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2 夜の踏切

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「異世界に何か一つだけ持って行けるとしたら、何を持って行く?」踏切までの道すがら、ふとそんな話になった。
「それって無人島じゃないの?」僕は聞いた。
「いま俺らが向かってるのは異世界だろ?」
「無人島と異世界じゃ、役に立つ物が違うような気がする」美津子は真面目に考えているようだった。
「おれ、スマホだな」正人が言った。
「無人島じゃ電波届かないよ」僕は言った。
「今どき電波届かない場所なんてあるのか?」
「異世界だって、私たちの世界のスマホが使えるかどうかわかんないよ?」美津子はいつになく上機嫌でそう言った。そう言えば、美津子が先頭を歩くなんて今まであっただろうか、とふと考えながら僕は正人と美津子の背中を見ながら夜の駅前の盛り場を空地へと向かって歩いて行った。

夜になった空き地の雰囲気は、昼間とは全然違った。
生い茂った雑草の森は闇に沈み、その陰から何やら目に見えない無数の手が自分たちを引きずり込もうとしているような胸騒ぎがした。
「さ、行こうぜ」正人が先陣を切って行った。きっとまた美津子に怖がっていると言われるのが嫌だったのだろう。
その後に続いて美津子も僕も進んだが、やがて踏切への道がある辺りに来て正人は立ち止まった。
「ちょっと、どうしたのよ?」
正人はなぜか何も言わなかった。
「どうしたんだ?」僕も聞いた。
「なんか、様子が違う」
「様子って何よ」
「前来た時、こんなだったか?」
そう言われて美津子と二人、正人の後ろから懐中電灯に照らされた踏切へ続く道を見た。
「え、なにこれ……」そう言ったきり、三人で立ち止まったまま言葉を失った。
前に来た時は完全に雑草に道を塞がれていたはずなのに、いま見ると、どう見ても誰かが通ったように道がある部分だけ雑草がなぎ倒されて前に進めるようになっている。
「誰か来たんだな」
「でも誰が? どうして?」さすがの美津子も少し怯えていた。
「わかんねーよ」
「いつ来たんだろ。もしかして、まだ向こうにいるんじゃないか?」怖がらせようと思ったわけではないけど、僕のそのひと言に美津子は「やめてよ」と声を震わせた。
「おい美津子、それ貸せよ」そう言って正人は美津子から鎌を受け取った。
「どうするつもり?」
「怪しい奴がいたら殺す」
「怖いこと言わないで」
「行くの?」さすがの僕も怯えて言った。
「あたり前だろ? ここまで来て」そう言いながら、僕らの言葉も聞かずに正人は前に進んで行った。
僕らも行くしかなかった。
怯えていたせいか、僕らはなかなか進まなかった。
先頭を行く正人は、何に警戒しているのか鎌を右手に構え、右に左に懐中電灯の光を彷徨わせながらじりじりと進んだ。その間、何度か踏切の音が鳴って僕らを怯えさせた。
最初は遠くに聞こえていた鐘の音が、確実に段々と近づいてきて、やがて赤いランプの点灯が目に入るようになってきた。
「もうすぐ着くぞ……」正人のその声に、僕たちはさらに歩みを遅くした。
そしてさらに数歩進んだその時、「動くな……」と言って正人は硬く固まるように立ち止まった。
「見ろよ……」静かにそう言う正人の視線の先を見ると、ひとりの男が踏切の前に立ち止まっていた。
暗闇の中、男は微動だにしない。
黒い後ろ姿は、まるで影が形を成してそこに立っているようだった。
いつからここにいるんだろう? そんな疑問が浮かんだが、怖くて言葉にすることができない。
やがて踏切が赤く光り出し、不気味な音を鳴らしながら遮断機を降ろした。
「あれ、ヤバくないか……」正人が独り言をささやくように言った。
「ヤバいってなんだよ……」僕はそう返したが、三人の頭の中にある妄想が全く同じなのは口に出さなくてもわかっていた。
遠くから電車の近づく音がした。
どうにかしなきゃ……、そう思うものの、体が痺れたように動かなかった。
電車の線路を走る音は瞬く間に目の前に迫った。横で美津子が震えながら両手で顔を覆い隠すのがわかった。恐怖で喉が渇き、無理やり唾を飲み込んだ。もうだめだ! そう思った瞬間、壊れた昔のフィルム映画を観るように電車の四角い窓の光が点滅するように目の前を高速で流れて行った。
僕は吐き気と戦いながら、あえぐように息をしていた。
電車は永遠に続くのではないかと思われるほどの長さで目の前を横切って行った。
やがて電車が通り過ぎ、遮断機が上がって音が止んだ。
何事もなかったかのように虫たちの鳴き声が辺りを包んだ。
男はまだそこにいた。
何事も無かったように、さっきと同じ位置に同じ姿勢で立っている。
何も起きなかった。
僕は体から力が抜け、膝立ちになって座り込んだ。
見ると美津子も四つん這いになっている。
正人はさっきと同じ姿でいたが、やはり言葉を失ったまま立ち尽くしていた。
「なんだよ、驚かせやがって……」正人はしばらくしてやっとそう言葉を吐いたが、やはり動けずにいた。
「あいつ、いったい何してんだろ」僕がそう言うと、やっと美津子も顔を上げた。
男は踏切を渡るでもなく、僕たちの方に歩いてくるでもなく、さっきからずっと同じ背中を見せ続けている。
あるいは実はあれは、誰かが置き忘れた人型の看板か何かなんじゃないかと言う考えさえ浮かんだ。それくらい動かなかった。
やがてまた電車が来た。
赤いランプが点滅すると同時にカーンカーンカーンとのんきな音が鳴り、やがて遮断機がカタンと下に降りた。
今度は向こう側の線路だった。
僕たちは腑抜けになったように脱力してその光景を見守った。
次も何も起こらないと根拠もなく確信していた。
警戒を怠ったのだ。
電車が目前に迫ると、男は何の気配も感じさせずに遮断機をまたぎ、電車が通り過ぎるタイミングで線路を横切った。その時僕は、男は本当にただの影だったのではないかと思った。なぜって、男はまるで、ふっと蝋燭の炎を吹き消すように静かに僕たちの視界から消えたからだ。
「うそ……」
「やべーよ……」
僕ら三人は心に何の受け身もできないままその光景を目にした。
やがて電車は僕らの目の前に緩やかに止まった。
遮断機を上げることなく、踏切はいつまでもカーンカーンカーンとのんきな音を出し続けた。
「おい、行くぞ」正人のその声に我に返ると、僕たち三人は逃げるように来た道を引き返した。

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