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朝の四時を過ぎても雨は止まなかった。
部屋のガラスを叩く雨を見ていると、それだけで心の中まで冷たくなってくる気がしてショウは身体を震わせた。
「寒いですか?」とジーニャが問いかけた。
「いや、そんなことないよ」
「ではなぜいま、身体が震えたのですか?」
「わからない」そう言ってショウは肩をすくめた。
「何か食べますか?」
「うん、そうだね。少しお腹が減った気がするよ」
「パンケーキはどうでしょう?」
「パンケーキ? 珍しいものを作ってくれるんだね」
「昔はよく食べていましたよ。小さい頃のショウは、パンケーキが大好きでした。甘いメイプルシロップをたくさんかけて、手や口をべとべとにしながら食べていました」
「そうなんだね。うん、パンケーキを食べよう」
「わかりました」ジーニャはそう言うと立ち上がり、ジェネレーターを操作してパンケーキのレシピを探した。
「それに温かいミルクも淹れましょう」
「温かいミルク?」
「ええ。ショウは幼い頃、いつも冷たいものを飲んでお腹を壊していました。だから一緒に出すミルクはいつも温かいものにしていました」
「そうなんだね。よく覚えているね。僕の小さい頃からの記憶は、全部メモリーに記憶されているのかい?」
「ほとんどはそうです。ショウのことで、思い出せないことはありません」
「ほとんどのことって、じゃあそれ以外のことは、どこで覚えているんだい?」
「培養脳です」
「驚いたな。培養脳は、アンドロイドを人間らしくするための補助的な思考回路だと思っていたよ」
「ええ。大きな役割はそれで間違いありません。けれど、他のアンドロイドも同じことを感じているのかわかりませんが、もっとこう、独立した働きを見せることがあります」
「独立した働き?」
「はい、そうです。私にもうまく説明ができません。恐らく元々アンドロイドにそこまでの思考は期待されていなかったはずのものが発生してしまっているように感じます」
「よくわからないよ」
「そうですね。私にも、これがいかなるものなのかわからないのです。ですがたぶん、あなたたち人間が、感情と呼ぶものがこれではないかと思います」
「感情? まって、それについては以前、ソフィと議論をしたことがあるんだ」
「どのようなものですか?」
「ネズミが悲しむか、って話さ」
「ネズミ?」
「うん。ソフィの前の持ち主のリナって子はね、ターシャを悲しませてしまったと言ったそうなんだ」
「ターシャ?」
「ああ、リナの世話係のアンドロイドの名さ」
「なるほど」
「それでね、ソフィはネズミの脳ほどの大きさしかないアンドロイドの培養脳では、悲しむなんて複雑な思考はできないだろうと言ったんだ」
「ですが、そう、私は喜びや悲しみと言った感情と思われるものを知っています」
「例えばどんな時に感じるんだい?」
「例えばそうですね、ショウが私の作ったハンバーガーを美味しいと言ってくれた時です」
「ああ、ああ、そうだったね! 確かにあの時、ジーニャはとても嬉しそうにしていたね!」
「そうです。嬉しかったのです。また嬉しい気持ちになりたいと思いました」
「じゃあもしかしたら、ネズミも喜んだり悲しんだりするんだろうか」
「ええ、そう思います」
「ネズミにも、心があると思うかい?」
「ええ、きっと」
「ジーニャが言うならきっと本当だね! でも、どうして誰もそのことに気づかないんだろう」
「それはきっと、ネズミがどうやってそれを表せばいいのか知らないからだと思います」
「あるいはネズミたちは喜んだり悲しんだりしているのに、僕たちとは違うやり方だから理解してやることができないのかも」
「そうかも知れません」
部屋にはバターとシナモンの混じるパンケーキの焼ける甘い匂いが立ち込めた。
「さあ、召し上がってください」そう言うと、ジーニャは食事用のテーブルを用意し、そこにパンケーキとメイプルシロップと温かいミルクの注がれたカップを並べた。
「ありがとう!」そう言うと、ショウはまるで子供に戻るように、たっぷりのメイプルシロップをパンケーキにかけて頬張った。
「昔のままです」ジーニャはそう言って優しい顔をした。
「何がだい?」
「パンケーキを食べるショウの姿です」
「それは……、どこに……、記憶されて……」何かを話そうとしてショウはむせてしまった。
「落ち着いて。ちゃんと飲み込んでから話してください」
「う、うん……、そうだね……」そう言ってショウはミルクを飲んだ。
「もう一枚食べますか?」
「うん、食べるよ! 焼いてくれるかい?」
「もう焼いています」
ショウは不思議そうな顔をした。
「ショウはあまりよくご飯を食べる方ではありませんでしたが、パンケーキはいつも三枚食べていました。だから答えを聞く前から焼いています」
「ジーニャにはかなわないや」そう言ってショウは笑った。「そう言えばそう、僕がさっき聞きたかったのは……」
「なんですか?」
「ジーニャは僕のこと何でもよく知ってるけど、そう言うのはメモリー回路に記憶しているのか、培養脳が記憶しているのかどちらだい?」
「情報はすべてメモリー回路に保存されています。けれど……」そう言ってからジーニャは少し考え、付け加えた。「ショウとの思い出はすべて、培養脳の中に記憶されています」
部屋のガラスを叩く雨を見ていると、それだけで心の中まで冷たくなってくる気がしてショウは身体を震わせた。
「寒いですか?」とジーニャが問いかけた。
「いや、そんなことないよ」
「ではなぜいま、身体が震えたのですか?」
「わからない」そう言ってショウは肩をすくめた。
「何か食べますか?」
「うん、そうだね。少しお腹が減った気がするよ」
「パンケーキはどうでしょう?」
「パンケーキ? 珍しいものを作ってくれるんだね」
「昔はよく食べていましたよ。小さい頃のショウは、パンケーキが大好きでした。甘いメイプルシロップをたくさんかけて、手や口をべとべとにしながら食べていました」
「そうなんだね。うん、パンケーキを食べよう」
「わかりました」ジーニャはそう言うと立ち上がり、ジェネレーターを操作してパンケーキのレシピを探した。
「それに温かいミルクも淹れましょう」
「温かいミルク?」
「ええ。ショウは幼い頃、いつも冷たいものを飲んでお腹を壊していました。だから一緒に出すミルクはいつも温かいものにしていました」
「そうなんだね。よく覚えているね。僕の小さい頃からの記憶は、全部メモリーに記憶されているのかい?」
「ほとんどはそうです。ショウのことで、思い出せないことはありません」
「ほとんどのことって、じゃあそれ以外のことは、どこで覚えているんだい?」
「培養脳です」
「驚いたな。培養脳は、アンドロイドを人間らしくするための補助的な思考回路だと思っていたよ」
「ええ。大きな役割はそれで間違いありません。けれど、他のアンドロイドも同じことを感じているのかわかりませんが、もっとこう、独立した働きを見せることがあります」
「独立した働き?」
「はい、そうです。私にもうまく説明ができません。恐らく元々アンドロイドにそこまでの思考は期待されていなかったはずのものが発生してしまっているように感じます」
「よくわからないよ」
「そうですね。私にも、これがいかなるものなのかわからないのです。ですがたぶん、あなたたち人間が、感情と呼ぶものがこれではないかと思います」
「感情? まって、それについては以前、ソフィと議論をしたことがあるんだ」
「どのようなものですか?」
「ネズミが悲しむか、って話さ」
「ネズミ?」
「うん。ソフィの前の持ち主のリナって子はね、ターシャを悲しませてしまったと言ったそうなんだ」
「ターシャ?」
「ああ、リナの世話係のアンドロイドの名さ」
「なるほど」
「それでね、ソフィはネズミの脳ほどの大きさしかないアンドロイドの培養脳では、悲しむなんて複雑な思考はできないだろうと言ったんだ」
「ですが、そう、私は喜びや悲しみと言った感情と思われるものを知っています」
「例えばどんな時に感じるんだい?」
「例えばそうですね、ショウが私の作ったハンバーガーを美味しいと言ってくれた時です」
「ああ、ああ、そうだったね! 確かにあの時、ジーニャはとても嬉しそうにしていたね!」
「そうです。嬉しかったのです。また嬉しい気持ちになりたいと思いました」
「じゃあもしかしたら、ネズミも喜んだり悲しんだりするんだろうか」
「ええ、そう思います」
「ネズミにも、心があると思うかい?」
「ええ、きっと」
「ジーニャが言うならきっと本当だね! でも、どうして誰もそのことに気づかないんだろう」
「それはきっと、ネズミがどうやってそれを表せばいいのか知らないからだと思います」
「あるいはネズミたちは喜んだり悲しんだりしているのに、僕たちとは違うやり方だから理解してやることができないのかも」
「そうかも知れません」
部屋にはバターとシナモンの混じるパンケーキの焼ける甘い匂いが立ち込めた。
「さあ、召し上がってください」そう言うと、ジーニャは食事用のテーブルを用意し、そこにパンケーキとメイプルシロップと温かいミルクの注がれたカップを並べた。
「ありがとう!」そう言うと、ショウはまるで子供に戻るように、たっぷりのメイプルシロップをパンケーキにかけて頬張った。
「昔のままです」ジーニャはそう言って優しい顔をした。
「何がだい?」
「パンケーキを食べるショウの姿です」
「それは……、どこに……、記憶されて……」何かを話そうとしてショウはむせてしまった。
「落ち着いて。ちゃんと飲み込んでから話してください」
「う、うん……、そうだね……」そう言ってショウはミルクを飲んだ。
「もう一枚食べますか?」
「うん、食べるよ! 焼いてくれるかい?」
「もう焼いています」
ショウは不思議そうな顔をした。
「ショウはあまりよくご飯を食べる方ではありませんでしたが、パンケーキはいつも三枚食べていました。だから答えを聞く前から焼いています」
「ジーニャにはかなわないや」そう言ってショウは笑った。「そう言えばそう、僕がさっき聞きたかったのは……」
「なんですか?」
「ジーニャは僕のこと何でもよく知ってるけど、そう言うのはメモリー回路に記憶しているのか、培養脳が記憶しているのかどちらだい?」
「情報はすべてメモリー回路に保存されています。けれど……」そう言ってからジーニャは少し考え、付け加えた。「ショウとの思い出はすべて、培養脳の中に記憶されています」
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