2 / 52
1 踏切と涙
しおりを挟む
「せ、芹那?」
「そうよ? なに言ってるの?」
「僕……、まだ、夢……」と混乱した頭を必死に整理しようとしていると、起き上がった芹那が僕の後ろを見て「きゃあ!」と小さな悲鳴を上げた。
僕は振り向くと同時に飛び掛かってきた小さな化け物に、思わず左腕を出して顔をかばった。
「河童だ……」
「か、河童!? そ、それより早く何とかしなさいよ!」
「う、うん」と言いながらも、僕は自分の腕を噛む河童を怖いともなんとも思わなかったし、腕に食い込む鋭い歯に痛みを感じることもなかった。そうだ、僕の身体……。僕は山の中で盗賊に襲われた時のことを思い出した。盗賊に短刀で喉元を刺されたが、それで死ぬどころか僕の皮膚は短刀を弾き、痛くも痒くもなかった。いや、少し痒かったかな? 思い出せないや。
「ね、ねえ、痛くないの!? そいつなんなの!?」
「河童だよ。化け物だけど、弱い奴だから怖がることはない」
「じゅうぶん怖いわよ!」
確かに見た目は怖い。皮を剥がれてむき出しになった肉から血が滴っているような見た目だ。黄色い目は鋭く、顔が裂けたように大きな嘴には鋭い歯が並んでいる。けど……、けど僕が今まで戦ってきた化け物に比べれば、子犬のようなものだ。けどそう言えば、初めて河童に襲われた時には、僕も芹那と同じように腰を抜かしてたっけな。それを思い出すと、僕はなんだか笑ってしまった。
「ちょっと和也、なに笑ってるのよ! 変な趣味でもあるの!?」
「あ、いや、ごめん。ちょっと思い出し笑い」そう言うと僕は、河童の首根っこを掴んで無理やり噛みつく腕から引き離すと、向こうに放り投げた。
噛みつかれた左腕を見たけど、どこも怪我などしている様子もない。わずかに歯型が残ってはいたけれど。やっぱり少し痒い。僕はそう思ってポリポリと左腕を掻いた。
「ちょっと、びっくりさせないでよ」芹那がそう言って僕を咎めた。
「うん、ごめんごめん。それより……」と僕がここがどこかと芹那に尋ねようとした時、また「カーン、カーン、カーン……」と遠くに踏切の音がした。
「聞こえる?」僕は尋ねた。
「うん、聞こえる……」
「戻って……、きたのかな」
「うん……、でも……」
「どうして戻ってきたのに、化け物が出るんだろ……」
「なにか……、おかしいよね?」
僕は立ち上がり、芹那の手を引っ張って立たせた。
踏切の音、明滅する赤い光、僕は芹那の手を引き、背丈ほどもある深い雑草の中を前に進んだ。
懐かしい、と言っていいのかどうかわからないけれど、とにかく僕はここに戻ってきた。
あれから何か月たったのだろう。
二か月……、いや、三か月は向こうにいたはずだ。
目の前を電車が走り去ると、踏切の音はやみ、赤いランプも明滅をやめた。
ここからまた、あの世界に行くことができるのだろうか。
今すぐスサノオを助けに行きたい。そんなくすぶるような衝動がなかったわけではない。ただ今は、まるでその気持ちに水を注ぐように、目の前に現れた踏切が「今までのことはいっさい夢の中の出来事だったんだ」と混乱した僕の頭に現実を叩きつけてきたように思えたのだ。そしてその現実に、僕の思考はストップし、ただ静まり返った踏切を前に呆然と立ち尽くした。
「ねえ和也、これからどうする?」
そう言われて、僕は初めて芹那の顔を見た。いや、今までだって見てきたのだけれど、ずっと暗闇の中だったし、顔の輪郭や雰囲気なんかくらいしかわからなかったのだ。今は踏切の向こうに団地があり、そこからの明かりで芹那の顔を見ることができた。
芹那はくせっけのある髪を肩の辺りで切っていた。何か運動でもしているのか、少し日に焼けている。内気な美津子とは逆に、大きな二重の目や口の辺りの筋肉は、笑顔を作り慣れているように見えた。
「あ、和也って私より背低いんだ」そう言われて初めて、僕は芹那の目線がほんの少し僕より上にあることに気付いた。
「そ、そりゃだって、僕まだ中一だし……」
「ちゅ、ちゅういち? 中学一年生ってこと? ついこないだまで小学生!? えーーーっ!?」芹那のその言葉に、僕は急になんだか自分が幼くなったような気がした。
「言ったはずだよ。全部話した」
「でもなんだか、すごくたくましかったし、頼りになるって言うか、高校の友達なんかより……。って、ごめんなさい。和也のこと子ども扱いしたくて言ったんじゃなかったんだよ」芹那は僕の落ち込んだ様子が自分のせいだと思ったのか、急に謝ってきた。けれど僕が落ち込んでいる理由は、僕が背が低いからでもなく、中学一年生のガキだからでもなく、美津子を……、美津子を置いてきてしまったからなんだ。僕は助け出すことができなかった。僕は弱くて、弱すぎて、何もできなかった。
「ねえ和也、また行くんでしょ? あの世界に」
「うん……」行かなきゃ。また戻らなきゃ。美津子を、このままにはできない。
それに僕は、僕はスサノオの生まれ変わりなんだ。
「これからどうする?」芹那が聞いた。
「わからない」
「さっきの化け物……、私たち、もとの世界に戻ってきたなら、どうして化け物なんか出てきたんだろ」
「わからない……」
「ちょっと和也、ちゃんと考えてる? って、そうよね……、和也、私より三つも年下なんだ。それなのにあんなに戦って、私の手を引いて……。これからどうするかなんて考えられないよね」芹那はそう言うと、僕の肩を抱き寄せ頭を撫でた。その優しさに、なんだか僕は涙が出てきた。泣いてるとこなんて芹那に見られたくない。そう思えば思うほど、涙が止まらなくなってきた。そしてこの三か月に起きた辛かったこと、苦しかったこと、悲しかったことばかりが頭をよぎり、その後にスサノオや八岐大蛇やコトネやみんなみんな、いろんな思い出が壊れたダムの水のようにどんどん溢れて、もうどうにも僕は隠しきれないほどに泣いていた。
そんな僕を見て芹那はガキ扱いなどせず、じっと何も言わず肩を抱き寄せたまま頭を撫でてくれた。
目の前の踏切が鳴り、何度か電車が通り過ぎた。
「そうだ。とにかく一度帰ろう。自分の家も気になるし」芹那は僕が落ち着くのを待つようにしてそう言った。
「そうよ? なに言ってるの?」
「僕……、まだ、夢……」と混乱した頭を必死に整理しようとしていると、起き上がった芹那が僕の後ろを見て「きゃあ!」と小さな悲鳴を上げた。
僕は振り向くと同時に飛び掛かってきた小さな化け物に、思わず左腕を出して顔をかばった。
「河童だ……」
「か、河童!? そ、それより早く何とかしなさいよ!」
「う、うん」と言いながらも、僕は自分の腕を噛む河童を怖いともなんとも思わなかったし、腕に食い込む鋭い歯に痛みを感じることもなかった。そうだ、僕の身体……。僕は山の中で盗賊に襲われた時のことを思い出した。盗賊に短刀で喉元を刺されたが、それで死ぬどころか僕の皮膚は短刀を弾き、痛くも痒くもなかった。いや、少し痒かったかな? 思い出せないや。
「ね、ねえ、痛くないの!? そいつなんなの!?」
「河童だよ。化け物だけど、弱い奴だから怖がることはない」
「じゅうぶん怖いわよ!」
確かに見た目は怖い。皮を剥がれてむき出しになった肉から血が滴っているような見た目だ。黄色い目は鋭く、顔が裂けたように大きな嘴には鋭い歯が並んでいる。けど……、けど僕が今まで戦ってきた化け物に比べれば、子犬のようなものだ。けどそう言えば、初めて河童に襲われた時には、僕も芹那と同じように腰を抜かしてたっけな。それを思い出すと、僕はなんだか笑ってしまった。
「ちょっと和也、なに笑ってるのよ! 変な趣味でもあるの!?」
「あ、いや、ごめん。ちょっと思い出し笑い」そう言うと僕は、河童の首根っこを掴んで無理やり噛みつく腕から引き離すと、向こうに放り投げた。
噛みつかれた左腕を見たけど、どこも怪我などしている様子もない。わずかに歯型が残ってはいたけれど。やっぱり少し痒い。僕はそう思ってポリポリと左腕を掻いた。
「ちょっと、びっくりさせないでよ」芹那がそう言って僕を咎めた。
「うん、ごめんごめん。それより……」と僕がここがどこかと芹那に尋ねようとした時、また「カーン、カーン、カーン……」と遠くに踏切の音がした。
「聞こえる?」僕は尋ねた。
「うん、聞こえる……」
「戻って……、きたのかな」
「うん……、でも……」
「どうして戻ってきたのに、化け物が出るんだろ……」
「なにか……、おかしいよね?」
僕は立ち上がり、芹那の手を引っ張って立たせた。
踏切の音、明滅する赤い光、僕は芹那の手を引き、背丈ほどもある深い雑草の中を前に進んだ。
懐かしい、と言っていいのかどうかわからないけれど、とにかく僕はここに戻ってきた。
あれから何か月たったのだろう。
二か月……、いや、三か月は向こうにいたはずだ。
目の前を電車が走り去ると、踏切の音はやみ、赤いランプも明滅をやめた。
ここからまた、あの世界に行くことができるのだろうか。
今すぐスサノオを助けに行きたい。そんなくすぶるような衝動がなかったわけではない。ただ今は、まるでその気持ちに水を注ぐように、目の前に現れた踏切が「今までのことはいっさい夢の中の出来事だったんだ」と混乱した僕の頭に現実を叩きつけてきたように思えたのだ。そしてその現実に、僕の思考はストップし、ただ静まり返った踏切を前に呆然と立ち尽くした。
「ねえ和也、これからどうする?」
そう言われて、僕は初めて芹那の顔を見た。いや、今までだって見てきたのだけれど、ずっと暗闇の中だったし、顔の輪郭や雰囲気なんかくらいしかわからなかったのだ。今は踏切の向こうに団地があり、そこからの明かりで芹那の顔を見ることができた。
芹那はくせっけのある髪を肩の辺りで切っていた。何か運動でもしているのか、少し日に焼けている。内気な美津子とは逆に、大きな二重の目や口の辺りの筋肉は、笑顔を作り慣れているように見えた。
「あ、和也って私より背低いんだ」そう言われて初めて、僕は芹那の目線がほんの少し僕より上にあることに気付いた。
「そ、そりゃだって、僕まだ中一だし……」
「ちゅ、ちゅういち? 中学一年生ってこと? ついこないだまで小学生!? えーーーっ!?」芹那のその言葉に、僕は急になんだか自分が幼くなったような気がした。
「言ったはずだよ。全部話した」
「でもなんだか、すごくたくましかったし、頼りになるって言うか、高校の友達なんかより……。って、ごめんなさい。和也のこと子ども扱いしたくて言ったんじゃなかったんだよ」芹那は僕の落ち込んだ様子が自分のせいだと思ったのか、急に謝ってきた。けれど僕が落ち込んでいる理由は、僕が背が低いからでもなく、中学一年生のガキだからでもなく、美津子を……、美津子を置いてきてしまったからなんだ。僕は助け出すことができなかった。僕は弱くて、弱すぎて、何もできなかった。
「ねえ和也、また行くんでしょ? あの世界に」
「うん……」行かなきゃ。また戻らなきゃ。美津子を、このままにはできない。
それに僕は、僕はスサノオの生まれ変わりなんだ。
「これからどうする?」芹那が聞いた。
「わからない」
「さっきの化け物……、私たち、もとの世界に戻ってきたなら、どうして化け物なんか出てきたんだろ」
「わからない……」
「ちょっと和也、ちゃんと考えてる? って、そうよね……、和也、私より三つも年下なんだ。それなのにあんなに戦って、私の手を引いて……。これからどうするかなんて考えられないよね」芹那はそう言うと、僕の肩を抱き寄せ頭を撫でた。その優しさに、なんだか僕は涙が出てきた。泣いてるとこなんて芹那に見られたくない。そう思えば思うほど、涙が止まらなくなってきた。そしてこの三か月に起きた辛かったこと、苦しかったこと、悲しかったことばかりが頭をよぎり、その後にスサノオや八岐大蛇やコトネやみんなみんな、いろんな思い出が壊れたダムの水のようにどんどん溢れて、もうどうにも僕は隠しきれないほどに泣いていた。
そんな僕を見て芹那はガキ扱いなどせず、じっと何も言わず肩を抱き寄せたまま頭を撫でてくれた。
目の前の踏切が鳴り、何度か電車が通り過ぎた。
「そうだ。とにかく一度帰ろう。自分の家も気になるし」芹那は僕が落ち着くのを待つようにしてそう言った。
0
お気に入りに追加
5
あなたにおすすめの小説
悠久のクシナダヒメ 「日本最古の異世界物語」 第一部
Hiroko
ファンタジー
異世界に行けると噂の踏切。
僕と友人の美津子が行きついた世界は、八岐大蛇(やまたのおろち)が退治されずに生き残る、奈良時代の日本だった。
現在と過去、現実と神話の世界が入り混じる和の異世界へ。
流行りの異世界物を私も書いてみよう!
と言うことで書き始めましたが、どうしようかなあ。
まだ書き始めたばかりで、この先どうなるかわかりません。
私が書くと、どうしてもホラーっぽくなっちゃうんですよね。
なんとかなりませんか?
題名とかいろいろ模索中です。
なかなかしっくりした題名を思いつきません。
気分次第でやめちゃうかもです。
その時はごめんなさい。
更新、不定期です。
セクスカリバーをヌキました!
桂
ファンタジー
とある世界の森の奥地に真の勇者だけに抜けると言い伝えられている聖剣「セクスカリバー」が岩に刺さって存在していた。
国一番の剣士の少女ステラはセクスカリバーを抜くことに成功するが、セクスカリバーはステラの膣を鞘代わりにして収まってしまう。
ステラはセクスカリバーを抜けないまま武闘会に出場して……
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/fantasy.png?id=6ceb1e9b892a4a252212)
異世界成り上がり物語~転生したけど男?!どう言う事!?~
繭
ファンタジー
高梨洋子(25)は帰り道で車に撥ねられた瞬間、意識は一瞬で別の場所へ…。
見覚えの無い部屋で目が覚め「アレク?!気付いたのか!?」との声に
え?ちょっと待て…さっきまで日本に居たのに…。
確か「死んだ」筈・・・アレクって誰!?
ズキン・・・と頭に痛みが走ると現在と過去の記憶が一気に流れ込み・・・
気付けば異世界のイケメンに転生した彼女。
誰も知らない・・・いや彼の母しか知らない秘密が有った!?
女性の記憶に翻弄されながらも成り上がって行く男性の話
保険でR15
タイトル変更の可能性あり
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
だいたい全部、聖女のせい。
荒瀬ヤヒロ
恋愛
「どうして、こんなことに……」
異世界よりやってきた聖女と出会い、王太子は変わってしまった。
いや、王太子の側近の令息達まで、変わってしまったのだ。
すでに彼らには、婚約者である令嬢達の声も届かない。
これはとある王国に降り立った聖女との出会いで見る影もなく変わってしまった男達に苦しめられる少女達の、嘆きの物語。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/fantasy.png?id=6ceb1e9b892a4a252212)
【完結】あなたに知られたくなかった
ここ
ファンタジー
セレナの幸せな生活はあっという間に消え去った。新しい継母と異母妹によって。
5歳まで令嬢として生きてきたセレナは6歳の今は、小さな手足で必死に下女見習いをしている。もう自分が令嬢だということは忘れていた。
そんなセレナに起きた奇跡とは?
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/fantasy.png?id=6ceb1e9b892a4a252212)
都市伝説と呼ばれて
松虫大
ファンタジー
アルテミラ王国の辺境カモフの地方都市サザン。
この街では十年程前からある人物の噂が囁かれていた。
曰く『領主様に隠し子がいるらしい』
曰く『領主様が密かに匿い、人知れず塩坑の奥で育てている子供がいるそうだ』
曰く『かつて暗殺された子供が、夜な夜な復習するため街を徘徊しているらしい』
曰く『路地裏や屋根裏から覗く目が、言うことを聞かない子供をさらっていく』
曰く『領主様の隠し子が、フォレスの姫様を救ったそうだ』等々・・・・
眉唾な噂が大半であったが、娯楽の少ない土地柄だけにその噂は尾鰭を付けて広く広まっていた。
しかし、その子供の姿を実際に見た者は誰もおらず、その存在を信じる者はほとんどいなかった。
いつしかその少年はこの街の都市伝説のひとつとなっていた。
ある年、サザンの春の市に現れた金髪の少年は、街の暴れん坊ユーリに目を付けられる。
この二人の出会いをきっかけに都市伝説と呼ばれた少年が、本当の伝説へと駆け上っていく異世界戦記。
小説家になろう、カクヨムでも公開してましたが、この度アルファポリスでも公開することにしました。
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる