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11.手綱引き《1》

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 鉄哉はわたしをバイクの後部座席に乗せてどこかへ向かっている。視界は炎と、それが生み出す闇に遮られたままだ。その激しく燃える音のどこかから、彼の心臓の鼓動が聞こえていた。
 自分の体がゆっくりと傾いていくのを感じるが、どうにもならない。彼の胴にまわされたわたしの両腕は硬直しているものの、頭は重力に負けていた。
 遠くからサイレンの音が近付いてきた。腕にあたっていた風がやみ、エンジンの振動が消えてバイクが停止したのがわかった。
 わずかに聞こえてくる会話に耳をすませてみると、どうやらわたしの体勢が不自然だったので、通りがかったパトカーが鉄哉に停止するよう指示したようだ。警察官の一人がわたしの顔を覗き込んで声をかけてきたが、反応がないのでヘルメットを取り、興奮した様子で体を揺さぶってきた。
『瞬きしてないじゃないか! ……が……で……』
『死んでるんじゃないのか!』
「大丈夫です。生きてます」
 平然と答えている。今のわたしは人形か、目を開けたままの死体に見えるのかもしれない。しかしうろたえて騒ぐ警察官たちのほうがわたしには怖かった。彼らは松明たいまつのように燃え、暗い穴と化した両目と口から炎が噴き出ていた。まぶたを閉じたくても出来ないので、それを見続けるしかなかった。
「たぶん眠いんでしょう。もうあっちに行ってくれ」
 鉄哉がそう言ったとたん、警察官たちは急に静かになった。わたしの頭にヘルメットをかぶせ、炎に包まれたパトカーに戻っていく。引きとめてくれないのか。そして鉄哉も、わたしの前で人の意識を制圧することにためらいを感じていない。体の下でまた、バイクのエンジンが活動を始めた。



 長い距離を移動した気がするが、呼吸が困難なせいで長く感じただけだったのかもしれない。エンジンが再び静かになり、結び合わされたわたしの両手に鉄哉が触れると、指がほどけて体がそのまま地面に落ちた。頭からヘルメットがむしり取られる。
「ここからは自分で歩け」
 額に手をかざされたと同時に肺の中に空気が入ってきたので、激しく咳が出た。目の前の炎の海が消えていき、白熱した世界の向こうから現実の世界が戻ってくる。体の中心に圧縮されていた感覚が拘束を解かれ、手足の痺れとともに正常の状態が戻ってきた。
 ここがどこなのかわからない。かなり山の中で、道路で入ってこられるギリギリのところまで来たらしい。道のわきには材木や瓦などの瓦礫が小山になっていた。見渡す限り民家の明かりも道を照らす街灯もない。空は一面の雲で、完全な暗闇だった。もしわたしの目が闇でも見える目でなければ、天地の感覚も狂ったかもしれない。
「髪が乱れてる」
 鉄哉はわたしの後ろに座り、髪の中に指を梳き入れた。何度も何度も、感触を確かめるように握りしめた指をすべらせ、ほつれをとっている。ほとんど無意味なほどにそれを繰り返した。
 髪から離れた手が今度は肩をつかみ、後ろから首筋に顔を押しつけてきた。呼吸が間近で聞こえる。口が首に触れて歯の感触を感じたので、噛み切られるのかと思ったがそうではないようだ。
 手が前に回り、服の中に入ってきた。逃れようにもされるがままになるしかない。わたしを身動き取れず、物も言えない状態にしておいて、自分の好きなように扱っている。普段の彼なら絶対にこんなことはしない。わたしの意志を無視して無遠慮に触れるようなことは、これまで一度もなかった。
「じゃあ行こうか」
 鉄哉がわたしの前に立ち手招きすると、胴がガクッと前に引っぱられた。見えない鉤に引きずられて立ち上がるしかない。手足は重く、自分のものでないようだった。鉄哉に先導されて、わたしは舗装されてない道の奥へ、道を外れた雑木林の中へ入っていった。

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