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番外編
4 ココルの疲弊
しおりを挟むココルは疲れていた。
とにかくどこでもいいから一秒でも長く寝たい。
それなのに発情期を共に過ごしてからというものの、キールはココルを頻繁に求めた。それは、アシリスとの婚約を解消した時からさらに酷くなった。
その結果、机に向かわなくてはならないのに、尻と腰が痛くて座れない。これでは嫌な勉強がますます手につかない。
ココルはキールを愛している、と思っている。初めて見た時から『王子様だ……』と憧れを持っていたし、実際に王子らしい所作や仕草は美しいし、その上、ココルには特別甘い眼差しをくれる。
だから彼の為に、頑張ることを決めた。彼の隣に、アシリスという他のオメガがいるなんて、辛すぎたから。
ココルは絶望的なまでに、無知であった。
頑張ってもどうにもならないことがある、ということすら、知らなかった。ひたすら努力すればいつか報われると、本気で思っていた。
その上に、責任というものをまだ持ったことがなかった。貴族においては子供と言えどもある程度、言葉や行動に責任を持つべきで、ココルもそう教わったはずなのに、当事者意識は芽生えなかった。そのため、軽々しく発言する。『王子妃になるために頑張る!』と。
学園の勉学でさえままならないのに、ましてや次期王子妃教育など、出来るわけがなかった。そもそも習慣も何もかもが、ココルにとって異次元で理解不能。
『こんなことで怒るの?嘘でしょ?』『褒めてるのに嫌味って何なの?言葉の意味が深すぎない?』と、困惑しっぱなしで頭に入ってこない。
その結果、ココルは、すぐに根を上げた。
「キール様……ごめんなさい、ぼく、もう、無理ですぅ……っ、ふえぇぇぇ」
「ココル!どうしたんだ、誰かになにか……」
「いいえ、いいえ!皆さんは良く教えて下さってます。でも……ぼく、そんなに頭良くないし、何回か聞いても全然覚えられないんです……っ!キール様、無理です!ぼく、ぼくなんかが高望みしてしまったから……!」
いくら優秀な教師を付けられても、キールの側近たちに近くにいてもらっても、王子妃になれる気が全くしない。
ココルの武器は可愛らしさと光属性というだけであって、性格はどちらかといえば気弱だし、うまく言葉が出てこない時だって頻繁にある。つまり、生まれ直さないと無理だと感じていた。
キールが少し前に、仮に平民になったらという例え話をしたのを思い出す。本当にそうなったらいいと思う。
それならココルとキールは一緒に慎ましく暮らせる。社交も外交なんて要らないし、きっと幸せに暮らせるに違いない。
そう言うと、キールは諦めたようにふっと力を抜いて、呟いたのだ。
「そうか……潮時、か……」
「え……?」
「分かった、ココル。私は、王族を辞めてでも、君と一緒にいたい。騎士爵をもらうことにしよう。そうすれば、君もこんな、大事な時期に頑張る必要はない。……ありがとう。幸せにするからね」
「キール様……っ!」
覚悟を決めたキールは、とても格好良く見えた。
(実際にはもう既に、騎士爵をもらう事は決定していた。キールが最後の抵抗とばかりにココルに詰め込ませていただけ)
二人は婚約をすっ飛ばして婚姻した。結婚式は教会にて二人きりで挙げて。
ココルを引き取ったシャンティー男爵領の隅に、小さな一軒家を貰って。
キールがアシリスに補佐を頼むなどという余計な事をしたせいで、使用人付きの大きめの屋敷ではなくなったことは、ココルは知らない。
キールは騎士となったが、騎士団の中では中の下程度の腕前。体力もそれほどある訳でもなく、どちらかというと司令官タイプ。しかし、そのポジションになるにもまず、絶え間ない自己研鑽と向上心、求心力やカリスマ性が必要だった。
しかし王族から除籍されたキールは、『王太子予定から騎士になるなんて……』と腐るのに忙しく、それどころではなかった。
ココルは騎士になったキールを支える為、学園を中退し、教会で治癒士として働くことにした。やがて男児が産まれると、『王家の血筋』として連れて行かれた。
虚無感に苛まれつつも、ココルは素直に受け入れていた。腹の子を献上することと、キールは子の出来ない処置をすることが、愛する人との婚姻の条件だったから。
それに、このせまい一軒家で、物知らずの自分が育てるよりも、王家の息のかかったどこぞの貴族に育てられる方が、よほど良いと思えたから。それでも、キールとならば幸せになれるはずだ。
――――そう思っていたのに――――
ココルは何故か、またも疲れていた。
ココルはキールを愛していたが、騎士となったキールの朝は早く、夜は遅く、時には遠征もあり、長らく顔を見ないことも増えていった。
子の出来ない処置をしたせいか、キールはココルを抱かなくなった。睡眠時間は確保出来るものの、ココルの胸の内ではもやもやとしたものが積み重なる。
騎士団内で居場所が無いらしくよく愚痴を吐くキール。新人という枠からなかなか抜け出せないと言う。その割に、給与は身なりを整えるのに注ぎ込んでしまうため、微々たる額しか残らない。
「ねぇ、キール!もう服は要らないって言ったでしょう!?服は食べられないんだよ?知らないの?」
「は?ココルこそ誰を馬鹿にしているんだ?服はその人を表す大事なもの。ツギハギだらけの服なんて着ていられるか!」
「一人で暮らしてるんじゃないんだよ、キールにも協力してもらわないと生きていけない!それに、誰が買い物行ってご飯作って出して皿洗いして掃除も洗濯もしていると思ってるの!いい加減脱ぎっぱなしで放るのやめて!ここにメイドさんなんていないんだよ!?」
「私は出来ないんだから仕方ない。それに、ココル。私が騎士爵になったらむしろ嬉しいと言っただろう!」
「だからって家のことをやろうと、少しも努力しないなんて思わなかった!ぼくは、最終的には王子妃にはなれなかったけど、最初はたくさん頑張ったんだよ!?キールはこれっぽっちもやろうともしてない!」
「わ、私だって、騎士は体力を使うんだ!同僚も皆、家のことは妻がやると言ってる!」
「それなら満足に食べていけるだけのお金を入れてよ!いつまでヒラなの!?司令官になるっていつも言うけどいつ?明日!?明後日!?」
諍いが増えた。番にもなったし、互いに互い以上のパートナーはいないと思っているのに、生活習慣が違いすぎた。
キールにとって、守るべき愛らしい可哀想なココルは、図太くズケズケと柔らかい所を刺してくる喧しい子犬になってしまった。金が無い、食べ物がないとキャンキャン騒ぐ。
キールは騎士舎にある食堂で腹一杯食い溜めできるが、ココルは違う。その事を失念したまま、『あの頃のココルは可愛かったのに』とため息をつく日が増えた。
そしてある日、ココルは出て行った。
『神官に推薦してもらいましたので出ていきます。いくら言っても、あなたは一人で生きているような顔をしていて、我慢ならなかった。ぼくがストレスで発情期も来てないことに気付かない夫なんて、要らない』
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