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 私は幼い頃から背が高かった。
 保育園の頃の写真を見ると、他の子供たちより頭一個分飛び出ている。小学校に入学時点で132センチあったし、中学一年では174センチもあった。小学生の時についたあだ名は「巨人」。小さな女の子にとって、大人並みの背の高さは大きなコンプレックスになった。そのせいで、体は大きいのに心はいつも縮み上がっていた。そして背が高いだけならまだしも、中学に入ったあたりから急激に体重も増え始めた。
 幼い子供なら「ぽっちゃりだねえ」なんて愛らしい言葉で可愛がられるのだろうが、中学生ともなると「デブ」だの「ブタ」だの「肥満」だのと呼ばれ、挙句は「浮き輪外せ」だの「服が可哀そう」だの「臭い」だの「空気が減る」だの、体重とは関係ないような悪口も言われるようになった。
 そして中二の夏にお父さんを亡くしてからは、それがストレスになったのか体質的なものかはわからないけれど、さらに体重が跳ね上がり、一気に百キロを超えた。そこでついたあだ名が「牛」だった。
 そう、あの牧場で草なんかをんでいる、牛だ。 
 なぜ牛なのかというと、私は単に太っているのではなく、のだそうだ。
 小学校の時は悪口だけですんでいたイジメも、中学になると身体的な暴力も受けるようになった。「牛」は「人間」ではなく、「男の子」でも「女の子」でもなく、つまり人権がないとのことだった。とくに男子からはサンドバッグのように扱われ、「殴り心地がいい」と、前からも後ろからも体を殴ったり蹴ったり楽しまれた。
 何が悔しかったかって、男子に殴られているのに、脂肪のせいで痛さをそれほど感じなかったことだ。あるときなんか、私に後ろから飛び蹴りを食らわせた男の子が、そのはずみで下に落ちて手首を捻挫し、もがき苦しみながら病院に運ばれて行ったことだ。もちろん私は、なんのダメージもなかった。誰も私がいじめられているなんて意識はなかっただろう。私は泣かなかったし、痛がる様子も見せなかったし、殴られても相手が吹っ飛んでいくのだから。けれど私は傷ついて泣きたかったし、殴られたら痛みを感じたかったし、女の子らしくありたかったのだ。
 そんな私に、美香さんは自分の身体を見せ、「この身体を目指すの」なんて言った。
 私の中で、もはや美香さんはその存在自体が芸術品のようになっていた。それを、この私が? 牛が、芸術品を目指すの?
 今まで何年も落とすことのできなかったこの体重を「半年もあれば」とサラッと言うことにも驚きだし、なぜそれを二年もかける必要があるのかという疑念も湧いたし、私が美香さんを目指せるなんて考えること自体ファンタジーだし、もう私は頭の中で無理で当たり前だと思っていた今までの考えをいとも簡単にひっくり返す美香さんの思考がはちゃめちゃで、なにがなんだかわからず呆然とするしかなかった。
「ところであなた、確か名前は奈央よね? 徳美奈央。あってる?」
「え、ええ、そうです。徳美奈央です」
「そう。じゃあ、奈央と呼ぶわね」
 え? なんで急に名前のことなんか言い出したんだろ。その前に私、美香さんに自分の名前言ったっけ? メールで話してるときに言った? でもそれならどうしていま確認したりしたの?
 美香さんといると、頭に浮かんだ疑問が解決する前に次々と次の疑問がわいてくる。
 もう何をどうしていいやらわからず私は思わず今まで疑問に思っていたことを口に出してしまった。
「あの、美香さんは、どうして私にそこまで関わろうとするんですか?」口に出してから、なんだかすごく失礼な言い方をしてしまったような気がして後悔した。
 美香さんは怪訝そうな目をして私を見ると、黙り込んだ。
 ああ、やっぱり私、失礼な言い方したんだ。どうしよう……。
「奈央、気づいてないの?」
「え?」
「私、奈央に会うの、これで二回目じゃないわよ?」
「え?」え? え? え? 「あ、え? あの、私……、え?」私は本格的にパニックに陥った。
「ちょっと落ち着きなさい? ほら、水を飲んで」美香さんはそう言って震える私の手を握り、冷えたコップを持たせた。私はその水を一気に飲み干すと、「ちょっと、ちゃんと息をして!」と美香さんに言われるまで呼吸を忘れている始末だった。
 私は落ち着くまで十分ほどの時間と四杯の冷えた水が必要だった。
「どう? 大丈夫?」
「は、はい。ちょっとわけがわからなくなって」
「みたいね。倒れるんじゃないかと思ってひやひやしたわ」
「でも、あの、その、私、以前どこかで美香さんに会っていたんですか?」
うちに遊びに来てたじゃない」
「家、ですか? 美香さんの家に?」
「私の名前、覚えてないの?」
「山崎、美香さんですよね」
「佳代のこと、忘れたわけじゃないでしょ?」
「佳代?」もちろん忘れたりはしない。忘れるわけがない。私の唯一の親友だったのだ。今でも親友だと信じているのだ。でも、けれど、その佳代と美香さんが、どう……、どうつながると……、え!? も、もしかして!?」
「思い出した? 佳代の姉よ」
「え、うそ!?」私はあまりの驚きに両手で口をふさいだが、その声は静かなホテルのラウンジに響くほどに漏れ出してしまった。そして今までパニックになっていた頭の中が、今度は真っ白になって思考を停止した。
 うそでしょ……。
「美香さんが、佳代のお姉さん……」言葉が続かず、代わりにわけのわからない涙がボロボロと眼から零れ落ちてきた。
「まあでも、私のことを知らないのも無理はないわね。あの頃の私、いつも部屋に閉じこもっていたから」そう言いながらコーヒーを飲む美香さんの面影を、私は中学の頃の記憶の中に必死に探した。
「遠慮しないで。覚えてないって言われても、私は仕方のない人間だったから。きっと奈央の記憶に残らないほど、影の薄い存在だったんでしょうね」そう言って美香さんは何かを思い出すように穏やかに笑った。
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