人形婚約者がいるんです

冬日

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異世界転生は予告なく始まる

踏んだり転生したり

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 蜂が顔に飛んで来たから避けようとのけぞった。
のけぞったら戻ろうとするのが当然で。

「え」

 足を振り上げ、馬の糞を思いっきり踏んでしまい。

馬の糞を踏んだ絶望感と、前世を思い出した脳内クラッシュが二重に起こり。
 あまりにも感情面がバグったせいで、やらなくていいのに、もう一度足を振り上げ馬糞を踏んだ。

「え」

 自分でも解せない。

 私は何を?

 ぬちゃっとした足下にさらに現実味が出る。
 汚い。臭い。不幸の連鎖反応みたい。

「転生した上に、踏んでる・・・」

 どんよりした気分がおわかり頂けるだろうか?

「この転生失敗してね?」

 いや、でもこの世界観、大好きだった乙女ゲーには違いない。

 ヒロインじゃないし、なんならモブだけど。

 このゲームのいいとこは悪役がいないって事。
 誰かが死んだり、陰謀もない。

 そう私はなんの特徴もないモブだ。商家の娘(豪商ではない)です。

 ヒロインは王女で、主に王女の成長物語。選んだ攻略対象によって、国の方向性まで変わる。
 魔法使いを選ぶと魔法大国に。
 騎士を選ぶと竜騎士国に。
 宰相を選ぶと外交大国へと変わるといった具合。
 暗殺者を選ぶと、陰から悪人を連れ去り、捨てまくる。

 王女の選択が重すぎだよね。

「ウルバ?すぐに綺麗にしてあげるから、そんなにショックだったの?」

 馬糞を踏んだまま動かない私の肩を掴むのは、私の婚約者。

 そう、今日は婚約者と公園に来ていた。
 白い髪に焦げ茶の瞳、12歳のシイール・モカ。
 彼は今、私の婚約者だけど、改めて見ると・・・人形。
 いや、比喩じゃなく人形。陶器のカタカタ音がする人形。
 何故今まで気づかなかったのか不思議なくらい。人間じゃない。

「え、ぇ」

 頷きを返したものの。
 動く、話す、人形が私の婚約者。
突っ込むべきなんたろうか。でもそれはやっちゃいけない気がするのよね、直感的に。

 自然に表情が固くなるのは否めない。

 少し離れたところからこちらを伺う家族は今までの私と同じように、彼が人間だと疑ってもいない。
 私はもう帰りたくなった。

「今日はこんなことになってしまいましたし、私は帰ります。お誘いありがとうございました」

 人形になる呪いとか?
 そういう話もよくあるよね最近。
 呪いを解いてくれた人に恋しちゃう?的なアレかな。
 すごく綺麗な人形だけど、まあ、あれだよね。人間に見えないからにはもちろん婚約は破棄にする。
 モブは厄介事の気配には敏感なのだ。

「帰るより先に汚れを落としましょう」

 ひょいと私は彼に横抱きにされ、馬糞から脱出した。

 人形だけど、まったく危なげなく抱えたまま歩く。

「シイールーおろし、てぇおぇぇえ!」

 早い早い早くて怖いぃ!!

 人の出す速度じゃないよ?
 時速60キロくらい出てるって!

「ひぃぃーやぁーー」

 白い髪の残像がツヤツヤしていた。

 一瞬が長く感じてハニワ顔になってた。

 宇宙を行くロケットの早さで、着いたのは井戸の前にあるベンチ。

 ざっぷんと桶に水を汲み、繊細な動作でありながら大胆に私の足に水をかけた。

「ひゃっ!つめったい!!」

 なんてことすんのよ!いきなり過ぎる。
 私はキッと眼光に文句を乗せた。

 そんな私の足はシイールーのおかげで馬糞は流れ落ちたっていうのに。

「ウルバの足、脱がせるよ?」

 シイールーは躊躇いなく私の足に触れ、勝手に靴と靴下を剥ぎ取ってゆく。

「ちょっと、まだ脱がしていいなんて言ってない」

 靴を脱がせる手付きもテキパキしてて、するすると濡れて脱がせにくいはずの靴下も脱がされた。
 ハンカチで水を拭う。

 シイールーは脱がせた靴と靴下を異空間収納してしまい。男物のブーツを取り出して履かせてくれた。

 日常使いするには高そうな。白い皮に細い金の装飾と黒の房飾りが付いている。
 制服なんかと合わせるような格好良いブーツ。

 なんか見たことあるような?

「ありがとう、格好良いブーツね」

 思い出せないのが腑に落ちない気がして、小首を傾げながらお礼を伝える。

「服には合いませんが、素足を見られるよりはマシでしょう。これでいいでしょう」

 確かめるように私を立たせて、頷くシイールー。

「そうね、これなら帰るのに支障はないわ」

「靴屋に行きましょう。」

「いいえ、帰れば靴はあるし必要ないから」

 汚れたくらいで新しい靴を買うなんて貴族くらいだ。そんな贅沢、普通の庶民は考えもしない。
 見た目は人形だけどやっぱりシイールーはこういう感覚が貴族だな。

 育ちが違うというやつね。

 靴は洗えばいいんだもの。馬糞は臭いけど、落ちない汚れでもない。

「ダメだ。今日のデートをこんな形で記憶されるなんて。楽しい時間を共にしたかったから誘ったんだ。靴を買いに行こう!」

 人形のガラスの目にしか見えない瞳が何故だか強い熱を持っているように思える。

 その目を見るとなんだか断るのも悪い気がして、頷いてしまった。

 結局美しいビジューと花の飾りがついた靴と靴下を買ってもらい、街歩きを少ししてから家に帰った。

 公園を出てからは2人きりだったので家族は先に伝言を受けて家に帰っていたようで。家に帰るとどうだった?と聞かれて困った。

 どうって、まあ、優しくして頂いたけれども。

 恋とか?愛は、見た目人形の人にそう感じられるものではない。

「誠実で優しい人ですね、シイールー様は。でも何故ウチに婚約を申し込んで来られたのかは良くわかりませんでした。」

 そう、婚約はした。割と気軽にこの国では婚約する。
 何故なら婚約は家との契約からは切り離すよう法で決まっているから、婚約したり破棄したりは気軽になされる。代わりに結婚は責任が重く、両者に離婚の際の罰金まで化されるくらい。
 結婚も離婚も国の手続きに負担がかかる事が理由らしい。
 申し込みがあればとりあえず婚約は受けるのが一般的だ。

 つまりは私の婚約はシイールー・モカ男爵家の申し込みから始まった。

 そういえば、私の推しはシイールー・モカ様で攻略対象者の中では豪商枠だったなぁ。

 彼は元婚約者(わたし)と婚約中に魔道具を開発し利権でボロ儲けして、私の実家と起業家として対立して婚約を破棄するという経緯があったんだよね。
 確か没落はしないけど。

 もちろんヒロイン王女と結ばれると便利魔道具が開発されて、移住者が増えて魔道具大国化する。

 住みやすくなるからヒロインにはシイールーとくっついてほしいなあ、なんて他人事のように思ってる。










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