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17 白兎(しろうさぎ)
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「まったく。どう言うつもりじゃい! わしがおらんかったらお前は香奈子を切り刻んでおるところじゃぞ!」芹那のおじいちゃんは、僕が病院のベッドで目を覚ますなりそう言った。
「ぼ、僕は……」
「どうせ何も覚えちゃおらんのじゃろ」
「はい……」僕は……。
「いったい何があった」
「何がって、何も覚えていないんです……」
「そうじゃない。その前に、なんかあったじゃろ」
「その、前に?」
「学校で鵺に打ちのめされた時、なんか覚えはないか? 不可解があるとすればそこじゃ」
「そ、そう言えば……、体に変な痣ができた」
「変な痣? 見せてみい」
僕は言われるままシャツをまくりあげ、その痣を芹那のおじいちゃんに見せた。
「な、なんじゃ……」芹那のおじいちゃんは言葉を詰まらせたまま僕の痣に見入った。
「この痣、鵺のものではないな。噛み痕のように見える、が、ただの噛み傷じゃない。それだけならこんなにはならん。何か、毒でも入れられたようじゃ……」
「毒、ですか?」
「で、お前さんはこの傷が昨日の大暴れの原因ではないかと考えておるのか」
「はい……、その……」
「なんじゃ。なんか考えていることがあるなら言うてみい」
「いつも戦いのときは、体が金色の靄に包まれるんです。けれど昨日は……」
「違ったのか?」
「真っ黒な、真っ黒な靄が光の靄を飲み込むようにして全身に広がって」
「真っ黒じゃと?」
「その靄が、この痣から出ていたように見えたんです」
そこまで話したところで、病室のドアを開けて芹那と香奈子が入ってきた。
「どうなの、調子は?」芹那が聞いた。
「う、うん。大丈夫」
「まったく。退院した次の日に、また入院しちゃうなんてね。まあ傷はだいたい私が治しておいてあげたから、明日にはもう退院できるけど、あきれてたわよ、病院の人」
「うん、そうだね。ごめん」
「どうしたの? 元気ないわね」
僕は記憶の片隅に、怯える香奈子に向かって神璽剣を突き立ようとしたことと、あの時の香奈子の顔を思い出すと、まともに香奈子の顔を見ることができなかったのだ。
「和也……」そう言って香奈子は泣きながら僕に抱き着いてきた。
「か、香奈子……」
「ほらほら、おじいちゃん。外に出るわよ」
「ま、待て。わしはまだ和也との話が終っとらん!」
「そんなもの明日でもいいでしょ。退院してからいくらでも話せるわよ」そう言って芹那は大声を上げるおじいちゃんの背中を押しながら病室から出て行った。
「和也……」
「昨日はその……」
「お母さん、死んじゃった……」
「えっ?」
「お母さん、鵺に食べられて死んじゃったの……」
「そんな……」僕は言葉を失った。
香奈子もまた、僕に抱き着いたまま何も言わなかった。
「おい、和也! 放課後ボーリング行こうぜ! 佐藤も来いよ! 全員行くだろ!?」
「おうっ!」「行くよ!」「行こうぜ!」と教室中から声が上がった。
退院した次の日、僕は学校に行くと矢上(やがみ)にそう声をかけられた。矢上は前の世界では隣のクラスだったはずだが、こちらの世界では人数の関係か同じクラスになっていた。矢上は確か、悪い噂の絶えない不良で、同じ学年で彼の名前を知らない奴はいないほどだった。それに対して佐藤はクラス一のデブで、勉強もスポーツも駄目ないじめられっ子だった。そんな奴らがどうしてこちらの世界では仲良くやっているのかは知らないが、僕らはとにかく事あるごとに集まっては、仲間外れなどなく、みんな一緒に遊びに出かけた。
それはどうやらどこのクラスも同じらしく、放課後出かけたボーリング場では他のクラスの奴らも遊びに来ていた。
「いいか、ピンを狙うんじゃない。あの手前の三角印を狙うんだ」矢上は佐藤にそうアドバイスをしていた。
「やってみる……」そう言って慎重に転がした佐藤の球は、ゴロゴロとゆっくり転がりながら三角に並んだピンの真ん中に突っ込み、両端を残すかと思われたがバタバタと倒れた他のピンに押され、見事ストライクとなった。
「やったああああ!!!」とクラス中の皆が立ち上がり、佐藤に声援を送った。なにより喜んだのは矢上で、くるくる回りながら飛び跳ねていた。
僕はと言えば、一回目でガーターを取ってしまったが、二回目ですべて倒しスペアーとなった。
「やるじゃん、和也!」「みんな続け!」「おうっ!」とみんな両手を振り上げ、すごい盛り上がりを見せた。
僕はなんだか、転がっていく球を見ながら、時折非現実的な浮遊感に襲われた。
僕は、僕はどうしてこんなところにいるんだろう。
まるで暗い部屋で、どこまでも現実に似せた風景画を光にあてて眺めているような気分だった。
きらきらと輝く海、真っ青な空、白い帆を張るヨット、白い建物、どれも本物のようで本物でない。
じゃあ、本物はどこだ?
「和也、ホットドック買ってきたぜ! お前コーラで良かったよな!? ほら、ハンバーガーは誰だっけ!?」
「あ、おれおれ!」
「わたしオレンジジュース!」
「まてよ、ほら!」
そんな笑い声を聞きながら、僕はホットドックからはみ出すケチャップを舐めた。
味を感じることができなかった。
目ではホットドックを見つめながら、心の中では違う風景を思い描いた。
「飲め」そう言ってスサノオは割れた茶碗で僕に湯を渡してくれた。何の味もしなかったが、旨かった。
焼いた魚を貪った日もあった。松明の作り方を教わり、夜通しスサノオとお互いについて語り合った。何日も何日も道のない夜の森を歩き続け、時に化け物と戦い血を吐いた。地面の上に腕を枕に睡眠をとり、気を失うまで剣の修業に明け暮れた。
僕はいったい、ここで何をしている……?
ボーリングを終えると、明るいうちにみんな解散となった。
「また明日な!」「和也、ちゃんと学校来いよ!」「そうだそうだ、心配かけんな!」
みんな気のいいクラスメイトだった。
「なあ和也、帰り同じ方向だろ? 一緒に帰ろう」そう声をかけてきたのは佐藤だった。
「うん、いいよ。帰ろう」僕はバスの駅に行かなくてはいけないので、みんなとは完全に違う方向だ。けれど佐藤も、もしかしたらバスで通っているのだろうか。そんなことを考えながら、佐藤と二人、バス停までの十五分ほどの距離をのんびり歩いた。
「今日は楽しかったよ」佐藤が言った。
「うん。ボーリングなんて久しぶりだ」
「つい三か月前も一緒に行ったじゃないか。忘れたの? まあ、三か月もすれば、久しぶりか」
「そ、そうだな」そうか。僕はこの世界に来てまだ一か月ほどしかたっていないから、三か月前に自分が何をしていたかを知らない。
あれ? でも……。僕はふと考え込んだ。じゃあ、三か月前に佐藤たちとボーリングをしていた僕は、いったいどこへ行ったんだ? いや、それも僕なのか。じゃあもし僕がこの世界に帰ってこなかったら、そしたらこの世界の僕はどうなっていたんだ? あれ? 僕は……、僕は……。
僕はだんだん自分が誰なのかわからなくなっていった。
そして自分がいまいるこの世界がいったいどこなのかわからなかった。
同じ風景をしているが、ここは僕のまったく知らない、まったく別の場所なのではないのだろうか。
そう考えると、ひどく孤独で、空恐ろしい思いに駆られた。
「どうしたの? 和也。なんだか顔色悪いけど」
「い、いや、大丈夫だよ」僕はなんだか、無性に芹那の顔を見たくなった。
「帰り、急ぐかい?」
「いや、別にそんなこともないけど」
「よかったらそこの公園、少し歩かないか?」佐藤はそう言って道路沿いの森林公園に目をやった。
「う、うん。別にいいけど」
そう言って僕と佐藤は森林公園の中に入って行った。
佐藤は僕より体が大きいのにのんびり歩く方だったので、僕はその歩調に合わせてゆっくり歩かなければならなかった。僕はどちらかと言うとせかせか歩く。
「香奈子だけどさ、家が鵺に襲われたんだって」佐藤が言った。
「そ、そうなんだ」僕は何となく知らない振りをした。
「香奈子は無事だったんだってさ」
「うん。そうみたいだね」
「家を鵺に襲われて無事でいるなんて、運がいいよ。だいたいみんな、食われちゃうからね」
「なんだか、普通に話すね……」
「そりゃそうさ。みんな……、もう慣れてる。誰だって一度や二度、下手すりゃそれ以上、友達やクラスメイトが化け物に襲われていなくなるのを経験してるからね」
そうか……。ここはそう言う世界なんだ。
「和也、なんか違う」
「え?」僕はぼんやりしていてその言葉の意味が分からなかった。
「違うって言ったんだ」
「なにが?」
「正直言えよ、誰にも言わないから。和也、この世界の人間じゃないだろ」
「そ、そんな。なに言ってるんだよ。意味わかんないよ」
「わかるんだよ、俺。そう言うの」
「どう言うこと?」
「俺みたいなやつ、時々いるんだよ。前世の記憶を持ってて、自分がこの世に何のために生まれて来たか知ってるやつがさ。そしていろんなものが見えるんだ」
「いろんなものって?」
「なんだか時々、世界がほんの数ミリぶれて見える」
「ぶれて?」
「そう。二重に見えるんだ。もう一つの世界と、微妙にうまく重ならずにいるんだ」
「よく、わからないけど」
「和也が戻ってきてからだ、こんなの」
「僕は、その……」なんだかどんな嘘をついたらいいのかさえわからなくなってきた。
「美津子と正人は化け物に襲われたってみんな思ってるけど、僕は違う気がするね。戻ってきた和也も、以前の和也じゃない」
「どうしてそんなことわかるんだよ」
「光が見えるんだ」
「光?」
「よく言うだろ、人にはそれぞれオーラがあるって」
「僕は、よくわからないけど」
「あんなのほとんど嘘だけどね。けど、和也には光が見える。まるで金色の靄に包まれているような」
僕は言葉を失ってしまった。ほんとに……、見えてるんだろうか。
「さっき俺、前世の記憶があるって言っただろ? こんなこと言うとみんなに笑われちゃうから言わないけど、前世で神様だったんだよ」
「神様?」
「大国主神(おおくにぬしのかみ)って名だった」
「おおくにぬしの……」
「まあそれはいいさ。和也も、前世では神様だったはずだ」
「も、もういいよ。帰ろう。暗くなってきたし……」僕はすべてを見透かされているようで怖くなってきた。
「香奈子を助けたの、和也だろ?」
「違うよ、僕は……」
「見えるかい? あれ」
「あれ?」僕はその言葉に佐藤の視線の先を眺めた。遠くになにやら……。「あ、あれ!」
「やっぱり見えるんだね」
それは白い亡霊の行列だった。
「そ、そんな……」あれは、あれは、死んだ人間があの世に行くために歩いているものだ。でもあれを見たのは二千年も前。それが今でも続いているなんて……。
「和也がどこからきてここで何をしようとしているのかは知らない。俺もそんなにいろんなことができるわけじゃない。けど、もし力になれることがあったらさ、言って欲しいんだ」そう言いながら、佐藤は不意に立ち上がり、「見ててよ」と言うと、公園にある池の方に向かって行った。と、僕はそこに何かがいるのを見つけた。
「危ない! 佐藤、逃げるんだ!」僕は池から這い上がってくる河童を見つけ、そう叫んだ。けれど佐藤は逃げる代わりに右手を上げ、まるで「大丈夫だ」とでも言うようにその河童に近づいて行った。
「よしよし、ほらおいで」佐藤は河童に向かってそう言うと、まるで迷子の子犬でも見つけたかのように河童の頭を撫で始めた。すると河童はまるで佐藤に甘えるように力を抜き、目を細めた。そしてしばらくすると、佐藤の体からうっすらと光の粒子が舞い始め、体全体を白く光る靄が覆い始めた。
「よしよし、いい子だ。ほら、気持ちを静めるんだ。お前はいい子だ」そう言って佐藤は河童の頭を撫で続けた。そして眠りに落ちるように河童はその場に寝転がると、佐藤と同じ真っ白な光の靄に覆われた。
「俺は本当は、この世界に生きるはずじゃなかったんだ。そう言う運命ではなかった。化け物なんかのいない世界で、何もできないデブで駄目な奴として、いじめられていたはずなんだ。けれど、何かが変わった。それが何かわからない。わかりそうでわからないんだ。ぶれたもう一つの世界を、覗けそうで覗けないみたいにね」
風に流されるように、佐藤の体から光の靄が消えた。するとさっきまで佐藤に撫でられていたはずの河童の姿はなく、そこには一匹の白いウサギが現れた。
「なっ……」僕は幻でも見たような気分でその様子を見ていた。
「僕にできるのはこのくらいのもんさ」佐藤は振り返ると、そう言って微笑んだ。
「ぼ、僕は……」
「どうせ何も覚えちゃおらんのじゃろ」
「はい……」僕は……。
「いったい何があった」
「何がって、何も覚えていないんです……」
「そうじゃない。その前に、なんかあったじゃろ」
「その、前に?」
「学校で鵺に打ちのめされた時、なんか覚えはないか? 不可解があるとすればそこじゃ」
「そ、そう言えば……、体に変な痣ができた」
「変な痣? 見せてみい」
僕は言われるままシャツをまくりあげ、その痣を芹那のおじいちゃんに見せた。
「な、なんじゃ……」芹那のおじいちゃんは言葉を詰まらせたまま僕の痣に見入った。
「この痣、鵺のものではないな。噛み痕のように見える、が、ただの噛み傷じゃない。それだけならこんなにはならん。何か、毒でも入れられたようじゃ……」
「毒、ですか?」
「で、お前さんはこの傷が昨日の大暴れの原因ではないかと考えておるのか」
「はい……、その……」
「なんじゃ。なんか考えていることがあるなら言うてみい」
「いつも戦いのときは、体が金色の靄に包まれるんです。けれど昨日は……」
「違ったのか?」
「真っ黒な、真っ黒な靄が光の靄を飲み込むようにして全身に広がって」
「真っ黒じゃと?」
「その靄が、この痣から出ていたように見えたんです」
そこまで話したところで、病室のドアを開けて芹那と香奈子が入ってきた。
「どうなの、調子は?」芹那が聞いた。
「う、うん。大丈夫」
「まったく。退院した次の日に、また入院しちゃうなんてね。まあ傷はだいたい私が治しておいてあげたから、明日にはもう退院できるけど、あきれてたわよ、病院の人」
「うん、そうだね。ごめん」
「どうしたの? 元気ないわね」
僕は記憶の片隅に、怯える香奈子に向かって神璽剣を突き立ようとしたことと、あの時の香奈子の顔を思い出すと、まともに香奈子の顔を見ることができなかったのだ。
「和也……」そう言って香奈子は泣きながら僕に抱き着いてきた。
「か、香奈子……」
「ほらほら、おじいちゃん。外に出るわよ」
「ま、待て。わしはまだ和也との話が終っとらん!」
「そんなもの明日でもいいでしょ。退院してからいくらでも話せるわよ」そう言って芹那は大声を上げるおじいちゃんの背中を押しながら病室から出て行った。
「和也……」
「昨日はその……」
「お母さん、死んじゃった……」
「えっ?」
「お母さん、鵺に食べられて死んじゃったの……」
「そんな……」僕は言葉を失った。
香奈子もまた、僕に抱き着いたまま何も言わなかった。
「おい、和也! 放課後ボーリング行こうぜ! 佐藤も来いよ! 全員行くだろ!?」
「おうっ!」「行くよ!」「行こうぜ!」と教室中から声が上がった。
退院した次の日、僕は学校に行くと矢上(やがみ)にそう声をかけられた。矢上は前の世界では隣のクラスだったはずだが、こちらの世界では人数の関係か同じクラスになっていた。矢上は確か、悪い噂の絶えない不良で、同じ学年で彼の名前を知らない奴はいないほどだった。それに対して佐藤はクラス一のデブで、勉強もスポーツも駄目ないじめられっ子だった。そんな奴らがどうしてこちらの世界では仲良くやっているのかは知らないが、僕らはとにかく事あるごとに集まっては、仲間外れなどなく、みんな一緒に遊びに出かけた。
それはどうやらどこのクラスも同じらしく、放課後出かけたボーリング場では他のクラスの奴らも遊びに来ていた。
「いいか、ピンを狙うんじゃない。あの手前の三角印を狙うんだ」矢上は佐藤にそうアドバイスをしていた。
「やってみる……」そう言って慎重に転がした佐藤の球は、ゴロゴロとゆっくり転がりながら三角に並んだピンの真ん中に突っ込み、両端を残すかと思われたがバタバタと倒れた他のピンに押され、見事ストライクとなった。
「やったああああ!!!」とクラス中の皆が立ち上がり、佐藤に声援を送った。なにより喜んだのは矢上で、くるくる回りながら飛び跳ねていた。
僕はと言えば、一回目でガーターを取ってしまったが、二回目ですべて倒しスペアーとなった。
「やるじゃん、和也!」「みんな続け!」「おうっ!」とみんな両手を振り上げ、すごい盛り上がりを見せた。
僕はなんだか、転がっていく球を見ながら、時折非現実的な浮遊感に襲われた。
僕は、僕はどうしてこんなところにいるんだろう。
まるで暗い部屋で、どこまでも現実に似せた風景画を光にあてて眺めているような気分だった。
きらきらと輝く海、真っ青な空、白い帆を張るヨット、白い建物、どれも本物のようで本物でない。
じゃあ、本物はどこだ?
「和也、ホットドック買ってきたぜ! お前コーラで良かったよな!? ほら、ハンバーガーは誰だっけ!?」
「あ、おれおれ!」
「わたしオレンジジュース!」
「まてよ、ほら!」
そんな笑い声を聞きながら、僕はホットドックからはみ出すケチャップを舐めた。
味を感じることができなかった。
目ではホットドックを見つめながら、心の中では違う風景を思い描いた。
「飲め」そう言ってスサノオは割れた茶碗で僕に湯を渡してくれた。何の味もしなかったが、旨かった。
焼いた魚を貪った日もあった。松明の作り方を教わり、夜通しスサノオとお互いについて語り合った。何日も何日も道のない夜の森を歩き続け、時に化け物と戦い血を吐いた。地面の上に腕を枕に睡眠をとり、気を失うまで剣の修業に明け暮れた。
僕はいったい、ここで何をしている……?
ボーリングを終えると、明るいうちにみんな解散となった。
「また明日な!」「和也、ちゃんと学校来いよ!」「そうだそうだ、心配かけんな!」
みんな気のいいクラスメイトだった。
「なあ和也、帰り同じ方向だろ? 一緒に帰ろう」そう声をかけてきたのは佐藤だった。
「うん、いいよ。帰ろう」僕はバスの駅に行かなくてはいけないので、みんなとは完全に違う方向だ。けれど佐藤も、もしかしたらバスで通っているのだろうか。そんなことを考えながら、佐藤と二人、バス停までの十五分ほどの距離をのんびり歩いた。
「今日は楽しかったよ」佐藤が言った。
「うん。ボーリングなんて久しぶりだ」
「つい三か月前も一緒に行ったじゃないか。忘れたの? まあ、三か月もすれば、久しぶりか」
「そ、そうだな」そうか。僕はこの世界に来てまだ一か月ほどしかたっていないから、三か月前に自分が何をしていたかを知らない。
あれ? でも……。僕はふと考え込んだ。じゃあ、三か月前に佐藤たちとボーリングをしていた僕は、いったいどこへ行ったんだ? いや、それも僕なのか。じゃあもし僕がこの世界に帰ってこなかったら、そしたらこの世界の僕はどうなっていたんだ? あれ? 僕は……、僕は……。
僕はだんだん自分が誰なのかわからなくなっていった。
そして自分がいまいるこの世界がいったいどこなのかわからなかった。
同じ風景をしているが、ここは僕のまったく知らない、まったく別の場所なのではないのだろうか。
そう考えると、ひどく孤独で、空恐ろしい思いに駆られた。
「どうしたの? 和也。なんだか顔色悪いけど」
「い、いや、大丈夫だよ」僕はなんだか、無性に芹那の顔を見たくなった。
「帰り、急ぐかい?」
「いや、別にそんなこともないけど」
「よかったらそこの公園、少し歩かないか?」佐藤はそう言って道路沿いの森林公園に目をやった。
「う、うん。別にいいけど」
そう言って僕と佐藤は森林公園の中に入って行った。
佐藤は僕より体が大きいのにのんびり歩く方だったので、僕はその歩調に合わせてゆっくり歩かなければならなかった。僕はどちらかと言うとせかせか歩く。
「香奈子だけどさ、家が鵺に襲われたんだって」佐藤が言った。
「そ、そうなんだ」僕は何となく知らない振りをした。
「香奈子は無事だったんだってさ」
「うん。そうみたいだね」
「家を鵺に襲われて無事でいるなんて、運がいいよ。だいたいみんな、食われちゃうからね」
「なんだか、普通に話すね……」
「そりゃそうさ。みんな……、もう慣れてる。誰だって一度や二度、下手すりゃそれ以上、友達やクラスメイトが化け物に襲われていなくなるのを経験してるからね」
そうか……。ここはそう言う世界なんだ。
「和也、なんか違う」
「え?」僕はぼんやりしていてその言葉の意味が分からなかった。
「違うって言ったんだ」
「なにが?」
「正直言えよ、誰にも言わないから。和也、この世界の人間じゃないだろ」
「そ、そんな。なに言ってるんだよ。意味わかんないよ」
「わかるんだよ、俺。そう言うの」
「どう言うこと?」
「俺みたいなやつ、時々いるんだよ。前世の記憶を持ってて、自分がこの世に何のために生まれて来たか知ってるやつがさ。そしていろんなものが見えるんだ」
「いろんなものって?」
「なんだか時々、世界がほんの数ミリぶれて見える」
「ぶれて?」
「そう。二重に見えるんだ。もう一つの世界と、微妙にうまく重ならずにいるんだ」
「よく、わからないけど」
「和也が戻ってきてからだ、こんなの」
「僕は、その……」なんだかどんな嘘をついたらいいのかさえわからなくなってきた。
「美津子と正人は化け物に襲われたってみんな思ってるけど、僕は違う気がするね。戻ってきた和也も、以前の和也じゃない」
「どうしてそんなことわかるんだよ」
「光が見えるんだ」
「光?」
「よく言うだろ、人にはそれぞれオーラがあるって」
「僕は、よくわからないけど」
「あんなのほとんど嘘だけどね。けど、和也には光が見える。まるで金色の靄に包まれているような」
僕は言葉を失ってしまった。ほんとに……、見えてるんだろうか。
「さっき俺、前世の記憶があるって言っただろ? こんなこと言うとみんなに笑われちゃうから言わないけど、前世で神様だったんだよ」
「神様?」
「大国主神(おおくにぬしのかみ)って名だった」
「おおくにぬしの……」
「まあそれはいいさ。和也も、前世では神様だったはずだ」
「も、もういいよ。帰ろう。暗くなってきたし……」僕はすべてを見透かされているようで怖くなってきた。
「香奈子を助けたの、和也だろ?」
「違うよ、僕は……」
「見えるかい? あれ」
「あれ?」僕はその言葉に佐藤の視線の先を眺めた。遠くになにやら……。「あ、あれ!」
「やっぱり見えるんだね」
それは白い亡霊の行列だった。
「そ、そんな……」あれは、あれは、死んだ人間があの世に行くために歩いているものだ。でもあれを見たのは二千年も前。それが今でも続いているなんて……。
「和也がどこからきてここで何をしようとしているのかは知らない。俺もそんなにいろんなことができるわけじゃない。けど、もし力になれることがあったらさ、言って欲しいんだ」そう言いながら、佐藤は不意に立ち上がり、「見ててよ」と言うと、公園にある池の方に向かって行った。と、僕はそこに何かがいるのを見つけた。
「危ない! 佐藤、逃げるんだ!」僕は池から這い上がってくる河童を見つけ、そう叫んだ。けれど佐藤は逃げる代わりに右手を上げ、まるで「大丈夫だ」とでも言うようにその河童に近づいて行った。
「よしよし、ほらおいで」佐藤は河童に向かってそう言うと、まるで迷子の子犬でも見つけたかのように河童の頭を撫で始めた。すると河童はまるで佐藤に甘えるように力を抜き、目を細めた。そしてしばらくすると、佐藤の体からうっすらと光の粒子が舞い始め、体全体を白く光る靄が覆い始めた。
「よしよし、いい子だ。ほら、気持ちを静めるんだ。お前はいい子だ」そう言って佐藤は河童の頭を撫で続けた。そして眠りに落ちるように河童はその場に寝転がると、佐藤と同じ真っ白な光の靄に覆われた。
「俺は本当は、この世界に生きるはずじゃなかったんだ。そう言う運命ではなかった。化け物なんかのいない世界で、何もできないデブで駄目な奴として、いじめられていたはずなんだ。けれど、何かが変わった。それが何かわからない。わかりそうでわからないんだ。ぶれたもう一つの世界を、覗けそうで覗けないみたいにね」
風に流されるように、佐藤の体から光の靄が消えた。するとさっきまで佐藤に撫でられていたはずの河童の姿はなく、そこには一匹の白いウサギが現れた。
「なっ……」僕は幻でも見たような気分でその様子を見ていた。
「僕にできるのはこのくらいのもんさ」佐藤は振り返ると、そう言って微笑んだ。
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筆者がたまに書きたくなるダークなお話なんです。
スカッと爽快ハッピーエンドをお求めの方はごめんなさい。
※勢いで書いたので支離滅裂です。生ぬるい目でスルーして下さい(^-^;
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