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10.炎の目《2》
しおりを挟む当日は神代さんと学校で待ち合わせ、一緒におじいさんの家に行った。あいにくの雨だったが、バスと電車を乗りついで彼女と移動するのは楽しかった。
それにしても今年の夏は雨が多い。量はそんなでもないけど、晴れたと思ったらまた降りだす。量の多い雨が短時間に集中して降る。やっと一日晴れたと思ったらその暑さが雲を呼んでまた雨を降らせる。洗濯物が多い家は大変だろう。それでも梅雨明け宣言は出されたが、宣言したあともいつまでもぐずぐずと降り続いていた。
山の中へ入っていくまでの過程や風景はどこも似たようなもので、鞍橋に行き慣れている身としては格別珍しくなかったが、たどり着いた場所は同じ田舎でも鞍橋とはだいぶ違っていた。何だか寂しいのだ。
昔はそれなりに人が住んでいたようだが、住民は次第に山のふもとへ、または市街地へ移ってしまったのだろう。鞍橋のある土地はみんなそこが好きでしがみつくように暮らし続けているが、このあたりで生まれた人は進学や就職をきっかけに出ていったきりのようだ。
バス停でしばらく待っていると、白の古い軽に乗って神代さんのおじいさんがやってきた。……わたしの想像をこえる結構な年のおじいさんだった。少なくとも八十歳以上。小柄で痩せていて、歯が抜けている。つい先日会った木崎さんのおじいさんは長身で日焼けしていてド派手なアロハシャツを着込み、胸毛と金の太いネックレスを見せつけるようにしていた。おじいさん界ってこんなに層が厚いのか…。神代さんのおじいさんは軽から降りると、わたしたちに手を振りながら近付いてきた。
「おお~ほほほ…」
「おじいちゃん、この人が先輩の小森野さんよ」
「おお~ほほほ…」
うれしそうに笑っている。何となく、鉄哉がつくって皆に見せていたわたしのおじいさんの幻影は、こんな感じだったのかもしれないと思った。おじいさんはわたしに「あんた、べっぴんさんだねえ」と言った。
「それに、えらくいい匂いがするのう」
「ね、私が言った通りだったでしょ」
わたしを見てかわいいだのいい匂いがするだの人間じゃないだの、とにかく普通と違う反応をする人はこれまでの経験上、普通の人間ではなかった。こののんびりほほ笑むおじいさんと孫娘が、九州の異能の一族の末裔だという鉄哉の話を思い出してしまった。
車に乗せてもらって移動していると、途中で「キジ横断注意」という看板があった。……キジってあのキジか?! 聞いてみたら、猿もわりと見かけるらしい。犬は当然飼われているだろうから、この辺をウロついてないのは桃太郎だけということになる。キジ、キジと思いながら周辺に目をこらしたが、残念ながら見つけられないまま神代家に到着した。
二階建ての瓦葺きの家は横も縦もとても大きかったが、うちとは別の趣きで古かった。トタンや金属板でつぎはぎした外壁をまとめてペンキで赤茶色に塗り、屋根から落ちそうな瓦をブルーシートと網でとめている。家屋の隣に納屋があり、農作業に使うらしい道具や古いトラクターがおさめてあった。家というより要塞のようだ。必要に応じて拡張してきた、おじいさんの要塞。家屋の背後は斜面になっていて、幹がまっすぐな木が何十本も生えていた。
一軒だけぽつんと離れている、という点は鞍橋と似ている。付近に三軒ほどの家があるのを途中で見たが、すでに人は住んでおらず、どれもツタがどっさり絡んで崩壊寸前だった。回覧板を隣の家にまわそうと思ったらどのくらい歩かなきゃいけないんだろう。山の中で静かに暮らしてきた、神代さんとおじいさんのつつましい生活を思った。
おじいさんはここで農業や林業をしながら生計を立てていたのだろう。いや、今も立てているのかもしれない。おじいさんの身のこなしや服装に現役感が漂っている。孫娘のためにいつまでも元気で働いていたいと考えているように見えた。
家の中に入ると、おじいさんは比較的心がけて掃除する人らしく、一人暮らしの男のお年寄りにしては身ぎれいに暮らしていた。孫娘との生活を大事にしていることも感じられた。廊下には神代さんが学校でもらってきた絵や習字の賞状が飾られ、居間には写真立てに入った神代さんの写真が何枚も並んでいた。
いっときやんでいた雨がまた降りだした。神代さんのご両親の写真が飾られている仏壇に手を合わせて挨拶したのち、おじいさんが出してくれたお菓子をみんなで食べた。
残念ながら翌朝も雨だった。山の中の孤島のような一軒家で雨に降りこめられると、散歩にも出られない。でもわたしたちにはやることがあった。編み物が得意だという神代さんに、レース編みを教わるのだ。
とはいうものの、レース糸は細すぎて初心者のわたしには難易度が高過ぎたので、ひと回り太い夏の糸を用意した。それにしても思うようにならない。くさり編みまではいいとして、目の山を拾って次の段を編み出すのは至難の技だ。
「……何か発作的に糸をちぎりたくなるね」
「慣れてないからですよ。最初がちょっと難しいんです、山に針を入れて糸を引き出すのが。あとのほうが簡単ですよ。同じことの繰り返しだから」
「そうかなあ。誰でも努力したら出来る?」
「出来ます。でも先輩って意外とせっかちなんですね。今編んでる目より、先の目のことを考えてるみたい。次の目、次の目って」
「そうなんだよね。たまに言われるよ、せっかちだって。自分じゃそう思わないんだけど。
……これは修行だね。雑念を払って、糸を引く強さを同じにすることに集中しないと」
この合宿で小さなドイリーを編み上げる予定だ。ふちには濃い緑のビーズを編み込む。普通にまっすぐ編むことも出来ないのに、円形に仕上げることなんて出来るんだろうか。でも神代さんに言わせると、糸も細くないし出来上がりのサイズも小さいので、わりと簡単に完成するそうだ。途中で休憩をはさみながら、力加減に気をつけ、目を数えて確かめつつ、出来上がりを夢見て頑張った。
午前中から出かけていたおじいさんは三時過ぎに戻ってきた。昨日と同様、神代さんと二人で台所に立って夕食をつくり、三人で食べた。そのあとテレビを見て過ごし、お風呂に入ってまた神代さんの部屋で編み物の続きをした。二枚目のドイリーを仕上げ、三枚目に突入していたが、今日一日でだいぶ上達したような気がする。自分で使う分には全然許せるレベルだ。
「もう遅いから終わりましょう。今日だけですごく上手になりましたよね。根気強くてビックリしました」
「自分でも夕方ぐらいから編みやすくなったなって思った。糸と針がそんなに細く感じなくなったし」
「かぎ針が出来るなら棒針も出来ますよ」
「マフラーとかもいつか編めるようになる?」
「いつかって言わないで、今年の冬に挑戦しましょう」
突然ドドドドドッと騒々しい音がした。部屋のすぐ外が金属の板で葺いた屋根になっているので、大粒の雨が落ちる音がひときわうるさく聞こえたのだ。窓を閉めてクーラーをかけていたが、それでも会話の邪魔になるほどのやかましさだった。
「今日もずっと降ったりやんだりだったね」
「先輩、そのペンダント彼氏さんにもらったんですか?」
唐突な質問だったのでちょっとあわてた。
「えっ! ……何で……そう思うの?」
「だってずっとその石さわってるから」
無意識のうちに石の部分を指でいじっていたらしい。今まさにそのしぐさを自分がしているのに気付き、あわてて手を膝に置いた。
「あの人でしょう? 前に学校に来た、あのイトコの人」
「違うよ! いや、これをくれたのはそうだけど……」
「いい人そうでしたもんね。カッコよかったし、先輩のことを大事に思ってるんだなってすぐわかりました」
あんなに怖がっていたのに、離れているぶんには好感の持てる人物だと思うらしい。「でもバカだし、世話が焼けるよ」と言って明かりを消し、布団の中に入った。しばらく横になったまま暗闇の中で話をしていたが、神代さんは眠ってしまった。
じつはこのペンダントをもらった直後、もう一つプレゼントをもらっている。二人で生島家のリビングでテレビを見ていたとき、ゴキブリの殺虫剤のCMが流れ、わたしがためしに
「あーあ、もうこんな季節か……嫌だなあ……。今年こそ壁破って外に飛び出すかも。どっかから白馬に乗った王子さまがやってきて、わたしにゴキブリよけのお札を書いてくれないかなあ……」
と呟いてみたら、鉄哉が「もう、しょうがねえなあ。これ書いても俺のこと閉め出さないでよ」と言いつつ近くのメモ用紙にササッと書いてくれたのだ。
「はい、これ。水が外に出て行くような場所の近くに貼って。台所か洗面所かお風呂か。どっか一か所に貼ったら他のとこにも効くから。劣化が早いから、ボロボロになったらまた書いてあげるよ」
「え、いいの?! ホントに?! やったあ! 白馬の王子さまありがとう!」
わたしが大喜びでお礼を言うと、白馬の王子さまは両手で顔を覆い、無言で真っ赤になっていた。それを見ていたおばさんに、
「鉄哉……! 親の私が言うのも何だけど、あんたみたいなチョロい男見たことないわ……!」
と激烈にあきれられていた。
二つももらっておいて、わたしは彼の誕生日に結局何もしていない。遅くなったけど、今年はさすがに何かあげようかな。何がいいだろう。物よりは一緒にどこかに出かけるとかがいいかもしれない。
でも絶対ゲームセンターに寄りたがるだろうから、それはちょっとな……。あの人とゲーセンに行くと、いつの間にか人に囲まれてるのがイヤだ。まあいいか。戻ったらおみやげもらうついでに話をして、希望を出してもらおう。奇想天外な提案をしてこないことを祈るばかりだ。
雨の勢いは弱まったものの、しとしとと水の音は続いている。そのうち雷まで鳴りだして、わたしは窓の外の様子を何度かうかがった。
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