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36 黒い炎

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 まるでタイムスリップでもしたかのような気分だった。
 何も変わっていなかった。
 二千年前、初めてこの場所を訪れた時から。
 この場所を見ていると、今にもスサノオの声が聞こえてきそうだった。
 平城京。
 何も変わっていなかった。

 ここにたどり着くのにずっと走り続けて二晩かかった。
 疲れを感じなかった。
 それどころか、走れば走るほど、ここに近づけば近づくほど、体の芯から力がみなぎり、焦燥感にも似た戦いへの欲望が溢れ出てきた。
 体からは、ずっと黒い靄が炎のように吹き出し続けている。
 右手に握り締めた天叢雲剣は、まるで僕の右手と一体化してしまったのではないかと思うほど、もはやどうやって手放せばいいかすらわからなかった。
 ここに来る途中、京都にある顛倒結界からすさまじい力を感じ、引き寄せられるように立ち寄った。僕は天叢雲剣を手に、迫りくる化け物たちを切り裂いていった。けれどどれも手応えのないものだった。黒い靄を纏い、さらに天叢雲剣を持つと僕は、この場に敵になるようなものはいないことを本能的に悟った。土蜘蛛でさえハエを殺す程度の力で事足りた。まるでアリの巣でも壊しているような気分だった。そこへ巨大な鬼が現れた。建物で言えば三階ほどの大きさのある鬼だった。あきらかに今まで戦ってきた化け物とは格が違った。僕に「仲間にならんか?」と言った。そんなことはどうでも良かった。僕は……、戦いたかったのだ。天叢雲剣が肉を切り裂く感触を味わいたかったのだ。敵の攻撃をよけ、手足を切り落とし、心臓に天叢雲剣を突き立て、その先に動きを止める心臓の鼓動を感じたかったのだ。
 鬼は自分を「酒呑童子だ」と名乗った。僕は自分を「須佐之男命だ」と名乗った。僕が天叢雲剣を振り下ろすと空が二つに割れた。空の彼方、宇宙にある真空にその切先が届くのを感じた。酒呑童子の体は単に刃の鋭さに切り裂かれたのではなく、真空によって分子レベルでその繋がりを解かれ、まるであたかも初めからその体は真っ二つであったかのようにスッと左右に分かれた。
 そして次に青龍、玄武、白虎、朱雀の巨大な神が現れた。自分たちはこの都を守る異国の神であると言った。だがもう僕はその時、全身を黒い靄に覆われ四神の声が届くような状態ではなかった。目の前に現れた者は何であれ、僕は天叢雲剣の餌食としたかった。天叢雲剣は飢えに狂った野獣のように、ただただ獲物を欲した。
 四神の動きはさほど早いものではなかったが、その体は猛烈に硬かった。天叢雲剣をもってしても、何度も何度もその攻撃を弾き飛ばされた。僕は喜びに酔いしれた。戦いたかったのだ。この腕を試したかったのだ。天叢雲剣を試したかったのだ。胸の内からさらなる漆黒の炎が噴き出し、僕の体を包み込んだ。呼吸をすればするほど、心臓が鼓動を打てば打つほど、僕の体は熱くあつく体温をあげ、その肺はまるで鞴(ふいご)のように黒い炎に酸素を送り、僕の体を燃え上がらせた。
 僕はもはや何者でもなかった。思考することをやめ、ただただこの瞳に映るものを破壊していった。人も神も化け物も、空であろうが地面であろうがすべてを切り裂いた。
 気が付くと、目の前には何もなかった。
 さっき僕に何かを話しかけていた四神も、その姿形も残らぬほど砕け散っていた。
「僕が……、やったのか……」僕はふら付く足取りでまた走り出した。記憶は瞬く間に消えた。ついさっき自分がどこにいて、何と戦い、何を切り裂いたのか、ほんの欠片ですら思い出すことはできなかった。
 黒い炎は少し落ち着いたが、やはり僕の中にはただただ破壊の衝動があるのみだった。

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