悠久のクシナダヒメ 「日本最古の異世界物語」 第一部

Hiroko

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12 雷の落とし子

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夜の森を数時間は歩いた。
目の前を大きな川が緩やかに流れていた。
見覚えのある景色だった。
美津子といた、池の景色に似ている。
けれど夜の森や水辺なんか、どこも似たような物なのかも知れなかった。
「おにいちゃん、こっち!」そう言われ、なおも女の子に手を引かれ川を上流に歩いた。
しばらく歩くと、「ほら、見てあそこ……」と女の子は立ち止まり、声を潜めてそう言った。
「えっ、な、なにあれ!?」女の子の指さす方を見ると、月明かりに照らされ、十メートルほど先に何やら小さな肉の塊のようなものが蠢いているのが見えた。
大きさは僕の腰ほどの高さだろうか。
見た目は人間のような形をしている。
けれど、全身血まみれで、皮膚を剥がれて肉を露わにしているような姿だ。
顔らしきところにぎろりとこちらを睨みつける小さな黄色い目があった。
「鬼だよ。おにいちゃん、退治して?」
「え、ぼ、僕が?」
「そうだよ。おにいちゃん、退治して?」
鬼と呼ばれたそれは、威嚇するように口を大きく開けた。
口はまるで嘴(くちばし)のような形をしている。
そこに鋭くとがった小さな歯が並んでいるのが見える。
鬼と呼ばれたそれはこちらを向き、跳躍に備えて腰を落とした。
く、来る! 
直観的にそう思った瞬間、僕は無意識に背中に背負った矢を一本抜き取った。
それはもちろん、あるはずのないものだった。
「信じろ」誰かの声が僕の耳元に聞こえた。
その不思議な声に、僕は感覚が研ぎ澄まされるのを感じた。
暗闇の中、僕の目にはしっかりと赤く血の滴る鬼の姿が見えた。
心から雑念が抜け、透明な水のように澄んでいくのがわかる。
「信じろ」
左手には僕の背丈よりも大きな弓が握られていた。
僕は背中から抜き取った矢を弓にかけ、鏃を軽く舐めた。
鏃が肉を引き裂き、鬼の命に到達するのを舌先に想像した。
弓にかけた矢を引いた。
背筋がみしみしと両腕を広げるのを感じた。
鬼がこちらに向けて飛び掛かった。
十メートルほどの距離があるのに、それはたったひとっ飛びだった。
僕は引いた矢から指を離した。
矢が空を引き裂く音を聞いた。
すとっ! と言う音がして、矢は空中で鬼の首元に刺さり、鬼ははじかれたように空中でのけぞってその場に落ちた。
僕は息を呑み、いま目の前で起きたことがいったい何だったのか理解できずにいた。
鬼は喉から胸に貫いた矢に苦しみ、あおむけになってくねくねと身を悶えた。
「おにいちゃん、やったよ! 退治した! 鬼を退治した!」
いつの間にか、左手に持ったはずの弓が消えていた。
今の、今のいったい何だったんだ……。
そしてその瞬間、僕はなぜか酷い眠気に襲われた。
「おにいちゃん、ほら早く来て!」女の子はそう言うと、僕の手を取った。
けれど僕は、なんだかもう眠くて眠くて……。
女の子に引っ張られるまま、僕は失いそうな意識の中なんとか足を進めた。
鬼はもう息絶え絶えで、僕らが横を通っても目を開けることすらできなかった。
「こっちだよ、こっち……。まだいるかな……」そう言うと、女の子は鬼が最初にいた場所に歩み寄った。どうやらそこには穴があるらしく、女の子はそこを覗き込んでいた。
「おいで?」女の子はその穴の中に向かってそう呼び掛けた。
「ほら、もう大丈夫だよ? おいでおいで?」
暗くて見えないが、穴の中に何かの気配がした。
「おいで?」女の子はなおも呼び掛けた。
穴の中から「キュキュキュー、キュキュキュー」と鳴き声がした。
「そう、もう鬼はいないよ? おいでおいで?」女の子がそう言った途端、穴の中からイタチのような細長い動物が現れた。顔は黒いが、真ん中に特徴的な白い線がある。
「キュキュキュ、キュキュキュー」と言ってその動物は女の子の腕の中に飛び込んだ。
「ほらお兄ちゃん、見て?」
「え、あ、うん……」僕は閉じそうな瞼を力づくで押し開け、その姿を見た。
「他の子たちは? ねえ、まさかいないの?」女の子がそう問いかけると、動物はなおも「キュキュキュー、キュキュキュィ」と鳴き声を上げた。
「そう、そう、ごめんね。もう少し早く来てあげられたら、あとの二匹も助けてあげられたのに」
「他にもいたのかい?」僕は眠気を振り払うように、必死にそう聞いた。
「うん。ぜんぶで三匹いたの。でも、あの鬼に食べられちゃって、この子だけが残ったみたい」
「そ、それは何て言う動物なの?」
「動物? ちがうよ、雷の落とし子だよ」
「雷の、落とし子?」
「そう。春の嵐の夜、雷が鳴るとこの子が落ちてくるんだ。けれどまだ小さいから、あの鬼に勝つことができなかったの。この子だけでも助けることができて良かった」そう言って女の子はその動物を抱きしめた。

「キヤアアアア!!!」と不意に後ろから聞こえた叫び声に、僕は思わず目を覚ました。
「な、なに?」
と同時に、その叫び声に応えるように大粒の雨がいきなり降りだした。
顔に当たる雨粒が痛いほどの大雨だった。
僕と女の子はその声のした方を振り返った。
と、さっきの鬼が、怒りに満ちた目で僕たちを睨みつけていた。
「キヤアアアア!!!」ともう一度叫ぶと、鬼はまたひとっ飛びで僕をめがけて飛んできた。
こんどは弓も矢も現れなかった。
それらを構える暇もなかった。
鬼は一気に僕の首根っこを掴むと、再び「キヤアアアア!!!」と叫び、鋭い歯を見せつけるように僕の目の前に口を開いた。地面を打つ雨の音もあり、鬼の叫び声は一層迫力を増した。
小さくひょろひょろと細い鬼なのに、僕の首を引きちぎりそうなほどの力だった。
息ができなかった。首を絞められているせいで意識が遠のき、視界がぼやけた。
顔を叩く雨が鼻に、口にと溢れ、ゴボゴボとわずかな呼吸さえ許さなかった。
もう駄目だ、死ぬんだ。と思ったその瞬間、僕の首を絞める鬼の上に覆いかぶさるように大蛇が現れ、大口を開けると鬼を一口で飲み込んだ。
そしてそれを見た瞬間、僕は眠りに落ちるように気を失った。










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