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第2部 私と貴方の婚約者生活
第22話 過去の傷はどれだけ時を経っても癒える事はない。
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『大丈夫か、エステル?』
レヨンドールは少し首を傾け、背中に乗る私へと視線を向ける。
今、私たちは敵に見つからないように、雲の上から彼らを追跡している最中です。
「問題ないわレヨンドール、この騎乗の加護が込められた魔法石がちゃんと効いているみたい」
私は胸元のブローチを握りしめる。
この加護が込められた魔法石のブローチは、前回の襲撃事件の後にお父様が用意した物です。
「これのおかげで、雲の中でも問題なく貴方に騎乗できるわ」
騎乗の加護が込められた魔法石であれば、気圧、気温、酸素と風除けの問題全てが解決できます。
つまり何の鍛錬もつんでいないただのご令嬢、小さな子どもであっても問題なく竜に乗ることができる便利なアイテムだ。
ただし欠点もあり、効果を発揮するのは竜に騎乗している時だけだと言う事。
そしてもう一つは、これはあくまでも騎乗の環境が楽になるだけであって、騎乗技術が向上するような品ではないという事です。
では何故、何の鍛錬も積んでない私がレヨンドールに乗れているのかというと、それは全て高い知能を持つレヨンドールのおかげでしょう。
「……それにしても、色々とわからない事だらけですね」
『どうしたエステル? 何か気になる事でもあるのか?』
「はい、まず一つ、何故彼らは此方の方角へ向かったのでしょう」
彼らは自分たちの来た方向、国境線の近い北西方向ではなく北東方向へと舵を取りました。
おそらく他国の者である彼らが、西方向ではなく皇都に近い東方向へと向かう明確な理由が全くと言っていいほど思いつきません。
「そしてもう一つ、ウィルを狙った理由がわかりません。殺害目的ではなく何故攫ったのかも……」
人質にとって交渉の材料にするのなら、まずは国境線を超える事を最優先させるべきです。
もし人質でないのだとしたら、一体何のためにウィルは攫われたのか。
その理由が何なのか皆目見当がつきません。
結局の所、私たちが後手を踏んでしまっている1番の理由がこれでしょう。
敵の目的が不明確な以上、その対応にはとても苦慮します。
『……この方角、そうか! 奴らは北の山脈に向かっているやもしれん』
北の山脈と言えば、お爺様がエスターを捜索していた時にドラゴンと死闘を繰り広げた場所ですね。
野生の竜の多くが北の山脈を根城にしており、帝国で使われている竜の源流を辿れば彼らに辿り着きます。
『愚かな! 今更何のために、馬鹿な事を考えおって!』
声を荒げるレヨンドールの顔が険しくなる。
「ど、どういう事ですか?」
『敵の目的がアレだとしたら、奴らにとって必要なのはウィルではない。ウィルに流れている皇族の血だ』
皇族の血は特別である。
帝国臣民であれば誰もが聞いたことのある言葉。
主に皇帝陛下や皇族の方々を崇拝する方達が中心になって言われ続けていた事です。
しかし私はこの言葉を、偶像的な信奉を集めるための手法の一つだと考えていました。
もし皇族の血になにか特別な力があるとしたら、私はこの言葉の本当の意味を知らなかったのかもしれません。
『北の山脈にはその昔、ウィルやジョージの祖先、つまりは初代皇帝が封印した竜が眠っている。エステルも子守唄などで聞いた事があるのではないか?』
帝国臣民であれば、誰もが子供の時に読み聞かせさせられたおとぎ話の一つ。
人族の王が竜王と協力し、闇の力に堕ちた竜を山頂の神殿に封印するお話の事でしょうか?
私も小さな時に、お母様から絵本を読んでもらった記憶があります。
しかしこのお話は、あくまでも作られた作品であり、人族の王が帝国の初代皇帝である事、封印された場所が北の山脈などと記されているわけではありません。
『初代皇帝が北の山脈の南側に皇都を構え、竜達が北の山脈に根城を構えた理由もその一つだ』
「では、あのおとぎ話は本当の事を……?」
私の頬を一筋の汗が伝う。
もしあの話が本当であれば、封印されているのはおとぎ話に出てきた厄災と呼ばれた竜である。
厄災竜は人族の国のほとんどを滅ぼし、多くの人の命を奪ったと物語では描かれていました。
『半分は正解で半分はハズレだ。例えばおとぎ話には、厄災竜が生まれた要因は人族の手による事などは描かれていない』
「レヨンドール、貴方一体……?」
私はレヨンドールの白銀の鱗に視線を落とす。
そういえばあの物語に描かれていた竜王とは白銀の竜でした。
まさか……?
私はそこでグッと言葉を飲み込みました。
なぜならレヨンドールは、苦痛な表情でどこか遠くに想いを馳せているように見えたからです。
『……逃げて逃れてその先で、結局また過去と向き合わされる。因果応報とはこの事か』
一体レヨンドールの過去に何があったのか。
私のようなまだ十数年しか生きていない若者には計り知れません。
しかしどんなに年が離れていても、種族が違っていても、ただ側にいて寄り添う事はできます。
そしてレヨンドールの友人である私は、彼をもう一度奮い立たさなければなりません。
私はレヨンドールの背中を優しく摩る。
「レヨンドール、貴方の過去に何があったかは知りません。もし、知ったとしてもその苦しみから私が解放できるわけでもありません」
自分で言った言葉が、そのまま自らの心に棘の様に突き刺さる。
私が今背負っているこの苦しみは私だけのものです。
エスターやお爺様、お父様のせいにした方が幾分か気持ちは楽になるのでしょうか?
いいえ、今の私はむしろ感謝さえしています。
だってそうじゃなきゃ、ウィルに出会う事なんてなかったんだもの。
だからこそこの苦しみこそが、私の背負うべき罰なのでしょう。
「しかし今、この状況を打破できるのは私たちだけです。過去はどうにもできませんが、今は変える事ができるはずです。私は何があってもウィルを助けたい、だから貴方の手を貸してはくれませんか?」
『ふっ……ふはははははっ! あぁ、そうだ、お前の言う通りだエステル』
レヨンドールは険しかった表情を崩す。
『おかげで気合が入った。腑抜けかかった我が身に発破をかけてくれた事、感謝するぞエステル』
どうやらいつものレヨンドールに戻ったようです。
私も自らの両頬を掌で叩いて気合を入れ直した。
ちょうどその時です。
雲の隙間から見えた地上に、見覚えのある竜達の姿が見えました。
「レヨンドール、見つけたわ! あそこよ!!」
私は地上に降りた竜達を指差す。
竜達は北の山脈の西方の麓にある細長い崖の谷間付近に繋がれていました。
『くそっ、一足遅かったか!!』
レヨンドールは首を下げ、私が振り落とされないように回転しつつ下降していく。
『あの谷底に竜が封印されている神殿がある』
「えぇっ、封印されているのって山頂の神殿じゃ!?」
『だから言ったであろう。おとぎ話はその全てが正確ではないと! 真実を隠すためにごまかしている部分もあるのだ』
どうやら事は一刻を争う様です。
しかしこれでは……私は崖上に繋がれた竜達に視線を向ける。
彼らが竜をここに置いていったのは、この谷間を竜が通る事ができないからだ。
つまりはレヨンドール抜き、私1人でウィルを救出しなければなりません。
くっ、こんな事なら速度が落ちてもいいから、誰かもう1人連れてくるべきだったでしょうか。
いや、あの場にはシエル様もいましたし竜は2体、エトワール様がどれだけ戦えるかも不明な状況で、エマかアルお兄様のどちらかを連れて行くのは難しい判断だったと思います。
それに今更、先の判断を悔やんでいる場合ではありません。
後で反省すべき事を今悩んでいても、物事は何一つ解決しないのですから。
私がそうこう考えているうちに、レヨンドールは地上へと降り立った。
「レヨンドールはここで待っていてください。私は1人でもやれるだけの事をやってみます」
レヨンドールから降りた私は、そっと谷底を覗き込む。
どうやら敵は先に行ったのか、私の場所から見える範囲にはいないようです。
急がなければならない状況なのですが、私は目の前の景色にゴクリと生唾を飲み込んだ。
空から見下ろした景色とは違い、底が見えないというのはこんなにも恐怖心を煽るものなのでしょうか。
身震いするほどの深さに、思わず足が竦みそうになる。
しかしこんな所で躊躇ってる場合ではありません。
私は谷底へ向かう道に足を向けた。
『待て、なぜ1人で行こうとする。ワシも一緒にいくぞ!!』
「いや、でも……」
だって明らかに無理でしょ。
私はレヨンドールの大きな体躯と、崖の谷間を交互に見る。
『ふふん、こうするのだ』
レヨンドールの身体が光に包まれる。
光は徐々に小さくなって行き、最後には人の様な形へと収まっていった。
「えっ? エッ!?」
私の目の前に白髪のご老人が姿を現わす。
ご老人といってもその身体の大きさはウィルよりも大きく、騎士と変わらぬくらいガッシリとした体つきをしている。
スーツを着ればベテランの執事や上級貴族のような品の良さがあり、軍服をきれば現役の軍人にも見えるその姿は、まさに男にとっての理想的な歳の取り方だ。
「レ、レヨンドール……?」
私がそう尋ねると目の前のご老人は首を縦に振った。
やはりこのご老人はレヨンドールで間違いないようである。
「人族の姿になるのは久方ぶりだが、どうやら問題ない様だ」
「一体その姿は……?」
竜が人の姿になるなんて聞いたことがない。
ウィルやヘンリーお兄様はこの事を知っているのでしょうか?
「詳しい説明はまた後だ。今は時間がないから急ぐぞエステル!!」
「あっ、ちょっ!?」
レヨンドールは私の身体を俵の様に担ぐと、谷底へ向かって崖の裂け目をダイブした。
「うっ!」
わぁぁぁあああああああ。
私は叫びそうになった口を咄嗟に抑える。
こんな所で叫んでしまえば、敵にばれるかもしれません。
レヨンドールは器用に壁面を足で蹴飛ばしつつ、谷底にある神殿に向かって落下して行く。
「着いたぞエステル」
はぁっ、はぁっ、心臓が飛び出るかと思いました。
いくら急いでいるとはいえ、できれば事前に言って欲しかったです……。
「こっちだ」
レヨンドールの後に続いて移動していると、神殿がグラグラと揺れて地面に土埃が落ちてきた。
よろめきそうになった私は壁に手をつく。
「もう儀式が始まったか。どうやら様子を伺っている時間はなさそうだな。敵はワシが仕留めるからエステルはウィルを頼むぞ!」
「はい!」
私達は儀式が行われている祭壇の扉を潜り抜けた。
◇
「……ウィル」
声が聞こえる。
俺のよく知った暖かな声。
この声に名前を呼ばれるだけで、俺の心はいつも和らいだ。
「……起きて、ウィル!!」
誰かが俺の頬を平手打ちでペチペチと叩く。
皇太子である俺の頬を叩くなど、彼女はやはり他のご令嬢とはどこか違う。
だからこそ俺は君に惹かれたのだろうな。
「エス……ター……?」
目を開くとぼやけていた視界が徐々にはっきりとしていく。
そして俺の視線の先には、この世界で最も愛おしい人の顔があった。
エスターの顔を見ただけで安らかな気持ちになる自分がいる。
しかし、どうやらこの安堵感に浸ってる余裕はないようだ。
「っ!? ここは? どうなった!? エスターは無事なのかっ!!?」
慌てて飛び起きた俺は周囲を見渡す。
どこかの神殿のようだな? ここは祭壇の上か?
祭壇の下には、俺を攫った奴らが転がっている。
それともう1人、見知らぬご老人が襲撃者の1人を地面に押さえつけていた。
どうやら彼が襲撃者達を倒してくれたようだな。
……しかしあのご老人、どこか他人とは思えぬ、俺がど忘れしているだけか?
「私は大丈夫です。レヨンドールが助けてくれましたから」
レヨンドール……?
エスターはご老人の方を見て、確かにその名を呼んだ。
私は再びご老人の方に視線を向ける。
竜が人の姿になるなど聞いたことがない。
しかしエスターの口から彼の正体がレヨンドールと知った時、どこかしっくりとした自分がいる。
エスターが嘘をつくとも思えないし、アレがレヨンドールなのは間違いないんだろう。
レヨンドールの奴め、主人である俺にずっと隠していたな。
まぁいい……隠していたという事は知られたくなかったという事だろう。
誰にでも秘密の一つや二つくらいはあるものだ。
「観念しろ、お前達の野望はここで終わりだ、誰だ首謀者は!? なぜこの事を知っている?」
敵を押さえつけたレヨンドールの顔からは怒りが感じられた。
「……それはどうかな? 残念だがお前は間に合わなかった、儀式はすでに完成している」
レヨンドールに押さえつけられた敵は笑みをうかべた。
次の瞬間、後ろから押された俺の身体が祭壇から転がり落ちる。
そしてさっきまで俺の居た祭壇が黒い靄に包まれると、俺の愛おしい人の姿を飲み込んでいった。
「エスター!!」
俺は声をあげ、祭壇へと手を伸ばす。
レヨンドールは飛び出そうとした俺の体を押さえつけた。
「くっ、離せレヨンドール!!」
「ダメだウィル! ここでお前が飛び込めばどうなるかわからんぞ!!」
わかっている、分かっているのだそんな事は!
しかし俺には目の前で黒い靄に飲まれたエスターを見捨てる事などできぬ。
「っ! 靄がっ!?」
黒い靄が徐々に霧散していくと、再びエスターの姿が見える。
「エスター! 大丈夫かっ!?」
ここから見る限りは、エスターの身体に何か異変があったようには感じない。
しかし俺にはどうしても目の前にいる人物が、俺のよく知っているエスターだとは思えなかった。
『あぁ……憎い、憎いぞ!』
背筋がゾクリと冷える。
聞き覚えのある透き通った声。
しかしその声は、俺が知っている声と似て非なるもの。
エスターの声にはもっと温かみがあった。
『心の底から怒りがこみ上げてくる。時を経ても霞む事ないこの怒り、どこにぶつけてくれようか!』
俺のよく知る顔が、俺の知らない表情を見せる。
悪意をむき出しにした表情を浮かべるエスターの姿に俺は拳を握りしめた。
「ふざけるなっ!」
俺は地面に落ちてた敵の剣を拾い上げ身構える。
「その身体はお前のモノではない、返させて貰うぞ!!」
レヨンドールは少し首を傾け、背中に乗る私へと視線を向ける。
今、私たちは敵に見つからないように、雲の上から彼らを追跡している最中です。
「問題ないわレヨンドール、この騎乗の加護が込められた魔法石がちゃんと効いているみたい」
私は胸元のブローチを握りしめる。
この加護が込められた魔法石のブローチは、前回の襲撃事件の後にお父様が用意した物です。
「これのおかげで、雲の中でも問題なく貴方に騎乗できるわ」
騎乗の加護が込められた魔法石であれば、気圧、気温、酸素と風除けの問題全てが解決できます。
つまり何の鍛錬もつんでいないただのご令嬢、小さな子どもであっても問題なく竜に乗ることができる便利なアイテムだ。
ただし欠点もあり、効果を発揮するのは竜に騎乗している時だけだと言う事。
そしてもう一つは、これはあくまでも騎乗の環境が楽になるだけであって、騎乗技術が向上するような品ではないという事です。
では何故、何の鍛錬も積んでない私がレヨンドールに乗れているのかというと、それは全て高い知能を持つレヨンドールのおかげでしょう。
「……それにしても、色々とわからない事だらけですね」
『どうしたエステル? 何か気になる事でもあるのか?』
「はい、まず一つ、何故彼らは此方の方角へ向かったのでしょう」
彼らは自分たちの来た方向、国境線の近い北西方向ではなく北東方向へと舵を取りました。
おそらく他国の者である彼らが、西方向ではなく皇都に近い東方向へと向かう明確な理由が全くと言っていいほど思いつきません。
「そしてもう一つ、ウィルを狙った理由がわかりません。殺害目的ではなく何故攫ったのかも……」
人質にとって交渉の材料にするのなら、まずは国境線を超える事を最優先させるべきです。
もし人質でないのだとしたら、一体何のためにウィルは攫われたのか。
その理由が何なのか皆目見当がつきません。
結局の所、私たちが後手を踏んでしまっている1番の理由がこれでしょう。
敵の目的が不明確な以上、その対応にはとても苦慮します。
『……この方角、そうか! 奴らは北の山脈に向かっているやもしれん』
北の山脈と言えば、お爺様がエスターを捜索していた時にドラゴンと死闘を繰り広げた場所ですね。
野生の竜の多くが北の山脈を根城にしており、帝国で使われている竜の源流を辿れば彼らに辿り着きます。
『愚かな! 今更何のために、馬鹿な事を考えおって!』
声を荒げるレヨンドールの顔が険しくなる。
「ど、どういう事ですか?」
『敵の目的がアレだとしたら、奴らにとって必要なのはウィルではない。ウィルに流れている皇族の血だ』
皇族の血は特別である。
帝国臣民であれば誰もが聞いたことのある言葉。
主に皇帝陛下や皇族の方々を崇拝する方達が中心になって言われ続けていた事です。
しかし私はこの言葉を、偶像的な信奉を集めるための手法の一つだと考えていました。
もし皇族の血になにか特別な力があるとしたら、私はこの言葉の本当の意味を知らなかったのかもしれません。
『北の山脈にはその昔、ウィルやジョージの祖先、つまりは初代皇帝が封印した竜が眠っている。エステルも子守唄などで聞いた事があるのではないか?』
帝国臣民であれば、誰もが子供の時に読み聞かせさせられたおとぎ話の一つ。
人族の王が竜王と協力し、闇の力に堕ちた竜を山頂の神殿に封印するお話の事でしょうか?
私も小さな時に、お母様から絵本を読んでもらった記憶があります。
しかしこのお話は、あくまでも作られた作品であり、人族の王が帝国の初代皇帝である事、封印された場所が北の山脈などと記されているわけではありません。
『初代皇帝が北の山脈の南側に皇都を構え、竜達が北の山脈に根城を構えた理由もその一つだ』
「では、あのおとぎ話は本当の事を……?」
私の頬を一筋の汗が伝う。
もしあの話が本当であれば、封印されているのはおとぎ話に出てきた厄災と呼ばれた竜である。
厄災竜は人族の国のほとんどを滅ぼし、多くの人の命を奪ったと物語では描かれていました。
『半分は正解で半分はハズレだ。例えばおとぎ話には、厄災竜が生まれた要因は人族の手による事などは描かれていない』
「レヨンドール、貴方一体……?」
私はレヨンドールの白銀の鱗に視線を落とす。
そういえばあの物語に描かれていた竜王とは白銀の竜でした。
まさか……?
私はそこでグッと言葉を飲み込みました。
なぜならレヨンドールは、苦痛な表情でどこか遠くに想いを馳せているように見えたからです。
『……逃げて逃れてその先で、結局また過去と向き合わされる。因果応報とはこの事か』
一体レヨンドールの過去に何があったのか。
私のようなまだ十数年しか生きていない若者には計り知れません。
しかしどんなに年が離れていても、種族が違っていても、ただ側にいて寄り添う事はできます。
そしてレヨンドールの友人である私は、彼をもう一度奮い立たさなければなりません。
私はレヨンドールの背中を優しく摩る。
「レヨンドール、貴方の過去に何があったかは知りません。もし、知ったとしてもその苦しみから私が解放できるわけでもありません」
自分で言った言葉が、そのまま自らの心に棘の様に突き刺さる。
私が今背負っているこの苦しみは私だけのものです。
エスターやお爺様、お父様のせいにした方が幾分か気持ちは楽になるのでしょうか?
いいえ、今の私はむしろ感謝さえしています。
だってそうじゃなきゃ、ウィルに出会う事なんてなかったんだもの。
だからこそこの苦しみこそが、私の背負うべき罰なのでしょう。
「しかし今、この状況を打破できるのは私たちだけです。過去はどうにもできませんが、今は変える事ができるはずです。私は何があってもウィルを助けたい、だから貴方の手を貸してはくれませんか?」
『ふっ……ふはははははっ! あぁ、そうだ、お前の言う通りだエステル』
レヨンドールは険しかった表情を崩す。
『おかげで気合が入った。腑抜けかかった我が身に発破をかけてくれた事、感謝するぞエステル』
どうやらいつものレヨンドールに戻ったようです。
私も自らの両頬を掌で叩いて気合を入れ直した。
ちょうどその時です。
雲の隙間から見えた地上に、見覚えのある竜達の姿が見えました。
「レヨンドール、見つけたわ! あそこよ!!」
私は地上に降りた竜達を指差す。
竜達は北の山脈の西方の麓にある細長い崖の谷間付近に繋がれていました。
『くそっ、一足遅かったか!!』
レヨンドールは首を下げ、私が振り落とされないように回転しつつ下降していく。
『あの谷底に竜が封印されている神殿がある』
「えぇっ、封印されているのって山頂の神殿じゃ!?」
『だから言ったであろう。おとぎ話はその全てが正確ではないと! 真実を隠すためにごまかしている部分もあるのだ』
どうやら事は一刻を争う様です。
しかしこれでは……私は崖上に繋がれた竜達に視線を向ける。
彼らが竜をここに置いていったのは、この谷間を竜が通る事ができないからだ。
つまりはレヨンドール抜き、私1人でウィルを救出しなければなりません。
くっ、こんな事なら速度が落ちてもいいから、誰かもう1人連れてくるべきだったでしょうか。
いや、あの場にはシエル様もいましたし竜は2体、エトワール様がどれだけ戦えるかも不明な状況で、エマかアルお兄様のどちらかを連れて行くのは難しい判断だったと思います。
それに今更、先の判断を悔やんでいる場合ではありません。
後で反省すべき事を今悩んでいても、物事は何一つ解決しないのですから。
私がそうこう考えているうちに、レヨンドールは地上へと降り立った。
「レヨンドールはここで待っていてください。私は1人でもやれるだけの事をやってみます」
レヨンドールから降りた私は、そっと谷底を覗き込む。
どうやら敵は先に行ったのか、私の場所から見える範囲にはいないようです。
急がなければならない状況なのですが、私は目の前の景色にゴクリと生唾を飲み込んだ。
空から見下ろした景色とは違い、底が見えないというのはこんなにも恐怖心を煽るものなのでしょうか。
身震いするほどの深さに、思わず足が竦みそうになる。
しかしこんな所で躊躇ってる場合ではありません。
私は谷底へ向かう道に足を向けた。
『待て、なぜ1人で行こうとする。ワシも一緒にいくぞ!!』
「いや、でも……」
だって明らかに無理でしょ。
私はレヨンドールの大きな体躯と、崖の谷間を交互に見る。
『ふふん、こうするのだ』
レヨンドールの身体が光に包まれる。
光は徐々に小さくなって行き、最後には人の様な形へと収まっていった。
「えっ? エッ!?」
私の目の前に白髪のご老人が姿を現わす。
ご老人といってもその身体の大きさはウィルよりも大きく、騎士と変わらぬくらいガッシリとした体つきをしている。
スーツを着ればベテランの執事や上級貴族のような品の良さがあり、軍服をきれば現役の軍人にも見えるその姿は、まさに男にとっての理想的な歳の取り方だ。
「レ、レヨンドール……?」
私がそう尋ねると目の前のご老人は首を縦に振った。
やはりこのご老人はレヨンドールで間違いないようである。
「人族の姿になるのは久方ぶりだが、どうやら問題ない様だ」
「一体その姿は……?」
竜が人の姿になるなんて聞いたことがない。
ウィルやヘンリーお兄様はこの事を知っているのでしょうか?
「詳しい説明はまた後だ。今は時間がないから急ぐぞエステル!!」
「あっ、ちょっ!?」
レヨンドールは私の身体を俵の様に担ぐと、谷底へ向かって崖の裂け目をダイブした。
「うっ!」
わぁぁぁあああああああ。
私は叫びそうになった口を咄嗟に抑える。
こんな所で叫んでしまえば、敵にばれるかもしれません。
レヨンドールは器用に壁面を足で蹴飛ばしつつ、谷底にある神殿に向かって落下して行く。
「着いたぞエステル」
はぁっ、はぁっ、心臓が飛び出るかと思いました。
いくら急いでいるとはいえ、できれば事前に言って欲しかったです……。
「こっちだ」
レヨンドールの後に続いて移動していると、神殿がグラグラと揺れて地面に土埃が落ちてきた。
よろめきそうになった私は壁に手をつく。
「もう儀式が始まったか。どうやら様子を伺っている時間はなさそうだな。敵はワシが仕留めるからエステルはウィルを頼むぞ!」
「はい!」
私達は儀式が行われている祭壇の扉を潜り抜けた。
◇
「……ウィル」
声が聞こえる。
俺のよく知った暖かな声。
この声に名前を呼ばれるだけで、俺の心はいつも和らいだ。
「……起きて、ウィル!!」
誰かが俺の頬を平手打ちでペチペチと叩く。
皇太子である俺の頬を叩くなど、彼女はやはり他のご令嬢とはどこか違う。
だからこそ俺は君に惹かれたのだろうな。
「エス……ター……?」
目を開くとぼやけていた視界が徐々にはっきりとしていく。
そして俺の視線の先には、この世界で最も愛おしい人の顔があった。
エスターの顔を見ただけで安らかな気持ちになる自分がいる。
しかし、どうやらこの安堵感に浸ってる余裕はないようだ。
「っ!? ここは? どうなった!? エスターは無事なのかっ!!?」
慌てて飛び起きた俺は周囲を見渡す。
どこかの神殿のようだな? ここは祭壇の上か?
祭壇の下には、俺を攫った奴らが転がっている。
それともう1人、見知らぬご老人が襲撃者の1人を地面に押さえつけていた。
どうやら彼が襲撃者達を倒してくれたようだな。
……しかしあのご老人、どこか他人とは思えぬ、俺がど忘れしているだけか?
「私は大丈夫です。レヨンドールが助けてくれましたから」
レヨンドール……?
エスターはご老人の方を見て、確かにその名を呼んだ。
私は再びご老人の方に視線を向ける。
竜が人の姿になるなど聞いたことがない。
しかしエスターの口から彼の正体がレヨンドールと知った時、どこかしっくりとした自分がいる。
エスターが嘘をつくとも思えないし、アレがレヨンドールなのは間違いないんだろう。
レヨンドールの奴め、主人である俺にずっと隠していたな。
まぁいい……隠していたという事は知られたくなかったという事だろう。
誰にでも秘密の一つや二つくらいはあるものだ。
「観念しろ、お前達の野望はここで終わりだ、誰だ首謀者は!? なぜこの事を知っている?」
敵を押さえつけたレヨンドールの顔からは怒りが感じられた。
「……それはどうかな? 残念だがお前は間に合わなかった、儀式はすでに完成している」
レヨンドールに押さえつけられた敵は笑みをうかべた。
次の瞬間、後ろから押された俺の身体が祭壇から転がり落ちる。
そしてさっきまで俺の居た祭壇が黒い靄に包まれると、俺の愛おしい人の姿を飲み込んでいった。
「エスター!!」
俺は声をあげ、祭壇へと手を伸ばす。
レヨンドールは飛び出そうとした俺の体を押さえつけた。
「くっ、離せレヨンドール!!」
「ダメだウィル! ここでお前が飛び込めばどうなるかわからんぞ!!」
わかっている、分かっているのだそんな事は!
しかし俺には目の前で黒い靄に飲まれたエスターを見捨てる事などできぬ。
「っ! 靄がっ!?」
黒い靄が徐々に霧散していくと、再びエスターの姿が見える。
「エスター! 大丈夫かっ!?」
ここから見る限りは、エスターの身体に何か異変があったようには感じない。
しかし俺にはどうしても目の前にいる人物が、俺のよく知っているエスターだとは思えなかった。
『あぁ……憎い、憎いぞ!』
背筋がゾクリと冷える。
聞き覚えのある透き通った声。
しかしその声は、俺が知っている声と似て非なるもの。
エスターの声にはもっと温かみがあった。
『心の底から怒りがこみ上げてくる。時を経ても霞む事ないこの怒り、どこにぶつけてくれようか!』
俺のよく知る顔が、俺の知らない表情を見せる。
悪意をむき出しにした表情を浮かべるエスターの姿に俺は拳を握りしめた。
「ふざけるなっ!」
俺は地面に落ちてた敵の剣を拾い上げ身構える。
「その身体はお前のモノではない、返させて貰うぞ!!」
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この作品は思い付きでパパッと短時間で書いたので、誤字脱字や設定の食い違いがあるかもしれません。
修正箇所があればコメントいただけるとさいわいです。
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小説家になろう及びエブリスタにも投稿しております。
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