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2.先輩と後輩
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「ありがとうございましたぁ」
会計を済ませて退店するお客さんをレジで見送る。店内から人がいなくなったのを確認すると定位置であるカウンターへと戻った。
「……ふぅ」
バイト中なのに大袈裟な溜め息をつく。ストレスを空気に変換するように。
昼間のランチは戦争だった。次から次へとお客さんが入って来て立ち止まる暇がなかったほど。
注文を聞いては料理を運んで、精算を済ませた後はテーブルの片付け。まだ食器が残っているのに来店したおじさんが勝手に座ったりするから大変だった。
「片付け終わりました」
「お疲れ~」
小柄な女の子が食器を乗せたトレイを運びながら話しかけてくる。肩ぐらいまでの髪に、サイドに結んだシュシュが特徴的な人物が。
「はぁ、しんどかった」
「昼時にフロア2人は無理だよね。誰か追加してほしいや」
「そうですね。でも普段私達は夕方からなので、たまには辛いランチを担当しないとダメだと思います」
「そ、そうだね…」
女の子が運んできた食器を次々に厨房にいるパートさんに渡していた。手慣れた様子で。
「先輩、ボーっと突っ立ってないで砂糖の補充してきてください。結構減ってましたよ」
「へ~い」
指示された通り棚からスティックシュガーが入った袋を取り出す。近くの席から順に筒状の入れ物の空間を埋める作業を開始。
「ん…」
働き始めたバイト先は海城高校から徒歩で行ける場所にある喫茶店だった。割と最近出来たお店でスタッフも若い人が多い。
従業員は全部で10人ほどいるのだが最低3人いればお店は回せてしまう。なので同じ店に勤めていながら顔をほとんど合わせた事がない人もいた。
「よっと」
働き始めは失敗の連続。指示されないと動けないし、教えてもらった事も満足に出来ない毎日。何より一番の難点は人見知りいう性格だった。
それでも辞めずに続けられたのは双子の妹に負けたくなかったから。そして一緒に働く年下の女の子に会えるのが楽しみだったからだ。
「終わりました?」
「はい。全部のテーブル廻ってきました!」
「なら次はトイレの確認とフロアの掃除お願いします」
「……はい」
任務を従順に遂行して戻って来た所で次なる指令が下される。雑用の仕事が。
「ひぃい…」
彼女と働く時はいつもこんな感じ。下っ端の自分があれこれ動くだけ。
勤めたのが後なので仕方ないといえば仕方なかった。けれど呼称は先輩という矛盾した関係。
通っている学校も違うので学業においても敬われる存在ではない。彼女が通っているのはこの近くの女子校。以前に颯太と女の子観察に行った事がある槍山女学園だった。
「終わりましたか?」
「はい!」
「じゃあ私達もお昼にしましょうか」
「イエッサー」
全ての作業を完遂した所でようやく休憩となる。店長が作ってくれた焼きそばを持つと2人で空いている席に座った。
「いただきま~す」
声を揃えて挨拶をする。給食の時間を彷彿とさせる動作も付け加えて。
「今日も忙しかったですねぇ」
「本当だよ。明日もこんな思いをしなくちゃならないかと考えると嫌になるなぁ」
「ドンマイです。でも頑張った分だけお給料貰えるから良いじゃないですか」
「う~ん……けど忙しい時と暇な時の時給が一緒ってのが納得いかない」
「なら暇な時は時給を下げてもらうよう店長さんにお願いしてみますか?」
「いやいや、それは困る」
箸を持つ手とは反対側の手を左右に移動。理不尽な意見を否定するようにブンブンと振った。
「……はあぁ、今頃は焼き肉にピザの食べ放題かな」
「何がです?」
「家の話。今日は家族でバイキングに行ってるんだよ」
「へぇ。ならどうして先輩は一緒に行かなかったんですか?」
「これ」
人差し指でコンコンと叩く。古風な木製のテーブルを。
「なるほど。でも休めば良かったじゃないですか」
「バイキング行く事が決まったの昨日なんだよね」
「あらら、それは残念でしたねぇ」
「あ~あ…」
意識の中に込み上げてくるのは仲間外れにされているかのような疎外感。バイトを始めた事を少々後悔していた。
「そもそもどうして先輩が予定ある日に行く事になったんですか? バイトが休みの日に合わせてくれてもいいものなのに」
「あ、え~と……昨日、妹が帰って来てさ」
「妹? 私と同い年の?」
「いや、そっちじゃなくてもう1人の方」
「あぁ。あの武者修行に行ってたっていう双子の妹さんですか」
「ま、まぁ…」
彼女にはうちの家庭事情について話をした事がある。両親が再婚している点や、血の繋がってない妹がいる事。華恋の存在についても。
ただ別の場所に住んでいる本当の理由については説明出来なかった。なので適当に『武者修行の旅に出た』と言っておいたのだ。
「なら今日はそのお祝いを兼ねて家族でお出かけという訳ですか」
「そうそう」
「修行を終えた妹さんは逞しくなってましたか?」
「うん……もうヤバかったよ」
まさかあんな淫乱で無節操に成長しているなんて。距離を置いての生活が逆効果でしかない。
「ふ~ん、やっぱり先輩に似てるんですか?」
「どうかな。自分ではあまり自覚はないけど」
「二卵生なんでしたっけ?」
「性別が違うからね。だから普通の兄弟姉妹とあまり変わらないよ」
「それは残念。もしソックリならここで働いてもらえたんですけど」
「えぇ……身内が同じ店の従業員とか嫌すぎる」
想像だけでも耐えられない。隙を見て甘えてくる姿が容易にイメージ出来た。
「いえ、そうじゃなくて」
「ん?」
「同じ顔なら先輩の代わりに働いてもらえるじゃないですか。負担が半分に減りますよ」
「あっ、なるほど」
「本当にそうなったら面白そうですよね」
「ははは。鬼頭さんって頭いいよね」
「あ、ありがとうございます…」
思った感想を素直に口にする。その言葉に反応して目の前にある体の動きが一瞬だけ停止。
「鬼頭さんは兄弟いないんだっけ?」
「1人っ子……です」
「ふ~ん、そっか」
「んっ…」
昼食をとった後は再び戦場へ。といってもピークであるランチタイムは過ぎていたので割と楽だった。
パートさんがいなくなった後は店長と鬼頭さんの3
人での営業。7時過ぎになりボチボチお客さんが帰ってしまった所で学生の自分達は上がらせてもらった。
「んーーっ!」
店の外で強張っていた背筋を伸ばす。開放感も相まってか顔に当たるヒンヤリとした空気が気持ち良い。
「お疲れ様です」
「ん、お疲れ」
2人して夜の道路を歩いた。彼女の方は通学にも利用している自転車を押しながら。
「先輩って明日何時からですか?」
「11時。ランチが終わる2時からが良いなぁ…」
「あはは、なら私のが1時間早いですね。明日も頑張りましょう」
「だね。気合いで乗り切りますかぁ」
「じゃあ、おやすみなさい」
「またね~」
駅までやって来ると解散する。暗闇に消えていく小柄な体を手を振りながら見送った。
「ジュース買ってこ…」
店から駅までは徒歩で10分ほど。海城高校から見て駅とは反対側にある為、いつも帰りは校門前を通って歩いていた。
交通費は支給されないが定期があるので問題ない。高校の近くを選んだのは地元の人間と遭遇したくないから。全てが打算で動いていた。
「お帰りなさーーい!」
「うぉっ!?」
自宅のドアを開けた瞬間に何かが飛びかかってくる。満面の笑みを浮かべている双子の妹が。
「……危なかった」
「む~、どうして避けるのぉ?」
「いやいや、避けないと何されるか分からないし」
「ひっどーい。せっかく頑張って働いてきたご褒美にハグしてあげようと思ったのに」
「いらない、いらない」
抱き付いてこようとしていたのを寸前で回避する事に成功。リビングにいる家族に聞かれたらマズい台詞を平然と口にしてきた。
「そういえば晩御飯は?」
「まだ食べてないから何か欲しいかな。皆はもう済ませたの?」
「あ、え~とね…」
「ん?」
「昼に行ったバイキングで全員張り切っちゃってさ。今もお腹いっぱいで何も食べてないんだよね」
「なんて贅沢な悩み…」
1食分削れるぐらい堪能してきたなんて。羨ましいし恨めしい。
その後、華恋が作っておいてくれた炒飯を1人で頬張る事に。味は文句なしだがすぐ目の前で何度も味の評価を尋ねてくる行為には若干ウンザリ。それでもわざわざ手料理を作ってくれた優しさには感謝していた。
「ぐげえぇぇ…」
「どんな声を出してるんですか」
翌日も日中はバイトに没頭する。1日の労働が終わった後は鬼頭さんと2人で駅までの道のりを歩いた。
「今日は昨日より忙しかった気がする」
「ですねぇ」
「夕方のラッシュは一体なんだったんだ…」
ランチ終わりの午後、のんびり過ごしていたらユニフォーム姿の男性達が大勢で来店してきたのだ。近所の球場で草野球の試合があり、その打ち上げとの事。パートの女性が帰ってしまった為に店長と鬼頭さんの3人で店中を駆けずり回る羽目に。ランチタイム並の忙しさだった
「どうして喫茶店で打ち上げなんかするかなぁ…」
「普通は居酒屋とか焼き肉ですよね」
「本当だよ。喫茶店でビールの飲み会は合わないや」
「店長さんは喜んでたみたいですけど。あの人達のおかげで今日の売り上げ良かったらしいですから」
「いやいや、嬉しいの店長だけだってば」
店の利益が高くても手元にくる給料は変わらない。同じ金額を手に入れるなら少しでも楽な道を選びたい。
「でも売り上げが低かったらお店が潰れて私達が働けなくなっちゃいますよ?」
「それは……困るかな」
「はい。それにこうして先輩と顔を合わせる機会も無くなってしまいますから」
「へっ!?」
口から間抜けな声が出る。言葉の真意を尋ねたかったが実行出来なかった。
「そういえば先輩って明日休みですよね?」
「ん? そうだよ」
「ならたっぷり休めるじゃないですか」
「ん~…」
休めるだろうか。出かける約束がある。しかも強制連行という条件付きで。
「ちなみに私も明日休みですよ」
「へぇ、そうなんだ」
「気付いてました? 私がいつも先輩のシフトに合わせて休みをもらっている事に」
「うぇっ!?」
口から再び間抜けな声を出る。何気なく発せられた彼女の台詞に不意を突かれてしまった。
「あそこのお店ってほとんどが私より先に働いてた人達じゃないですか」
「そ、そうだね」
「だから先輩が入って来てくれた時は嬉しかったです。自分にも後輩が出来たって気がして」
「後輩…」
「やっぱりいろいろ指示されるより誰かに命令してた方が気分良いんですよね。先輩、私の言うこと何でも聞いてくれるし」
「は、はぁ…」
ふとある考えが思い浮かぶ。その疑問を恐る恐る質問へと変換してみた。
「あの……どうしてわざわざ休みや出勤日を同じにしてるの?」
「え? そんなの先輩にあれこれ指示出せるからに決まってるじゃないですか」
「……ですよね」
落胆とショックが止まらない。都合の良い回答を期待していた事が情けなくなって。
「あっ、でも勘違いしないでくださいね。別に先輩の事をバカにしてる訳じゃないですから」
「うん…」
「なんていうか話しかけやすいんですよ。頼み事をしても聞いてくれそうっていうか」
「……どうも」
「時々、学校の友達と喋ってるような錯覚起こしちゃうんですよね。先輩って年上って感じがしないし」
「はぁ…」
それは遠回しに威厳がないと言われているようなもの。喜べない賛辞の言葉だった。
「でも2人揃って休んじゃって大丈夫なのかな。パートの人達は春休みだから子供の世話とかで忙しいだろうに」
「明日は瑞穂さんが入ってるから大丈夫ですよ。1人で2人分の働きをしてくれますって」
「あぁ、ならいっか」
話題を少しずつ移行する。自分達と同じ未成年組で、近くの大学に通ってる女性に。
その人は清楚な雰囲気に付け加えてとびきりの美人。仕事の要領もよく何でもそつなくこなす完璧超人。彼女と同じシフトに入っている日は凄まじく楽だった。
「瑞穂さんがいるなら大丈夫かな。一緒にフロア入る人が羨ましいや」
「ですね。私もあんな女性になりたいです」
「憧れって事?」
「はい、そうです。私にとってあの人は理想であり目標なので」
「が、頑張って…」
口では応援したが本心では半信半疑。彼女達ではタイプが違いすぎるので。
身長が高い瑞穂さんに対して鬼頭さんは小柄。2人並べると親子程の差がある。更に化粧をしている瑞穂さんに対して彼女は常にスッピン。ランドセルを背負わせたら小学生に見えなくもなかった。
「駅に着いちゃいましたね」
「だね。わざわざ付き合ってくれてありがと」
「いえいえ、それでは」
「気をつけて帰るんだよ~」
元気よくペダルを漕いで走り去る鬼頭さんを見送る。幼女狙いの変質者に遭遇しない事を祈りながら。
「良い子だなぁ…」
彼女は毎回こうして駅まで同行してくれていた。わざわざ自転車を押してまで。
自宅は店から見て駅と同じ方角にあるらしいがそれでも遠回りしている点に変わりはない。疲労を我慢してまで一緒に帰ってくれる行動が嬉しくて仕方なかった。
「行ってきま~す」
翌日、正午頃に華恋と自宅を出発する。予定通り2人で遊びに行く為に。
先に約束していた颯太との遊びはキャンセル。悩んだ末に久しぶりに帰ってきた妹のワガママに付き合ってあげる事にした。
「……何これ」
「ん? どしたの?」
左腕に華恋がベッタリまとわり付いてくる。腕を絡めるというより、もたれかかってくる感じで。
「な、なんでこういう体勢なの?」
「だってデートじゃん。普通、デートは腕組むもんでしょ?」
「とても歩きにくいのですが…」
「気にしない気にしない。じゃあ行くよ~」
「えぇ…」
不慣れな姿勢で住宅街を移動。駅まで歩くと電車を利用して大型のショッピングセンターへとやって来た。
「おぉ、結構広いじゃない」
飲食店や雑貨屋だけでなく映画館やゲームセンターも完備されている施設。時間を潰すにはうってつけの場所だった。
「ね、ねぇ……そろそろ離れない?」
「はあぁ!? なんでよ」
「だって…」
自由を求めて解放を懇願する。周りを見回せば家族連れやカップル、学生のグループなと様々な人達が蠢いていた。
こういう場所で男女が手を繋いで歩いてる光景は珍しくないだろう。けれどこれだけ数多くの人がいるならば知り合いに遭遇する可能性も考えなくてはならなかった。
「文句ないならこのままで行くわよ。良いわね?」
「だ、誰かに見られちゃったらどうするのさ。うっかり出くわしちゃったら」
「あん? 別に普通に声かければ良いだけじゃないの」
「嘘ぉん…」
彼女の発言が信じられない。以前は抵抗の様子を見せていたのに。
「さ~て、一階から順番に回っていこうかしらね」
「うぅ…」
過剰に辺りの様子を警戒する。逃亡者にでもなった気分で。
一番見つかりたくないのは颯太だ。彼には昨日『風邪を引いて遊べなくなった』と嘘をついている。こんな現場を目撃されたら絶交されてしまうかもしれない。
「美味しい~」
それから2人でフラフラとブティックや飲食店を巡った。途中で買った粒々アイスを買い食いしたり。
腰を下ろしたいがどこのお店も人で溢れかえっている。ベンチには常に誰かが座っていてフードコートもほぼ満席状態。生半可な覚悟で足を運んだ事を後悔し始めていた。
「人、多いねぇ」
「だって春休みだもん。皆、考える事は一緒なんだよ」
「あっ、あれ可愛い」
華恋が近くにあったファンシーショップへと駆けて行く。店頭のディスプレイに並べられたクマのヌイグルミが視界に飛び込んできた。
「モフモフ~」
「商品に抱きつくのはやめようか」
「ねぇ、これ買って」
「やだよ。誕生日でもないのに」
「お兄ちゃ~ん、お願ぁ~い」
「……うっ」
甘ったるい声を飛ばしてくる。聞いていて恥ずかしくなるよう台詞を。
「7800円…」
返事は返さずに首元についた値札を確認。予想を遥かに上回る金額が目に入ってきた。時給の10倍近い値段が。
「欲しいなら自分で買いなよ」
「えぇ、良いじゃん良いじゃ~ん」
「ダメ。ワガママ言わない」
「ちぇっ……ケチ」
いくらバイトをして金銭的に余裕が出てきたからといって得体の知れない物にお金を注ぎ込む気にはなれない。どうせ飽きたら部屋に放置して、汚れたらゴミ箱行きが関の山だから。
「はぁ…」
ブーブー文句を垂れながら店の中へと入って行く背中を見送る。店内は女の子しかいなかったので自分は外で待機する事に。
「ん?」
入口付近の商品と睨めっこしていると肩に異変を察知。誰かに叩かれていた。
「げっ!」
「あーーっ、やっぱり先輩だぁ」
反射的に後ろに振り返る。そこにいたのは小柄の女の子。バイト先の後輩だった。
「何してたんですか?」
「えっと…」
「こういうお店に興味あるんですか?」
「いや、そういう訳ではないんだけどね」
「ふ~ん、私は好きですよ。よく遊びに来たりします」
「そ、そうなんだ…」
突然の遭遇に焦りが止まらない。背後を覗き見ようとする彼女の視線を咄嗟にガードした。
「よく分かったね。僕だって」
「最初見かけた時は気付かなかったんですけどね。しばらく後を尾けてみたら先輩だったんで声かけちゃいました」
「へ、へぇ…」
問い掛けに対して屈託のない笑顔を向けてくる。悪意はないが好奇心に満ちた表情を。
どうせなら見て見ぬフリをしてくれれば良かったのに。運の悪さを思い切り呪った。
「き、鬼頭さんは何しにここまで来たのかな?」
「えっと……当てもなくブラブラと」
「そ、そうなんだ」
お互い視線を外す。それぞれ天井と床に向かって。
「雅人~」
「え?」
この状況をどう乗り切るべきか。そんな事を考えていると背後から名前を呼ばれてしまった。
「……誰と喋ってんの、アンタ」
「いや、その…」
「ん?」
「バイト先の子と偶然出くわしちゃって…」
もう誤魔化すのは不可能なので観念して紹介する。突然現れた乱入者を。
「あっ、はじめまして」
「あ……は、初めまして」
「先輩のバイト先で一緒に働いている者です」
「ど、ども…」
「こんにちは」
一足先に鬼頭さんが丁寧な挨拶を披露。その行動に対して強気な華恋が一歩後退りした。
「あの……先輩の彼女さんですか?」
「えっ!?」
続けて会話がスタートしてしまう。勘違い全開のシチュエーションへと。
「違う違う。妹だよ、これ!」
「……妹?」
「ほら、一昨日話した」
「あぁ! あの武者修行から帰って来たっていう双子の」
「そうそう、それ」
すぐさま言い訳を展開。予め事情を説明しておいたおかげか割と早く軌道修正に成功した。
「武者修行…」
焦る自分のすぐ隣からクエスチョンマークを付けた台詞が飛んでくる。やや混乱気味の華恋の呟きが。
「あ、え~と……私はそろそろ行きますね。デートの邪魔しちゃ悪いですし」
「う、うん。またね」
「それでは」
気まずい雰囲気を察知した鬼頭さんが頭を下げながら退散。去り際に華恋の様子をチラチラと窺っていた。
「……ふぅ」
なんとか上手く回避出来たらしい。ホッと胸を撫で下ろす。
いろいろ疑問は抱いていたが何かしらの事情がある事を察知してくれたのだろう。とりあえず空気が読める子で助かった。
「……ねぇ」
「ん?」
「今の聞いた?」
「な、何を?」
「彼女だって。うふふふふ…」
「怖いよ…」
2人きりになった途端に華恋が話しかけてくる。不気味な笑みを浮かべながら。
「やっぱそう見えるんだ、私達」
「そりゃあ知らない人からしたらね」
「やっだぁ、恥ずかしいっ!」
「いって!?」
肩に痛みが発生。激しい漫才のツッコミのように叩かれてしまった。
「キャーーッ! デートだって、デートだって」
「いつつ…」
続けて暴走娘が顔に両手を当てて喚き出す。頬を紅潮させて。
「……はぁ」
まさかこんなに早く鉢合わせしてしまうなんて。ある程度の覚悟はしていたけどやっぱりキツい。ただせめてもの救いは鬼頭さんが他校の人間だという点だった。
彼女がクラスメートや直属の後輩だったなら共通の知り合いに噂が広められていたかもしれない。そんな真似をする人間とは思っていないけれど誰にも知られないに越した事はないから。
それに声をかけてきてくれたのが華恋が店内にいるタイミングという要素も大きい。もし寄り添っている時に出くわしていたらどんな言い訳も通用しなかった。
「ん?」
思考を捻っている途中で先程のやり取りを振り返る。彼女は言っていた。最初に見かけた時は誰だか気付けなかったのでしばらく尾行したと。
つまり鬼頭さんと遭遇したのはこの場所ではなくずっとずっと前。彼女はショッピングセンター内をウロついている自分達を観察し続けていたのだ。
「う、うわぁあぁあぁぁっ!!」
思わず叫んでしまう。周りの通行人達の意識を集めてしまうレベルで。
「な、なに急に!」
「うぐぐ…」
「ちょっと、雅人!」
羞恥心に塗れている所に恥を上塗り。逃げ出すようにその場を移動した。
後ろから名前を呼ばれたが全てスルー。後輩が向かった先とは違う方角へと逃亡した。
「どうしたのよ。いきなり叫びだしたと思ったら1人で歩き出して」
「やいやいやい、なんて事してくれたのさ!?」
「はぁ!?」
自販機が並べられた休憩スペースまでやって来ると立ち止まる。振り返りながら事情を理解していない妹の肩を掴んだ。
「ちょ……痛いってば」
「ああぁ、もうお終いだぁ…」
「なに1人でパニクってんのよ」
「絶対からかわれるぅ、ネタにして遊ばれるぅ…」
兄妹で腕を組むなんて普通は有り得ない。ましてや高校生にもなって2人でお出掛けなんて。
きっと今頃、鬼頭さんの頭の中で自分は変態の烙印を押されているのだろう。頼り甲斐のある先輩のイメージが脆くも崩れ去ってしまった。
「お店行くのやだな…」
バイトに行きたくない。もういっそこれを機に辞めてしまおうか。頭の中でバカな事を考えていると華恋が声をかけてきた。
「と、とりあえず落ち着きなって。何か飲む?」
「……そだね。喉乾いちゃったし」
自販機でスポーツドリンクを購入する。プルタブを開けるとカラカラに乾ききった口の中に少しずつ流し込んだ。
「落ち着いた?」
「うん…」
「さっきの子に私と一緒にいる所を見られたのが恥ずかしかったの?」
「まぁ、そんな感じ」
「そりゃあ照れくさい気持ちも分からなくもないけどさ。そこまで嫌がらなくても良いじゃん……傷つく」
「ご、ごめん…」
彼女の立場からしたらそうだろう。何も悪い事をしていないのに責められて煙たがられて。
「あのさ…」
「ん?」
「武者修行って何?」
「さ、さぁ?」
質問内容が微妙に変化。パニックに陥っているせいか上手い説明が出てこない。
「……はぁ」
お互いに溜め息をつく。結局、この日は1日中気まずい空気のまま過ごす羽目になった。
会計を済ませて退店するお客さんをレジで見送る。店内から人がいなくなったのを確認すると定位置であるカウンターへと戻った。
「……ふぅ」
バイト中なのに大袈裟な溜め息をつく。ストレスを空気に変換するように。
昼間のランチは戦争だった。次から次へとお客さんが入って来て立ち止まる暇がなかったほど。
注文を聞いては料理を運んで、精算を済ませた後はテーブルの片付け。まだ食器が残っているのに来店したおじさんが勝手に座ったりするから大変だった。
「片付け終わりました」
「お疲れ~」
小柄な女の子が食器を乗せたトレイを運びながら話しかけてくる。肩ぐらいまでの髪に、サイドに結んだシュシュが特徴的な人物が。
「はぁ、しんどかった」
「昼時にフロア2人は無理だよね。誰か追加してほしいや」
「そうですね。でも普段私達は夕方からなので、たまには辛いランチを担当しないとダメだと思います」
「そ、そうだね…」
女の子が運んできた食器を次々に厨房にいるパートさんに渡していた。手慣れた様子で。
「先輩、ボーっと突っ立ってないで砂糖の補充してきてください。結構減ってましたよ」
「へ~い」
指示された通り棚からスティックシュガーが入った袋を取り出す。近くの席から順に筒状の入れ物の空間を埋める作業を開始。
「ん…」
働き始めたバイト先は海城高校から徒歩で行ける場所にある喫茶店だった。割と最近出来たお店でスタッフも若い人が多い。
従業員は全部で10人ほどいるのだが最低3人いればお店は回せてしまう。なので同じ店に勤めていながら顔をほとんど合わせた事がない人もいた。
「よっと」
働き始めは失敗の連続。指示されないと動けないし、教えてもらった事も満足に出来ない毎日。何より一番の難点は人見知りいう性格だった。
それでも辞めずに続けられたのは双子の妹に負けたくなかったから。そして一緒に働く年下の女の子に会えるのが楽しみだったからだ。
「終わりました?」
「はい。全部のテーブル廻ってきました!」
「なら次はトイレの確認とフロアの掃除お願いします」
「……はい」
任務を従順に遂行して戻って来た所で次なる指令が下される。雑用の仕事が。
「ひぃい…」
彼女と働く時はいつもこんな感じ。下っ端の自分があれこれ動くだけ。
勤めたのが後なので仕方ないといえば仕方なかった。けれど呼称は先輩という矛盾した関係。
通っている学校も違うので学業においても敬われる存在ではない。彼女が通っているのはこの近くの女子校。以前に颯太と女の子観察に行った事がある槍山女学園だった。
「終わりましたか?」
「はい!」
「じゃあ私達もお昼にしましょうか」
「イエッサー」
全ての作業を完遂した所でようやく休憩となる。店長が作ってくれた焼きそばを持つと2人で空いている席に座った。
「いただきま~す」
声を揃えて挨拶をする。給食の時間を彷彿とさせる動作も付け加えて。
「今日も忙しかったですねぇ」
「本当だよ。明日もこんな思いをしなくちゃならないかと考えると嫌になるなぁ」
「ドンマイです。でも頑張った分だけお給料貰えるから良いじゃないですか」
「う~ん……けど忙しい時と暇な時の時給が一緒ってのが納得いかない」
「なら暇な時は時給を下げてもらうよう店長さんにお願いしてみますか?」
「いやいや、それは困る」
箸を持つ手とは反対側の手を左右に移動。理不尽な意見を否定するようにブンブンと振った。
「……はあぁ、今頃は焼き肉にピザの食べ放題かな」
「何がです?」
「家の話。今日は家族でバイキングに行ってるんだよ」
「へぇ。ならどうして先輩は一緒に行かなかったんですか?」
「これ」
人差し指でコンコンと叩く。古風な木製のテーブルを。
「なるほど。でも休めば良かったじゃないですか」
「バイキング行く事が決まったの昨日なんだよね」
「あらら、それは残念でしたねぇ」
「あ~あ…」
意識の中に込み上げてくるのは仲間外れにされているかのような疎外感。バイトを始めた事を少々後悔していた。
「そもそもどうして先輩が予定ある日に行く事になったんですか? バイトが休みの日に合わせてくれてもいいものなのに」
「あ、え~と……昨日、妹が帰って来てさ」
「妹? 私と同い年の?」
「いや、そっちじゃなくてもう1人の方」
「あぁ。あの武者修行に行ってたっていう双子の妹さんですか」
「ま、まぁ…」
彼女にはうちの家庭事情について話をした事がある。両親が再婚している点や、血の繋がってない妹がいる事。華恋の存在についても。
ただ別の場所に住んでいる本当の理由については説明出来なかった。なので適当に『武者修行の旅に出た』と言っておいたのだ。
「なら今日はそのお祝いを兼ねて家族でお出かけという訳ですか」
「そうそう」
「修行を終えた妹さんは逞しくなってましたか?」
「うん……もうヤバかったよ」
まさかあんな淫乱で無節操に成長しているなんて。距離を置いての生活が逆効果でしかない。
「ふ~ん、やっぱり先輩に似てるんですか?」
「どうかな。自分ではあまり自覚はないけど」
「二卵生なんでしたっけ?」
「性別が違うからね。だから普通の兄弟姉妹とあまり変わらないよ」
「それは残念。もしソックリならここで働いてもらえたんですけど」
「えぇ……身内が同じ店の従業員とか嫌すぎる」
想像だけでも耐えられない。隙を見て甘えてくる姿が容易にイメージ出来た。
「いえ、そうじゃなくて」
「ん?」
「同じ顔なら先輩の代わりに働いてもらえるじゃないですか。負担が半分に減りますよ」
「あっ、なるほど」
「本当にそうなったら面白そうですよね」
「ははは。鬼頭さんって頭いいよね」
「あ、ありがとうございます…」
思った感想を素直に口にする。その言葉に反応して目の前にある体の動きが一瞬だけ停止。
「鬼頭さんは兄弟いないんだっけ?」
「1人っ子……です」
「ふ~ん、そっか」
「んっ…」
昼食をとった後は再び戦場へ。といってもピークであるランチタイムは過ぎていたので割と楽だった。
パートさんがいなくなった後は店長と鬼頭さんの3
人での営業。7時過ぎになりボチボチお客さんが帰ってしまった所で学生の自分達は上がらせてもらった。
「んーーっ!」
店の外で強張っていた背筋を伸ばす。開放感も相まってか顔に当たるヒンヤリとした空気が気持ち良い。
「お疲れ様です」
「ん、お疲れ」
2人して夜の道路を歩いた。彼女の方は通学にも利用している自転車を押しながら。
「先輩って明日何時からですか?」
「11時。ランチが終わる2時からが良いなぁ…」
「あはは、なら私のが1時間早いですね。明日も頑張りましょう」
「だね。気合いで乗り切りますかぁ」
「じゃあ、おやすみなさい」
「またね~」
駅までやって来ると解散する。暗闇に消えていく小柄な体を手を振りながら見送った。
「ジュース買ってこ…」
店から駅までは徒歩で10分ほど。海城高校から見て駅とは反対側にある為、いつも帰りは校門前を通って歩いていた。
交通費は支給されないが定期があるので問題ない。高校の近くを選んだのは地元の人間と遭遇したくないから。全てが打算で動いていた。
「お帰りなさーーい!」
「うぉっ!?」
自宅のドアを開けた瞬間に何かが飛びかかってくる。満面の笑みを浮かべている双子の妹が。
「……危なかった」
「む~、どうして避けるのぉ?」
「いやいや、避けないと何されるか分からないし」
「ひっどーい。せっかく頑張って働いてきたご褒美にハグしてあげようと思ったのに」
「いらない、いらない」
抱き付いてこようとしていたのを寸前で回避する事に成功。リビングにいる家族に聞かれたらマズい台詞を平然と口にしてきた。
「そういえば晩御飯は?」
「まだ食べてないから何か欲しいかな。皆はもう済ませたの?」
「あ、え~とね…」
「ん?」
「昼に行ったバイキングで全員張り切っちゃってさ。今もお腹いっぱいで何も食べてないんだよね」
「なんて贅沢な悩み…」
1食分削れるぐらい堪能してきたなんて。羨ましいし恨めしい。
その後、華恋が作っておいてくれた炒飯を1人で頬張る事に。味は文句なしだがすぐ目の前で何度も味の評価を尋ねてくる行為には若干ウンザリ。それでもわざわざ手料理を作ってくれた優しさには感謝していた。
「ぐげえぇぇ…」
「どんな声を出してるんですか」
翌日も日中はバイトに没頭する。1日の労働が終わった後は鬼頭さんと2人で駅までの道のりを歩いた。
「今日は昨日より忙しかった気がする」
「ですねぇ」
「夕方のラッシュは一体なんだったんだ…」
ランチ終わりの午後、のんびり過ごしていたらユニフォーム姿の男性達が大勢で来店してきたのだ。近所の球場で草野球の試合があり、その打ち上げとの事。パートの女性が帰ってしまった為に店長と鬼頭さんの3人で店中を駆けずり回る羽目に。ランチタイム並の忙しさだった
「どうして喫茶店で打ち上げなんかするかなぁ…」
「普通は居酒屋とか焼き肉ですよね」
「本当だよ。喫茶店でビールの飲み会は合わないや」
「店長さんは喜んでたみたいですけど。あの人達のおかげで今日の売り上げ良かったらしいですから」
「いやいや、嬉しいの店長だけだってば」
店の利益が高くても手元にくる給料は変わらない。同じ金額を手に入れるなら少しでも楽な道を選びたい。
「でも売り上げが低かったらお店が潰れて私達が働けなくなっちゃいますよ?」
「それは……困るかな」
「はい。それにこうして先輩と顔を合わせる機会も無くなってしまいますから」
「へっ!?」
口から間抜けな声が出る。言葉の真意を尋ねたかったが実行出来なかった。
「そういえば先輩って明日休みですよね?」
「ん? そうだよ」
「ならたっぷり休めるじゃないですか」
「ん~…」
休めるだろうか。出かける約束がある。しかも強制連行という条件付きで。
「ちなみに私も明日休みですよ」
「へぇ、そうなんだ」
「気付いてました? 私がいつも先輩のシフトに合わせて休みをもらっている事に」
「うぇっ!?」
口から再び間抜けな声を出る。何気なく発せられた彼女の台詞に不意を突かれてしまった。
「あそこのお店ってほとんどが私より先に働いてた人達じゃないですか」
「そ、そうだね」
「だから先輩が入って来てくれた時は嬉しかったです。自分にも後輩が出来たって気がして」
「後輩…」
「やっぱりいろいろ指示されるより誰かに命令してた方が気分良いんですよね。先輩、私の言うこと何でも聞いてくれるし」
「は、はぁ…」
ふとある考えが思い浮かぶ。その疑問を恐る恐る質問へと変換してみた。
「あの……どうしてわざわざ休みや出勤日を同じにしてるの?」
「え? そんなの先輩にあれこれ指示出せるからに決まってるじゃないですか」
「……ですよね」
落胆とショックが止まらない。都合の良い回答を期待していた事が情けなくなって。
「あっ、でも勘違いしないでくださいね。別に先輩の事をバカにしてる訳じゃないですから」
「うん…」
「なんていうか話しかけやすいんですよ。頼み事をしても聞いてくれそうっていうか」
「……どうも」
「時々、学校の友達と喋ってるような錯覚起こしちゃうんですよね。先輩って年上って感じがしないし」
「はぁ…」
それは遠回しに威厳がないと言われているようなもの。喜べない賛辞の言葉だった。
「でも2人揃って休んじゃって大丈夫なのかな。パートの人達は春休みだから子供の世話とかで忙しいだろうに」
「明日は瑞穂さんが入ってるから大丈夫ですよ。1人で2人分の働きをしてくれますって」
「あぁ、ならいっか」
話題を少しずつ移行する。自分達と同じ未成年組で、近くの大学に通ってる女性に。
その人は清楚な雰囲気に付け加えてとびきりの美人。仕事の要領もよく何でもそつなくこなす完璧超人。彼女と同じシフトに入っている日は凄まじく楽だった。
「瑞穂さんがいるなら大丈夫かな。一緒にフロア入る人が羨ましいや」
「ですね。私もあんな女性になりたいです」
「憧れって事?」
「はい、そうです。私にとってあの人は理想であり目標なので」
「が、頑張って…」
口では応援したが本心では半信半疑。彼女達ではタイプが違いすぎるので。
身長が高い瑞穂さんに対して鬼頭さんは小柄。2人並べると親子程の差がある。更に化粧をしている瑞穂さんに対して彼女は常にスッピン。ランドセルを背負わせたら小学生に見えなくもなかった。
「駅に着いちゃいましたね」
「だね。わざわざ付き合ってくれてありがと」
「いえいえ、それでは」
「気をつけて帰るんだよ~」
元気よくペダルを漕いで走り去る鬼頭さんを見送る。幼女狙いの変質者に遭遇しない事を祈りながら。
「良い子だなぁ…」
彼女は毎回こうして駅まで同行してくれていた。わざわざ自転車を押してまで。
自宅は店から見て駅と同じ方角にあるらしいがそれでも遠回りしている点に変わりはない。疲労を我慢してまで一緒に帰ってくれる行動が嬉しくて仕方なかった。
「行ってきま~す」
翌日、正午頃に華恋と自宅を出発する。予定通り2人で遊びに行く為に。
先に約束していた颯太との遊びはキャンセル。悩んだ末に久しぶりに帰ってきた妹のワガママに付き合ってあげる事にした。
「……何これ」
「ん? どしたの?」
左腕に華恋がベッタリまとわり付いてくる。腕を絡めるというより、もたれかかってくる感じで。
「な、なんでこういう体勢なの?」
「だってデートじゃん。普通、デートは腕組むもんでしょ?」
「とても歩きにくいのですが…」
「気にしない気にしない。じゃあ行くよ~」
「えぇ…」
不慣れな姿勢で住宅街を移動。駅まで歩くと電車を利用して大型のショッピングセンターへとやって来た。
「おぉ、結構広いじゃない」
飲食店や雑貨屋だけでなく映画館やゲームセンターも完備されている施設。時間を潰すにはうってつけの場所だった。
「ね、ねぇ……そろそろ離れない?」
「はあぁ!? なんでよ」
「だって…」
自由を求めて解放を懇願する。周りを見回せば家族連れやカップル、学生のグループなと様々な人達が蠢いていた。
こういう場所で男女が手を繋いで歩いてる光景は珍しくないだろう。けれどこれだけ数多くの人がいるならば知り合いに遭遇する可能性も考えなくてはならなかった。
「文句ないならこのままで行くわよ。良いわね?」
「だ、誰かに見られちゃったらどうするのさ。うっかり出くわしちゃったら」
「あん? 別に普通に声かければ良いだけじゃないの」
「嘘ぉん…」
彼女の発言が信じられない。以前は抵抗の様子を見せていたのに。
「さ~て、一階から順番に回っていこうかしらね」
「うぅ…」
過剰に辺りの様子を警戒する。逃亡者にでもなった気分で。
一番見つかりたくないのは颯太だ。彼には昨日『風邪を引いて遊べなくなった』と嘘をついている。こんな現場を目撃されたら絶交されてしまうかもしれない。
「美味しい~」
それから2人でフラフラとブティックや飲食店を巡った。途中で買った粒々アイスを買い食いしたり。
腰を下ろしたいがどこのお店も人で溢れかえっている。ベンチには常に誰かが座っていてフードコートもほぼ満席状態。生半可な覚悟で足を運んだ事を後悔し始めていた。
「人、多いねぇ」
「だって春休みだもん。皆、考える事は一緒なんだよ」
「あっ、あれ可愛い」
華恋が近くにあったファンシーショップへと駆けて行く。店頭のディスプレイに並べられたクマのヌイグルミが視界に飛び込んできた。
「モフモフ~」
「商品に抱きつくのはやめようか」
「ねぇ、これ買って」
「やだよ。誕生日でもないのに」
「お兄ちゃ~ん、お願ぁ~い」
「……うっ」
甘ったるい声を飛ばしてくる。聞いていて恥ずかしくなるよう台詞を。
「7800円…」
返事は返さずに首元についた値札を確認。予想を遥かに上回る金額が目に入ってきた。時給の10倍近い値段が。
「欲しいなら自分で買いなよ」
「えぇ、良いじゃん良いじゃ~ん」
「ダメ。ワガママ言わない」
「ちぇっ……ケチ」
いくらバイトをして金銭的に余裕が出てきたからといって得体の知れない物にお金を注ぎ込む気にはなれない。どうせ飽きたら部屋に放置して、汚れたらゴミ箱行きが関の山だから。
「はぁ…」
ブーブー文句を垂れながら店の中へと入って行く背中を見送る。店内は女の子しかいなかったので自分は外で待機する事に。
「ん?」
入口付近の商品と睨めっこしていると肩に異変を察知。誰かに叩かれていた。
「げっ!」
「あーーっ、やっぱり先輩だぁ」
反射的に後ろに振り返る。そこにいたのは小柄の女の子。バイト先の後輩だった。
「何してたんですか?」
「えっと…」
「こういうお店に興味あるんですか?」
「いや、そういう訳ではないんだけどね」
「ふ~ん、私は好きですよ。よく遊びに来たりします」
「そ、そうなんだ…」
突然の遭遇に焦りが止まらない。背後を覗き見ようとする彼女の視線を咄嗟にガードした。
「よく分かったね。僕だって」
「最初見かけた時は気付かなかったんですけどね。しばらく後を尾けてみたら先輩だったんで声かけちゃいました」
「へ、へぇ…」
問い掛けに対して屈託のない笑顔を向けてくる。悪意はないが好奇心に満ちた表情を。
どうせなら見て見ぬフリをしてくれれば良かったのに。運の悪さを思い切り呪った。
「き、鬼頭さんは何しにここまで来たのかな?」
「えっと……当てもなくブラブラと」
「そ、そうなんだ」
お互い視線を外す。それぞれ天井と床に向かって。
「雅人~」
「え?」
この状況をどう乗り切るべきか。そんな事を考えていると背後から名前を呼ばれてしまった。
「……誰と喋ってんの、アンタ」
「いや、その…」
「ん?」
「バイト先の子と偶然出くわしちゃって…」
もう誤魔化すのは不可能なので観念して紹介する。突然現れた乱入者を。
「あっ、はじめまして」
「あ……は、初めまして」
「先輩のバイト先で一緒に働いている者です」
「ど、ども…」
「こんにちは」
一足先に鬼頭さんが丁寧な挨拶を披露。その行動に対して強気な華恋が一歩後退りした。
「あの……先輩の彼女さんですか?」
「えっ!?」
続けて会話がスタートしてしまう。勘違い全開のシチュエーションへと。
「違う違う。妹だよ、これ!」
「……妹?」
「ほら、一昨日話した」
「あぁ! あの武者修行から帰って来たっていう双子の」
「そうそう、それ」
すぐさま言い訳を展開。予め事情を説明しておいたおかげか割と早く軌道修正に成功した。
「武者修行…」
焦る自分のすぐ隣からクエスチョンマークを付けた台詞が飛んでくる。やや混乱気味の華恋の呟きが。
「あ、え~と……私はそろそろ行きますね。デートの邪魔しちゃ悪いですし」
「う、うん。またね」
「それでは」
気まずい雰囲気を察知した鬼頭さんが頭を下げながら退散。去り際に華恋の様子をチラチラと窺っていた。
「……ふぅ」
なんとか上手く回避出来たらしい。ホッと胸を撫で下ろす。
いろいろ疑問は抱いていたが何かしらの事情がある事を察知してくれたのだろう。とりあえず空気が読める子で助かった。
「……ねぇ」
「ん?」
「今の聞いた?」
「な、何を?」
「彼女だって。うふふふふ…」
「怖いよ…」
2人きりになった途端に華恋が話しかけてくる。不気味な笑みを浮かべながら。
「やっぱそう見えるんだ、私達」
「そりゃあ知らない人からしたらね」
「やっだぁ、恥ずかしいっ!」
「いって!?」
肩に痛みが発生。激しい漫才のツッコミのように叩かれてしまった。
「キャーーッ! デートだって、デートだって」
「いつつ…」
続けて暴走娘が顔に両手を当てて喚き出す。頬を紅潮させて。
「……はぁ」
まさかこんなに早く鉢合わせしてしまうなんて。ある程度の覚悟はしていたけどやっぱりキツい。ただせめてもの救いは鬼頭さんが他校の人間だという点だった。
彼女がクラスメートや直属の後輩だったなら共通の知り合いに噂が広められていたかもしれない。そんな真似をする人間とは思っていないけれど誰にも知られないに越した事はないから。
それに声をかけてきてくれたのが華恋が店内にいるタイミングという要素も大きい。もし寄り添っている時に出くわしていたらどんな言い訳も通用しなかった。
「ん?」
思考を捻っている途中で先程のやり取りを振り返る。彼女は言っていた。最初に見かけた時は誰だか気付けなかったのでしばらく尾行したと。
つまり鬼頭さんと遭遇したのはこの場所ではなくずっとずっと前。彼女はショッピングセンター内をウロついている自分達を観察し続けていたのだ。
「う、うわぁあぁあぁぁっ!!」
思わず叫んでしまう。周りの通行人達の意識を集めてしまうレベルで。
「な、なに急に!」
「うぐぐ…」
「ちょっと、雅人!」
羞恥心に塗れている所に恥を上塗り。逃げ出すようにその場を移動した。
後ろから名前を呼ばれたが全てスルー。後輩が向かった先とは違う方角へと逃亡した。
「どうしたのよ。いきなり叫びだしたと思ったら1人で歩き出して」
「やいやいやい、なんて事してくれたのさ!?」
「はぁ!?」
自販機が並べられた休憩スペースまでやって来ると立ち止まる。振り返りながら事情を理解していない妹の肩を掴んだ。
「ちょ……痛いってば」
「ああぁ、もうお終いだぁ…」
「なに1人でパニクってんのよ」
「絶対からかわれるぅ、ネタにして遊ばれるぅ…」
兄妹で腕を組むなんて普通は有り得ない。ましてや高校生にもなって2人でお出掛けなんて。
きっと今頃、鬼頭さんの頭の中で自分は変態の烙印を押されているのだろう。頼り甲斐のある先輩のイメージが脆くも崩れ去ってしまった。
「お店行くのやだな…」
バイトに行きたくない。もういっそこれを機に辞めてしまおうか。頭の中でバカな事を考えていると華恋が声をかけてきた。
「と、とりあえず落ち着きなって。何か飲む?」
「……そだね。喉乾いちゃったし」
自販機でスポーツドリンクを購入する。プルタブを開けるとカラカラに乾ききった口の中に少しずつ流し込んだ。
「落ち着いた?」
「うん…」
「さっきの子に私と一緒にいる所を見られたのが恥ずかしかったの?」
「まぁ、そんな感じ」
「そりゃあ照れくさい気持ちも分からなくもないけどさ。そこまで嫌がらなくても良いじゃん……傷つく」
「ご、ごめん…」
彼女の立場からしたらそうだろう。何も悪い事をしていないのに責められて煙たがられて。
「あのさ…」
「ん?」
「武者修行って何?」
「さ、さぁ?」
質問内容が微妙に変化。パニックに陥っているせいか上手い説明が出てこない。
「……はぁ」
お互いに溜め息をつく。結局、この日は1日中気まずい空気のまま過ごす羽目になった。
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