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第二章 二回目の学園生活

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 リスティアはマルセルクに呼び出されて、二人きりだった。婚約者としての交流会と言われては、仕方ない。

 出向いたのは学園の茶会室。ここで前回は、フィルや側近に対して報復したことを『ヤキモチ』などという軽すぎる言葉で評された。

 そんな可愛らしい言葉など、当てはまらない。マルセルクへの思いは、触れると凍傷を起こす氷の塊のように凍りついているのに、時々瘡蓋かさぶたを突くようにリスティア本人を苦しめる、禍々しいものになっている。

 辛かった。そんなにがい恋を手放した今、再び『愛されている』などと勘違いしないよう、警戒を強めていた。

(今度こそ、絶対に見抜いてやるんだ……)


「最近はどうだ?変わりないだろうか」

「はい、変わりなく。殿下も、お元気そうで」

「……名を、呼んでくれ。ここにはお前と私しかいないのだから。なんだか、久しぶりにお前の顔を見た気がするな」


 深い碧眼が、リスティアを見つめていた。

 相変わらず、リスティアの前では威風堂々とした王子。フィルといる時のような、リラックスした顔つきではない。
 いつもは対面の席に座るのに、わざわざ長椅子を引っ張り出して、リスティアの隣に座っている。

(どうしてだろう。距離を詰める時は、僕の機嫌を直そうとする時だけなのに)

 前回の学園生活とは違い、リスティアはマルセルクの視界に入らないよう、というより、リスティアの視界にマルセルクを入れないように行動している。


 マルセルクは『貴族との交流』と言って、色々な令息たちと一緒にいる。その中には、フィルやその取り巻き達も含まれている。裏庭を除いて、公の場では過度な接触はしていない。

 前回はそれでも不快感を持っていたが、今回はある意味嫉妬も不満も無いため、わざわざ追いかけて会いに行くことはしていない。時間の無駄だ。

 リスティアのことはすっかり忘れてフィルに夢中かと思いきや、むしろ、離れようとする心に気付かれているような気がした。

 悶々と考え込んでいると、そっと手を取られていた。腰にも背中にも熱が当たる。……しまった。マルセルクの、腕の中だった。


「最近、ちっとも会いにきてくれないな。何故だ?……まだ、怒っているのか?」

「……っ」

「でなければ、他に気になる人間でも出来たか?」


 とん、と当たる逞しい胸。以前は胸を高鳴らせていたそれも、もう、違う。
 リスティアに有効な武器を押し当てている。そんな打算しか感じられなかった。

 マルセルクの色気を引き立たせる、イランイランの香に似たフェロモンだ。

 オメガはアルファに、フェロモンを簡単に付けられなくて良かった。孕む性であるオメガは、アルファに『自分のものだ』と主張するようなマーキングことは、貴族社会では許されていない。
 もしマルセルクから月下美人の香が香ったのなら、今この時マルセルクを突き飛ばしていた事だろう。

 この体勢は嫌なのに、何処かで安心してしまう身体が憎い。放置された記憶が一部、喜んでしまっている。


「最近他のアルファと親しいようだが……?」

「友人が出来ただけです。これまで僕は、貴族との交流を疎かにしてきてしまったので」

「友人、か?それは。アルファなのに?お前は私のオメガだ。忘れてはいないだろうな?」

「…………はい」


 その言葉には、リスティアは頷く他なかった。今現在、不本意ながら婚約者だ。


「私の側近という、光栄な立場をみすみす放り出した男と、その腰巾着か。付き合う相手は選んだらどうだ?」


(どの口が言う……っ!)

 リスティアは二人を悪し様に言われて怒りを覚えた。そのままの勢いで言い返したい気持ちを抑え、冷静さを装う。


「……彼らは、勉学仲間です。僕には遊ぶ・・ような友人より、生真面目な友人の方が合っているみたいなので」


 多少の嫌味を込めてマルセルクをキッと見上げると、リスティアが嫉妬したと思ったのか、マルセルクは途端に機嫌良く口端を吊り上げた。


「はは、そうか。だが、何度も言うように、私はお前一筋だから、安心しろ。この……お前の桜桃チェリーのような甘い香は、本当にいい香りだ。……銀糸の髪も、つるりとした肌も、誰にも触れさせてはいけない。そうだろう?私のオメガ」


 髪を掬い、耳にかけられる。否応なしに速まる鼓動に動揺して俯けば、後頭部から『チュッ』と音がした。……口付けられたのか。

 学生時代、つまり閨を共にするまで、マルセルクはこうしてリスティアへ触れたがったのを思い出す。その後の事を考えれば、やはり自分の体は期待外れだったと納得せざるを得ない。

 そう分かっているのに、トクトクと鼓動が速まるのは……単に、距離が近いから。決してときめいている訳ではない。

(負けない。負けないんだから!)

 陥落しそうになる小さな自分を、奮い立たせる。
 しかし声は反対に、萎んでしまった。


「ち、近すぎ、ます……」

「いいや、むしろ……はぁ、はやく番になりたい。リスティア、あと一年の辛抱だな。ああ……見てくれ。こんなにも興奮してしまった」


 マルセルクはリスティアの手を……猛々しい熱の元に導く。ぞわりとして手を引こうとするものの、ぴくりとも動かない。

(な、な、なにを……!?)


「戯れは、おやめください……!ま、まだ、婚前なのですよ!」

「そうだな。しかし……服の上だ。慎ましいお前も愛らしいが、この程度は戯れとも言えん」

「僕にとっては、違います……!」


 欲しかった時期はとうに過ぎ去った。リスティアを切り裂き、苦しめ、裏切った代物。

 触りたくない!

 掌を硬く握って抵抗をすると、頭上ではぁ、とため息がした。


「そこまで言うなら、仕方ない。だが……私はアルファだ。オメガのお前には分からないかもしれないが、時に欲求が高まり過ぎると、私にも、周囲にも悪影響を及ぼす。そのことを、分かってくれるな?」

「……マルセルク様のご心労、お察し致します」

「ああ。重ねて言うが、フィルに嫉妬をする必要など無い。お前は堂々としていろ」


 マルセルクはそう言うと、お茶もそこそこに、退出していった。
 その向かう先はいつもフィルだと、リスティアは知っていた。



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