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あなたはここにいる《前》5
しおりを挟む鞍橋から新幹線で戻り、地元の駅に着いた。移動中ずっとビールを飲んでいたので、酔ったやら疲れたやら眠いやらで手足が重い。――いつからか時間があると飲酒する習慣がついてしまい、自分でもよくないなと思いつつも飲んでしまう。決してうまいとか楽しいとか思っているわけじゃないのが余計悪い。
などと反省しつつ駅の売店でまたビールを買ってしまった。もうここまで飲んだら多少控えたって意味はないだろう。荷物片手に歩きながら飲むとこぼれるし、さすがに日のあるうちにこれでは人生終わった感がすごいので、近くの公園で休憩を兼ねて飲むことにした。今年もいったい何本の缶を開けることやら。
広い公園ではないが、凧揚げに励むチビ二人がいた。見るからに不格好な手作り凧だ。ヒモが短いので間違っても電線に引っ掛かることはない。一人が凧を持ち、一人が紐を引っぱって一緒に走り回っている。何度も挑戦していたが、形が悪いので手を離したとたん凧は失速して回転しながら地面に激突した。
二人とも幼稚園かそのぐらいの年頃か。一人は男で、一人は女だった。空は灰色に沈み、凍えるような風が吹いているが、遊びに夢中で寒さなんて気にならないのだろう。やがて二人は凧をあきらめ、ブランコへ走っていって歓声を上げながら競って漕ぎだした。不意に過去の記憶が激しい痛みのように俺の脳裏に甦ってきた。
あのブランコを漕ぎながら、甘いものがいいと言ってたっけ。
きれいな缶に入ってるのがいいと言ってたっけ。
俺に背中を押されながら、楽しそうにしていた。
背中を押すたび、長い髪が手に触れて揺れた。
一年に一度くらい、ひどい涙の発作に襲われる。若干元気を取り戻していたのだろう。少し回復したと思ったら、泣くことでその気力を使い果たしてしまう。
久しぶりに体が震えるほど泣いた。自分の人生の光のすべてが、過去にあったような気がしてならなかった。
俺はもう前を向けなくなっているのかもしれない。あと何年この辛抱が続くのか。あと何十年耐えていればこの人生は終わるのだろう。
あの頃のことを思い出すといつも心が沈む。この十四年、何度もこの辛さを味わった。記憶の断片はガラスのような鋭さを持っていて、俺にとっては玄隈で見る不吉で不快な映像より強烈に自分を傷つけるものだった。
砂を踏む音がしたので顔を上げると、さっきの子供らが心配そうに俺に近寄ってきていた。大人が泣くところを初めて見たという目だ。すみやかに泣きやみ、「ほら、もう泣きやんだ。大人だからな」と言って飲酒を再開すると、安心したように遊びの中へ戻っていった。
この街に住み続けているのも気持ちが沈む原因かもしれない。何せあちこちに地雷のように思い出がひそんでいる、地雷を踏んでも爆発させないように自分を抑圧し続けるのはわりにしんどかった。
遠い街に引っ越して気分を一新するのがベストかもしれない。でも父が今の状態ではそれも出来ないだろう。何にしてもしばらくは我慢する必要があった。
当時の俺を最も打ちのめしたのは、彼女が消えたことを察知出来なかったことだ。彼女が手綱を切ろうとしたときはわかったのに、失踪したときは微塵も異変を感じなかった。
何度も電話したが、出ないのは腹を立てているせいだと思っていた。そのときはもうすでにいなくなっていたのだろう。両親も気がついてなかった。そんな事実はないのに、自分たちは毎日電話なり何なりで接触していた気になっていたのだ。
失踪を知って頭の中でこの世の隅々まで探索したが、どこにもいなかった。完全に気配がなかった。痕跡すらなかった。近しい者のことはわからないとはいえ、いくらなんでも生きているかどうかぐらい感知出来る。居所どころか生死もわからないなんて初めてだった。
わからないということはどうしようも出来ないということだ。初めて事態が手の施しようのない段階に入っているのだと実感し、衝撃でその場に崩れ落ちた。
中に住んで物を整頓し床や壁を清掃し、たえず空気をかき回してくれる存在を失ったせいで、彼女の家はみるみる劣化し、通行人にケガを負わせる危険が出てきたので家主が取り壊した。ずっと更地だったが去年隣の空き地と合わせて新しい家が建った。もう昔の面影はどこにもない。
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