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6.影《3》
しおりを挟む中学からはわたしを含めて十人ほどがこの高校に進学したが、同じクラスに木崎さんがいるのは心強かった。彩夏は鉄哉と同じ高校へ行ってしまったのだ。木崎さんもわたしと同様、お金関係の特典に引かれてこの学校を選んだ。彼女の家は比較的裕福だが、弟妹が四人もいるので両親の負担になることは出来るだけ避けたかったらしい。
特選クラスは一つしかないので、基本的にこの三十人は三年生になっても顔ぶれがこのままだ。いや、成績が振るわないと一つ下の特進に落とされるらしい。みんなまだ周囲の様子をうかがっている段階で、仲よさげにしていてもうっすら緊張感が漂っている。そんなとき木崎さんの何となく体が揺れているような気楽な姿が目に入ると、不思議と肩の力が抜けた。
夕方になり他クラスの生徒が放課後の活動に入っても、特選と特進はもう一時間授業がある。まだ先の話だが、土日は学校指定の塾に通わされるらしい。部活はダメだしバイトももちろんダメ、こんな息詰まる環境で毎年三十人の乙女たちはどうやってストレスを発散してきたんだろう。
などと考えていたら、さっそく木崎さんに「帰りにコンビニでアイス買って食べようよ」とストレス解消に誘われた。おしゃべりしながら門の外に出たとたん、道の先の電柱の陰から青木裕理がぬっと姿を現した。
「えらく遅えんだな。ちょっとつきあえよ」
昨日キュウリ呼ばわりされたのがよほど腹にすえかねたのだろうか。女子高前の通りでこんな感じの悪い他校の生徒が待ち伏せていて、よく先生に通報されなかったものだ。
「いいけど、べつに」
「誰、あの人。大丈夫?」
木崎さんがさすがに心配そうにささやいた。いくら人好きで楽天的な彼女でも、思わず警戒してしまうような殺気をたしかに発している。
「先生呼んでこようか」
「大丈夫だよ。あれ、鉄哉の新しい友達なんだって。じゃ悪いけど何か話あるみたいだから。アイスはまた明日」
「えっ……ウソでしょ?!」
「家に着いたら電話する。心配しなくていいから」
わたしは笑顔で木崎さんと別れ、青木裕理のあとをついていった。それにしても、わたしがこっちじゃなくて別の門から出て行ってたらどうするつもりだったんだろう。青木裕理は時折振り返ってわたしがついてきているのを確認しながら、なぜか人通りの多い国道へ出ていく。
「いいの? もっと人の少ないところに行かなくて。気がすむまでボコボコに出来ないよ」
「しねえよ、そんなこと」
青木裕理は苦笑した。
「お前すげえ女だな。普通ちょっとは怖がるだろ」
「怖がる理由がないからね」
青木裕理はファーストフードの店に入っていった。二人分の飲み物と軽い食べ物を注文して受け取り、奥の席に陣取る。
「これ、食べていいの?」
「俺が自分の分だけ買ったと思ってんのか。目の前で買ったんだから安心して食えるだろ」
「出されたらそりゃ食べるけどね」
大きなガラスの向こうでたくさんの車や建物が、オレンジ色の夕陽の光に沈んでいる。とりあえず飲み物に手をのばし、フタにストローをさした。中身はコーラだ。
「……イメージと全然違ったわ」
「イメージって?」
「生島の話からのイメージだよ」
頼むから新しい環境でまでわたしのことを言い散らさないでほしい。さっそくイライラしたが、こちらからいろいろ聞くと手の内をさらすことにもなるので、黙って青木裕理が話すのにまかせた。
彼によると、鉄哉は高校でだいぶ人気があるらしい。それはわかる。男女問わず生徒、先生に至るまで鉄哉を嫌う人間はまずいない。
中学のときと違うのは、女子がやたらに近付いてくることだった。入学してまだそんなにたっていないのに、同じ中学だった女子が二人告白してきたそうだ。告白とはいかないまでも囲まれたり、他校の生徒が見に来ることもあるらしい。
「え、その中に彩夏もいる?」
「アヤカ?」
「同じ中学だったんだけど。ほら、背が高くてスタイルよくて顔もステキな。いるでしょ?」
「ああ、うちのクラスの中尾彩夏? いや、あいつは違うけど」
よかった。じつは鉄哉を好きだったのかと一瞬焦ってしまった。しかし鉄哉は誰に何を言われても同じ反応で、失礼でない程度にあっさり断るかスッと立ち去るという。――こいつはいちいちそれを見届けているのか?
青木裕理を驚愕させたのは、誰が見ても文句のつけようがない上級生女子の申し出を断ったときだった。わたしも同じ学校だったのでその人を知っているが、まさか鉄哉に気があったなんて。だが鉄哉は「すいません、好きな子いるんで」と他の女子たちと同じ調子で断り、振り返ることなくその場を立ち去った。
「お前は高校生活を棒に振ったな」と青木裕理があきれると、鉄哉は「あの人がきれいでちゃんとしてるのはわかるけど、それ以上じゃない」と言ったらしい。きれいでちゃんとしてて自分のことを好きで、しかも自分に相手がいないなら断る理由がないではないか。青木裕理は鉄哉の「好きな子がいる」という口上を事実でないと思っていた。何で嘘をつくのか尋ねると、鉄哉はわたしのことを話しはじめたという。
「『この世のあらゆる女子に圧勝してる』っつってたわ」
「腕力で?」
「腕力? 何でだよ。お前は賢くて落ち着いてて掃除も料理も何でも出来て、笑顔がかわいくて見るからに清潔で、しかもとっても優しいんだそうだ!」
「いいよ、そんな顔しなくても……わたしも聞いてて違うと思ってるから」
「お前と会うとテンションが上がるとか言ってたな。昨日なんかお前の姿がまだ見えてねえのに『エミちゃんが近くにいる。うちに来たんだ。どうしよう、最近全然会ってないんだよ。何話そう。お前だったら何て言う?』とかって急にオロオロしだしてよ。んなわけねえだろと思ってたらホントに向こうから歩いてきて……あいつは犬か?」
「犬だったら我慢出来るんだけど。あんたからも言ってやってよ、アイツはダメだ、他の子に目を向けろって」
青木裕理は目を見開いた。
「……生島の何が嫌なんだ?」
「べつに嫌ってわけじゃないよ。口きいてるの見たでしょ?」
「いとこ同士だから避けてんのか」
「いとこじゃないよ、ホントはもっと離れてるから。――鉄哉はわたしが最初に見た同い年の女子だから、習慣と条件反射で追っかけてきてるだけなの」
「思い込みでああなってんのか」
「そうでしょ。わたしとはもう物理的に離れたし、高校で他の女の子見たり話したりする機会も増えるだろうから、そのうちわかるとは思うけど。こっちはやっと自由になれてホッとしてるのに」
「そんなこと言われたらたまったもんじゃねえだろうな」
青木裕理は腹を立てたようだった。またか。こいつも鉄哉の肩を持っている。あいつが望んでいるのになぜそうしてやらないのかと、わたしに文句をつけている。
「そんな言いがかりつけられるわたしこそたまったもんじゃないよ。子供の頃の狭い人間関係にいつまでも縛られるなんて」
「何が不満なのかさっぱりわかんねえ。お前みたいな――」
わたしを罵りかけたようだが、ハッとしたように黙った。いやにそれが長く続くので先を促した。
「わたしみたいな、何?」
「……いや」
「言いなさいよ。そんななりしてまさか気が小さいわけじゃないよね」
「……」
「どうなってんの。人を呼び出すわ、言いかけて途中でやめるわ」
「……『人間じゃない奴』って言いそうになった。何か知んねえけど。さすがに悪かった」
今度はこっちがハッとする番だった。わたしを見てそう感じる人間はそうはいない。鞍橋以外では初めてと言っていいだろう。青木裕理の顔はすごい勢いで白くなり、額に汗がにじみだした。その言葉を口に出したことで感情の抑えがきかなくなったようだ。紙コップを持つ右手が細かく震え、一口飲んだあと左手で顔をおおった。
あきらかにわたしを怖がっている。だからこんな人の多い場所を選んだのか。ひとこと言い返してやりたいとか、生意気な女をやっつけたいというのではなく、自分が感じた違和感の正体を確かめずにはいられなかったのだ。見たこともない危険なものが、自分たちの領域に侵入しているように感じたのかもしれない。見つけた以上何とかしなくてはと無意識で焦っている。しかし外見が普通の人間なので、彼の中で混乱と葛藤が起こっているようだ。
この男は見どころがある。正義感があり、勇気もある。そして何より並みの人間よりはるかに鋭い感覚を持っている。彼は鉄哉にとって初めての親友になるかもしれない。
友人は多いが、本当に心を開ける相手はこれまで誰もいなかった。みんなは彼をとても好きだが、彼は全員に対してフラットでいる必要があるようなのだ。わたしの中で青木裕理の株が急上昇した。
「いいよ、気にしないで。それより鉄哉と仲良くしてやってね。バカだから誰かが見ててやらないとダメなの。あんたが気をつけてやって」
「ああ……うん? わかったよ」
「あんた勉強出来る? あいつさっぱりだから、ノートとか見せてやってほしいんだけど」
「俺も勉強はそんなに……邪魔しねえように頑張るわ」
わたしの態度がいきなり親しげになったので、青木裕理は戸惑っている。鉄哉には家族以外に気を許せる誰かが必要だ。来年わたしが安心していなくなるためにも、彼のまわりに人が出来るだけたくさんいてほしかった。
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