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「ん、もう妻とは今更出来るわけ無いよ。」


ベルフィーナは、思わず耳を疑った。いや、疑いたかった。知りすぎているほど知る声は、知らない声色で聴こえてくる。


「ヒドイな、こーんなに美味しい弁当作ってくれているのに?」


見知らぬ男は、それをパクパクと頬張りながら話している。……ベルフィーナが今朝、少し茶色は多いが健康を考えて作った愛妻弁当だった。


「良い妻してる圧が凄いんだ。家族として情はあるけどね。……僕はもう、抱かれる喜びを知ってしまったから……責任、とってくれよ?」


そう媚びた甘えた声を出すのは、疑いようもなく、ベルフィーナの夫、ウォルター・モーティス、その人。


友人である王太子妃とのお茶会からの帰り。

王城で文官として働く夫の顔を見ないまま帰るのも何だな、と思って立ち寄った執務棟の中庭。
少し奥まった手入れのされていない木々に隠されたベンチに、ここ数年見たこともない程にこやかな夫を目撃して、こっそり近付いたのは、胸騒ぎがしたから。


ベルフィーナの、プロには及ばないが夫の好きなものを詰め込んだ弁当を、男は呆気なく平らげ、夫の腰を抱く。その男の顔を良く良く見れば、夫の上官、デリック・ラウザー次期侯爵。文官に似合わず男臭い逞しい体格は、夫のすらりとした身体を難なく抱き寄せ、ちゅ、とキスをしていた。

ラウザー侯爵家には確か、婿入りしていなかっただろうか。こちらと同じくまだ世代交代していないけれど、奥様は年子で何人も子供を産んでいると有名な……。


「だから俺がお前の妻に子供を産ませるって言っただろう?子供さえ出来れば妻もお役御免、お前ももう我慢しなくていいし、」

「でも……やっぱり反対だ。別居するにしても子供が僕に懐くとは思えないし、そうなるとモーティス伯爵家の後継が……」

「だって、お前が妻を抱けないんだからそれが最適じゃないか?あんなに美しくて、非の打ちどころのない妻を。もったいねー。一晩だけでも抱いてみてぇ」


なんだそれは。
なんだそれは。
ナンダソレハ?

ベルフィーナは凍りつく。心を乱暴に、冷たい手でぎゅっと掴まれたように、息も出来なかった。
あの優しいはずの人は、一体何を言っている?


「それに、……一時的とは言っても、妻を抱くって……嫉妬する。デリックに抱かれるのは僕だけでいい……。」

「ウォル……、」


は、と声が出そうになって慌てて口を覆う。
むちゅ、ピチャ、と激しい口付けの音が響く。二人はこんな所で、人目も憚らず身体を弄り合っていた。

音を魔法で集めているとは言え、情熱的過ぎるキスの音は中庭を通る者皆に聴かせようとしているのか。

夫は、誰に何の嫉妬をするのか、言葉は耳に入っているのに、理解出来ない。

意味を成さずバラバラになった言葉は頭の中を素通りしていく。
それでも、恐ろしい事を言われているのは分かった。

そこから、どのようにして帰ったのか覚えていない。
さいわいにして、領主代行としての仕事は一区切りしていた為、気付けば寝台に横たわっていた。

何の感情もなく食事をし、湯に入ったベルフィーナを、昔から付いている侍女ハンナは心配そうに見ていたものの、混沌とした頭では何も言えなかった。

今日も、夫の帰りは遅い。

いつもなら心を曇らせるその事実は、今日に限っては別の意味を持っていた。気持ちを整理するのに、時間が必要だった。

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