フレンチ Doll of the 明治 era

Hiroko

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部屋にはソフィの声だけが、鉄琴の音を奏でるように静かに流れた。
空に見える星座は、知らぬ間に誰かが万華鏡を回してしまったように模様を変えていた。
薄い三日月が顔を出していた。その明るさのせいで、星たちは微かに色を失っていた。
ミルたちの旅の話は続いた。
「やがてミルと私たちは、いくつか死に絶えた街を通過し、最後にウラジオストクと言う街に到着したわ。その頃には、体力のない子供たちはウィルスに感染し、一人が命を失い、二人が命を失いかけていた。その内の一人はミルの子供でもあった。けれど戦争のことを知らない私たちは、それがいったい何の病気だかわからなかったの」
ふと見ると、ガラスの壁に、胸に抱いたソフィの顔が月明かりに照らされ浮かび上がっていた。
リナはそこに何かを読み取ろうとしたけれど、ガラスに映るソフィの顔は遠く、胸に抱いているのにまるで手の届かない向こう側にいるようなもどかしさを覚えた。
「そこでミルも体調を崩し始めたの。呼吸をするたびに、痛みを覚えるのか胸を押さえた。そしてまた子供の一人が命を失い、残るのはミルとミルの子供、そして最初に無くなった子供の母親の三人となった。けれどその母親は、知らぬ間に姿を消した。ある日の夜、ミルがふと目を覚ますともう彼女はいなくなっていた。結局ミルとその子供の二人になった。動くこともできず、ウラジオストクの廃墟となった家に入り、そこで幾日か過ごした。時間と言う流れに、静かに命が削られて行くのを感じながら。やがて二人とも意識がなくなり、ミルが最初に死んだわ。残されたミルの子は、名前をアラと言った。女の子よ。初めに住んでいた場所にあった、凍った滝の形が広げた鳥の翼に似ていたからそう名付けられた」
「ラテン語ね」
「そう。『ala』、ラテン語で『翼』と言う意味ね」
「そしてあなたはアラのものになったのね、ソフィ」
「ええそうよ。亡くなったミルは、そのまま私とアラを何日も抱き続けた。寒い土地だったから、ミルの体は朽ちることなく私たちを抱き続けることができたわ。そして数日後、ウラジオストクに住む科学者の夫婦によって、アラは助けられたの」

ソフィの話に夢中になり、気が付くと深夜の一時を過ぎていた。
普段なら、夜の八時にはベッドに着く。
そこからフィグツリーの教育プログラムを受けながら、気が付くと眠りに落ちている。
教育プログラムと言っても、単なる知識のインストールではなく、過去の科学者が実際に研究室で行う実験であったり、数学者が公式を考え出すプロセスなどを追体験するようなものだ。中には発動機を積まないヨットで世界の海を独りで旅するようなものや、エベレスト登頂で死を体験するようなものまである。
その夜リナがベッドに着き、フィグツリーから受けた教育プログラムは、メキシコの古代遺跡を考古学者の目を通して探索すると言うものだった。宗教儀式に使われたと思われる建造物や、翡翠などの装飾品、石器などの調査をし、当時の人々の生活を再現した仮想体験の中でリナは、トウモロコシの粥を食べ、植物の樹液を発酵させた酒を飲んだ。そこで感じる人々の熱気、目に宿った生命力、太陽の暑さ、風に舞う土埃、どれもまるで現実世界と見分けがつかないほどのリアリティを持って再現されていたが、なぜかソフィの話を聞いた後では、まるで書き割りの舞台裏を覗いたような気分になった。
なぜだろう?
ソフィの話を聞いている間、私が見ていたのは暗い森と星空だけだ。なのになぜか、胸の中にはソフィの経験してきた世界がフィグツリーの仮想現実以上のリアリティを持って広がった。
なぜだろう?
私は寒さを感じた。歩きながら、凍った雪を踏みしめる感触を知った。そして靴の中に入り込んだ雪が足を濡らし、そこから巡る血液が冷気を体中に運んでくるのを感じた。
なぜだろう?
人々の生気を失った目。絶望の中で、反比例のグラフを見るように、限りなく死に近づきながらも生きながらえていく心を失った人々を見た。
なぜだろう?
喉を通る不思議な味のする熱い飲み物に救いを感じた。植物の根を煮て作った、土の臭いの取れないスープを懐かしいと思った。
なぜだろう?
死んでいく命、生まれてくる命。苦しみの中に生きていくことを知りながら、生まれる命に希望を感じる不合理があった。
なぜだろう? なぜだろう? なぜだろう? 
なぜ私は、ソフィの話の中に、これほどまでのリアリティと、理解しがたい感情を抱くのだろう?

その夜リナは、明け方まで眠りにつくことはできなかった。
一晩中、フィグツリーの仮想現実の世界を、まるで無音映画でも見るように淡々と眺めた。
私はいったいどこにいるのだろう?
私はいったいどこにいるべきなんだろう?
段々と自分が消えてしまうような気がした。
今いる自分の場所が、現実ではないように思えてきた。
この部屋そのものが、仮想現実なのではないのだろうか。
本当の私は、凍った雪を薄い靴で踏みしめながら、見知らぬ大陸を旅する一人の少女なのではないだろうか。
私はいったい何者なのだろう。
私はいったい、何者であるべきなのだろう……。




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