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正人の話 其の漆

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 本能に従い、深い山を北西の方角に進んだ。
 いる。
 向こうに。
 まだその気配すら感じない遥か彼方に、俺の欲するものがいる。

 そこにたどり着くのに三日かかった。
 まずむせかえるような水の匂いがした。
 流れる水の匂いではない。
 何百年も、何千年も、土に沈まず、流れず、命を蓄え、育んできた水の匂い。
 まだ秋も半ばだと言うのに、静かで冷え込んだ空気だった。
 そこに着いたのは明け方だったが、深い霧で何も見ることができなかった。
 夜になるのを待とう。
 俺はそう思い、森の岩陰に身を隠し、眠りについた。

 夜になると、何百、何千もの異質な気配に目を覚ました。
 何かの夢を見ていたはずなのに、それを思い出すことはできなかった。 
 ただその中に、カズヤと言う言葉と、ミツコと言う言葉が出てきた。
 俺はその言葉の意味を思い出そうとしたが、何かに阻まれ思い出すことができなかった。
 俺は眠気を振り払うように、その二つの夢の残滓を頭から追い出した。

 気配のする方に向かうと、なにやら目に見えぬ壁に行く手を阻まれた。
 が、さほど気にする必要もなくその壁をすり抜けることができた。
 壁の向こうには、無数の化け物が蠢いていた。
 俺は自分の欲するものが何であるのかもわからぬまま、化け物たちの間を縫って進んだ。
 気配がする……。そして匂いも。
 しばらく進むと、荒れ果てた神社にたどり着いた。
 雑草の生い茂る中、左右に小さな池があった。だが池の水は腐り、化け物でさえ住みそうにない。
 空には月が昇っていたが、濁った水は何も映そうとしない。
 目の前に見える短い石段は割れてところどころ失われており、その先に鬱蒼とそびえる針葉樹に覆われ、長い年月雨風に晒されたか、腐ってぼろぼろになった拝殿が見えた。
 ここだ。
 俺は拝殿の格子の向こうに感じる気配に目を凝らした。
 中にいるのは白蛇だった。
 二本の蝋燭の細い炎が互いを照らす。
 睨み合いのまま数分が経った。
 こいつじゃない……。
 目の前のそれはまだ若く、未熟で、俺の求めるものに報いてくれそうにもなかった。
 諦めて拝殿を後にしようとしたその時、不意に背後に殺気を感じ、振り向きざまに牙を見せ威嚇した。
「なんだえ、おまえ? なんだえ、おまえ? なんだえ、おまえ?」と全身ずぶ濡れの女が立っていた。口が裂け、髪の毛が右半分抜け落ちている。腐臭を放ち、首が据わらないのか頭を左に傾げている。よく見ると、着物を着ていて分かりづらかったが、腕も足も無く、体が蛇のようになっている。口を開け、攻撃の構えを見せたので尻尾を一振りして頭を落とした。女は悲鳴を上げる間もなくその場に倒れ、どろどろと溶けてしまった。
 その様子を見ていた拝殿の中の白蛇が「シヤアアアアアア!!!」と言って辺りに警告を発した。その声に集まるように、神社の壁から、空から、背後の林から、どこに身を潜めていたのか何十、何百もの化け物たちが一斉に姿を現し、襲い掛かってきた。
 俺はまずいつの間にか雲の中から現れた男の顔に噛みつき、引きずり降ろして林に投げ捨てた。消えては現れ、消えては現れと近づいてくる数十匹の狐を薙ぎ払い、林から飛び出てきた一匹の鵺に噛みついた。と、神社の石段を上ってきた二匹の鵺が俺の尻尾と胴体を掴み動きを止めようとしたので、そいつらをまとめて締め上げ、身体中の骨を砕いて内臓を吐き出させた。藁の衣装をまとった鬼がどこからともなく現れ剣で俺の体を切断しようとしたが歯が立たず、逆に噛みつき体を引きちぎった。
 化け物たちは次から次へと現れたが、まったく俺の敵ではなかった。
 ただ……、煩わしかった。
 煩わしい、煩わしい、煩わしい……。
 俺は限りなく現れる化け物たちを噛み千切りながら、空へ雲を呼んだ。
 夜の闇を漆黒に沈める重く濃厚な黒雲だった。
 雲自体が蛇のように絡み合い、とぐろを巻き、重なり合った。
 やがて重さを増した雲は徐々に地上に近づき、手に届きそうなほど垂れ込めた。
 その禍々しい雲は諏訪の大地を覆いつくすほど巨大に膨れ上がり、気圧の変化が風を呼び、時折起こる小さな竜巻が諏訪湖の水を吸い上げた。吸い上げられた水は氷の礫となり、ぶつかり合い、砕け、一つになり、またぶつかり砕けた。やがて電気を帯びた雲は、抱えきれなくなった電子の暴走を雷(いかづち)として地上に放ち始めた。
 俺はまず目の前にいる数匹の鵺を含む化け物の集団に雷を落とした。地上を流れるようにたっぷり五秒ほど手を伸ばした落雷は、目の前の化け物たちを瞬時に一掃した。
 次に拳の大きさほどになった氷の礫を風の力で地上に叩きつけた。土はえぐれ、針葉樹の木々は引き裂かれ、神社の屋根は見る影もないほど叩き潰された。死んだ化け物たちの体はぐちゃぐちゃに潰れ、さらなる落雷に煙をあげた。成長し、至る所に現れた竜巻は化け物たちをも吸い上げ、雲の中で木っ端みじんにした。空で砕けた化け物たちの破片は地上に降り注ぎ、べちゃべちゃと嫌な音をさせた。雨と思われる水滴はみな化け物たちの血液で、景色を黒く染めた。俺はもはや手の付けられなくなった嵐の中、本能に従い、西にむかって諏訪の大地を後にした。
 

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