悠久のクシナダヒメ 「日本最古の異世界物語」 第一部

Hiroko

文字の大きさ
上 下
8 / 44

6 打ち明け話

しおりを挟む
雑草林はあっさり抜け出ることができたけど、そこにあったのは見知らぬ森だった。
蒸し暑く、僕は流れ落ちる汗をぬぐった。
うるさいほどの虫の音と、時折何かの動物の声が聞こえ、僕と美津子は震えあがってその場に立ち止まった。
目が慣れたとはいえ、明かりのない夜の森を歩くのは至難の業だった。
張り出した木の根に躓き、突然現れる大きな岩に足を滑らせた。
スマホは落としそうだったのでポケットに突っ込んだ。
左手の美津子の手は放すわけにはいかなかった。
僕はなぜか、小学校の時に学校で飼っていたウサギのことを思いだした。
夏休み、美津子が飼育委員だったので、餌をやるときよく正人と二人でついて行った。
僕は家でニンジンの皮とキャベツをもらい、それを三人でウサギに食べさせた。
ウサギに餌をやり終えると、今度は三人で誰もいない学校を探検してまわった。
体育館裏のひんやりした静けさや、グラウンドの周りに植えられた木々の木漏れ日が、誰もいないと言うだけで見知らぬものに思えた。コイのいる池や、低学年が植えたアサガオや、使われていない教室なんかを見て回った。
それがちょうど一年前のことだったことを思い出した。
たった一年前なのに、ひどく遠い過去のことに思えた。
それはとても幸せな時間だった。
そしてもう、二度と戻れない時間のような気がした。

どれくらい歩いたのかわからなかった。
小さな川を見つけたので、それに沿って下流に歩いていくと、大きな池にたどり着いた。
池には大きな月が映っていた。
この池に来るまで、空に月が昇っていることなんて気が付かなかった。
僕はしばし、その月に見惚れた。
まるで長い間洞窟の中を彷徨い、やっと地上に出てきた探検家のようだった。
ふと隣を見ると、美津子も同じように月を見ていた。
その顔は、なんだか僕の知っている美津子ではないような気がした。
少し青ざめ、表情を失い、月光に照らされるその顔は神秘的ですらあった。
しばらくすると、僕の視線に気が付いたのか、美津子と目が合った。
僕は照れくさくなって視線を逸らし、「もう少し歩こう」と言って美津子の手を引いた。
池はとても広かった。
歩いても歩いてもどこにもたどりつかなかった。
近所にこんな池などあっただろうか。
そもそもこんな森も。
僕たちは本当に異世界にいるのだろうか。
それともただの迷子なのだろうか。
それとも夢を見ているだけなのだろうか。
それとも死んでしまったのだろうか。
それとも……、それとも……。
何もわからなくとも、美津子がいてくれることが僕の支えになった。
振り向くと、美津子もそれに応えるように僕の目を見返してきた。
僕はやはり、前を向いて歩くしかなかった。

しばらく歩くと、美津子の歩くスピードが少し落ちてきた。
そう言えば、さっきからまったく休んでいないことに気づき、僕は適当な場所を見つけて腰を下ろした。
美津子は何も言わず、ぴったりと僕にくっつくように隣に座った。
僕は美津子の肩に腕を回した。
美津子の頭が僕のすぐ顔の下にあった。
美津子の汗の匂いがした。
暑かったけれど、腕の中にある美津子の体温は心地よかった。
なんだか少し眠くなってきた。
急に体の疲れを感じ、僕は自分でも気づかないまま意識を失うように眠りに落ちた。

ふと目を開けると、辺りはまだ暗かった。
自分の置かれた状況を思い出すのにほんの数秒かかった。
池が見えた。
月はどこかに消えていた。
代わりに無数の星が輝いていた。
夢ではないのだと思えるほどには目がさめた。
ほんの少し寝ただけだったけど、体がだいぶ軽くなっていた。
美津子がいなかった。
あれ? と思い体を起こすと、僕は「美津子?」と小さく呼んだ。
すぐに美津子は戻ってきた。
用を足しにでも行っていたのだろう。
ひどく喉が渇いていた。
それにお腹も減っていた。
何か食べるもの……、と言って探したところで、こんな山の中で見つかるわけがない。
それでも、せめて水が飲みたい。
目の前に池がある。
僕は立ち上がり、池のすぐ前まで行った。
スマホの明かりで水面を照らした。
無数の黒く小さい影が水中を逃げて行った。
なにかと思いよく見ると、数え切れないほどのオタマジャクシが浅い水の中を泳いでいた。
僕は気持ち悪くなり、池の水はあきらめることにした。
けれど飲めないとなると、余計に水が欲しくなった。
「喉が渇いた……」後ろで見守る美津子にそう言うと、美津子も頷いた。
僕は再び美津子の手を握ると、特にあてもなく池のほとりを歩いた。
しばらく歩くと美津子が僕の気を引くように立ち止まった。
「どうしたの?」と僕が聞くと、美津子は何やら指さして「き、き、き、きぅ、きぅ……」と言っている。
僕は美津子の指さしたものを見て言った。「え、なにこれ。キュウリ?」
それは四十センチ近くもある大きな白みがかったキュウリだった。
「でかい! なにこれ!?」そう言って僕はその巨大なキュウリを手に取ってみた。
なんだか知っているキュウリより柔らかい。むにむにしている。
「あ、あ、あ……」と美津子が言うのでそちらを見て見ると、その手には普段僕らが食べるのと同じサイズの緑色のキュウリがあった。これはちゃんと身が詰まった感じで硬かった。
「キュウリって、成長するとこんな大きくなるんだ」と言いながら二人で目を合わせた。
それぞれ二本ずつ小さなキュウリを取ると、座れるところを見つけ、並んで二人でキュウリを食べた。
普段キュウリなんて好んで食べることはないけれど、この時ばかりは水気を含んだキュウリがたまらなく美味しく感じた。
喉の渇きが癒されると、美津子はまたさっきのように僕の腕の中に体をあずけた。
「あ、あ、あ、あぅ……、あぅー、う……」美津子は何かを言おうと声を出したのだけれど、それは言葉にはならなかった。美津子のキツオンは、どんどん酷くなっているように思えた。
「待って……」僕はそう言うとポケットからスマホを出した。
グループLINEに正人からのメッセージが届いているのを見つけたけれど、今はなぜだかそれを見る気にはなれなかった。
美津子は肩にかけていた小さなカバンから自分もスマホを出すと、メッセージを打ち始めた。
「和也、わたし、謝らなければいけないことがあるの」そこまで打って、美津子はしばらく考え込んだ。何をどう伝えればいいのかわからず、頭の中で話を整理している感じだった。僕は黙って待った。
やがてまた美津子は打ち始めた。今度は長いメッセージを書いているのか、少し時間がかかった。
「実は私、ずっとこの世界に来ようと考えていたの。お父さんに会うために……」美津子のメッセージはそんな風に始まった。美津子はそれを、正人とのグループLINEではなく、僕個人に送ってきていた。時々美津子は僕だけにメッセージを送ってくることがあった。別に正人に知られて困るようなことではないのだろうけど、なぜか美津子は僕にだけ打ち明け話をすることがあった。
「私のお父さん、私がまだ小さい頃にいなくなっちゃったの。お母さんは、お父さんは自分で死んじゃったんだって言ってた。でもあとで近所のおばさんが教えてくれた。お父さん、死んだんじゃないよ、違う世界に行ったんだよ、って。死んだお父さんの顔見てないでしょ? って言うの。棺桶の中、ちゃんと見た? 見てないでしょ? 棺桶の中、空だったんだよ? って言うの。お母さんは、あの人は少し頭がおかしいから何を言っても信じちゃだめだよ、って言うんだけど、私にはどうしてもそのおばさんが言ってることが嘘だと思えなかった。だから私はそのおばさんに聞いたの。お父さんんはどこに行ったの? って。そしたらおばさん、踏切だよ、って教えてくれた。どこの踏切? って聞いたら、隣町の団地のとこだよって教えてくれた。それから私はその踏切を探した。独りで隣町に行って、いろんな人に話を聞いて、あの踏切を見つけたの。いろんな噂も聞いた。あの踏切で電車にひかれると、違う世界に行っちゃうんだって噂を。あのおばさんの言ってたこと、嘘じゃなかった! って私は喜んだ。そしてお父さんはまだどこかにいるんだって。でも、でも、私はお父さんに会うことができなかった。怖かったから。電車に飛び込むことが怖かった。ほんと言うとね、あの踏切には何度も独りで来てたんだ。二人には何も言わなかったけど。小学生の頃からずっと。お母さんが夜に働いている時、夜中にそっと家を抜け出して、独りであの踏切の前まで行ったの。独りで電車に飛び込むために。けどね、勇気がなかった。独りで電車に飛び込むことができなかった。怖かったの。じっと独りで踏切の前に立って、泣きながら目の前を過ぎていく電車を見ていた。しばらくしてお父さんの顔をだんだんと思い出すことができなくなって、それでも胸の中には寂しさだけがいつまでも残って、それから中学になって、私はあの踏切のことを忘れようとしたんだけど、やっぱり夜には寂しくなって泣くことがやめられなかった。そして」美津子のメッセージはいったんそこで途切れ、そしてもう一言付け足されていた。
「そして知らない振りして、和也と正人をあの踏切に誘ったの。独りで飛び込むのが怖かったから」
僕がそのメッセージを読み終えると、美津子は声を出さずに泣いていた。
僕は知らなかった。
美津子がどれほど苦しい思いをしていたのかを。毎夜、どれほどの孤独を感じながら泣いていたのかを。
僕と正人の前では、少し神経質ではあるけど美津子はごく普通の明るい女の子だった。
美津子の泣いた顔すら想像できなかった。
「お、お、おめんああ……、おえんああ……」美津子は泣きながらそう言った。ごめんなさいと言いたいのだと僕にはわかった。美津子の悲しみが僕にも伝わり、僕も自然と涙を流していた。
僕は何もいわず、美津子をぎゅっと抱きしめた。
どんな言葉を選べばいいのかわからなかった。
毎晩独りであの踏切の前に立つ美津子の背中に、どんな言葉が慰めになるのかなんて僕にはわからなかった。
どれだけ寂しかっただろう、どれだけ怖かっただろう、どれだけ、どれだけ……。
だから僕は、美津子をぎゅっと抱きしめ、背中を撫でた。
美津子は肩を震わせ、鼻をすすり、僕の腕の中でどんどん小さくなった。
このままにしていると、美津子は消えてなくなるのではないかと思えた。
もういいんだよ、もういいんだよ、僕がいる、ずっとそばにいる、僕が美津子を悲しみから救ってやる、幸せにしてやる。
溢れるそんな気持ちを表す言葉が見つからなかった。
美津子の閉じた瞼から途切れることなく流れる涙の匂いに誘われるようにして、僕は美津子の唇に自分の唇を重ね合わせた。温かくて、軟らかい唇だった。





しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

収納大魔導士と呼ばれたい少年

カタナヅキ
ファンタジー
収納魔術師は異空間に繋がる出入口を作り出し、あらゆる物体を取り込むことができる。但し、他の魔術師と違って彼等が扱える魔法は一つに限られ、戦闘面での活躍は期待できない――それが一般常識だった。だが、一人の少年が収納魔法を極めた事で常識は覆される。 「収納魔術師だって戦えるんだよ」 戦闘には不向きと思われていた収納魔法を利用し、少年は世間の収納魔術師の常識を一変させる伝説を次々と作り出す――

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

悠久のクシナダヒメ 「日本最古の異世界物語」 第二部

Hiroko
ファンタジー
奈良時代の日本から戻った和也と芹那。 いつもと変わらぬ風景であるはずの日本。 けれどそこは、奈良時代に変えることのできなかった時の流れがそのまま受け継がれた世界だった。 悠久のクシナダヒメ 「日本最古の異世界物語」の第二部です。 写真はphotoACより、TonyG様の、「田村神社 龍神」を頂きました。

約束の子

月夜野 すみれ
ファンタジー
幼い頃から特別扱いをされていた神官の少年カイル。 カイルが上級神官になったとき、神の化身と言われていた少女ミラが上級神官として同じ神殿にやってきた。 真面目な性格のカイルとわがままなミラは反発しあう。 しかしミラとカイルは「約束の子」、「破壊神の使い」などと呼ばれ命を狙われていたと知る事になる。 攻撃魔法が一切使えないカイルと強力な魔法が使える代わりにバリエーションが少ないミラが「約束の子」/「破壊神の使い」が施行するとされる「契約」を阻む事になる。 カタカナの名前が沢山出てきますが主人公二人の名前以外は覚えなくていいです(特に人名は途中で入れ替わったりしますので)。 名無しだと混乱するから名前が付いてるだけで1度しか出てこない名前も多いので覚える必要はありません。 カクヨム、小説家になろう、ノベマにも同じものを投稿しています。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

【長編・完結】私、12歳で死んだ。赤ちゃん還り?水魔法で救済じゃなくて、給水しますよー。

BBやっこ
ファンタジー
死因の毒殺は、意外とは言い切れない。だって貴族の後継者扱いだったから。けど、私はこの家の子ではないかもしれない。そこをつけいられて、親族と名乗る人達に好き勝手されていた。 辺境の地で魔物からの脅威に領地を守りながら、過ごした12年間。その生が終わった筈だったけど…雨。その日に辺境伯が連れて来た赤ん坊。「セリュートとでも名付けておけ」暫定後継者になった瞬間にいた、私は赤ちゃん?? 私が、もう一度自分の人生を歩み始める物語。給水係と呼ばれる水魔法でお悩み解決?

最強令嬢とは、1%のひらめきと99%の努力である

megane-san
ファンタジー
私クロエは、生まれてすぐに傷を負った母に抱かれてブラウン辺境伯城に転移しましたが、母はそのまま亡くなり、辺境伯夫妻の養子として育てていただきました。3歳になる頃には闇と光魔法を発現し、さらに暗黒魔法と膨大な魔力まで持っている事が分かりました。そしてなんと私、前世の記憶まで思い出し、前世の知識で辺境伯領はかなり大儲けしてしまいました。私の力は陰謀を企てる者達に狙われましたが、必〇仕事人バリの方々のおかげで悪者は一層され、無事に修行を共にした兄弟子と婚姻することが出来ました。……が、なんと私、魔王に任命されてしまい……。そんな波乱万丈に日々を送る私のお話です。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

処理中です...