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第三部 12章
薄紫色のスープ
しおりを挟む天狐がケガをして戻ってきてから、天狐は回復のためにほとんどを村長宅で眠っていた。このときばかりはセナの寝相も大人しく、天狐の睡眠を邪魔することはなかった。
セナは眠っている天狐から離れたがらず、同じ部屋で静かに時間を潰していた。
さらに翌日、おなかが減ったことで目を覚ましたセナは天狐を起こさないようにソロリとベッドを降り、リビングへ向かう。
「おや。起きたのかい?」
――グゥ~~!!
起きてきたセナを見つけた老婆が話しかけると、セナが口を開くよりも早く腹の虫が元気よく答えた。
「ハッハッハ! おなかが空いたんだね。こっちへおいで。ご飯を用意しよう」
手招きされたセナは大人しくテーブルに着き、出された薬草スープを食べ始めた。
「まだ天狐は起きないんだね……今日はどうするんだい? また採取に行くかい?」
「жжжжжжж!」
老婆が外を指さして聞くと、セナはキッチンを指さした。その後、スープ皿を持ち上げるのを見て、老婆は言わんとしていることを理解した。
「そうかい。天狐にスープを作りたいんだね? それなら元気が出る特製スープを作らないとだねぇ」
ニッコリと笑った老婆にセナも笑顔を返すと、老婆はしわくちゃの手でセナの頭を撫でた。
ご飯を食べ終えたセナは一昨日採取した薬草を老婆に見せる。
「なるほど。自分が採ってきた薬草を使いたいんだね。でもねぇ、これはスープには使えないんだよ」
頭を振る老婆に、セナは肩を落とす。
「ん~……あ! セッチコ。これなら入れても問題はないよ」
老婆の表情を読み取ったセナは途端に笑顔を弾けさす。
そんなセナの頭を老婆は優しく撫でてあげる。
「じゃあ、早速作ろうかねぇ」
老婆が踏み台として用意した木箱に乗り、セナは腕まくりまでしてやる気を漲らせた。
セナは渡された包丁を片手に、老婆の真似をしながら、おぼつかないながらも薬草を切っていく。
「上手だねぇ。まさか料理ができない天狐の代わりに作ってる、なんてことはないと思いたいが……あぁ、それはこうやって薄く切るんだよ」
見た目チコリーそのものである、セッチコを千切りにしてみせると、セナは同じようにカットしていく。表情は真剣そのものだ。
「ж! жжж……」
「おやおや。切っちゃったのかい? 見せてごらん。これならすぐ治せるよ」
涙目のセナを安心させるように、老婆が「ふーっ」と傷に息を吹きかけると、冷たさに痛みが引いて傷が治った。
「!」
「ふふ。古い雪族の女はできるんだよ。内緒だよ?」
驚いて老婆と指先を交互に見つめていたセナは、老婆が口元に人差し指を当てたのを見てブンブンと頷いた。
老婆はそんなセナを撫で、続きを促す。
後は味付けだけとなったとき、老婆が目を離した隙にセナは干したベーコンをちぎってスープに入れてしまった。
「まぁ! これを入れちゃったのかい!? 取り除かないと……」
「жж!」
「えぇ……味がおかしくなっちゃうかもしれないよ?」
「жжж!」
「うーん……まぁ、食べるのは天狐だからね」
その自信はどこから来るのか……力強く頷かれ、老婆はそれ以上言うことを止めた。
老婆が何も言わないことをいいことに、セナは調味料の匂いを嗅いでは目分量で塩やコショウ、さらには酒まで投入していく。
セナがスープに入れた酒はこの地方に伝わる濃い紫色の【辛味酒】。ほとんどの家庭にあるものだが、辛味が強く、一口飲めば体の中から熱くなる。寒さを凌ぐために作られてきた酒だった。
それを入れたスープは薄く紫色に色付いた。
その様子を見守っていた老婆は酒をキッチンに置いておいたことを後悔した。
「いくら少量とは言え辛味酒を……これは天狐のために腹痛を和らげる薬草を煎じてあげた方がよさそうだね……」
顔を引き攣らせる老婆に気付くことなく、セナは楽しそうに鍋を覗き込んでいる。
作る薬に考えを巡らせている老婆にセナはスープをよそって「はい!」と差し出した。
「え……まさか食べろって言うのかい……?」
ニコニコと押し付けられたスープに、老婆はどうすれば回避できるかと思考を回転させる。が、言葉の通じないセナを傷付けずに断る手段が思い浮かばなかった。
「……わかったよ。この老いぼれが動けなくなったら、天狐を起こしておくれ……」
老婆は意を決して、しかし恐る恐るスープに口を付ける。
「……ん? あれ? ……飲めるね。むしろ美味しい……うん。美味しいよ」
先ほどまでの自信はどこへ行ったのか……セナは心配そうに老婆を見つめている。そんなセナに笑顔を見せると、安心したように微笑んだ。
老婆は飲めば飲むほど後を引く美味しさに、スープを二杯もおかわり。作ったセナのテンションは下がることがなかった。
お昼過ぎにようやく起きてきた天狐に、セナは満面の笑みでスープを渡す。
反射的に受け取ったスープの色を見て、天狐は混乱した。
「え? 何よこれ」
「スープだよ。セナちゃんがお前さんのために丹精込めて作ったんだ」
至極真面目そうに言う老婆に、天狐は顔が引き攣るのを感じた。
「…………セナちゃんが……な、何入れたらこんな色になるのよ……」
「聞かない方がいいと思うよ」
「え……?」
「まさか食べないなんて言わないだろう?」
「う…………そうよね……セナちゃんが私のために作ってくれたなら食べなきゃダメよね……でもこの色は……え、あ、ありがとう」
渋る天狐が食べないのはスプーンがないからだと勘違いしたセナにスプーンを渡され、天狐は反射的に受け取った。
「……私が倒れたらセナちゃんをお願いね……」
「もちろん」
天狐は覚悟を決め、スープを一口飲んでみる。
「……あら? ……何これ! 美味しいじゃない!」
天狐の止まらないスプーンをセナはニマニマと得意気に見つめていた。
「ふぅ! 美味しかった! セナちゃんすごいわ! 天才よ!」
結局十杯もおかわりした天狐は満足そうにおなかをさすった。
近付いて来たセナを抱きしめ、天狐はセナの頭をグリグリと頬擦りする。
「っていうか、美味しいの知ってたでしょ!?」
「ハッハッハ! 味見で二杯いただいたからね」
「んもう、脅かさないでよ! で、これには何入ってるの?」
「辛味酒だよ」
「えぇ!? って、だから紫色なのね……セナちゃん……」
何を入れてくれたんだとセナを見ると、セナは何が悪いのかわかっていなかった。
老婆が料理中のセナの様子を説明すると、天狐は驚きに目を見開いた。当のセナは天狐の隣りに座って、老婆が淹れた薬草茶を飲んでいる。
「…………まぁ、美味しかったからいいわ」
「ハッハッハ。そうだね。それは同じ気持ちだよ。そうだ。忘れないうちに渡さないとね」
「え? 何この箱……薬草!?」
老婆は話しながら箱を手渡すと、その箱の中を覗いた天狐は品種のバラバラな薬草に首を傾げた。
「……珍しいサム草まで入ってるじゃないの!」
「お前さんが護符の強化に行ってる間にセナちゃんが採ってきたんだよ」
「セナちゃんが?」
老婆があの日のことを説明すると、天狐はセナを抱きしめた。
セナは天狐が喜んでいるのがわかり、ギュッと抱きしめ返した。
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