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7.その手を振りきって《3》
しおりを挟むおばさんが遊びに来ることになった。うちで二人でご飯を食べることはたまにあるが、このタイミングでやるのはかなりのしんどさだ。でもおばさんに黙って姿を消すわけにはいかないので、電話がかかってきた時点で覚悟を決めた。自分の家なら鉄哉の出入りを気にしなくていいし。
おばさんはいつものように元気がよかった。タッパーに春雨のサラダや煮物、ほうれん草入りの卵焼きなどを詰め、わたしが好きなデザートも作ってきてくれた。缶詰のみかんが中に散らばっているミルク味のゼリーで、おばさんが作ってくれる甘い物の中で一番好きだ。
食後にゼリーを切り分けていると、おばさんが「チャンネルかえていい?」とリモコンに手をのばした。毎年この時期にやっている例のドラマを見るのだろう。
そのドラマはもう八年ぐらい続いていて、おばさんは毎年欠かさずこれを見ている。高校生の男女が初恋を実らせるが、彼女のほうが不治の病にかかり、余命半年と宣告される。いわゆる悲恋物というやつだ。
反響があまりにも大きかったため、翌年続編が製作され、こちらも大成功をおさめた。ところが評判が良過ぎたらしく、やめるにやめられなくなってしまったようなのだ。二人は結婚し、今シーズンでは娘が幼稚園に入園した。でもあいかわらず彼女のほうは余命半年で、毎回毎回これでもかと皆で運命を嘆き続けるのだ。
「ああ、どうなっちゃうのかしら、この二人!」
とおばさんはハンカチで涙をぬぐいながら見ているが、来週も来年も結局はどうもならず、あいかわらず余命は半年のままで幸せな生活を満喫するだろうと思う。でもそうツッコむのは無粋な気がするほど、ファンの熱い支持を得ているドラマなのだ。
来週の予告を見終え、鼻をかんだおばさんは
「……ごめんね、こんなこと聞いて。鉄哉と何かあった?」
といきなり聞いてきた。ついに来たか。おばさんが息子の名前をいっさい出さないので、何か感付いているとは思っていた。考えてみたら学校でさえ沈んでいる鉄哉が、家で平気な顔をしていられるはずがない。
「ひと言もしゃべんなくなって、すぐ部屋にこもっちゃうし……エミちゃんも全然元気がないし」
「すみません」
「どうしたの? 二人で解決出来そう?」
「わからないです。――もしかすると来年じゃなくて、もうすぐいなくなるかもしれなくて、わたし」
おばさんは驚いていた。
「どうして?」
「ごめんなさい、詳しく言えないんです。でも、迷ってるんです。このまま行っていいのかって」
「どうして行かなきゃいけないの?」
おばさんはわたしの手をとった。
「鉄哉の予言のせい? 何もわからないような年のときに言ったのよ。言ったあの子が一番後悔してるのに」
「鉄哉が言ったから現実になるわけじゃないんですよ。未来を見て口にしただけなんだから」
「難しいことはよくわからないけど、でもそれでいいの? エミちゃんはどう思ってるの」
「わからないんです。自分でも自分のことが」
わたしは口をつぐんだ。おばさんも黙ってしまった。
「……とにかく、みんなで考えましょう。エミちゃん一人の問題じゃないんだから。私たち離れて暮らしてても家族よね? 明日おじさんと来るから、一緒に考えましょう。きっといい方法があるって」
今年行かなかったとしても、来年はきっと逃げられない。わたしはあの人に逆らえない。あの人の意向に従わなくてはならない。許されているのは拒否ではなく、懇願までだ。その懇願でさえ退けられることがある。理由も何もなく、最初からそういうものとして認識しているようだった。
何の反応も示さないわたしに、おばさんは意外な話を始めた。
「――昔、鉄哉がおなかにいたとき、エミちゃんのお母さんに会ったことがある」
「えっ」
「わざわざ会いにきてくれたの。『あなたが次の玄隈を産むという白瀬の人ですか』って聞かれたから、そうですって答えた」
そんなこと初めて聞いた。わたしは緊張しておばさんの顔を見た。
「『あなたの息子がわたしの娘の手綱になってくれると聞いてます。でも血縁がないので、拒絶されるのではないかと心配です。どうかあなたの髪を一本下さい』って一生懸命頼んでこられて……。抜いて渡したら、細かく切って小さな紙に包んで飲みこんでた。
そして私の手を握って、『どうかあなたの息子が、わたしの娘を受け入れてくれますように』って必死に祈ってたわ。だから私も『大丈夫です。私の息子はきっとあなたの娘を受け入れます』って返したの。あんまり顔色が悪くてつらそうだったから、うちで休んで下さいって引きとめたんだけど、そのまま行ってしまった。
そのときのエミちゃんのお母さんの一生懸命な姿がずっと頭に残っててね。大きなおなかで、やつれた青い顔して――あなたのことしか言わなかった。人間じゃないとしても、心は私たちと何も変わらないんだなって思ったの。
あの人のためにも、あなたをよくわからない形で失うわけにはいかないのよ。どことも知れないよそへやるために産んだんじゃないんだから」
「……どんな人でした?」
「きれいな人だったよ。純和風な感じで。でも子供を産むような年の人には見えなかった。五十は過ぎてるように見えた」
わたしをあまりにも長くおなかの中に入れていたために、本来の寿命を縮めてしまったのかもしれない。何百年も若いまま生きてきた人が衰弱して老いるほど、わたしを妊娠するのは負担だったのだ。
見送りのため一緒に外に出ると、先を歩いていたおばさんが
「わあ、あんたか! びっくりさせないでよ!」
と叫んだ。何かと思ったら鉄哉だった。塀のきわに立ち、夜の闇と同化している。その姿を見たとたんみぞおちがキリキリと痛んだ。
「わざわざ迎えに来たの?」
「――話があるんだ。お母さんは先に帰ってて」
「え……でも」
「すぐに終わるから」
しゃべりはするが、母親と目を合わせようとしないし、わたしを見ようともしない。正直二人きりになりたくなかった。
「エミちゃん、また明日来るからね」
おばさんは何度も振り返りながら帰っていった。
話があるというわりには、鉄哉は長いこと口をきかなかった。わたしも待っている身なのでしゃべれない。どんどん空気が重くなっていく。圧迫が頂点に達しそうになったとき、彼が目を向けてきた。
「明日、あいつが来る」
「えっ、だって……まだ一週間しかたってないよ。一か月待つって言ってくれたのに」
「俺があいつならそうするよ。近くにいる俺が許せないから一刻も早く連れ出そうとしてんのに、黙って待つわけないだろ。ああいうところ見せつけたわけだしな。俺らが大ゲンカして決裂した頃だって期待してるんだろ」
鉄哉はいやな笑いを浮かべた。こんな暗い感情を見せる人じゃなかったのに。何だか悔しくなって反論した。
「来るとしても、様子見でしょ」
「様子見だとしても、納得いく雲行きじゃなかったら連れて行くと思う」
「何であんたにそんなことがわかんのよ」
「わかるよ。考えてることなんてどっちも似たようなもんだ。俺もあいつも同じくらい焦ってる。
あいつはどこにもいないんだな。この世のどこを捜してもいない。でもこの世界のすぐ外で待機してるのはわかる。このまま消えたとしても、俺にはあとを追えない部類の人間だ」
「――そうだろうね」
会話が途切れた。また沈黙だ。こんなに気まずいのなんて何年ぶりだろう。骨折させて以来か。でもあのときわたしは鉄哉が何を考えているかとか、どんな気持ちかということは全然斟酌しなかった。今は彼が何を思っているのか推し測るのが恐ろしい。
「俺の中に二つ世界があって」
鉄哉が全然違うことを話しはじめた。
「一つは明るくて楽しい、みんながいる世界。豊かで物があふれてて、いつも日が当たってる。お父さんとかお母さんとか、友達とかみんなはそこに住んでる。
でももう一つは暗い世界で、岩と枯れた木しかなくて、ずっと風が吹いてる。死んだあとに行くような世界だ。エミちゃんはそこに住んでる。たった一人しかいない。でもその暗い何もない世界が俺は好きなんだ。たぶんエミちゃんがそこから出て行くことは一生ないと思う」
複雑で重い衝撃を受けた。よくわからない話だったが、想像していたよりも根が深いと感じた。
もっと表面的で、単純なものかと思っていた。そんなに深くて暗い部分にわたしを住まわせていたなんて。その病は取り返しがつかないほどの深度に達していた。
「もうわたしのこと見ないで」
彼にもう目の前に現れてほしくなかった。
「それ以上わたしのことで心をいっぱいにしないで。どこにもいなくなるのに。これからあんたは何を見て生きていく気なの」
鉄哉は傷ついたようだった。こんなことを言わなくてはならないなんて。こうまで言わせる彼に、苦い怒りがこみ上げてきた。けれど鉄哉は、
「自分で自分の身も守れないくせに」
と不可解なことを言う。彼がいきなりわたしの腕をつかんだので、例の猛烈な痛みが襲いかかってきた。
「痛い!」
悲鳴を上げると、鉄哉は我に返って手を引いた。激しい怒りが燃え上がる。そのまま家の中に走って戻り、鍵を閉めた。
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