レスられた高嶺の花は自由にすることにした〜なので、迫られても困るのですが〜

カシナシ

文字の大きさ
上 下
14 / 30

14 ウォルター(2)

しおりを挟む

ベルフィーナがいなくなって、どのくらい経っただろうか。

爛れた生活は徐々に落ち着き、日常となり始めた。背徳感というスパイスはなくなり、徐々に、いやでもウォルターの視界に現実が入り込んでくる。
すなわち、家令の冷たい視線に耐えかねて、嫌々妻の実家に手紙を出したのだ。

『妻は元気にしていますか、何か不便はありませんか。』という丁寧な文言で。

そうすると、恐らく手紙が届いた翌日。
来訪の一時間前に突然前触れが訪れ、ブランドン先代伯爵と夫人は上品に乗り込んできた。

丁度サティアスと繋がっていたウォルターは、慌てて身支度を整え、サティアスを寝室に隠して出迎えた。


「ようこそ、ブランドン先代伯爵、夫人。」

「やぁ、随分久しぶりだね、ウォルター殿。」


おかしいな、と思ったのは、穏やかで有名なモーティス先代伯爵のこめかみに、隆々とした青筋をたてているのを発見したからだ。
よく見ると、夫人も、その白い額にうっすらと血管を浮かばせ、どちらも恐ろしいほど笑っている。
二人とも、ウォルターの両親より少し上の年齢。しかし貫禄と存在感はその比ではなかった。


「そ、そして本日は……?」

「ああ、随分と娘が世話になったようだからな。そんなに持て余しているというのなら、引き取ろうと思ったのだ。」

「引き取る……?」

「これを見て、心当たりは?」


そうして応接室のローテーブルに投げ渡されたのは、一通の手紙。……ブランドン伯爵家に宛てた、ベルフィーナの筆跡。文官の自分よりも、腹立たしいほど流麗な文体は、見間違えることはない。


『お父様、お母様。
 私は、知ってしまいました。夫は、上官のデリック・ラウザー様と深い仲になっているようで……、夫の苦悩を知りもせず、私は、妻を続けることは出来ません。結婚二年目から、恥ずかしながら閨は拒否されており……一度として訪れはありませんでしたから、いつかはこんな日がくると、どこかで思っておりました。

こんな不肖な娘が太々しく出戻るのは大変心苦しいので、せめてもの償いとして修道院へ参ろうと思います。
どうか、離縁の手続きをお願い致します。きっと、夫は私と話すらしたくないでしょうから。』


「……っ、な、ち、ちが、」

「私たちも目を疑ったよ。君たちは政略でもなく、恋愛結婚だったからな。何かの間違いかと。……よぉーーく、しっかりと調べさせてもらった。」


その言葉に、ウォルターは顔を青褪めさせていく。


「事実は残酷だな。ベルフィーナは一人だけだと書いていたが、他にも沢山相手がいるようだな?」


ベルフィーナの父親は、スッと笑いを消した。


その表情の変化だけでちびりそうな程に怖い。
ギロリとウォルターを睨む、熊をも射殺せそうな鋭い視線。


「あ、あの、僕はベルフィーナを愛しているんです。こんな、誰かが僕を妬んで、捏造を」

「それなら今すぐ寝室を確認しようか?……居るんだろう?お前の男が。」


立ち上がろうとする先代伯爵に、必死に縋り付いて止める。バレている。潔く認めた方がまだ傷は浅い……かもしれない。


「申し訳ありません!その、好奇心だったのです!出来心で……!」


それは嘘ではなかった。

元々、自分の性に対する欲は薄いと感じながら結婚した。
男は女を愛するもの。ベルフィーナは誰がなんと言おうと美しいし、優秀な女性。母親も父親も賛成してくれたし、誇らしかった。こんな女性を落とせた自分が。


初夜を迎えて初めて行為を知っても、ウォルターはただ面倒だな、としか思えなかった。

周りの男はベルフィーナを妻としたウォルターをしきりに羨ましがり、またそれはウォルターの自尊心を満たしたが、体力も使うし、仕事に就いたばかりで忙しく、それどころではなかった。

新婚の時期はまだ子供は作らない。そうベルフィーナと話していたからきちんと避妊していた。
だから、数回練習したら、あとは子供が欲しくなった時にすればいい。わざわざ避妊してまで疲れることなどしたくない。


ベルフィーナもそれに関する知識は無く、痛そうに眉を下げられる度、『自分は何もしなくていいくせに』と不満が募っていった。


だから――抱かれる側になってのめり込んだ。感じるだけでいいなんて。身を任せるだけで気持ち良い。

もうすっかりベルフィーナを抱く気持ちになどなれないことには、蓋をして目を背けていた。


「私たちの、かわいい、かわいい、娘。ベルフィーナを、」


奥歯をギリギリと噛み締め唸るような声と共に、ウォルターの身体に重圧がかかる。


「お前は、たったそれだけの、理由で、蔑ろにし、傷付け、虐げたのか。」


ドンッ。

天井に押し潰されるように、ウォルターは床に這いつくばった。
ブランドン先代伯爵の、空間魔術。

あまりに強い重力に、骨格すらひしゃげそうになる。瞳孔の開いた先代伯爵が、遥か頭上から見下ろしている。


「アナタ、娘を未亡人にする気ですか。」

「……っ、」

「……はぁ。ウォルター殿。ここへ署名を。ベルフィーナは戸籍ごと返してもらう」


フッ、と軽くなって顔を上げれば、目の前には一枚の紙。離縁の申請書だった。


「……離縁、だなんて……っ、話し合えば!話し合えば分かります!どれだけ僕が彼女を愛しているか……ッ、」

「ここに、お前の調査結果がある。相手の男の奥方達に送ってやろうか?」

「そ、それは……、」

「それにな。ベルフィーナは修道院に行くと言った途中の道で、盗賊に出会ったらしい。まさか……謀った訳ではないだろうな?」

「まさか!ベルが……!?」

「世間はどう思うかは、知らん。もし事実を知られるのが嫌なら、……今すぐに、書け。」


老いても尚整った顔を怒りに凄ませた男の前では、ウォルターはなす術もなく、離縁届に書かれた内容を恐る恐る確認していく。


「慰謝料、金貨八千枚、なんて……っ!」


この家にある訳がない。しかし家の資産をベルフィーナに任せきりにしていたウォルターは署名していいものか分からず、彷徨う視線で家令に助けを求めた。

冷ややかな無表情で、置物のように立っていた家令は失礼します、と小声で囁く。


「旦那様。ベルフィーナ様のご活躍で領内は潤っており、旦那様の私財も増えております。数年贅沢をしなければ十分賄える額です。」

「……そ、そうか……。……サインします。」


家令のその言葉には、悪意があった。『平民同等レベルで』贅沢をしなければ賄える額。つまり、この支払いでウォルターの懐はほぼ空になるのだが、管理できていないウォルターは知らなかった。

震える手をなんとか動かし、のろのろと書き上げると、ずっと恐ろしい形相で睨みつけていた先代伯爵が取り上げた。
サッと確認すると、離縁届を一撫でして――煙のように消えていく。


「!今のは……!」

「王宮に向かわせた息子の元へ転移させた。安心しろ、本日中に離縁は成立する。」


話は済んだとばかりに先代伯爵と夫人は席を立ち、脱力して動けないウォルターを残して部屋を出ようとして――


「ああ、忘れておった。相手の男らの奥方達は、既に粗方知っておる。社交界で一躍有名人になれるな。はっはっ。」

「何だと!嘘をついたのか?!」

「……勘違いしてもらっては困るな。ウォルター殿。」


ゆっくりと、幼子に言い聞かせるように。


「ベルフィーナを侮辱したのだ。灰になろうが塵になろうが、叩き潰す。最後の一粒すら残さないようにな。」
しおりを挟む
感想 64

あなたにおすすめの小説

婚姻契約には愛情は含まれていません。 旦那様には愛人がいるのですから十分でしょう?

すもも
恋愛
伯爵令嬢エーファの最も嫌いなものは善人……そう思っていた。 人を救う事に生き甲斐を感じていた両親が、陥った罠によって借金まみれとなった我が家。 これでは領民が冬を越せない!! 善良で善人で、人に尽くすのが好きな両親は何の迷いもなくこう言った。 『エーファ、君の結婚が決まったんだよ!! 君が嫁ぐなら、お金をくれるそうだ!! 領民のために尽くすのは領主として当然の事。 多くの命が救えるなんて最高の幸福だろう。 それに公爵家に嫁げばお前も幸福になるに違いない。 これは全員が幸福になれる機会なんだ、当然嫁いでくれるよな?』 と……。 そして、夫となる男の屋敷にいたのは……三人の愛人だった。

純白の牢獄

ゆる
恋愛
「私は王妃を愛さない。彼女とは白い結婚を誓う」 華やかな王宮の大聖堂で交わされたのは、愛の誓いではなく、冷たい拒絶の言葉だった。 王子アルフォンスの婚姻相手として選ばれたレイチェル・ウィンザー。しかし彼女は、王妃としての立場を与えられながらも、夫からも宮廷からも冷遇され、孤独な日々を強いられる。王の寵愛はすべて聖女ミレイユに注がれ、王宮の権力は彼女の手に落ちていった。侮蔑と屈辱に耐える中、レイチェルは誇りを失わず、密かに反撃の機会をうかがう。 そんな折、隣国の公爵アレクサンダーが彼女の前に現れる。「君の目はまだ死んでいないな」――その言葉に、彼女の中で何かが目覚める。彼はレイチェルに自由と新たな未来を提示し、密かに王宮からの脱出を計画する。 レイチェルが去ったことで、王宮は急速に崩壊していく。聖女ミレイユの策略が暴かれ、アルフォンスは自らの過ちに気づくも、時すでに遅し。彼が頼るべき王妃は、もはや遠く、隣国で新たな人生を歩んでいた。 「お願いだ……戻ってきてくれ……」 王国を失い、誇りを失い、全てを失った王子の懇願に、レイチェルはただ冷たく微笑む。 「もう遅いわ」 愛のない結婚を捨て、誇り高き未来へと進む王妃のざまぁ劇。 裏切りと策略が渦巻く宮廷で、彼女は己の運命を切り開く。 これは、偽りの婚姻から真の誓いへと至る、誇り高き王妃の物語。

君を愛す気はない?どうぞご自由に!あなたがいない場所へ行きます。

みみぢあん
恋愛
貧乏なタムワース男爵家令嬢のマリエルは、初恋の騎士セイン・ガルフェルト侯爵の部下、ギリス・モリダールと結婚し初夜を迎えようとするが… 夫ギリスの暴言に耐えられず、マリエルは神殿へ逃げこんだ。 マリエルは身分違いで告白をできなくても、セインを愛する自分が、他の男性と結婚するのは間違いだと、自立への道をあゆもうとする。 そんなマリエルをセインは心配し… マリエルは愛するセインの優しさに苦悩する。 ※ざまぁ系メインのお話ではありません、ご注意を😓

拝啓、婚約者様。ごきげんよう。そしてさようなら

みおな
恋愛
 子爵令嬢のクロエ・ルーベンスは今日も《おひとり様》で夜会に参加する。 公爵家を継ぐ予定の婚約者がいながら、だ。  クロエの婚約者、クライヴ・コンラッド公爵令息は、婚約が決まった時から一度も婚約者としての義務を果たしていない。  クライヴは、ずっと義妹のファンティーヌを優先するからだ。 「ファンティーヌが熱を出したから、出かけられない」 「ファンティーヌが行きたいと言っているから、エスコートは出来ない」 「ファンティーヌが」 「ファンティーヌが」  だからクロエは、学園卒業式のパーティーで顔を合わせたクライヴに、にっこりと微笑んで伝える。 「私のことはお気になさらず」

初夜に大暴言を吐かれた伯爵夫人は、微笑みと共に我が道を行く ―旦那様、今更擦り寄られても困ります―

望月 或
恋愛
「お前の噂を聞いたぞ。毎夜町に出て男を求め、毎回違う男と朝までふしだらな行為に明け暮れているそうだな? その上糸目を付けず服や装飾品を買い漁り、多大な借金を背負っているとか……。そんな醜悪な女が俺の妻だとは非常に不愉快極まりない! 今後俺に話し掛けるな! 俺に一切関与するな! 同じ空気を吸ってるだけでとんでもなく不快だ……!!」 【王命】で決められた婚姻をし、ハイド・ランジニカ伯爵とオリービア・フレイグラント子爵令嬢の初夜は、彼のその暴言で始まった。 そして、それに返したオリービアの一言は、 「あらあら、まぁ」 の六文字だった。  屋敷に住まわせている、ハイドの愛人と噂されるユーカリや、その取巻きの使用人達の嫌がらせも何のその、オリービアは微笑みを絶やさず自分の道を突き進んでいく。 ユーカリだけを信じ心酔していたハイドだったが、オリービアが屋敷に来てから徐々に変化が表れ始めて…… ※作者独自の世界観満載です。違和感を感じたら、「あぁ、こういう世界なんだな」と思って頂けたら有難いです……。

君のためだと言われても、少しも嬉しくありません

みみぢあん
恋愛
子爵家の令嬢マリオンの婚約者、アルフレッド卿が王族の護衛で隣国へ行くが、任期がながびき帰国できなくなり婚約を解消することになった。 すぐにノエル卿と2度目の婚約が決まったが、結婚を目前にして家庭の事情で2人は……    暗い流れがつづきます。 ざまぁでスカッ… とされたい方には不向きのお話です。ご注意を😓

【完結】この運命を受け入れましょうか

なか
恋愛
「君のようは妃は必要ない。ここで廃妃を宣言する」  自らの夫であるルーク陛下の言葉。  それに対して、ヴィオラ・カトレアは余裕に満ちた微笑みで答える。   「承知しました。受け入れましょう」  ヴィオラにはもう、ルークへの愛など残ってすらいない。  彼女が王妃として支えてきた献身の中で、平民生まれのリアという女性に入れ込んだルーク。  みっともなく、情けない彼に対して恋情など抱く事すら不快だ。  だが聖女の素養を持つリアを、ルークは寵愛する。  そして貴族達も、莫大な益を生み出す聖女を妃に仕立てるため……ヴィオラへと無実の罪を被せた。  あっけなく信じるルークに呆れつつも、ヴィオラに不安はなかった。  これからの顛末も、打開策も全て知っているからだ。  前世の記憶を持ち、ここが物語の世界だと知るヴィオラは……悲運な運命を受け入れて彼らに意趣返す。  ふりかかる不幸を全て覆して、幸せな人生を歩むため。     ◇◇◇◇◇  設定は甘め。  不安のない、さっくり読める物語を目指してます。  良ければ読んでくだされば、嬉しいです。

とまどいの花嫁は、夫から逃げられない

椎名さえら
恋愛
エラは、親が決めた婚約者からずっと冷淡に扱われ 初夜、夫は愛人の家へと行った。 戦争が起こり、夫は戦地へと赴いた。 「無事に戻ってきたら、お前とは離婚する」 と言い置いて。 やっと戦争が終わった後、エラのもとへ戻ってきた夫に 彼女は強い違和感を感じる。 夫はすっかり改心し、エラとは離婚しないと言い張り 突然彼女を溺愛し始めたからだ ______________________ ✴︎舞台のイメージはイギリス近代(ゆるゆる設定) ✴︎誤字脱字は優しくスルーしていただけると幸いです ✴︎なろうさんにも投稿しています 私の勝手なBGMは、懐かしすぎるけど鬼束ちひろ『月光』←名曲すぎ

処理中です...