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番外編
6 お酒 前
しおりを挟む僕たちはいつも野営という訳ではない。
各地にある水の巫子用の屋敷。そこに泊まらせてもらうこともある。
僕は正確には『水の聖者』だけど、今のラウラディアの水の巫子様はご高齢ということもあってあまり移動はされないから。
そのため空いている屋敷の方が多く、よく利用させて貰っている。
ここでもいつものように、前もって連絡をしてあるので、到着したらもう泊まれる状況になっている。働く使用人さんたちにも、感謝とお近づきの印に『浄化』をかけてあげる。
キラキラとした光の粒が舞う様子は、僕も好きだ。まるで新雪が音もなく降り注ぐような幻視。
荷解きや湯浴み、食事を終えた頃にはほぼ全ての使用人さんたちにも浄化を掛け終えた。僕を見る目にも敬愛が込められているようで、嬉しい。
やっと寝室に戻って寝支度を終える。
いつもならここでクライヴ様に襲われるのだが――。
「今日はコレを楽しもう、シュリエル」
ゴト。クライヴ様に合図をされて、手袋を嵌めたジタリヤ様が厳かに出したのは、分厚く透明度の高い瓶に入った、琥珀色の液体。
「これは……お酒、ですか?」
「先ほどいただいたのですよ、シュリエル様」
彼がこれほど丁重に扱うのならば、お高いに違いない。僕はじっとその瓶を見つめる。確かに、限りなく澱みのない綺麗な液体だ。
「いえ、僕は、その……お酒が勿体無いです。僕に飲まれるなんて」
「これはここの領主に貰ったものだから、気兼ねすることはない。むしろ、ここで楽しんだ形跡があれば『よほど気に入ったのか』と満足するであろう。雑味の少ないものだから、シュリエルの初めての酒としてふさわしい」
いつになく早口のクライヴ様を見やる。もう、飲ませる気しかしない。多分、彼の中では決定事項。
ジタリヤ様は甲斐甲斐しく、香高い肉の燻製やチーズなど、数種類のおつまみで卓を彩っていく。そしてスッと存在を空気にして去っていくジタリヤ様を、引き止めたい気持ちを抑え、僕は遠い目をした。
お酒は18歳から飲めるのだが、僕は20歳になってもまだ、飲んだことは無かった。
お酒は怖いものである。判断力を鈍らせ、人格すら歪めるもの。依存症になった人を、ご家族が時折教会に引っ張ってくるから良く知っている。
大声を上げ、片手に酒がないと暴れる。些細なことで顔を真っ赤にして、周囲の人に当たり散らす。
正直、教会へ連れて来られても、どこが悪いという訳ではないので治癒の施しようがない。仕方なく浄化をかければ一時的に酒は抜けるが、すぐに飲み直すのか、また元通り。
毒ではないと言う人が信じられない。僕には立派な毒に思えるのだ。それも、毒が抜けても元には戻らない、不可逆のもの。
クライヴ様は、こういう屋敷だったり、完全に安全の確保出来る場合に飲まれることはある。貴族としての付き合いもあるから、僕は何も言わないし言えない。けれど、内心ハラハラしながら眺めている。
「シュリエルは酒に対して、どのような見解を持つ?俺には、忌避しているように見えるが」
ナイトガウンに身を包んだクライヴ様が、足を組む。うっ、色気の猛攻撃。ぼんやりと見惚れてしまいそうになりながらも、僕は負けじと、髪を片側に寄せて頸を出してみる。
「ええと。神官が酔っ払うのはあまりに外聞が悪いですから。僕が甘味を遠慮していたように、贅沢品の一つですね。ただ、甘味と違って興味がある訳ではありません」
クライヴ様は、僕の露出した頸を凝視しながら、その瓶をきゅぽんと開けた。
「甘味と酒の違いはほとんど無いだろう。強いて言えば、酒は甘いものから辛いものまで、さまざまな味、風味、香を持つが、甘味は総じて甘い。甘さの強弱はあれど、酒ほど幅広くはない」
トクトクトクトク。
小さなグラスに、琥珀が注がれていく。
「甘味は、酸味や瑞々しさ、食感の違い、目で見た時の美しさ、合わせる茶の渋みなども楽しめますが、酒は所詮液体です。……依存症になられる方も多いでしょう。甘味はそんなことはありません」
「その通りだ。しかし、甘味も依存症はある。ただ身体が肥えていき、甘味しか目に入らぬようになるが、そういった患者は教会では会わないだろう。肥満は、神官に見せる意味は無いからな」
「……!そのような、甘味の依存症状があるのですね……!肥満は、確かに、教会ではなにもしようがありません……」
すっ。僕の前にひとつ。クライヴ様の前にひとつ。
綺麗なグラスが用意された。されてしまった。
「シュリエルは週に一回、決まった日に甘味を食すな。見ていてとても可愛らしい。俺は、大事に少しずつ甘味を食べる君がとても好きだ」
ぐっ。
な、なに。急に変化球を投げつけられ、僕は拾い損なった。紅潮する頬を自覚しながら、クライヴ様を見つめる。
「だから、酒の味を知ったシュリエルも見てみたい。常飲する訳ではないし、俺がついている。危ないことは何もない。だから……少し、酔ってみないか?」
乾杯、と言ったふうにグラスを持つクライヴ様。
僕はためらい、躊躇い、ほんの苺の粒ほどに小さなグラスを摘んで、カチリと合わせる。
クッ、と一息で煽ったクライヴ様は、ふうっと息を吐いてこちらを見た。次は君の番だ、と言わんばかりに。
僕だって。そりゃ、毎日大量に飲まなければ、よほど常飲しなければ、害ではないと知っている。けれど、怖いのだ。
酒によって引き起こされる事故。醜聞。そんなものを、僕は教会に叩き込まれてきた。だから、僕は――。
グイッ!
「!」
いつまでも飲まない僕に焦れたのか、クライヴ様は僕の手に持つグラスを奪うと、口に含んで口付けをしてきた!
ぽたぽたとこぼれながら、口内に注ぎ込まれるぬるい液体。熱いと錯覚するほどに、喉を、胃を焼くようだ。熱が、僕の口から内側へと移動していく……!
「んッ……!」
喉を通り過ぎてしまえば、なんてことはない。残ったお酒の風味の芳醇さに、僕は驚く。
「えっ……美味し……!」
「これは確かに美味い。しかし、勘違いするな。粗悪なものはもっと……臭かったり、妙に酔いやすかったりする。俺といる時以外は飲むな」
「わかりました。僕、こんな美味しい飲み物は初めてです!」
二口目は、自ら口へ持っていく。喉をチリチリと焼くような酒精であまり多くは含めないけれど、美味しい。
鼻を抜ける香り。
舌を転がる甘味と渋み。
……えっ、僕、なんで今まで飲まなかったんだっけ?
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