを畏れず休戦の約束を破る場合に備えての準備は、一応出来ているという事だ。
「つまり今、休戦協定を破ってしまえば、彼の勝率は格段に上がります。
この場で貴方様の身柄を確保してしまえば、彼はこの長引いた包囲戦に完全に勝利します。望んで止まないワーリズム家当主の座を手に入れる事が出来ます」
「――」
「ラディン殿。聞いているのですか。――貴方自身の身柄にも危険があるという話なのですが」
「ハンシスの奴が約束を破るような男では無いとは、貴様だって知っているだろう? 破るとしたら俺の方だ」
 素っ気なく言い切り、ワシールは眉をひそませざるを得なかった。
 と。いきなりラディンは風の坂道を走り下る。すでに兵士と臣下が待ち構えている自陣の場へ、草地の縁へと向かう。上空は雲が流れて薄暗い。ほぼ正面からの東風が吹き止まない。風を受けて、風を切って坂を下り、草地の縁の自陣にたどりつき、そして、
  ……ラディンもハンシスも、ほぼ同時に相手を見留めた。
 両者ともが、まずは相手を充分に見据える。互いの服装の色や作り、髪の長さや、そんなどうでも良い細部に、充分に意識をかける。その割に、不思議に、特段の感慨を覚えることなく。
 そして同時に、無言で、草地の縁から歩みだした。広い草地の真ん中へとゆっくりと進み出た。こうして二人は、会いたいのか会いたくないのか判らない相手と正面から向かい合い、間近から見まえることになったのだ。
 先に声をかけたのは、ハンシスだった。
「二年ぶりだな。ラディン。久しぶりだ。背が伸びた」
「久しぶりだな」
 ラディンも応じた。意外にも、先に笑みかけた。猫の様な笑みが自分に向けられるのを、ハンシスは素直に受け取った。
 東風が、草を鳴らしている。こんな対面の仕方は危険だと主張していた両陣営の臣下達は、草地の縁から不服と緊張と心配の顔のまま遠巻きに見守っている。ちらっとそちらを見ながらハンシスが笑う。
「お前の側の臣下――ああ、勿論ワシールは連れてきているな。懐かしいな、彼とはゆっくり話したいんだけどな。隣のあの背の高い男は誰だ? 髪色の薄い、変わった男だな。お前の新しい側近か?」
「貴様がいた頃から、俺の周りに何の変化も起こって無いとでも思っているのかよ」
「……。いや」
 ラディンは隙の無い猫の顔だ。怒っているのか? 冗談なのか? 本当に、昔からそうだった。何を考えているのか何とも掴みにくい。この二つ年下の従弟は。
「確かにそうだな。変わっていないはずがない。二年も経てば」
「そうだよ」
「変わって当然か。私達の立場からして大きく変わった。お互いに支配者の座に就いた。全てが変わらないはずがないな。
 毎日、好き勝手に遊んでいたのにな。あの頃は楽しかった。私はナガ城館で本当に良い時を過ごさせてもらったよ。色々な人と出会って、学んで、遊んで、ずっと幸せだった」
「だからか」
「え?」
「だから貴様は昔の時間を取り戻そうと、こんな大掛かりを始めた訳だ」
 ハンシスの背中に、不快な冷たい感覚が走った。
 ラディンの顔からは引き続き、好意も悪意も判らない、なのに妙に素直な笑みを浮かべている。
 ……
 日没が近づき、東風はいよいよ強さと冷たさを増してゆく。風下の側でコルム側の五人の臣下達は神経質に目を細めて、草地の中心の二領主を見つめている。
「どう思う? あの二人は何を話しているんだ?」
 重臣の一人がルアーイドに話しかけたのだが、
「……」
 ルアーイドだけは、違う場所を見ていた。主君達よりさらに遠く、草地の向こう側のいる敵陣営を見ていた。そこにいる、やはり熱心に主君を見ているナガ側の臣下達を夢中で見捕えていた。
 ルアーイドは、自分の気がぴりぴりと緊張してゆく感触を自覚する。
 知っている気がする。敵陣の中の一人。高名な老ワシール卿の隣に立つ、あの男。背の高い、髪色の薄い……。
「イッル……?」
 向こうも今、ちらっとだけ淡泊な視線で自分を見たか? いや? あの男――珍しい、薄い色合いのあの眼……。
「あの男、イッル……。まさか……なぜあそこに……?」
「イッルじゃない。カティルだよ」
「え?」
「あの褪せた髪色の男だろう? カティルという名前のラディンの護衛だ。一年半ほど前からナガ城館に居ついた。ラディンの気に入りだ」
 左側から、緒戦で寝返ってきたイーサー将が興味もなさそうに教えた。
「――。カティル……」
 東風が絶え間なく吹き付けている。背筋のすみの警戒感が、徐々に大きくなってゆく。
 ……
「あの二人、笑ってるぜ」
 面白がるようにカティルが言った。それを横耳で聞きながら、老ワシールは視線を微動だにせずに主君達を凝視し続けている。
「仲が良さそうじゃないか。敵同士どころか、あれじゃ絵に描いた仲良しの従兄弟同士に見えるんだが。ワシール」
「……」
「ワシール、聞いてるか? あの二人が昔は仲良しだったって聞いた時、俺は信じてなかったんだけど、本当だったんだな。
 ならばやっぱり、奴がシャダー殿をナガから追い出したがっているのは、本当にラディンの将来を気遣ってるって事なのか? 貴方はどう思うんだよ。第一あの二人、今、何を延々と話し込んでるんだよ」
「……。昔話しでもしているんだろう」
 独り言のように答えた。
 この二領主双方を最もよく知る老臣こそが、見事に状況を言い当てるところになった。 その通り。今ハンシスとラディンは、昔話をしていた。他愛ない、本当に他愛のない思い出話を延々と続けながら、嬉しそうに、懐かしそうに二人は口許を上げていたのだ。例えば、
 ……ワーリズム城館の北の裏手のリンゴ林。そこの巨木に登り、枝に座り込んで酸っぱい若実を盗み食いしたこと、
 ……大市に旅芸人が来ていると聞き、片道二日半のスックの町を目指して夜中にこっそり城館を抜け出たこと、
 ……同年代の遊び仲間で集まり、女達も総出で刈入れをしている麦畑の真ん中を全員素っ裸で走り回ったこと(この時はさすがに、普段は家人に無関心のワーリズム殿にも猛烈に怒鳴られたこと、でも夜中に思い出して二人で馬鹿笑いしたこと)、
 思い出はいつも仲良く面白く遊びあっていたものばかりだった。思い出すだけで幸せだった。
「そう言えばほら、こんな事もあった」
 ハンシスはまだ続ける。
「ほら、お前が夜遅くに俺の部屋に来て、何とかワシールを言い負かしたいから手伝ってくれと」
「そんな事があったか? 何があったんだろう」
「確か、ワシールがお前に説教したとかだったな。『領民に敬われなければ、どんな善政を執っても意味はない』と。これを何とか言い負かせたいといって来たんだ。ああ、そうだ。満月の暑い夜だったな。それで二人で色々と考えたけれど、私は結局ワシールの説に同意して、だからお前は自分独りで考えをまとめ上げて――」
「有ったな。覚えている」
「次の日の朝一番、二人でワシールが登城するのを城門で夜明け前から待ち構えていた。で、彼が坂道を登ってきたのを見た途端、お前はいきなり言った――」
「言った。覚えている。俺はこう言ったんだ、――『敬われる必要は無い! 敬われるより恐れられる君主になって、その上で善政を執ればいい。そうすれば為政に成功したって失敗したって領民は黙っている!』」
 断言の口調だった。たかがの思い出話に。
 そして、眼。――あの頃から大きく変わり、従兄を寄せ付けなくなった黒い眼。
 笑おうと開きかけていた口を、ハンシスは閉じてしまう。冷たい東風が頬に当たる。
(あの頃も、そうだった)
 風を受けながら。ハンシスの思考と感情は現実に戻してゆく。従兄の表情が微妙に変わってゆくのを、いとも敏感にラディンは察する。
「何だよ」
 さあ。楽しい思い出の時間は終わりだ。有るのは、目の前の現実だ。
 冷たい東風に二人の髪も服も大きく翻っていた。ハンシスは従弟の黒い眼を見て静かに言った。
「そろそろ、止めにしよう」
「――」
「お前は利口だ。もう解っているだろう? ナガは篭城戦に善戦しているが、でも、もうそろそろ限界だ。間もなく私が勝つ」
「そうだろうな」
「無駄な消耗はしたくない。これからのコルムの為にも。ナガの為にも。私にも。お前にも」
「そうだな」
「だから、ラディン。――私にワーリズム家当主の座を譲れ。それで良い。お前には引き続き、ナガの領主としての権限を維持させる。それで良いだろ?」
「――」
「ラディン。他に望みが有るか? 何か望みは?」
「俺の望みだって?」
 その時。
 ラディンが笑った。決して人に慣れない猫のように陰湿な顔で笑った。
「その前に、俺じゃなくお前の望むものの方だろう? 何だって? ワーリズム家当主座が欲しいんだって?」
 和んだ空気は消えた。ハンシスの神経が一瞬にして張り詰めた。
「――。そうだ」
「――」
「正直に言う。私はとにかく当主になりたい。私の方がお前より家臣からも領民からも信頼を得ている。何よりも、私には当主に相応しい力量が有る。お前より遥かにだ。
 だから私がワーリズム家当主座を奪うのは当然だ。俺にはその権利があるはずだ。それが悪いか?」
 黒い猫が大きく笑った。
「なぜ笑うっ」
「おかしいからだよ」
「何がおかしいんだっ」
「“正直に言う”か。だったら正直に言えよ。貴様が本当に欲しいのは、そんなものじゃないだろう?」
「……え?」
「シャダーだろう? 奪い取りたくて必死なのは。それが望みだろう?」
 ハンシスが顔色を変えた。
 強い東風が雲を流している。雲間に夕刻の陽射しが見え隠れしながら、薄赤い光を放っている。ハンシスの一瞬にして強張り、表情を失ってしまった顔を際立たせている。
 それを真正面で見ながら、ラディンは面白がっていた。聖典劇の観客よろしくじっくりと見据えながら冷酷に、面白がって言ったのだ。
「図星だからって、情けない顔をさらすなよ。従兄殿」
 動揺を力任せに潰し、ハンシスはかみ砕くような口調で返した。
「なぜ、私が、シャダーを欲しているなどと、言うんだ?」
「嘘をつくなよ。隠すなよ。ほら、言えよ、『神様、私はシャダーが恋しくてたまりません。昔、ワーリズム城館にいた時に、シャダーに可愛がられたことが忘れられません。あの時に戻りたいんです。だから適当な大義を持ち出して力づくで、武力を持ち出してシャダーを奪います』」
「……。止めろ」
「『だから私は、常にシャダーと共にいるあの弟が邪魔でなりません。とにかく、何とか、あの二人を引き離したいんです。――とにかくあの弟が憎いです。嫌いです。だから殺してしまいたいんです』」
「止めろ! 違う!」
「そうか? 本当に違うと言い切れるのか?」
 違う! と繰り返そうとして、言葉は喉の奥に詰まった。
 それを見て、ラディンの眼がいよいよ嗜虐的に笑った。
 ……
 老ワシールの顔が急速に引き締まる。
「二人の様子が変わったぞ」
 横に立つカティルは答えない。答えないどころか、のんびりと雲の流れる夕刻の空模様を眺めている。
「どうしたんだ。珍しい。ハンシスが動揺して、冷静を崩している。ラディンは何を言ったんだ?」
 カティルは風を受けて邪魔になる薄い色の髪を、紐で束ねていった。その上でようやく、主君の方へ目を向けた。
 ……
「従兄殿。どうした?」
 機嫌の良い猫の顔を、ハンシスの強張った眼で見ている。誰一人知らないはずの事を平然と言い当ててしまった従弟を見据える。
「何か言えよ。俺を殴れよ。殴って否定しろよ」
感情だけで言動するなど自分の性ではない。何とか冷静を取り戻そうとする。
「――。感情で動くなど、しない。嫌いだ」
「逃げたな。貴様は昔からそうだったよな。綺麗事が大好きで、人に非難されることが怖くてたまらない。『領主は領民に愛されるのが第一義だ。ワシールは正しい』か? 好きなだけ聖人から祝福されてろよ」
「……」
「シャダーの事も人に、特にシャダー自身にばれないように必死だったんだろう? ばれてシャダーに拒絶されたりしたら、心も誇りも保てなくなるものな。せっかくの幸せなナガでの日々が一瞬で消えるものな。ご苦労な事だな」
「……」
「いつから気づいていた、って訊きたいんだろう? 俺は貴様が城館に来た最初の日から気づいていたよ。ずっとずっと毎日、感じていた。だからもし俺に大金が有ったら、足のつかない毒を買ってすぐに貴様の杯に入れたよ。悔しいが俺の持っている程度の金では、安物しか買えなかったけどな」
「……」
「毎夜寝ながら、ずっと貴様を殺す手段を練っていた。でも、どんな手を使ってもこっちにも返り血を浴びそうで実行しなかった」
「――。そうか」
 ハンシスは、喉から声を絞り出した。固い顔を貫いた。
そのまま、無言で、従弟の頬を平手打った。
 ……
「殴った!」 
 大きく距離をとった草地の縁、ルアーイドが信じられないという顔で叫ぶ。
「信じられない、嘘だろう? ハンシスが人を殴るなんて有り得ない! どうして――何があったんだ!」
 すぐにも駆け寄りたい、が、動けない。会見中は両者への接近を禁じた約束を破ることは、ハンシスの不名誉になるから出来ない。ルアーイドは歯ぎしりするようにその場から夢中で見る。
 ……
 草地の中心では、どちらも喋らない。
 ラディンは怒っているようには見えない。笑っているようにも見えない。その眼の前でハンシスは大きく息を突いてから、吐き捨てた。
「適当な当て推量を喜々と上段から語る馬鹿が」
「――」
「ならばお前も正直に言えよ。『私はいまだに姉の匂いから離れる事が出来ません』。
 それに、こうだろう?『昔、従兄が城館に居た時には、いつ姉が取られるか不安でたまりませんでした。その思いは今も続いています』。違うか? 言えよ。ラディン」
 ラディンは表情を変えない。そのまま従兄を見ながら言った。
「やっぱり安物の毒でも何でも買って、さっさと殺しておくべきだった」
「片時も姉から離れられない乳飲み子」
「望むものは手に入らないぜ。俺が全霊で邪魔をしてやる」
「貴様は早々に身を亡ぼす。私が見届けてやる。その手始めは、ワーリズム家当主座からの陥落だ。――その上で、シャダーを私の許に呼ぶ」
 丸切り従弟の真似をするよう、ハンシスは陰湿に口許を引き上げた。その上でもう一回、相手の頬の同じ場所を平手で打った。
 ……
「どうしたって言うんだ、ハンシス! 止めろ、嘘だろう? 貴方がこんなに感情的になるなんて有り得ないぞ!」 
 ルアーイドが叫んだのと同じ時、もう一方の草地の反対側でも老ワシールが反応した。
「これは尋常ではない。ハンシスが人に手を上げるなど考えられない。会見は中止させた方が良い」
「仲良しっていったじゃないか。放っておけば良いじゃかないか? じゃれ合いみたいなものだろう?」
 からかうようにカティルが返したが、しかしもうワシールは踏み出していた。絶対に出てくるなとの主君の言葉を無視し、風の中を二領主の方へ歩みだした。
「ハンシス――ラディン!」
との声にほぼ同時に振り返った両者の、何と表情の似ている事、
 ――とは、一瞬のワシールの感想だった。だがたちどころに両者は顕著に対照となる。不満の眼で見据えてくるラディンと。すっと冷静の色を取り戻すハンシスと。
「会見中は全員引き下がっているという約束だぞ、ワシール」
「貴方が私の主君に手を上げるのを止めに来ました、ハンシス殿。貴方らしくもない。どういう事ですか?」
「ただの昔を懐かしんでの兄弟喧嘩みたいなものだ。ラディンと」
「何を馬鹿な事を。だとしても、貴方ともあろう方が公の場でこんな醜態をさらすなど――。一体何を話していたのです? 何をそこまで激怒しているのですか?」
「それは従兄殿も怒るよなあ。だって俺達二人は、同じものを争ってるからなあ。この世に一つしかないものをなあ」
 凄まじい諧謔の口調でラディンは口挟んだ。笑った。途端、三度目ハンシスの右腕が上がったのを、ワシールが腕を掴んで止めた。
「ハンシス殿! その子供じみた態を恥じるべきです! ラディン殿、貴方も笑うのを止めなさいっ。情けない、これでは本当に子供の喧嘩だ。ワーリズム家の領主二人が衆目の中でこんなは恥をさらすとはどういう事ですかっ」
「ワシール」
 ハンシスが呼びかけた。
 眼が無言で、複雑な感情の許に老臣を見ていた。言うべきことに躊躇し、いつもの曇りの無い眼から大きくかけ離れていた。何かしらは理解できない、しかし深い、暗い場を示していた。
 何を言いたいのですか? ――と、その時即座にワシールは訊くべきだった。そうすれば、この後の事態そして二人の進む道筋はまた変わったはずだ。
 だが、その機は失われる。草地の縁。風上の方。コルム方の臣下達の間に、何やらのざわめきが起こり始めていた。ハンシスがそちらを向いた時、もう淀んだ心情を映す眼は消えてしまっていた。
「済まない。私の側で何かが起こったらしい。会見中に悪いが、このままここで待っていてくれくれないか」
「従兄殿、俺たちの間の問題はもう何もまとまらないんじゃなかったか?」
「黙れ。まだ話すことが有る。絶対にここから離れるな、ラディン」
 言い残してハンシスは一度、臣下達の許へ戻ってゆく。とは言っても、もうラディンは会見を続けないだろうとワシールは敏感に予測したのだが、その通り、早くもラディンは、
「ここで待つべきです。ラディン殿。交渉の場を尊重なさい」
 礼儀を無視し、歩みだした。草地を去り始めてしまった。
 溜息をつき子供じみた主君を追いかけようする直前、ワシールはちらりと振り返った。ふと映った視界の中、コルム陣営が大きく急変しているではないか。
(伝令か? まだ子供の? なぜ激しく泣きわめいているんだ?)
 伝令の子供はもう立ってすらいられないのか。大声で泣きながら臣下の一人に倒れそうにすがり付いている。必死で泣きながら喚きながら何やらを語り、それに周囲の家臣達が確実に顔色を変えていく。
 ハンシスも自陣に戻り着いた。迎える臣下達、泣いてすがり付いている少年伝令。全員が凄まじく緊張している。ルアーイドが主君の片腕を力任せに掴み、夢中で何やらを報告し、そして次の瞬間、
 ハンシスの心底からの怒りの眼がこちらを――ラディンを見た!
「ラディン殿っ」
 立ち止まり振り返った主君に、ワシールは叫んだ。
「何か大変な事態が起こったらしい。ハンシスが激怒している。こちらに来るっ。とにかくすぐに皆の所へ戻れっ」
「なんで? 俺の大切な従兄だぜ?」
 今この状況での冗談口としては酷すぎるとワシールは思う。そして事態は最悪へ向かう。右手から、信じがたいことにハンシスが感情のまま従弟へ向かって走ってくる。信じられない。あのハンシスが怒りを、敵意の感情を剥きだしている!
 そしてその従兄をラディンは動かずに待っている。面白がりながら動かず待ち構えている。信じられない事に!
 あっと言う間、ハンシスはラディンの肩を掴んだ。襟首を締め上げ、今日三度目、今度こそ平手では無く拳で、本気で横面を殴った。しかもそれだけでは済まない。
「止めなさい! 何を!」
 彼は胴着から、銀色の短を引き出したのだ。
「武器を持ち出すなど一体――っ、ハンシス殿!」
「黙っていろ、ワシール!」
「貴方ともあろう人が激昂し、しかも短剣――」
「黙れと言った! 黙らなければこいつを傷付ける!」
「ハンシスっ、何でだ!」
 嘘だろう? 嘘だろう? 嘘だろう? ルアーイドは夢中で叫ぶ。
「どうして――嘘だ!」
 嘘だ! 自分の目が信じられない。こんな光景があるか? 自分の知っているコルム領主は賢明で清廉でそして冷静のはずじゃないか。それがこんなに完全に変じるのか? こんな単純で卑劣な行動を起こすのか? あの眼。生来に明瞭なはずのあの眼が今、本気で憎悪に捕らわれているなんて嘘だ!
「何が起こった?」
 ラディンが訊ねた。自分の首筋に冷やかな刃の感触を覚えているというのに、平然と、静かに言った。
「皆が驚いてるぞ。どうした? 感情を剥いて激怒するのが大好きになったのか?」
「余計な口を効くな! 私の言う事を聞け! 一言も漏らさずに聞け! その前に、ワシール! 下がれ! 貴様もだ、ルアーイド!」
 さすがに今は従った方が良いとワシールもルアーイドも、皆が引きさがる。日没直前、風が強く吹く草地の中に、また両者は二人きりとなった。そして――、
 押し殺した一言が、コルム領主の喉から漏れた。
「シャダーが……」
「え?」
「私の伝令を殺した」
「何だってっ」
「私の伝令を、殺した。貴様が避難させたシュリエ城砦で、私の使者を弩弓で――自分の手で殺した……!」
「嘘だっ、なぜシャダーがそんな事をするんだ!」
「それこそを私が訊きたい! ラディン、今すぐシャダーを呼び戻せっ。使者殺しは大罪だ、何が起きたか知りたい!」
 ラディンは――、突然の姉の名に動揺したラディンは、呼吸三回分無言になる。
 そして四回目の呼吸の時、彼は自分を取り戻した。
「――。俺が、聞いておいてやるよ」
 本来の、あの複雑な陰質を取り戻した。
「俺がシャダーから聞いておいてやる。貴様も事情を知りたいというのなら、後で書簡でも送ってやる。だからもう関わらずに去れよ」
「ふざけるな! 大罪だ! なにが書簡だ、すぐに呼べ、呼び戻せ!」
「もう関わるな。使者殺しでも主君殺しでもどうでも良い。貴様はさっさと引け。そこまでして会いたいのかよ。無様だな」
「ラディン!」
「諦めろ。この先もう貴様の眼にシャダーが映ることはないから。全て俺が妨げる」
 この瞬間ハンシスの短剣をもった右腕に力がこもる。ルアーイドとワシールが同時に叫ぶ。
「駄目だ、ハンシス! 止めろ!」
「そこまでだ」
 思いもかけないところからの声。
 ハンシスは腕を止める。噛みつくような眼で振り向き、素早く反応する。左腕で小柄なラディンの体躯を羽交い絞め、右手で短剣を握り直す。その上で、ゆっくりと言った。
「武器を置け」
 しかしカティルは眉一つ動かさなかった。頬にぴったりと弩弓を当て、左目を閉じ、右の眼でハンシスを見捕えている。
 ハンシスが、あらためて力を込めてラディンの身体を引き寄せた。あらためて、一語一語、かみ砕くように敵に言った。
「弩弓を、置け」
「まずラディンの首から短剣を離しな。次に奴の体を離し、最後に俺に視界から消えろ。そうしたら弩弓を置いてやるよ」
「――。弩弓を置けと言っているんだ」
「俺は今からラカバ章の祈祷句を唱える。それが終わり切るまでに短剣を捨ててラディンを離して去れ。さもなければ矢を打つぞ」
「馬鹿が。その矢が貫くのは私ではない。私はラディンを盾に出来る」
 するとハンシスの左腕の下、ラディンが小声で笑い始めた。その笑いが緊張した神経を逆撫でる。ハンシスはさらに腕を締め上げ、即座に黙らせる。
「弩弓を置けっ。貴様の主君を殺す気か?」
「あんたの方がラディンより背が高い。頭一つ分、出てしまっている。残念だったな、充分そこを狙える。――ラディン、絶対に動くなよ。」
「そんなことが、出来るものか」
「信じられないか? だったら見せてやるよ。あんたの両目の間を抜いてやるよ。それとも臆病で哀れなウサギのように必死に身を縮めて隠れるか? それでも良いぜ。良い見ものになるからな。ハンシス殿。射られるならどこがいい? 右目か? 左目か?
 ――さあ、祈祷句を始めるぞ」
 強い東風の中、唯一なる慈悲深き絶対者の御名において、で始まる祈りの句が、本当に始まったのだ。
「ハンシス! すぐにラディンを離して戻れ!」 
 ルアーイドが必死に叫ぶ。
 彼には信じられない。自分の主君がこんな非常識な態を見せる事が、本当に信じられない。胸の鼓動が速まる。動悸を覚え顔色が失いないながら、夢中で見る。
 そしてワシールも状況の最悪さを判断した。相手を子供の時からよく知っているワシールこそが、この若きコルム領主がこの手の脅迫を最も嫌う事を、それに屈することを最も屈辱と感じることを知っていた。ゆえに的確に判断出来た。
“ほぼ間違いなく、絶対に、今、ハンシスは要求に従わない”
 強い風音の中、カティルの祈りは確実に進んでゆく。両者とも一歩も引かない。ワシールの歯ぎしりの間にも、獲物を前にした犬の様なカティルの祈祷句は、結びの謝句へと近づいてゆく。
「ハンシス! 皆の為に、頼むから止めてくれ!」
 ルアーイドの声は、もはや泣き出しそうな懇願になる。
「こんなに剥きになるなんて貴方じゃない。貴方の目指すところはこんな事から大きく離れているはずだ、こんな事で身を危険にさらすな! お願いだから、頼むから止めてくれ!」
 ちらりと、ハンシスが一瞥した。その一瞬の眼――淀んだ、凝り固まった感情の眼、先日見たあの眼と同じ。なぜ? だからそれは何なんだ、ハンシス!
 カティルの口の中、祈祷は結びの感謝の一文に入る。それでもハンシスは放さない、放すわけは無いと、ワシールは判じる。ルアーイドの声が絶叫になる。
「ハンシス! 頼むから……頼むから――止めろ――!」
 突然、東風が突風となって草地を抜けた。思わずルアーイドもワシールも、草地の皆が顔を伏せ目を閉じた。そして再び急いで目を開けた時、皆が“あっ”という声を上げてしまった。
 ハンシスが、ラディンを突き放していた。
 顔一杯に隠し切れない悔しさと怒りをにじませながら、ハンシスは懸命に従弟を睨みつけていた。
 カティルはようやく弩弓を下し、律義にも謝句の最後の“絶対者に栄光あれ”の一言で締めくくった。ラディンはこの時とばかり鮮やかな顔で微笑む。従兄の歪んだ顔を充分に鑑賞してから、愛らしい程に素直な口調で言った。
「やっぱり武器を持った者には素直に従うべきだよ。従兄殿」
 東風の中、ハンシスは大股で踏み出した。もう二度と振り返らない。主君に何を声がけしていいのか狼狽するルアーイドや、もはや座り込んで泣いている伝令の少年や、展開の意外に困惑する臣下達・兵達が待つ自陣に戻ってゆく。
 東風が絶え間なく吹いている。空は雲が流れ、ほとんど光を失っている。今日一日だけは静まっていたナガ・ワーリズム城館付近では、そろそろ日没が始まる。
 結局、子供の喧嘩じみた会見は、何の意義も産まなかった。かつて他者に見せたことの無い、異様なまでに感情に流されたハンシスの姿だけが、皆の記憶に強く印象付ける結末となった。

・        ・         ・

 夜になっても、東風は続いている。
 すでに東風は、強風に変じている。草も木々も灌木も大きく揺れて、不穏な音を立てている。空気はひどく冷え込み、しかし湿気は消えている。流れていた雲も消え、多くの星が見えている。
 その夜の中、ルアーイドは天幕を飛び出した。その瞬間、真っ先に目に映ったのは、出てきたばかりの赤く染まった月だった。
「あの――忌々しい月!」
 寝静まった陣営内を走り出した顔は、怒り、動揺し、蒼ざめていた。

 ナガ城館内の通廊にもまた、冷たい風が吹き抜けている。角ごとに据えられた松明の炎を大きく揺らいでいる。その通廊をカティルは走るような大股で歩いてゆく。
 分厚い石壁に、足音が無機質に響く。人好きのしない冷たい顔が、真っ直ぐに薄闇の前方を見据えている。外套の裾を大きく揺らし、狂いの無い正確な歩幅で、静まった通廊を、階段を素早く進み、目指す最上階の一室に達すると、彼はノックも挨拶も無しに扉を押し開けた。
「間者から報告が入った」
 ラディンは、窓枠の上に座っていた。眼下の、城館を囲む敵陣営を見ていた。強い風に前髪を吹き付けられながら、月光にくっきりと横顔を浮き上がらせていた。
「来る頃だと思っていた」
 下を見続けたまま、言う。
「さっきから、コルムの夜営に火が増えている。ざわつき出している。何が起きた?」
「ハンシスの単独失踪」
 はっと、初めてラディンは振り向いた。その顔がもう、何かを敏感に察した事を表した。再び窓の外を見るや、
「月だ。充分だ」
「何が?」
「同じことを思った。この月明かりだ。夜の騎馬行に充分だ」
 窓枠から飛び降りる。あっという間に横をすり抜けようとするのを、
「待てよ」
 カティルは腕を掴んで止めた。
「どこに行く?」
「すぐに追いかける」
「ハンシスをか? どこに行ったか分かるのか?」
「奴と同じことを思ったと言っただろう?」
「――」
「シュリエ城砦」
 カティルの脳裏に、鮮やかに笑う女の像が結ばれた。
 あの、ありふれた顔の、面白くも無い女。我儘で独善で気分屋の、騒々しい女。その果てに、一族に厄病まで招いた女。
 またあの女だ。あの女の災いがワーリズム家をどんどん混乱させてゆくのか。
 真夜中の冷気が風となって室内を抜けた。ラディンが腕を振り切り、無言で薄闇の部屋から出ていこうとする。
「待てよっ、忘れるな」
 カティルは、部屋の片隅にあった主君の外套を掴むと、投げ渡した。
「それに俺も行くぜ」
 ラディンは素早く、松明の火の揺れる通路に出ていった。カティルも大股でその後を追った。

 月光と強風の中を、ルアーイドの眼が必死で辺りを見渡していた。
 目の前では、ワーリズム城館が大きな影となって迫ってきている。分厚い石材が積み上げられた城壁は、この数日の攻撃にも充分に耐えた威容をそのままに、高くそそり立っている。
 自分のやっていることに大した意味があるとは思えない。でもやらずにはいられない。馬に跨り、敵のワーリズム城館周辺をうかがい城壁沿いに馬を進めている。
(守護の聖天使マリキ様……)
 祈祷句が勝手に口を突く。不安はもう不安だけに留まらない。恐怖へと進んでいる。最悪の予測が現実味を増していく。
 つい数刻前。草地での主君は考えられない程に異質だった。常に理知と沈着をもって物事に当たる質が、あんなに感情を剥きだして怒るなど。ために武器を持ち出し、為に己の身すら危機に追い込むなど。しかもその異常事態について自分達臣下に、――自分に、何一つ語ってくれないなど。
 主君がコルムに来てからこの二年、全霊をもって護り支えてきたつもりだった。歳の近さもあり、コルムでもっとも主君を理解しているのは自分との自負があった。それなのに今、主君の行動が全く理解が出来ない。
(マリキ様、ハンシスは今、まさか――)
 肥えた月を見上げる。寒空の中、赤味から大きく蒼白に転じた月が、一層に不安に書き立てる。間近から見上げる城砦の全容は、真っ黒の輪郭線を刻んでいる。
(まさか、中へ?)
 夜風は冷たいのに、手綱を握る掌に汗が生じた。
(本当に。まさか。本当に、城壁の中に入るような事は。――でも)
 草地でのあの異様な様が思い浮かぶ。何をするのか行動が読めない。まさか、本当に独りで、中へ――。
 ガタリ
 物が動く音が、風中に響いた。
(ハンシス!)
 叫ぼうとするのを、寸前で止めた。
 蒼い月の下に現れたのは主君ではなかった。二騎士だった。固く閉ざされた五つの城門の内、最も小さな北裏門が僅かに開き、そこから彼らが騎乗して出てきたのは、
(……ラディンと、髪色の薄い護衛だ!)
 鞍の前に付けたランタンの光が、ぼんやりと揺れている。分厚い外套を着こんでいるのが分かる。彼らがこれから夜騎行に出るとは、すぐに判った。では、どこへ?
(光輝く翼の、マリキ様)
 ルアーイドが迷った時間は僅かだった。彼は自らの外套の襟もとをすばやく留めた。頭のどこかに、革手袋を天幕に置いてきてしまったなとの思いが過った。
 ラディン達が走り出した。月明りの下、二頭の馬が斜面を勢いよく駆け下りだした。
それを追いかけてルアーイドもまた、蒼白い、冷たい月光の中に進みだした。



【 続く 】
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