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あなたはここにいる《後》2
しおりを挟む知らないうちに十四年の歳月が過ぎていたという事実は、当然のことながら彼女に相当のショックを与えた。
「……ウソでしょう?! だって……ええっ……!」
「俺を見たらわかるだろ。エミちゃんがいなくなってホントに十四年たったんだ。みんなどんだけ心配したか。
お母さんは元気だけど、お父さんは病気になってる。二人ともすごく会いたがってるよ。今すぐ帰ろう」
父がもう長くないとまでは言えなかった。言っても苦しませるだけだ。しかしエミちゃんは背後を振り返りためらっている。あの男に無断で帰るわけにはいかないという気持ちがあるのだろう。
「あの改源って奴に黙って帰るのは気が引けるんだな?」
「……うん」
「俺も一緒に行くよ。たしかに断りなしに帰るのは良くないよな。追いかけてこられても面倒だし」
「生島さま! ちょっとこちらへ……!」
モグラ男が腹立たしそうにブンブンと俺を手招きし、少し離れた場所に移動した。
「ムチャですよ、これ以上先には進めません」
「大丈夫だ。まだ行ける」
「私が何のためにエミさまに使いを出したと思ってるんです? 第七世界まであなたが生きてたどり着けるわけないからでしょうが。だからここまで来ていただいたのに」
「俺が改源に話をしない限り終わらない。何が起こってもお前の責任じゃないよ」
モグラ男をなだめ、彼女の元へ戻ると笑顔を向けられたので非常にドギマギした。――前と何が違うといって、表情が違うのだ。俺を見てナチュラルにニッコリするなんて、どこの記憶をどうひっくり返しても出てこない。
「ねえ、アヤカたちどうなった?」
唐突に聞かれたので何のことか理解が追いつかなかった。
「え、アヤカ?」
「あの二人まだ付き合ってる? それとももう結婚した?」
「…………ああ、中尾のことか! 青木と? 結婚したかって?」
「そう。十四年ってそのくらいかなと思って」
「いや、とっくに別れたよ。二年ぐらい付き合ったけど」
「え?! 何で?!」
「何でって……性格が合わなかったみたいだよ。今は二人とも別の相手と結婚してる。中尾は遠くに嫁に行ってどうなったかよく知らねえけど、青木は去年結婚してもうすぐ子供が生まれるよ」
「ええー……ショック……」
教えなきゃよかったかな、と思うほどガッカリしている。あの二人は大人になってそのまま結婚し、幸せに暮らしているに違いないと思うほど、この子はあの頃のまま、考えも少女のままということなのだ。いよいよ年の差を感じる。
「木崎さんは? 今どうしてる? 神代さんは?」
「えっと、木崎さんは何か東京のほうに行ってバリバリ働いてるらしいよ。神代さんは小学校の先生になったけど、今はやめて何か社会的な活動をしてるみたい。福祉っぽい……何ていうか……そんな感じの」
必死に記憶の糸をたどりながら、知っていることを全部話した。もっと具体的な消息を聞いておけばよかった。まさかこんなことになるとは思ってなかったので、他人に関心のないまま過ごしてしまった。「何か」という単語を連発するのはそのせいだ。
「鉄哉は?」
「俺? 何が」
「鉄哉は今どうしてるの」
緊張が走った。はたして今の俺は、彼女が失望しない程度に成長しているだろうか。まずこれだけははっきりさせたいと思い、姿勢を正してきっぱり言った。
「結婚はしてません! 彼女ももちろんいません!」
「……そうなんだ。そこはいいんだけど、毎日何してるの?」
「朝起きて会社行って、終わったら帰ってくる」
「え、就職出来たの?!」
物凄く驚いている。
「よく雇ってくれる会社があったね?! 何年目?」
「えっと……七年ぐらいたつだろ、そろそろ」
「そんなに長く、クビにもならずに?! 何の会社?」
「PC……あの、パソコンの……セキュリティーの会社」
「そうなんだ! よかったね、この世にパソコンがあって! あんたキカイにだけは強かったもんね…………あっ!」
「どうした?」
「鉄哉、その靴ヒモ自分で結んだの?!」
「……そうだけど」
「ちゃんと蝶結びになってる! ずっとかた結びだったのに!」
俺の足元を見て激烈に驚いている。たちまちその目が涙に潤んだ。
「すごい、鉄哉……! 頑張ったんだね、努力したんだね……!」
何か知らんがとてつもなく感激してくれている。たしかに俺は不器用で高校生になっても蝶結びが出来なかったが、さすがにこの年になったらそのくらいのことは出来る。どんだけ何も出来ないイメージが染みついてたんだろう。モグラ男が言った。
「――あー……わかりましたよ、生島さま」
「何が」
「あなたアレだ、ダメな人だったんだ」
「そんなわけないだろ! 何か記憶違いしてんだよ、なあエミちゃん」
「何にしてもよかった、いったいこの人どんな大人になるのかって心配してたから……。人並みのことが出来るようになってて、すごくホッとしちゃった」
「ほら、やっぱりそうじゃないですか! ダメだって言ってますよ!」
「ダメだとは言ってないだろ! 多少人より苦手が多かったってだけの話だよ!」
三人でわあわあ言い合いながら歩いた。かつてこの異次元の道がこんなに人の話し声でうるさくなったことがあったろうか。ふと左袖を引かれたので見ると、エミちゃんが俺の空の袖を握っていた。何で何もないんだろうと思ってるのかもしれない。
彼女は裸足だった。長い裾から出ている白いつま先が地面を踏んでいる。つま先から目を上げてその顔を再び見ると、真っ直ぐな瞳で見つめ返されたので視線を外した。どこをどう見りゃいいんだかもうわかんねえな。
目線を急にあちこち動かしたせいか一瞬めまいのような感覚に襲われ、また視界がチラチラして白くなった。倒れないために目を強く閉じ、少しのあいだその場に足を踏んばる。油断したらダメだな。先はまだ長い。
平衡感覚を取り戻したので目を開けると、そこにはまったく違う光景が広がっていた。
道の先にある世界は、崩壊寸前だった。
朽ち果ててぼろぼろと欠けた世界のかけらが、上と下の虚無へと落ちていく。さっきまでは塗り込められたように白かった道も、端から虫食いにあったように黒く変色し、はらはらと虚空へ散らばっていった。そうこうするうちに俺の足元も崩れはじめ、あわてて前に進む。
何に驚いたといって、エミちゃんの足が残っている道の部分をちゃんと踏み、失われた箇所を器用に避けていたことだ。つまり彼女自身もこの世界が滅びつつあることを自覚しているに他ならない。
世界は四つの過程をたどって生まれては消え、消えては生まれする。まず「生成」、次に「安定」、さらに「崩壊」へと続き、そして崩壊を終えた「虚無」を迎える。第七世界は三つ目の段階、崩壊の段階の最後にすでに差しかかっていた。もってあと十日、いや下手をすると二、三日中にすべてが終わるのかもしれない。
「鉄哉は…………と和解する必要があると思ってた」
「え?」
俺の驚愕など意に介さず、エミちゃんが機嫌よく言った。
「元々は同族の兄弟なんだから、こんなに疎遠でいていいはずがないよ。…………に行ったら…………と一緒に会おう。きっとお互い良かったって思えるから」
『半ば以上、あちらの者になりつつある』
ゾッとして奥歯を食いしばった。俺に理解出来ない言語を話しはじめている。もともとあちらの所属なのだし、本体のそばで生活していたのだから、本来の状態に戻るのはしょうがないことだ。以前と違い、こだわりなく俺にまとわりついてくるのもそのせいだろう。
時間がないというのはそういうことか。何故改源が焦っていたのかやっとわかった。そして彼女の母親が元の世界に娘を帰したくないと思った理由も。
もうすぐ終わるからだ。すべてのものが滅び、どこにも生命が残る余地がない。終わりが始まっていると知っていて、どうして我が子をそこへ行かせたいと思うだろう。
「第七世界は終わるんだな?」
俺は隣のモグラ男に聞いた。
「そうです。終わります」
「何故逃げない」
「逃げる場所なんてどこにあるんです?」
「第五世界に逃げればいいじゃないか。死ぬよりマシだろう」
「いつか消えてなくなるのはどこも同じですよ。それに私はまた第七世界に生まれてきたいんです。再生成されることはわかってますから」
「王弟が第五世界と統合するべきだと言ったのも、これが理由か?」
「それもあったようです。第五世界と統合すれば、皆がいっせいに死ぬことはなくなりますので。でもいずれ第五世界も滅びます。すると私どもは第五世界の衆生ということになってしまいます。あんなところで輪廻の輪に取り込まれるなんて考えただけでイヤですよ。みんなそう思ってます」
あんな連中とひとまとめにされるくらいなら黙っていったん混沌に巻き込まれ、粉砕されたほうがマシということか。第七世界の衆生の動かし難い差別意識、プライドの高さをまざまざと見た思いだった。第十世界から救い難いと見捨てられたのも頷ける。自分たちさえ安楽であればよく、他がどうなろうと知ったことではないし、身分が保てるのなら我が身がいったん滅びることもいとわない――。
頭がぼんやりし、足がもつれた。脳に血が行かなくなっている。そのまま地面に倒れ、起き上がろうとしても潰れたように動けなくなった。
「どうしたの、鉄哉!」
「……大丈夫」
かなり苦しい。このまま異世界の空気に触れ続けたら、たしかにじきに死にそうだ。
「息が出来ないの? もしかして」
「自分の体の重さに耐えられないんです。やっぱり無理だったんですよ、すぐに引き返しましょう」
「…………いや、行く。行って話をつけないと……」
「頑固だなあ! ここまで来れただけでも大したもんですよ、新記録ですよ。たぶん第五世界の人間がこの地点まで来ることは未来永劫ないでしょうね」
「…………新記録出しに来たわけじゃない……」
「私だって生島さまを死なせたら後味悪いんですよ。お願いですからわかって下さい」
「わたしが行ってくるから。戻るまで安全なところで待ってて」
立ち上がって行こうとする彼女の服の裾を握った。指先にしか力が入らない。情けない姿だが、この手を離すわけにはいかなかった。あんな思いはもうたくさんだ。
「……ダメだ。あいつに恩があるんだろう? きっと顔見たら強いこと言えなくなる。一人で行かないでくれ……」
「その男を今すぐここから遠ざけろ」
また別の声がして、二人が驚きで息をのんだのが気配で伝わってきた。
「このままだと本当に命を落とすぞ。第五世界の人間が肉体ごとこんなところで死んだら、消滅したまま戻れなくなってしまう。それにこれ以上その男が第七世界に近付いたら、重みで歪んで崩壊が一気に進みかねない」
「あっ、はい……その通りでございます。今すぐ動かしますです」
モグラ男があたふたと俺を持ち上げにかかる。エミちゃんが手伝おうと近付いてきたが、あいだに改源が割り込んできて俺の腕を取り、肩に担ぎ上げた。
「お前はいつかきっと、戻ってくるだろうと思っていた」
俺を運びながら、彼が呟いた。
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