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11.手綱引き《3》
しおりを挟む鉄哉を担いで山を下りた。体のあちこちが故障したままだが、移動出来る程度には回復している。しかしやはり普通のケガとは違うようで、治癒のスピートが格段に遅かった。よろめきながら彼を運ぶので精一杯だ。この人を早く下界へ、人間の世界に戻さなくては。
バイクのそばに見慣れた車があり、おじさんとおばさんが立っていたので驚いて足が止まった。二人とも着いて間がないのか、車のライトは点灯したまま、エンジンも動いたままだ。何をどうしたらいいのか、混乱して判断がつかないようにただ車の周囲をさまよい、不安な表情で闇の中に目を走らせていた。
わたしたちの様子を見て、おじさんとおばさんは言葉を失くしていた。息子はぐったりしているし、わたしの全身はまだ止まらない新しい血で汚れ、顔の左半分は正視に堪えない状態だ。
「エミちゃん! 大丈夫?!」
「すごい血じゃないか! 大丈夫なのか?!」
わたしは鉄哉をゆっくりと地面に寝かせた。まだ目を閉じているが、失神から眠りの状態に移行したらしく、寝息をたてている。
「わたしは大丈夫だけど、鉄哉はたぶん右手と足の骨が折れてると思います。もしかしたら他にも折れてるかも」
「――手綱が引かれたのか?」
おじさんにそう聞かれ、わたしは頷いた。
鉄哉が合宿から帰ってきたとき二人とも家にいたが、彼を見た瞬間異変に気付いたらしい。しかし金縛りにあったように体が動かず口もきけない。鉄哉が外へ出てしばらくたつと動けるようになったが、追いかけてわたしのところへ行くのを阻止しようにも、方向感覚を完全に狂わされていた。自分たちが今どこにいるのかわからず、近所のはずなのに二人とも自宅にさえ戻れない。肉親に予知や透視は出来なくても、精神支配は通じたらしい。
「エミちゃんに早く知らせたかったんだけど、携帯の操作が思い出せなくて……。ごめんね、もっと私たちに力があったら」
「どうしてここがわかったんですか?」
「鉄哉の携帯のGPSで確認したんだ。そこの道通ったときバイクを見つけたから、この辺にいるんだろうと思って――どうしてこんなことになったんだ? 手綱を引かれるようなことをしたのか?」
「神代さんの家に泊まりに行ったとき、土砂崩れが起きて、おじいさんが家の下敷きになったんです。それを助けました。土砂をどけたり邪魔な木を投げたり、結構長時間普段以上の力を出してたから……」
きっと二人を失望させるに違いないと思ったが、正直に話すしかなかった。おじさんとおばさんは困惑したように顔を見合わせ、わたしに聞いてきた。
「それだけ?」
「たったそれだけか?」
「……それだけって?」
「そんなことじゃ手綱は引かれないんだよ。手綱を引くってのはよっぽどのことなんだ。鉄哉はそれを、倫理的にもう看過し難いときと考えたときにしか発動しないようにしてた」
「鉄哉がそう言ってたんですか?」
「そういうもんなんだって、さすがに俺たちもわかってるよ。それこそエミちゃんが故意に人を殺しでもしない限り、手綱は引かれないはずなんだ。人助けのために少々力を出したぐらいじゃ何も起きない」
「……でも、実際こうなってるし」
呟くと二人とも黙ってしまった。
「早く鉄哉を病院に運ばないと」
そう促すとハッとしたようで、おばさんが携帯を出して電話をかけようとした。
「ちょっと待って下さい、ケガの理由はどう説明するんですか?」
「鉄哉が起きてりゃ何とでもなるんだけど、この状態じゃな……。まあ適当に言うよ」
「もしここでバイクで事故ったって言ったら、信用してもらえると思います?」
「それなら大丈夫かもしれない。この状況じゃそれぐらいしか説明がつかないだろう」
「じゃ、事故に遭ったように見せかけます」
わたしは鉄哉のバイクに近付いていき、持ち上げてアスファルトに投げつけた。バイクは暗い中、耳障りな音を立てながら火花を上げて路面を滑っていき、ずいぶん先の道のわきで止まった。
「わたし、ここから離れます」
「ダメよ、エミちゃんも一緒に来なさい!」
おばさんが叫ぶように言った。
「大丈夫です。たいしたことないから、すぐに治ります」
「そんなわけないでしょう! 病院に行かないと!」
「病院にこの状態で行っても、一時間もしないうちに治るかもしれないんですよ。病院の人に何て説明するんですか?」
「でも一緒に来なさい!」
「ホントに気にしないで。少し休んだら帰りますから」
さらに何か言おうとするおばさんをおじさんが制止し、着ているシャツを脱いで自分の携帯を包んで丸め、わたしに投げてよこした。
「服がボロボロだよ。それを着なさい。帰るときは必ず電話するんだよ。すぐ迎えに来るから」
わたしはそれを拾い上げ、二人に会釈して真っ暗な山の中に戻った。
雨がやんでいたので空を見上げると、木々の隙間から見える雲が薄くなっていた。このまま晴れるといいけど。ある程度奥へ進み、誰にも見つからなさそうな草の深いところに横たわって目を閉じた。体の上におじさんのシャツをかける。
何時間か静かにしていれば、人が見てもギョッとされない程度には回復するだろう。暗闇の中で安静にしていると、たぶん眠りに近い虚無の中へ、意識がゆっくりと沈んでいくのがわかった。
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