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5 終わらない旅
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僕は夜になっても眠れず、豊玉姫にもらった玉手箱を手に、独り白兎神社の石段に座り月を眺めた。箱は両の手の平にちょうどのるほどの大きさで、赤い紐でしっかり結ばれ簡単に開けられないようになっている。
地上の世界と海の中の世界では、時間の流れが違うらしく、僕が暮らした海の中の数か月は、地上の世界の三日にしかならないようだった。
「あそこは完全に神の領域だからね。時間の流れと言うものがないんだ」佐藤君はそう説明してくれた。
「何やってるの、和也」その声に振り向くと、芹那が傍らに立っていた。
「それはなに?」そう言うと、芹那は僕の横に座った。
「玉手箱だよ」
「玉手箱?」
「豊玉姫がくれたんだ」
「何が入ってるのかしら」
「僕の失った力が、この中に封じ込められているらしい」
「和也の失った力?」
「神の、力のことだと思う」
「神の、と言うことは、須佐之男命の力ね」
「うん。開けると、僕はその力で再び戦うことができる」
「もし、開けなければ?」
「僕はただ普通の人間として、生きていくことになる」
「和也は、どうしたいの?」
「わからない……、わからないんだ」
「迷っているのね」
「どうするべきかな……」
「開けなさい?」
「え?」
「開けるべきだと言ったの。和也、あなたは戦うべきだと」
「どうして、そう思うの?」
「私もさんざん迷ったわ。こちらの世界に戻ってきて、打ちひしがれた和也の姿をずっと見つめ続けながらね。このまままた、和也を戦わせていいのかと」
「僕は結局、何も守れなかったんだ。美津子のことも、香奈子のことも……」
「そうね。そのことに、和也がどれほど傷つき苦しんできたか、きっと私が想像もできないことだと思う。でもね、和也だけじゃない。私たち、まだどこにもたどり着いてはいないの」
「たどり着いていない?」
「ええそうよ。戦いは終わったわけではない。和也は香奈子を失い、そのまま時が止まってる。正人も今この瞬間、ヤエさんとともに天逆毎と戦っているわ。あの踏切を渡った瞬間から始まったすべてが、まだ誰の中でもやり残したままなのよ」
「踏切を渡った瞬間から……」それはひどく印象深い光景だった。記憶の中にあるだけとは思えないほど目の前に鮮明によみがえる。踏切の音、明滅する赤いランプ、夏の匂い、じっとりとかいた汗、ドキドキと高鳴る鼓動、そして、左手に繋いだ美津子の手の感触。思い出すたび、今の自分が消し飛んでしまいそうなほど記憶の中に引き込まれる。
「ひどく長い旅になってしまったけど、最後まで歩き続けるのよ。そして美津子さんを見つけるの」
「美津子……、まだ僕を、待っているんだろうか」
「ええ、そのはずよ。彼女にとってもまだこの旅は終わっていない。和也、あなたがサイコロを持ったまま、みんながそれを振るのを待ってるの。あなたにとってそれが辛いことなのはわかるわ。でも私はまだ、優しい言葉をかけてあげられないのよ」
僕はなんだか、失ったものは神の力だけではないような気がした。スサノオの顔を思い出した。あの頃の僕は、今とは違う。もっと自信と勇気を持っていたような気がする。
この箱を開ければ、戻れるのか?
僕は僕自身に戻れるのか?
思えばいつも僕は迷ってばかりだ。
何も信じることができずにいる。
スサノオ……、スサノオはこんな僕のことを信じてくれていたな。
「わかった。もう迷うのはやめよう」僕は心の中にかかった靄を振り払うように語気を強めてそう言うと、玉手箱にかけられた赤い紐をほどき、蓋を開けた。
玉手箱の中からもくもくと白い煙が立ち上って僕を包み込んだ。しばしその煙のせいで前が見えなくなったけれど、すぐにそれは消え、気が付くと僕の体は眩いばかりの金色の光を放っていた。それは今までに見たことも無いほど強い光だった。光の中にはさらに眩しい光を放つ粒子が渦巻いていて、拳を握るとその中から目を刺すほどの光が漏れ出てきた。
地上の世界と海の中の世界では、時間の流れが違うらしく、僕が暮らした海の中の数か月は、地上の世界の三日にしかならないようだった。
「あそこは完全に神の領域だからね。時間の流れと言うものがないんだ」佐藤君はそう説明してくれた。
「何やってるの、和也」その声に振り向くと、芹那が傍らに立っていた。
「それはなに?」そう言うと、芹那は僕の横に座った。
「玉手箱だよ」
「玉手箱?」
「豊玉姫がくれたんだ」
「何が入ってるのかしら」
「僕の失った力が、この中に封じ込められているらしい」
「和也の失った力?」
「神の、力のことだと思う」
「神の、と言うことは、須佐之男命の力ね」
「うん。開けると、僕はその力で再び戦うことができる」
「もし、開けなければ?」
「僕はただ普通の人間として、生きていくことになる」
「和也は、どうしたいの?」
「わからない……、わからないんだ」
「迷っているのね」
「どうするべきかな……」
「開けなさい?」
「え?」
「開けるべきだと言ったの。和也、あなたは戦うべきだと」
「どうして、そう思うの?」
「私もさんざん迷ったわ。こちらの世界に戻ってきて、打ちひしがれた和也の姿をずっと見つめ続けながらね。このまままた、和也を戦わせていいのかと」
「僕は結局、何も守れなかったんだ。美津子のことも、香奈子のことも……」
「そうね。そのことに、和也がどれほど傷つき苦しんできたか、きっと私が想像もできないことだと思う。でもね、和也だけじゃない。私たち、まだどこにもたどり着いてはいないの」
「たどり着いていない?」
「ええそうよ。戦いは終わったわけではない。和也は香奈子を失い、そのまま時が止まってる。正人も今この瞬間、ヤエさんとともに天逆毎と戦っているわ。あの踏切を渡った瞬間から始まったすべてが、まだ誰の中でもやり残したままなのよ」
「踏切を渡った瞬間から……」それはひどく印象深い光景だった。記憶の中にあるだけとは思えないほど目の前に鮮明によみがえる。踏切の音、明滅する赤いランプ、夏の匂い、じっとりとかいた汗、ドキドキと高鳴る鼓動、そして、左手に繋いだ美津子の手の感触。思い出すたび、今の自分が消し飛んでしまいそうなほど記憶の中に引き込まれる。
「ひどく長い旅になってしまったけど、最後まで歩き続けるのよ。そして美津子さんを見つけるの」
「美津子……、まだ僕を、待っているんだろうか」
「ええ、そのはずよ。彼女にとってもまだこの旅は終わっていない。和也、あなたがサイコロを持ったまま、みんながそれを振るのを待ってるの。あなたにとってそれが辛いことなのはわかるわ。でも私はまだ、優しい言葉をかけてあげられないのよ」
僕はなんだか、失ったものは神の力だけではないような気がした。スサノオの顔を思い出した。あの頃の僕は、今とは違う。もっと自信と勇気を持っていたような気がする。
この箱を開ければ、戻れるのか?
僕は僕自身に戻れるのか?
思えばいつも僕は迷ってばかりだ。
何も信じることができずにいる。
スサノオ……、スサノオはこんな僕のことを信じてくれていたな。
「わかった。もう迷うのはやめよう」僕は心の中にかかった靄を振り払うように語気を強めてそう言うと、玉手箱にかけられた赤い紐をほどき、蓋を開けた。
玉手箱の中からもくもくと白い煙が立ち上って僕を包み込んだ。しばしその煙のせいで前が見えなくなったけれど、すぐにそれは消え、気が付くと僕の体は眩いばかりの金色の光を放っていた。それは今までに見たことも無いほど強い光だった。光の中にはさらに眩しい光を放つ粒子が渦巻いていて、拳を握るとその中から目を刺すほどの光が漏れ出てきた。
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