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しおりを挟む「おはよ。」
頭が痛い。目を開けると若干回る視界の中に、爽やかな笑顔を浮かべるイケメンが、思わぬ至近距離で微笑んでいた。
「なっ?!えっ?!」
「昨日は熱い夜を過ごしたの、覚えてる……?」
「嘘、嘘でしょ?嘘よね?!」
寝台から飛び起きてダグラスを見ると、くっ、くっ、と肩を揺らして笑っていた。騙された、ああ、もう。
「嘘だよ。本当にしても良かったけどね。本当、気をつけるんだよ?」
ぽん、と頭に手を乗せ、アッサリ引き下がる。この男は、こういう絶妙な塩梅を分かってやっているのだから本当に人たらしだ。
「オレは今起こしに来ただけ!集合場所で待ってるから、二度寝はしないでね。」
「わ、分かったわ。……ありがとう。」
パタン、と扉が閉まって静かになる。良く見れば昨日飲みに行った格好のまま。そして物凄く面倒な絡み酒をしてしまった気がする。
「……恥ずかしい……。」
さっきはダグラスに気を取られて忘れていたけど、ああでもされていなければ恥ずかしさのあまり生き埋めになっていたかもしれない。……それを紛らわすためにわざとあんな冗談を言っていたとしたら、ベルフィーナでは到底敵わない。
ベルフィーナは赤面した顔を隠すように頬を抑えて、やがてため息を吐き、のろのろと準備を始めた。
「全員、揃ったか!では、出立する。」
レイヴィスの低く落ち着いた声を合図に、一団は次々と馬車に乗り込む。
ベルフィーナは最後尾についていく。フラワードラゴンを共闘して倒し、膨大な空間収納で王都の売却場まで運ぶ冒険者と紹介された際にはどよめきが起きた。今もチラチラと興味津々といった視線は感じる。
「大丈夫?こんなむさ苦しい所に、ごめんね。」
隣にはダグラス。副団長を務めているらしい。酒はは水で大分薄めては来たが、伯爵家の馬車とは違い無骨な作りで、たくさんの男の匂いのする馬車に揺られてもう既に具合は悪い。あと二日酔いの影響もしっかりある。
部外者は部外者らしく大人しく。彼らの足を引っ張る訳にはいかない。白い顔を無理に引き攣らせながら曖昧に笑った。
「大丈夫。放っておいてくれたら助かるわ……。」
「ん。分かった。寝てていいからね。」
「ありがとう……、ダグラス。昨日もね。」
小声で、昨夜の礼も伝える。少し思い出してしまいさっと頬が紅潮する。伏し目がちに恥じらう美人に、車内は浮き足立ち、ダグラスは眦を下げた。
「どういたしまして。朝、かわいー顔見れたし。」
ダグラスはとろりと甘い顔で微笑む。色男ぶりに昼夜は関係ないらしい。
「何それどゆことォ?!」
「うっせー、クリス近寄るな。頭に響くだろ、ベルの。」
「あっ、ごめんね!……お前、昨日夜遅く帰って朝早く出て行ったのは知ってるんだからなァ?」
「ち、目敏い奴め。」
クリスと言う騎士は顔は整っているのに、所々女っぽい仕草をしたり、かと思えば男らしくなったりと忙しい。女同士みたいな顔で抱きついてこようとしたので結界で避けると、その透明な壁にチュッチュと口付けしていた。自由人である。
確かに、うるさいけれど賑やかで雰囲気は良い。初めて男世帯に来たけれど、お茶会とは違う騒々しさもこれはこれで楽しい。
王都セントラルまでは馬車で一週間ほどかかる旅。
道中魔物に出会しても、同情する程瞬殺されてしまう。この何台もの馬車の隊列を襲おうという骨のある盗賊などいる訳もなく、護衛代を節約しようとしてぞろぞろと追従する商隊の方が厄介だった。
ベルフィーナは特に、限界を試したことのない容量の空間収納を持つ為、商人に見つかればたちまち囲われてしまうだろう。それが可能かどうかは別として、トラブルになりやすい。
あまり大きな物を出し入れする際は、騎士団にいる担当のものの影に隠れてするようダグラスに念押しされた。
「運び屋って仕事も向いてるかしら……?」
「オレのお嫁さんでもいいよ?」
そう軽口を叩くダグラスを生暖かく笑って無視し、将来に思いを馳せる。
結婚して離縁して気付いたことは、物語のお姫様のように、結婚して幸せに暮しました、めでたしめでたしなんて有り得ないということ。
ベルフィーナの泊まっていた宿屋の夫婦は、よくお互い声を掛け合い、その端々に思いやりを滲ませていた。激しい喧嘩を見ても、すぐに仲直りする。そんな時は必ず、ハグとキスをしていて、あまりに周りに頓着しないものだから、見慣れないベルフィーナの方が赤面してしまう程だった。
ウォルターとベルフィーナの間には、圧倒的に会話が少なかった。もしかしたら、子作りについて悩んでいることは気付かれていなかったかもしれない、くらいには。
思えば相談もあまりしていなかった。領内を富ませるにあたり相談相手は家令のニコラスを初め、義父や自身の父親か、あるいは直接領民と話しに行っていた。社交での小さなイザコザも友人と愚痴ればお終い。極力、ウォルターの手を煩わせないよう配慮していた。
それは逆に言えば、良い道具と思われるのも無理はないかもしれない。全自動領主代理維持機。そして、ウォルターが良い道具だと思っているかどうかも、自分の主観でしかない。それは話し合いをしたとして素直に言うとは限らないけれど。
そもそも何故完璧な妻を目指したのか。それは女の幸せは好きな男と結婚し、夫を支えることだと、ベルフィーナは思っていたし、周りを見てもそう思っている友人しかいなかったからだ。そういう環境で育ってきた。
自分を、欲を孕んだ目で見ないウォルターが好きだった。
あの頃は素敵だと思っていたけれど、実は単に女として興味を持っていなかったのではないかと思う。
穏やかに話す、落ち着いたウォルターが好きだった。
新婚旅行として行った海街のカフェで、徐に本を取り出された事を思い出す。『今、これにすごくハマっているんだ。もう少しで読み終わるから。』と言い、終始会話もなく過ごした。
読書を邪魔することなく、『話さなくても気まずくないって、とても良い距離感よね。』なんていい子ぶっていた自分を殴りたい。
アレは椅子にぬいぐるみでも置いて帰ってやれば良かったのだ。
本当は意味もなく、潮風が気持ちいいわ、なんて話したかったのだから。
『新婚は大変よ。あたし、腰も痛くて怠くて朝起きれないのに、彼は構わず襲ってくるんだから。全然寝られなくてクマ作ったくらいよ。夜はバリケードはらなきゃならないの』
友人がため息を吐きながら話したそんな悩みは、ベルフィーナには一切、ほんの少しも、訪れなかった。
新婚旅行中ですら、一回あったかどうかくらいで拍子抜けしたのを覚えている。
好きな男と結婚した筈なのに幸せなのか分からなくなって、結婚すなわち幸せ、ではないと気付いた今。
自分の幸せは、どこにあるのか、どんな生き方が選択肢にあるのか、真剣に考える必要があった。
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