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6.影《2》

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 忙しいのを言い訳に生島家から遠ざかっていたが、ついにおばさんから「私を一人にしないで。このままじゃむさくるしい男ばかりの家になっちゃう」と助けを求める電話がかかってきた。でも鉄哉とはあんまり顔を会わせたくないのでその旨正直に伝えると、最近彼はガソリンスタンドでバイトを始めたので火金はとくに遅いらしい。
 それを聞いて安心し、火曜の夕方学校帰りに久しぶりに生島の家に寄った。思えばおばさんとちゃんと会うのは入学式に保護者として参列してくれたとき以来だ。制服の移行期間だったのでその日は夏の制服だったのだが、
「いいじゃん、夏服も! やっぱお嬢様学校だね!」
 とお褒めの言葉をいただいた。高校の制服はスカートが短いのが主流だが、うちの学校は膝が隠れるほど丈が長い。上は白、下は黒のセーラー服で、スカーフやラインにも黒が使われている。冬は紺ベースの白だ。女子高で制服が地味だと、世間から自動的にお嬢様学校に分類される仕組みになっている。
 おばさんは鉄哉の弁当を作るのが大変だとぼやいていた。高校が弁当なのはわかっていたが、容器が大きくてスペースを埋めるのに苦労しているらしい。しかも同じものを二つ作らなくてはならないという。一つだと午前中に食べてしまって、昼に食べるものがなくなるからだ。……バカじゃなかろうか。下校時に部活で消耗した体力を補うため買い食いするのはしょうがないとしても、帰ってきたら普通に夕食をごはん三杯とともに胃におさめ、さらに夜食と称して十時頃にまた何か食べるというのだから恐ろしい。
「今朝なんか、ゴミ捨て行って隣のおばあちゃんとおしゃべりして帰ってきたら、まだパン焼いてるのよ! 『あんた何やってんの! 遅刻するよ!』って叫んじゃった。パン六枚切りを毎朝全部一人で食べるんだから。ずーっと食べては焼き食べては焼きして……スーパーで買っても買っても冷蔵庫がすぐカラになるの。もう宅配にしようかしら」
「おじさんは何て? 『俺もあれくらい食べてたよ』って?」
「ううん、『あいつはちょっと食い過ぎだな』ってあきれてる」
 いったい鉄哉はどうしたんだろう。胃が四次元ポケットと化したのか。これからが本格的な成長期というなら、最終的には身長二メートルぐらいになるのかもしれない。いや、体重が百五十キロをオーバーするのかも。会うのがちょっと怖かった。


 おばさんと一緒に夕飯を食べ、まだ少し明るい道を帰った。最近日の沈むのが遅いので、この時間になってもまだ夕方の光が残っている。
 するとタイミングの悪いことに、向こうからこちらへ歩いてくる鉄哉と会ってしまった。……べつに大型化も肥満化もしていない。隣に同じ制服を着た男子がいる。友達のためにバイトを早く切り上げるかどうかしたのだろう。
「あっ、エミちゃん。あの……」
 新しい友達と一緒にいる人のために他人のフリをしてやろうと思ったのに、声をかけてきた。
「……何?」
「元気だった?」
「元気よ」
「うちに遊びに来てたんだろ? もう帰るの?」
「そうよ」
 隣の男子が怪訝な顔で鉄哉を見ている。外見で人を判断しちゃいけないが、一見して感じが悪い。人相が悪く、その中でもとくに目つきが悪かった。おそらく同級生だろうが、新しい制服を早くも着崩し、染めた髪を立てている。決まりには積極的に逆らうタイプのようだ。
「じゃあ」
「あっ、その……あの……」
 鉄哉がまだ何か言いたそうなので立ち止まった。
「そっ……その制服かわいいね。……似合ってるよ」
 思わず目をむいてしまった。目つきの悪い友達も驚きの表情で鉄哉を見ている。さすがに照れくさそうにしていたが、言われたわたしはもっと恥ずかしかった。人前でこういうこと言うのはホントやめてほしい。
「ああ、あの、こいつ最近友達になった青木裕理ゆうり。この子、従妹のエミちゃん」
「……どうも」
 とりあえず頭を下げた。しかし目つきの悪い青木裕理は、顔を引きつらせてわたしを見下ろしてきた。
「……これが……お前の言ってたエミちゃんか……!」
「そうだよ」
「どこがいいんだ、こんなの?!」
 ムッとしたが、そう言われてもしょうがないのは自分でもわかっている。しかしそれを今言う必要があるだろうか。こっちは頭下げてんのに。
「かわいくないとは言わんが、そこまで言うほどか?! かわいげが全然ねえよ!」
「……今日からあんたのこと、『青キュウリ』って呼ぶわ」
 わたしは言った。青木裕理は顔を歪め、わたしを睨みつけてきた。
「何?」
「名前をちょっとアレンジしたの。顔も長くてブツブツだし、ちょうどいいんじゃない?」
「何だこいつ!」
「あんたが先にケンカ売ってきたんでしょ。キュウリ呼ばわりされたぐらいでわめかないでよ」
「聞いたか、今の言いぐさ!」
「お前が悪いよ。あやまれよ」
 鉄哉は意外にも怒っていない。何でこんな人格の人間と仲良くしてるんだ。相手にする価値なしと判断して背を向けて立ち去ると、「お前が勝てる相手じゃないって。全然動じないし、口も達者なんだから」と青木裕理をなだめる鉄哉の声が聞こえてきた。

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