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本編

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指先を天へ仰ぎ祈れば、ふわりと舞い上がった霧がキラキラと陽気に照らされながら新緑を輝かせた。

サァ……サァ……

その霧はどこまでも広がる青々しい草たちを一つ残らず満足させていく。雲ひとつない晴天と、虹。精霊たちが喜び、歌い、幻想の花を咲かせ蝶や小鳥、魚たちが舞っていく。

僕の日課であり、『水の巫子』の仕事。











「はぁ……」

夢心地のような幻影が散ると、しんと静寂が戻ってきた。

この水やりをすれば、かなり魔力を消耗する。肩を落としそうになるところをぐっと堪えて、いつものように背筋を伸ばした。


いくら鍛錬を積もうと変わらない。

女性よりも魔力が多いとされる男でも、その男の中でも飛び抜けて魔力量の多い僕でも、連日連夜酷使していれば、摩耗するのは当然のこと。

幸いなのは、気絶するように眠るために、日々少しずつ魔力量が増えていることくらいかな。


時間があれば、この後近くの湖まで行って自己嫌悪と反省の思考に没頭するのだけど、今日はだめそうだ。


2回目のため息をつく暇もなく、急いで移動をする。

愛馬である『ウォル』を召喚すると、白いたっぷりとした神官服の裾を引っ掛けないようにたくし上げ、そのどっしりとした背中に颯爽と跨った。


「よし、ではまた学園に戻りましょう。宜しく頼みますよ」


ぽんぽんと優しく撫でれば、ヒン、と返事をするウォル。
エレメントホースと呼ばれる魔物の一種で、僕に従属する相棒だ。風属性のウォルは巧みに風に乗る。

地面ではなく空中を翔るウォルなら、通常では考えられないスピードでの移動を可能にする。


王立高等学園と、ここ教会本部との距離が、普通1日かかるところを、ウォルならば20分程度で行き来出来る。
水の巫子なのに、学園に通えることとなったのも、ウォルを従属出来たからだ。

相棒のふわふわと靡く翡翠の鬣を撫でながら、学園の寮へと向かう。



そうまでして何で学園に通うのかって?


水の巫子は教会で育ち、教会で働き、教会から出て生活することは殆どない。
通例からいくと、僕も、学園へは行かず教会で教育を施された後、王家へ嫁ぐ予定だった。

しかし僕は考えた。

学園へ行けば毎日ディルク様と会える。

あの素敵なお顔を毎日至近距離で拝見できるとは思っていない。だけど、他の人と交流しておられるディルク様だって王子らしくて格好いいに違いない。


『婚姻後の顔つなぎを円滑にするため』『貴族との交友も王妃として必須』だのなんだのと申請し、僕に甘い枢機卿が何かしてくれたのか、あっさりと通った。


普通の公爵令息なら、もう既に何人か友人や侍従がいるけれど、僕は友人どころか知り合い一人いなくても全く構わなかった。

ディルク様と同じ学園に通い、生活していらっしゃる姿を垣間見れるのを、楽しみにしていた。
実際、去年一年は充実していたのだ。通って良かったと思っていた。


今は、違う。


聖女という僕より強い癒しを持ち、可憐で誰しもが愛でたくなるような存在が、僕からディルク様を掻っ攫ってしまうのではと、不安に陥っていた。









予習途中で放り出していた教本を鞄へ詰め込む。冷蔵室から茹でた卵をふたつ取り出して胃へ流し込みつつ、制服へ着替えて身嗜みを整えた。

講義室に向かう生徒たちは、僕の存在を感じながらも話しかける事はない。いつもの事である。そして、これも。


「水の巫子様、どうかっ、私の母の治癒を……っ!何でも差し出しますからっ、どうかっ、どうかっ!」

「ですから、個人的なものはお受けできないと……教会を通して頂かなくては」


この手の懇願は慣れているから、毅然と対応したのだが。


ここで、いつもと違うことが起こった。


まるで僕が断るのを見計らったように、プリシラ嬢が割り込んできたのだ。僕の足元にうずくまって裾を掴む男の背中をそっと撫でてやる。


「まぁ、お可哀想に。それではこのプリシラが治癒しましょう!安心してください。早速今日の放課後、向かいますから」


悲壮な顔をした生徒は、プリシラ嬢に声をかけられてぱあっと顔を明るくする。


「水の巫子様が治癒を施せないのは、決まりですから仕方ないことなんですよ。代わりにプリシラが頑張りますから!どうかプリシラの顔に免じて、許してください……ね?」

「は、はい……っ!」


ほんの少し眉を下げて微笑むプリシラ嬢に、その男子生徒は一気に顔を赤くして、おどおどしながら彼女をエスコートしていった。

僕はもやもやしながらその後ろ姿を見送る。『許してください』……って?


大体一ヶ月に一人くらいの割合で、同じ学園の生徒とはいえ全く知らない人からこんなふうに治癒を懇願される。

当然、教会に申告のない治癒は出来ない。目の前で死にかけているなら別だが、原則としては無理。


これは僕だけではなく、全ての水の巫子候補生が無報酬で使い潰されるのを防ぐため。

教会に属していないプリシラ嬢はあっけらかんと、施してしまうようだ。それも、無報酬で。

一見、僕を助けているように見えて、実は陥としていることに気付く生徒はどれだけいるだろう。

去り際、プリシラ嬢はクスリと目を細めて僕を一瞬笑ったような気がした。勝ち誇ったような優越感を滲ませて。








「プリシラ様!先日はありがとうございました!母は反動に耐えられるか分からない状態でしたが、プリシラ様のお陰で何の負担もなく、すっかり元気になったのです!本当に感謝しています!」

「まぁ!ビリー様、それは良かったですね。プリシラも心から嬉しい!お大事になさってくださいね」

「はい!もう水の巫子様には絶対にお願いしません!私にはプリシラ様だけです!」

「それがいいです。あの方にご迷惑をおかけしてはいけませんもの」


プリシラ嬢は我が事のように喜んでみせ、そのやたら声の大きい男子生徒と手を握り合い、きゅっとハグを交わす。
男子生徒はそれはもう蕩けたようにぽっ、と顔を紅潮させていた。


あ、もうダメだ、あの人も。


ああなると、確実に『プリシラ親衛隊』の仲間入りだ。ここ一ヶ月で急速に増えたプリシラ嬢のための取り巻き。

彼女の座るベンチにハンカチーフを広げたり、飲み物を取ってきたり、道ゆく道の障害物を退けたり、別に騎士でもないのに護衛をしたり。


数週間もすると、プリシラ嬢に惚れて幼年からの婚約を破棄した令息もいた。
相手のご令嬢はそれはもう当然怒るどころではないし、勢いのまま直接プリシラ嬢に文句を言ったりするのだが、明らかに悪手だった。


護衛役の令息達によって速やかに排除される上、噂を流される。『聖女プリシラに危害を加えようとし、彼女を泣かせた女』と。

僕にとって、それは何の問題もない醜聞未満の噂が、令息間では何故かとてつもない悪女のように伝わり広げられ、その令嬢は肩身の狭さに現在休学中である。

そんな境遇に追い込まれる令嬢は、その後も増え続けていき、反比例するように、プリシラ嬢の親衛隊は増えていったのだった。








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