フレンチ Doll of the 明治 era

Hiroko

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ファンクション・インプルーブメントが終了しても、リナはしばらくの間眠りから覚めなかった。
夢は見なかった。
フィグツリーの知識の海を探検する夢も、草原の夢も、見なかった。
目を開けると、ソフィが部屋の外に鹿を見ていた。
いつか見た、若い雌の鹿だった。
鹿にもソフィが見えているようで、じっとこちらの様子を窺っている。
リナは身体を起こそうとしたけれど、全身の筋肉を動かしたせいで、身体が重かった。
重力コントロール装置のベッドに横になったまま、リナは話をした。
「ソフィ……」
「起きたのね?」
「ええ」
「鹿と話をしていたの」
「話せるの?」
「ええ。けれど、私とリナが話すと言うのとは少し違うわ」
「違う?」
「想いを伝え合うの」
「どうやって?」
「見せてあげるわ」

身体の中に手を入れられ、心臓、肺、肝臓、胃、腸と、臓器をゆっくり撫でられるような不思議な感覚だった。
ほんの少し爪を立てられるだけで死に至るような危険を孕んでいた。
吐き気と快楽を同時に味わった。
ソフィは今、リナの心臓に触れていた。
時折その動きを止めようとするかのように、ほんの少し力を入れた。
息苦しさと同時に、胸を釘で刺すような痛みを感じた。
「ソフィ、やめて。なんだか苦しいわ」
「大丈夫。私を信じて」
「でも……」
ソフィは力を入れるのをやめ、まるで子猫のお腹を撫でるようにリナの心臓に指を這わせた。
「落ち着いて。私の目をじっと見るの」
リナは言われる通り、ソフィの目をすがるように見つめた。
やがて身体に感じた奇妙な感覚は消え去り、霧が晴れるかのように思考がクリアになった。
「さあ、見て……」
遠近感が無くなり、ソフィの目がだんだん近づいてくるように思えた。
山奥の、深い深い泉の底を思わせるブルーの瞳。
リナは自分の眼球がソフィの瞳と触れ合い、溶け合わさるのを感じた。
繋がった……。
繋がった……。
ソフィの思考と一つになった。
リナの思考と一つになった。
境界線を失った二つの思考は、混ざり合い、溶け合った。
想起した記憶の起源は、もはやどちらのものかわからなかった。
「ソフィ、そこにいるの?」と問いかけると、自分の中に「ええ、ここにいるわ」と声が聞こえた。
「さあ、旅をしましょう」リナは自分の胸の中からソフィの声を聞いた。
「ええ、行きたいわ」リナはソフィの胸の中に自分の声を聞いた。

最初にざわめきが聞こえた。
人々の声だ。
たくさんの人々の声、足音、馬の走り去る音……。
馬のことはフィグツリーから学んだ。
実際に見たことはない。
その足音も、声も、容姿も、知識として学んでいた。
あるいはソフィが知っていることを、リナも同時に知っているのかも知れなかった。
どちらかはわからなかった。
「たくさんの人が見えるわ。馬もいる。馬車を引いているわ。どうしてこの人たちは、部屋に入っていないの? ここはどこなの?」
「私が初めてこの国にやって来た時の記憶よ」
「この国?」
「今はもうないわ。かつて日本と呼ばれていた場所よ」
「フランスと同じね? 区切った土地につけられた名前」
「ええ、そうよ」
「今この場所は、どこにあるの?」
「あなたがいまいる場所よ、リナ」
「私が?」
「ええ。この部屋、この森の、数百年前の姿よ」
多くの人が行き交っていた。
着ている物が違う。
重々しい、幾重にも重ねた布を身に着けている女性がいる。
西洋の黒い服を着ている男もいる。
みな忙しそうにどこかに向かって歩いている。
街角で微笑みあって話し込む婦人たちもいた。
土埃が舞っている。
空の下に人がいた。
土の上に人がいた。
部屋に閉じ込められず、どこまでも続く空間を足早に歩いていた。
騒々しさに目が回った。
たくさんの人、人、人……。
私は誰かに抱きかかえられていた。
誰かの腕の中で、空を見ていた。
薄い色の空だった。
空気はほんのりと冷たかった。
私を抱きかかえる誰かは、人力車に揺られていた。
子供のようだった。
隣に男が見えた。
小さな小舟に揺られているようだった。
どこへ向かっているのかわからなかった。
ただ、薄い色の空を見ているしかなかった。




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