虚構の愛は、蕾のオメガに届かない

カシナシ

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第二章 二回目の学園生活

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「それで、結局……あの娼館に行って、分かったことはありましたか?」

「うん!ありがとう、ノエル。付き合ってくれて」


 リスティアはノエルに呼び出され、学園内にあるガゼボでお茶を楽しんでいた。かつてマルセルクとも過ごしたことのあるここに、思うことはあれど、相手はノエル。

 彼自ら淹れてくれた紅茶と、流行りの茶菓子。そして、隣には優しく、穏やかに茶の香りを楽しむノエルだ。リスティアの膝の上にはチェチェも寝転び、ぬくぬくと温かい。

 思えばここでのマルセルクとの話題は、フィルが中心だった。彼について探ったり、時にちくりと釘を刺すように忠告をし、その度に宥められる、そんな穏やかとは言えない時間だった。


「……また、殿下のことを考えているでしょう、リスティア」

「えっ、あ……ごめん、ね。ノエルといるのに」

「いいえ。責めているわけでは、決して、無いんです。貴方の憂いを帯びた表情を見ると、私まで切なくて……どうにか力になりたいのですが」


 そう言うと、ノエルはリスティアの腕を摩るようにして、温める。
 ノエルは逃げ道を、このようにして残してくれる。リスティアが拒めばすぐに離れられるように、強引に抱き寄せようとはしない。リスティアの反応を見て、窺ってくれる。


「……あの薬師団長との会話中、何度も『殿下』と出てきましたね。それから、『娼館』『レポート』も。もしかして、殿下は何か問題を抱えていて、リスティアはそれを心配しているのでしょうか」

「えっ、……そんな、まさか、それだけで分かる……?」

「唇の動きと、リスティアの表情で」


 リスティアが驚愕すると同時に、ノエルは目に見えて肩を落とした。そこでリスティアは、一つ誤解を招いてしまっていることに気付く。


「ええと、ノエルの察しの良さに驚いただけで、別に殿下の心配をしている訳ではないんだよ。どちらかというと、周辺の人というか、未知の病かもしれない可能性があって……」

「そうなんですか?でも、リスティアには関係のないことでしょう?」

「う、そうなんだけど。全くないとは言い切れなくて、」

「大錬金術師様のレポートを見れるのはリスティアだけ。薬師団長に何か頼んでいましたね。我々は娼館に数多く断られていたから……その調査、でしょうか。なるほど。娼館、いえ、男娼に関わる殿下の病……?でも、殿下は男娼ではなく、フィル・シュー、まさか、アレは男娼と同じ……?ありえなくは、ない」

「の、ノエル、ストップ!考えるの辞めよう!」


 リスティアの顔色を見ながら、凄まじい速さで推論を組み立てていくノエルに、心底恐ろしいと感じる。恐らく、リスティアはノエルに隠し事ひとつ出来ないだろう。

 ノエルははた、とリスティアを再び見つめて、それはそれは綺麗な笑みを浮かべた。


「はい。分かりました。では、リスティア、教えてくれませんか?あなたの考えていることを」

「……もう……君には敵わないね……」


(こうなったら、話してしまおう。きっといつかは気付かれてしまうことだ)

 んん、と咳払いをしたリスティアは、慎重に前置きをする。


「信じてくれるかは別として、僕には、ある記憶があるんだ」


 出来る限り主観を述べず、淡々と。


 リスティアには、一度、マルセルクと結婚した記憶があること。
 魔力の質の相性が悪く、散々な結婚生活だったこと。それがここにきて、相性の問題ではなく、何らかの影響をフィルから受けていたのではないかと考えていること。

 そう考えると、フィルの周りにいた令息たちにも、マルセルクと同じ影響がある可能性がある。それはつまり、過去のリスティアのように、吐いて苦しむ人が出てくるかもしれないこと。


「苦しむのが、散々行為を楽しんだ人ではなく、そのパートナーの人だというのがやるせなくて。関係がない、なんて割り切れなくて……」

「……どのくらい、苦しんだのですか」

「今となっては、存在しない未来の過去だよ。ただ、同じ思いをする人が、一人でも減ってほしいとは思っている」

「……どのくらい、苦しかったのですか」

「ノエル?」

「魔力の相性の問題だけではないでしょう。リスティア。あなたが苦しかったのは」


 いつの間にか、ノエルからごっそりと表情が抜け落ちていた。穏やかなはずの茶会が、完全に殺伐としてしまっていた。

 リスティアが言うまで聞き続けます、という坐った目をしているノエルに、たじたじとしながら、言葉を探した。


「そうだね……やっぱり、結婚して、番にまでなった人との子が絶望的、というのは辛かった。発情期も虚しくて、寂しくて。今考えても……楽な道を選んでしまうくらいに、追い詰められていたかな」

「……リスティア……っ、それは、まさか、」

「うん、自分で命を絶った。その時の宝剣が、魔道具だったみたいで、僕は今、二回目の第三学年をしているんだよ」


 あの時、自死を決めたのも、自決用の剣を使うことも、王太子妃の衣装を纏ったのも、意味があったのに……もう、覚えていない。ぼんやりとした霞の向こうへ行ってしまった。今はそれを無理に思い出す必要性も感じていない。

 努めて明るく言ったが、ノエルは誤魔化されてくれなかった。ぐっと唇を噛み、血が滲んでいる。

 リスティアは大錬金術師の本を出し、『時を戻す短剣の作り方(仮)』のページを開く。ノエルの気を逸せると思ったのだ。


「ほら、ここ、見て。その時の宝剣、大錬金術師様が昔作ったものだったんだよ。あれは錬金術師の才能のある人の所に渡って、知識を習得したまま若返るための短剣だなんて、驚きだよね。ラヴァ様にとっては失敗作みたいで(仮)なんてついているけど。僕、ラヴァ様に会えるのが本当に楽しみだよ」


 そんなリスティアの指し示す手を、ノエルが掴む。
 怒りの滲む瞳には、リスティアしか映っていなかった。


「リスティア……あなたは、復讐しようとは思わないのですか?私は、今、とても、腹立たしい。あなたと言う人を得ながら、顧みなかった殿下が許せない」


 ノエルの瞳の奥に、ぐらぐらと煮え滾る激情。

 ノエルにそんなものを与えてしまったというのに、リスティアの方はもう、そんな気持ちは残っていなかった。


「そう、だね……復讐、というか、僕はもう、あの方と関わりたくないんだ。山を隔てて向こう側にいて欲しい、それで十分」

「そうですか……あなたがそういうのであれば。でも、抱きしめて、いいですか?」


 コクン、と頷いた瞬間、ノエルの腕の中にいた。

 薄いシャツ越しに、熱い体温に包まれる。先ほどの話で血圧を上げてしまったのだろう。心臓の音が良く聞こえて、それでいてふんわりと優しい抱き締め方に、リスティアの胸がきゅうっと変な音を立てる。

 もっとくっついてしまいたくて、リスティアも背中に手を回すと、さらにぐっと引き寄せられる。幸せに内側から溶けてしまいそうだった。


「私に必要なのは、あなただけです。リスティア。他のどんな者も要らない。あなたを害した者も、苦しめた者も、あなたに近付けさせませんから」

「……ふふっ、ありがとう、ノエル。……悲しい話をしてしまって、ごめんね。出来れば聞かせたくなかったし、……その、経験のことも」

「いえ、聞けて良かったです。上書きしないといけませんからね」


 上書き!
 そう聞いてリスティアはノエルの胸に顔を埋めて隠れてしまった。

 その様子の可愛らしさにノエルを身悶えさせているなど、気付かずに。









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