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芹那の話 其の壱参

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 佐藤君に連れられ、白兎神社に来てから三日目の朝のことだった。目を覚ますと、開けたままの扉から眩しい外の景色が見えた。私が目をこすりながらふと誰かの気配に目をやると、そこに和也が立っていた。
「やあ芹那。目が覚めたかい?」
「か、和也!?」最初私は幻覚を見ているのだと思った。けれど、けれどその笑顔は幻覚と呼ぶにはあまりに生き生きと輝きを放ち、仮にこれを幻覚と呼ぶのなら、私は死んであの世にいるに違いないとさえ思った。「か、和也なの……、ほ、本当に?」
「ああ、本当さ。心配かけてしまったね」
私は何かを言おうとしたが、それより先に嗚咽を漏らし、自分の泣き声に邪魔され何も話すことができなくなった。
「かずやあああ!!! かずやあああ!!!」と何度も和也の名前を呼び、すがるように和也の腰にしがみつき、幼い子供のように泣きじゃくった。頭の中がぐちゃぐちゃで、何も考えることができなかった。
「ごめんなさい! ごめんなさい! 助けてあげられなかった!」とまるでもう死んだ人に詫びを入れるように何度も謝った。
「なに言ってるんだい。僕がわけもわからず海に入っていったのが悪いんだ。でももう大丈夫だよ。助けられたんだ、豊玉姫にね」
「とよ、たまひめ?」
「ああ、覚えてるだろ? 彼女、確かそう、海の神様だって言ってただろ? それで僕が溺れているのを見つけて助けてくれたんだ」
「豊玉姫が、和也のことを助けてくれたの?」
「ああ。とても良くしてくれたんだ。龍宮と呼ばれるお城みたいな神社にまで連れて行ってくれた。そこはとても温かくて、僕のことを休ませてくれたんだ」
 そこまで話して私は違和感に気が付いた。あれ? 和也、普通に話してる……。
「か、和也、あなた、もう大丈夫なの?」
「大丈夫って?」
「あなた、香奈子を失ってから、ずっとおかしかったのよ。その……、正気を失ってたと言うか……」
「ああ、うん。そうだったね。正直言うと、あれから今までのこと、あんまり覚えていないんだ。はっきり言って、今ここがどこなのかもわかっていない」
 和也はちゃんと元に戻っていた。前のように目を逸らして話したり、虚ろな表情で黙り込んだり、急に眠りに落ちる様子もない。
「でもどうして?」
「うん。それがね……」
「伊弉諾尊(いざなぎのみこと)に会ったんだね」
その声に振り返ると、出かけていた佐藤君が帰ってきたところだった。
「伊弉諾尊?」私は聞いた。
「ああ、そうさ。和也を元に戻せるなんて、きっとあの神様しかいない」
「伊弉諾尊って言うんだ、あの人」和也も名前は初めて聞くようで、そう言った。
「教えてくれなかったのかい? 名前も?」
「ああ。何も教えてくれなかったよ。ただ目の前に座って、蝋燭の火を眺めてただけだからね。その後すぐに消えてしまったんだ」
「なるほどね」そう言って佐藤君は笑った。
 私はなんだか和也があまりにも普通に佐藤君と話しているのを見て、だんだん腹が立ってきた。
「なによ和也! どれだけ心配かけたと思ってるのよ! ちゃんと謝りなさいよ!」
「え、うん。本当に悪かったよ、芹那。ごめん……」
「なによそんなの! 足りないわよ! 私が、私がどれだけ心配したか! 毎日まいにちあなたのことをおんぶして、山道を歩いてここまで来たのよ! それを急に姿を消して、また現れたと思ったらそんな普通に話して!」と、私はいったい何に怒っているのかわからなかった。そして怒っているはずなのに、また泣き出してしまった。
「悪かったよ、芹那。泣かないで。もう大丈夫だから」そう言って和也は泣きじゃくる私を包むようにして背中を撫でた。

 私たち三人は、昼になると海に出て食べる物を探した。
「僕、泳げるようになったんだ」そう言って和也は海に潜った。その間、私はまた和也が溺れるのではないかと気が気ではなかった。けれどそんな私の心配をよそに、和也はサザエやカキを溢れるほど捕ってきた。
「泳げるようにって、和也、泳げなかったの?」
「うん。ぜんぜんだよ。平泳ぎをなんとか、ってくらい。学校の水泳大会とか憂鬱で仕方なかった」
「それがどうして急に泳げるようになったの?」
「豊玉姫が、自分の力を僕に分けてくれたんだ」
「そんなことできるのね」
「うん。たぶん、八岐大蛇の力を人や剣に宿らせていたのと同じようなものなんじゃないかな」
 日差しは眩しく、砂浜には誰もいなかった。穏やかな波の音を聞きながら、私たちは木陰に入って和也の捕ってきたサザエとカキを焼いて食べた。海水を少しかけて焼くと、ほんのり塩味が効いて最高に美味しかった。
「今度は僕がご馳走しよう」佐藤君はそう言うと、今度は私たちを山に連れて行き、「ほら見て、この赤い実、ぜんぶ野イチゴなんだ」と言うと、足元にできた小さな赤い実を採って食べて見せた。
 私と和也は恐る恐る赤い実を口に入れ、舌の上でつぶした。
「おいしーい!」乾いた喉に、野イチゴの甘酸っぱい果汁が広がった。食べだすと止まらなくなり、私は時間が経つのも忘れて小さな赤い実をいくつも口の中に放り込んでいった。
「あはは、食べ過ぎてお腹壊さないでよ?」と佐藤君に本気で心配された。
 なんだかお腹が満たされると、心と体から溜まった疲れが流れ出ていくような気がした。
 なんて穏やかな時間なんだろう。
 こんな平和で、のんびりとした時間を過ごしていると、今までのことがまるで嘘のように思えた。
 でも……、でも今ごろ、正人とヤエさんは、天逆毎と戦っているのだろうか。
 それとももう勝負はついて……、二人はいったいどこにいるのだろう。



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