フレンチ Doll of the 明治 era

Hiroko

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時計を見ると、朝の六時を過ぎていた。
普段なら、もうそろそろ空が明るくなり始める時間だ。
日の出の予定時間は朝の六時二十分だった。
けれど雨のせいか、空はまだ暗いままだ。
「ショウ、何をそんなに気にしているのですか?」ジーニャは部屋の外を必死に見つめるショウに問いかけた。
「さっきからソフィの返事がないんだ。何度も話しかけているんだよ。いつもなら、そう、最近ソフィはなかなか返事をしない時がある。血液の状態が良くないからね、眠った状態になると言っていた。けれどこんなにいつまでも返事がないのはおかしいんだ。今までになかったんだ。こんなに長いのは……」
ジーニャも心配そうに部屋の外を覗き見た。
「ソフィ、ソフィ、どうしたんだ、ソフィ……。ジーニャ、僕はもう行くよ」
「行くと言うのは?」
「部屋を出ると言うことさ」
「けれどそれは、明るくなってからと……、朝食もまだ食べていません」
「うん、そうだね。その予定だった。けれどもう待てないよ」
「どうしても行ってしまうのですか?」
「うん。行かないわけにはいかないんだ」そう言ってショウは、まとめた荷物から靴下を出すと、床に座ってそれを履き始めた。
「ショウ、お願いです。行かないでください」
「ジーニャ、どうしたんだい急に」
「行って欲しくないのです」
「わからないよ。それは君が、僕を守る立場にあるアンドロイドだからかい?」
「もちろんそれもあります。けれど……」
ショウは靴下を履き終えると、今度は革でできたブーツに取り掛かった。ゴツゴツとした固くて重い登山用のブーツだった。
「けれど、なんだい?」
「私は……、私は……、あなたの母親として、部屋を出て欲しくないのです」
「母親?」ショウはブーツの紐を締める手を止め、ジーニャを見た。
「ええ、そうです」
「わからないよ。僕の母親は、ホログラムの中にしかいない」
「ええ、ええ、そうです。わかっています。けれど、けれどショウ、あなたを育てたのはこの私なんです。私の脳は、ネズミのように小さいかも知れません。けれど、そのネズミにも心があると言うのなら、この私の中にも心があるのです。あなたを育てた思い出、一緒に過ごした日々の喜び、それらはすべて、例えネズミのように小さなものであったとしても、あったとしても、私にはかけがえのないものなのです。脳は小さくとも、この気持ちは誰にも負けないくらい大きなものなのです。どうかわかってください。ショウ、あなたは私の大切な大切な子供なのです」
ジーニャのその言葉に、ショウは急に胸が熱くなるのを感じた。
初めて経験する感情だった。
その感情を表す言葉を知らなった。
思いが胸に詰まり、喉の奥を通って目から涙となって溢れた。
今までジーニャのことをそんな風に見たことはなかった。
ジーニャが自分のことをどんなふうに考えているかなんて考えたこともなかった。
どんな言葉を返していいのかわからず、どうすればいいのかわからず、ただ結びかけたブーツの紐をいつまでも握り締め、涙を流しながらじっとジーニャを見つめた。

「どうすれば……、いいって言うんだよ……」ショウは床に座ったままうな垂れ、涙を拭いた。
「ソフィのことは、悲しいかも知れませんが、あきらめてください」
「そんなこと……、できないよ」
「ソフィはリナが亡くなった時、すでにその役割を終えていたのです」
「けど、まだ助かるんだ」
「助かったとしても、それをソフィが喜ぶとは限りません。現にソフィは自分の寿命を受け入れています」
「じゃあ僕がソフィを助けることに、何の意味もないと言うのかい?」
「ええ……、残念ながら、そうなるでしょう」
ショウは顔を上げると、雨がやみかけていることに気づき、ガラスの天井を見上げた。
空が白み始めている。
「ソフィ……、どうすればいいんだよ。ねえソフィ、なにか言っておくれよ……」
返事はなかった。
「ねえソフィ、まだ眠っているのかい?」そう言ってショウは立ち上がり、ソフィの横たわる川の岸辺が見える方に歩いた。
「ねえ、ソフィ……、ソフィ? ソフィ!?」そう叫ぶと、ショウはガラスの壁を叩き、うろたえた。
そこにいつも見えるはずのソフィの姿がそこになかった。
「ソフィ! ソフィ! ソフィ! どこにいるんだ!?」
「どうしたのです、ショウ? そんなに大声を出して」そう言ってジーニャも横に並んでガラスの壁の外を見た。
「ソフィが、ソフィがいないんだ……」
「まさか……、けどどうして……」
「川が……、増水した川の流れが」そう言ってショウはまた大声で叫んだ。「ソフィ! まだ近くにいるかい!? いたら返事をしておくれ! ソフィ! ソフィ! ソフィ!!!」
ショウは立ち尽くしたままソフィの返事を待った。
「駄目だ、返事がない。流されたんだ。きっとこの雨のせいで、川に流されたんだ。ジーニャ、やっぱり僕は行く。ソフィを探し出すんだ」そう言ってショウは部屋の反対側、ジェネレーターの横の床にあるハッチに走った。
「駄目です、ショウ!」
ショウはラリーから送られてきた荷物を背負い、片方だけ結んだ靴の紐につまづきながらハッチにたどり着き、それを開けた。
「行かないでください、ショウ! 行かないで!」
ハッチの下は、オレンジ色の部屋になっているようだった。
薄暗い部屋だったけれど、すぐに明かりがついて見えるようになった。
「駄目です! ショウ! ショウ! ショウ!」
ジーニャがこれほどまでに大きな声で叫ぶのを始めて聞いた。そしてショウはまたなぜか、胸の奥から何かが込み上げてくるのを感じ、涙を流した。けれどソフィへの思いを静めることはできなかった。立ち止まるわけにいかなかった。「ソフィ、絶対僕が助けてやるから」呟きながら地下の部屋への狭い階段を降りた。
ハッチの扉は自動で閉まった。
なにやら部屋の気圧が変わったのを感じた。
これはいったいどういう事だろう?
「大きな気圧の変化を感知しました。圧平衡を行います」と頭の中にフィグツリーの声が聞こえ、鼻の奥から空気が抜けるのを感じた。
上からジーニャが激しく扉を叩く音が聞こえた。
ジーニャ……、もしかしたら今、ジーニャは泣いているかもしれない。
アンドロイドに涙を流す機能はついていない。
けれど、きっとジーニャはいま泣いているだろう。
そもそも、人間はどうして涙を流すのだろう。
人間にだって、悲しいからと言って必要以上に涙を流す機能なんてついていないだろう。
なのになぜ、感情に左右されて涙だけ過剰に流れるのだろう。
その理屈が見つけられないのなら、アンドロイドだって涙を流してもおかしくないのだ。
頭の中でそんなことを考えながらショウは扉の前に立った。
「ビビビッ!」と警告音がなり、ショウはびくりと体を震わせてた。
「警告です。あなたには、『全ての人間は自由で、その決断、行動を制限されるものではない』と言う原理原則により、部屋の外に出る権利が認められています。しかしながら、外部の汚染物質や病原体の部屋への侵入を防ぐため、再度部屋への立ち入りはできなくなります。それはあなたの生命を脅かす行為であり、推奨されません。繰り返します……」その機械的な声が部屋に鳴り響くのをショウはじっと聞いた。
ジーニャは僕を自分の子供だと言った。
僕は部屋の外に立って、ガラスの壁の中にいるジーニャを見ることになるのだろうか。
その時ジーニャは、どんな表情で僕を見るのだろうか。
僕は、本当にこれで正しいことをしているのだろうか。
わからない……、わからない……、けれど、あきらめるわけにいかないんだ。
ソフィのことを、あきらめるわけにいかないんだ。
僕は、僕は、扉の向こうに行かなくちゃいけないんだ。
「さあ、さあ、行くんだ、行くんだ!」そう叫ぶと、ショウは扉の中央にあるパネルに手のひらを押し付けた。




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