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魂抜き地蔵 【四話】
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昌代さんの話はさらに続いた。
壁掛け時計を見ると、時間はもう午後の三時を過ぎようとしていた。
「何を思ったのか、ある日あのお地蔵さまに子宝をお願いする人がいたらしいわ。そんなん、事故で溺れた子供を供養するためのお地蔵さんやのにね。もう時間がたって、そんなことも知らん人が半分ふざけてお願いしただけなんやろうけど、どう言う偶然か、その夫婦にすぐに子供ができたらしいわ。それでその噂を聞いて子宝を願う人たちがお地蔵さんを訪れるようになって、ただの噂のはずやのにね、あのお地蔵さんにお願いした夫婦はすぐに子宝に恵まれたらしいわ。それで噂が噂を呼び、一時期は有名な場所になったらしいんやわ。せやけどね……」そう言って昌代さんは言い淀んだ。「せやけど……、なんかおかしかったらしいわ」
「おかしい?」
「お地蔵さんにお祈りして授かった子供たちは、生まれて数年のうちにみんな死んでしもうたらしいんよ。それか、赤ん坊は死なずにすんでも、その母親や父親、とにかく誰かが死んだらしいわ」
「そんな……」それで私はふとさっきの昌代さんの言葉を思い出した。「関係なかったらええんやけど……」もしかしたら昌代さんは、私のお母さんの死が、魂抜き地蔵と何か関係していると思っているのではないだろうか。
「それでな、これはなんかおかしいと思った一組の夫婦が、えらいお坊さんを連れてお地蔵さんを見てもろうたらしいんや」
「それで、どうだったんですか?」
「それがな……、お坊さん、お地蔵さんを見るなり『うわっ、こらあかん! ぜったいこれには近づくな!』言うて逃げてしもうたらしいわ」
「逃げた、んですか?」
「そうや。けど、逃げられても困るやろ? それで、夫婦が『なにがわかったんですか? せめてそれだけでも教えてください』言うてお坊さんを問い詰めたらしいんよ。そしたらお坊さんはしぶしぶ話し始めて、その内容がな……」
「昌代さん……、昌代さん、何の話をしてるのん?」隣の部屋で寝ていたはずのお母さんが、目を覚ましたのかさっきより少し大きめの声で聞いてきた。耳が遠く、私たちの話など聞こえるはずもないのに、なぜかその話を聞いて止めに入ってきたような口調だった。
「ああ、お母さん。魂抜き地蔵さんの話をしてたのよ!」昌代さんは叫ぶような大きな声で隣の部屋にそう伝えた。
「あかん! あかんよ! そんな話を聞かせたら!」思わぬほど大きな声でそう聞こえてきたので、私はぎょっとなった。昌代さんもそれは同じようで、驚いた顔で言葉を失っていた。
「お母さん、どうしたん。急にそんな大きな声出して」昌代さんはそう言って立ち上がり、隣の部屋に行った。私も挨拶をしようとその後に続いた。
「あかん。あかん、あのお地蔵さんの話は。もう昔の話やねんさかい、忘れたほうがええんや」
私は昌代さんの後ろから、そっとお母さんの姿を覗き見た。
白く地肌の見える髪の毛は艶も弾力もなく、落ちくぼんだ眼窩の奥から輝きを失った眼が私を睨みつけた。
刻まれた皺は黒ずむほどに深く、布団の上に投げ出された腕は手首の関節よりも細く骨が浮いていた。
「あんた、あんたどちらさん?」
「あ、あの、瑞希と言います」
「お母さん? この方ね、あの魂抜き地蔵さんのとこで倒れてはったんよ。気の毒やからうちに呼んで、少し休んでもろてたんよ?」
「あ、あ、あんた、まさかあの地蔵さんに……」
「お母さん、変なこと言うたらあかんよ」
「わかる。わかるねんや。私はわかるねんや。こんなんやさけ、わかるねんや。あんた、あの地蔵から、魂もろたんやろ」
「お母さん! 変なこと言わんといてあげて!」そう言って昌代さんは、私の肩に手を回して、「さ、気にせんといてな。気にせんとゆっくりしてな。私も少し話し過ぎたわ。もうやめとこか」と言って元いたソファーにもう一度座らせ、お母さんの眠る部屋の襖を閉めてしまった。
「あの……、私は気にしないんで、さっきの話の続き、聞かせて欲しいです」
「そやかてなあ……」
「さっき話されてたお坊さん、どんな話をしたんですか?」
「そんなん、どうしても聞きたいんか?」
「はい、聞きたいです。あのお地蔵さんのことを知りたくてここまで来たので」
「そうやったなあ……」そう言って昌代さんはまたしぶしぶ話し始めた。「そのお坊さんなあ。『あれは地蔵なんてもんやない』って言うたらしいわ」
「地蔵やない?」
「そう。『もうあれは悪霊や。悪霊の入れもんや』って言うたらしい」
「悪霊……」
「死んだ子供や自殺した人の怨念が籠って、どうしようもない状態になってたらしいわ」
「それでも、それだったらどうしてお願いしたら子宝に恵まれたりしたんですか?」
「それがな、お坊さんが言うには、『生まれてくるんは子供なんかやない。ここで溺れ死んだ子供の魂が行き場を失って、お参りに来た女の人の体に入って、それが赤ん坊の形をして出てくるだけや』って話なんよ」
私はその話の気味悪さに身震いした。
「あのお地蔵さん、四体あって、その横にもう一体別にあったやろ?」
「はい」
「あれがな、死んだ子供の魂の入れ物になってるらしいわ」
「魂の入れ物?」
「そうや。子供が欲しくて頼みに来た女の人の体にな、あのお地蔵さんに入った子供の魂が乗り移るんやて」
「けど……、それじゃそのあと生まれた赤ん坊がすぐに死んでしまうって言うのは……」
「誰がそんな噂を流したんか知らんけど、生まれた子供をお地蔵さまに見せに来てお礼を言うと、子供の命は助かるらしいねん。けど……」
「けど?」
「けど、子供の命は助かるねんけど、その代わりに、さっきも言うたけどその親や、近い人が死んでしまう。死なんとしても、魂を抜かれたように心の病気になるって言う話やわ。しかも……」
「まだあるんですか?」
「生き延びた子供も、親が『子供をください』とお願いしたまったく同じ日に、お地蔵さまにお参りをしなあかんらしい」
「同じ日に?」
「そう。同じ月、同じ日、同じ曜日の日に、お地蔵さまにお参りをするの」
「そ、それをしないとどうなるんですか?」
「抜かれた魂が地獄に落ちるんやって」
「抜かれた魂?」
「さっき、親や近い人が死ぬって言うたやろ? それか心の病気になるって。それが、あのお地蔵さんが『魂抜き』って言われる原因なん。つまり、あのお地蔵さんが魂を抜き取ってしまうって言うこと。そしてその魂を自分たちお地蔵さんの中に閉じ込めて、その子供がお参りに来んかった時には、川に流して地獄に落としてしまうらしいんよ」
「私……、そんな……」
「ちょ、ちょっと、なんで瑞希ちゃんがそんな深刻な顔になるん? 噂よ。もう何十年も前の昔話よ」
「私、さっき話した以外にも、いま聞いた話に思い当たることがあるんです」
「思い当たることってなに?」
「日付の話です」
「日付?」
「私、ノートに日付を書くんです。学校の授業のノートです。その日付を、時々間違うんです」
「間違うって言うのは?」
「違う日付を書いてしまうんです。こないだは、五月二十九日の土曜日なのに、間違えて六月二十九日の火曜日って書いてて、それだけならまだしも、調べてみると、毎回間違える時には六月二十九日の火曜日って書いてるんです」
昌代さんが息を呑んだ。
「そんなん、なんかの偶然よ。気にしたらあかんよ」
「はい、私もそう思いたいんです。でも……、それで、その、おかしいなと思って、調べたんです私。六月二十九日が火曜日の日っていつだろうと思って、カレンダーを遡って……。そして、たぶん、きっとそうなんです。お母さんが私を連れて魂抜き地蔵のところにやってきたの、その六月二十九日の火曜日なんです」
「そんな……、ねえ、瑞希ちゃん。あなたもう帰りなさい。これ以上ここにいたらあかんわ」昌代さんは今までになく低い声で力を込めてそう言った。「それで、もう二度とここに来たらあかん。魂抜きさんに、ううん、この山科に二度と来たらあかん」
「でも、私……」
「いま私から聞いた話はもう忘れなさい。静岡に帰って、もう全部忘れるの。それがええわ」
「昌代さん、昌代さん!」隣の部屋からお母さんが叫ぶように呼ぶのが聞こえた。やはり寝たきりのお年寄りがとても出せるような大きさの声ではなかった。
昌代さんは立ち上がると、襖を開けて「なあに? どうしたん?」と聞いた。
「ちょ、ちょっと、あんたこっちにおいで!」そう呼んでいるのは私のことだとわかった。
「瑞希ちゃんはね、もう帰るの。お母さん、お願いやからそっとしてあげて」
「ええから、大事な話があるの。はよこっちにおいで!」
私は迷ったけれど、そう言われてじっとしているわけにもいかず、恐る恐る隣の部屋に顔を覗かせた。
「ええか、あんた。よう聞くんやで? 私はもうこんな姿やから、もうあの世が見えてる人間やからわかるんや。あんたなあ、あんたのお母さんどうしてる?」
「は、母ですか? その、私の小さい時に亡くなってます」
「ほんまか? そらないわ。私はなあ、わかるんや。こんなんやさけ、わかるんや」
「もうお母さん、やめたげて?」昌代さんはそう言ったが、お母さんはなおも話し続けた。
「あんたのお母さんな、まだ生きてはる。けどなあ、魂抜かれてはるわ。わかる。わかるんや、私には。お母さんの魂なあ、お地蔵さんのとこにある。けどなあ、けどもうあかんなあ。あんたのお母さんなあ、魂抜かれたまま生きてはるなあ。あんたの身代わりになって魂を抜かれはったんや……」と、そこまで言うとお母さんはふと気を失うように黙り込み、そのまま目を閉じ眠り込んでしまった。
「ごめん。ごめんね、瑞希ちゃん。年寄りの言うことやから、気にせんといて」
「いえ……、その、大丈夫です」
「もうな、悪いこと言わんから、もう帰りなさい。明るいうちに、今日のことは全部ここに置いて、静岡に帰るの」昌代さんはそう言うと、半ば強引に私を追い出す形で外に出た。
「駅まで送ってあげるさかい、な?」昌代さんにそう言われ、私はもう何も言えず、昌代さんと一緒に坂道を下って駅の方に歩いた。
壁掛け時計を見ると、時間はもう午後の三時を過ぎようとしていた。
「何を思ったのか、ある日あのお地蔵さまに子宝をお願いする人がいたらしいわ。そんなん、事故で溺れた子供を供養するためのお地蔵さんやのにね。もう時間がたって、そんなことも知らん人が半分ふざけてお願いしただけなんやろうけど、どう言う偶然か、その夫婦にすぐに子供ができたらしいわ。それでその噂を聞いて子宝を願う人たちがお地蔵さんを訪れるようになって、ただの噂のはずやのにね、あのお地蔵さんにお願いした夫婦はすぐに子宝に恵まれたらしいわ。それで噂が噂を呼び、一時期は有名な場所になったらしいんやわ。せやけどね……」そう言って昌代さんは言い淀んだ。「せやけど……、なんかおかしかったらしいわ」
「おかしい?」
「お地蔵さんにお祈りして授かった子供たちは、生まれて数年のうちにみんな死んでしもうたらしいんよ。それか、赤ん坊は死なずにすんでも、その母親や父親、とにかく誰かが死んだらしいわ」
「そんな……」それで私はふとさっきの昌代さんの言葉を思い出した。「関係なかったらええんやけど……」もしかしたら昌代さんは、私のお母さんの死が、魂抜き地蔵と何か関係していると思っているのではないだろうか。
「それでな、これはなんかおかしいと思った一組の夫婦が、えらいお坊さんを連れてお地蔵さんを見てもろうたらしいんや」
「それで、どうだったんですか?」
「それがな……、お坊さん、お地蔵さんを見るなり『うわっ、こらあかん! ぜったいこれには近づくな!』言うて逃げてしもうたらしいわ」
「逃げた、んですか?」
「そうや。けど、逃げられても困るやろ? それで、夫婦が『なにがわかったんですか? せめてそれだけでも教えてください』言うてお坊さんを問い詰めたらしいんよ。そしたらお坊さんはしぶしぶ話し始めて、その内容がな……」
「昌代さん……、昌代さん、何の話をしてるのん?」隣の部屋で寝ていたはずのお母さんが、目を覚ましたのかさっきより少し大きめの声で聞いてきた。耳が遠く、私たちの話など聞こえるはずもないのに、なぜかその話を聞いて止めに入ってきたような口調だった。
「ああ、お母さん。魂抜き地蔵さんの話をしてたのよ!」昌代さんは叫ぶような大きな声で隣の部屋にそう伝えた。
「あかん! あかんよ! そんな話を聞かせたら!」思わぬほど大きな声でそう聞こえてきたので、私はぎょっとなった。昌代さんもそれは同じようで、驚いた顔で言葉を失っていた。
「お母さん、どうしたん。急にそんな大きな声出して」昌代さんはそう言って立ち上がり、隣の部屋に行った。私も挨拶をしようとその後に続いた。
「あかん。あかん、あのお地蔵さんの話は。もう昔の話やねんさかい、忘れたほうがええんや」
私は昌代さんの後ろから、そっとお母さんの姿を覗き見た。
白く地肌の見える髪の毛は艶も弾力もなく、落ちくぼんだ眼窩の奥から輝きを失った眼が私を睨みつけた。
刻まれた皺は黒ずむほどに深く、布団の上に投げ出された腕は手首の関節よりも細く骨が浮いていた。
「あんた、あんたどちらさん?」
「あ、あの、瑞希と言います」
「お母さん? この方ね、あの魂抜き地蔵さんのとこで倒れてはったんよ。気の毒やからうちに呼んで、少し休んでもろてたんよ?」
「あ、あ、あんた、まさかあの地蔵さんに……」
「お母さん、変なこと言うたらあかんよ」
「わかる。わかるねんや。私はわかるねんや。こんなんやさけ、わかるねんや。あんた、あの地蔵から、魂もろたんやろ」
「お母さん! 変なこと言わんといてあげて!」そう言って昌代さんは、私の肩に手を回して、「さ、気にせんといてな。気にせんとゆっくりしてな。私も少し話し過ぎたわ。もうやめとこか」と言って元いたソファーにもう一度座らせ、お母さんの眠る部屋の襖を閉めてしまった。
「あの……、私は気にしないんで、さっきの話の続き、聞かせて欲しいです」
「そやかてなあ……」
「さっき話されてたお坊さん、どんな話をしたんですか?」
「そんなん、どうしても聞きたいんか?」
「はい、聞きたいです。あのお地蔵さんのことを知りたくてここまで来たので」
「そうやったなあ……」そう言って昌代さんはまたしぶしぶ話し始めた。「そのお坊さんなあ。『あれは地蔵なんてもんやない』って言うたらしいわ」
「地蔵やない?」
「そう。『もうあれは悪霊や。悪霊の入れもんや』って言うたらしい」
「悪霊……」
「死んだ子供や自殺した人の怨念が籠って、どうしようもない状態になってたらしいわ」
「それでも、それだったらどうしてお願いしたら子宝に恵まれたりしたんですか?」
「それがな、お坊さんが言うには、『生まれてくるんは子供なんかやない。ここで溺れ死んだ子供の魂が行き場を失って、お参りに来た女の人の体に入って、それが赤ん坊の形をして出てくるだけや』って話なんよ」
私はその話の気味悪さに身震いした。
「あのお地蔵さん、四体あって、その横にもう一体別にあったやろ?」
「はい」
「あれがな、死んだ子供の魂の入れ物になってるらしいわ」
「魂の入れ物?」
「そうや。子供が欲しくて頼みに来た女の人の体にな、あのお地蔵さんに入った子供の魂が乗り移るんやて」
「けど……、それじゃそのあと生まれた赤ん坊がすぐに死んでしまうって言うのは……」
「誰がそんな噂を流したんか知らんけど、生まれた子供をお地蔵さまに見せに来てお礼を言うと、子供の命は助かるらしいねん。けど……」
「けど?」
「けど、子供の命は助かるねんけど、その代わりに、さっきも言うたけどその親や、近い人が死んでしまう。死なんとしても、魂を抜かれたように心の病気になるって言う話やわ。しかも……」
「まだあるんですか?」
「生き延びた子供も、親が『子供をください』とお願いしたまったく同じ日に、お地蔵さまにお参りをしなあかんらしい」
「同じ日に?」
「そう。同じ月、同じ日、同じ曜日の日に、お地蔵さまにお参りをするの」
「そ、それをしないとどうなるんですか?」
「抜かれた魂が地獄に落ちるんやって」
「抜かれた魂?」
「さっき、親や近い人が死ぬって言うたやろ? それか心の病気になるって。それが、あのお地蔵さんが『魂抜き』って言われる原因なん。つまり、あのお地蔵さんが魂を抜き取ってしまうって言うこと。そしてその魂を自分たちお地蔵さんの中に閉じ込めて、その子供がお参りに来んかった時には、川に流して地獄に落としてしまうらしいんよ」
「私……、そんな……」
「ちょ、ちょっと、なんで瑞希ちゃんがそんな深刻な顔になるん? 噂よ。もう何十年も前の昔話よ」
「私、さっき話した以外にも、いま聞いた話に思い当たることがあるんです」
「思い当たることってなに?」
「日付の話です」
「日付?」
「私、ノートに日付を書くんです。学校の授業のノートです。その日付を、時々間違うんです」
「間違うって言うのは?」
「違う日付を書いてしまうんです。こないだは、五月二十九日の土曜日なのに、間違えて六月二十九日の火曜日って書いてて、それだけならまだしも、調べてみると、毎回間違える時には六月二十九日の火曜日って書いてるんです」
昌代さんが息を呑んだ。
「そんなん、なんかの偶然よ。気にしたらあかんよ」
「はい、私もそう思いたいんです。でも……、それで、その、おかしいなと思って、調べたんです私。六月二十九日が火曜日の日っていつだろうと思って、カレンダーを遡って……。そして、たぶん、きっとそうなんです。お母さんが私を連れて魂抜き地蔵のところにやってきたの、その六月二十九日の火曜日なんです」
「そんな……、ねえ、瑞希ちゃん。あなたもう帰りなさい。これ以上ここにいたらあかんわ」昌代さんは今までになく低い声で力を込めてそう言った。「それで、もう二度とここに来たらあかん。魂抜きさんに、ううん、この山科に二度と来たらあかん」
「でも、私……」
「いま私から聞いた話はもう忘れなさい。静岡に帰って、もう全部忘れるの。それがええわ」
「昌代さん、昌代さん!」隣の部屋からお母さんが叫ぶように呼ぶのが聞こえた。やはり寝たきりのお年寄りがとても出せるような大きさの声ではなかった。
昌代さんは立ち上がると、襖を開けて「なあに? どうしたん?」と聞いた。
「ちょ、ちょっと、あんたこっちにおいで!」そう呼んでいるのは私のことだとわかった。
「瑞希ちゃんはね、もう帰るの。お母さん、お願いやからそっとしてあげて」
「ええから、大事な話があるの。はよこっちにおいで!」
私は迷ったけれど、そう言われてじっとしているわけにもいかず、恐る恐る隣の部屋に顔を覗かせた。
「ええか、あんた。よう聞くんやで? 私はもうこんな姿やから、もうあの世が見えてる人間やからわかるんや。あんたなあ、あんたのお母さんどうしてる?」
「は、母ですか? その、私の小さい時に亡くなってます」
「ほんまか? そらないわ。私はなあ、わかるんや。こんなんやさけ、わかるんや」
「もうお母さん、やめたげて?」昌代さんはそう言ったが、お母さんはなおも話し続けた。
「あんたのお母さんな、まだ生きてはる。けどなあ、魂抜かれてはるわ。わかる。わかるんや、私には。お母さんの魂なあ、お地蔵さんのとこにある。けどなあ、けどもうあかんなあ。あんたのお母さんなあ、魂抜かれたまま生きてはるなあ。あんたの身代わりになって魂を抜かれはったんや……」と、そこまで言うとお母さんはふと気を失うように黙り込み、そのまま目を閉じ眠り込んでしまった。
「ごめん。ごめんね、瑞希ちゃん。年寄りの言うことやから、気にせんといて」
「いえ……、その、大丈夫です」
「もうな、悪いこと言わんから、もう帰りなさい。明るいうちに、今日のことは全部ここに置いて、静岡に帰るの」昌代さんはそう言うと、半ば強引に私を追い出す形で外に出た。
「駅まで送ってあげるさかい、な?」昌代さんにそう言われ、私はもう何も言えず、昌代さんと一緒に坂道を下って駅の方に歩いた。
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