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本編

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機嫌きげん良さそうだな、シオン」
「はっ、そう見える?この状況でご機嫌だったなら、相当イカれてるよ」

 騒がしい夜会を鑑賞する気分にもなれず、バルコニーの欄干らんかんにもたれて冷たい夜風に当たっていた。低く落ち着いたこの声だけで分かる。幼馴染のエリオットだ。

 僕が酒を飲んでいるというだけで、機嫌良く見えたらしい。けれど実際は、ただ酒で紛らわそうとしているだけ。

 顔を上げるのすら重だるくて、軽く指を上げた。きっとそこには、いつもの、困ったような顔をする優しげな顔があるのだろう。

「お前、大丈夫なのか。酒……」
「これは、家から持ち出したやつだから。大丈夫」

 いつも背筋を伸ばしている僕が、珍しくを巻き、背を丸めているからだろう。エリオットは心配そうな声を出す。

「…………王子は、アレアリア嬢と二回も踊っていたな」
「うん。やっと婚約破棄出来たものだから、浮かれているんでしょう。僕をめてまで手に入れたかった男爵令嬢だ、二回でも百回でも踊って見せつけたいんだ」
「皆、分かっているさ。お前が嵌められたことなんて」
「ふふっ、どうかな」


 エリオットの慰めに、自嘲じちょうを溢した。






 僕は男ながらに、レギアス第一王子の婚約者だった。王子から、そして王妃から請われた、王命による婚約だった。
 美しく、聡明な侯爵令息。生まれた時から、頭に猫耳、腰に尻尾を付けた男は、儀式を受ければ子も孕める。女性の割合が減ったこの世界で、この『猫神の祝福』を受けた男も子供を産めると見做されているのだ。

 また、魔力が高いほど、使えるようになるまで年数が掛かるが、8歳時点でまだ覚醒していなかった僕は、大いに期待されていた。それが10歳、11歳と、王子が覚醒した後もまだとなるとヒソヒソされ始め、15になるといよいよ蔑まれるようになった。

 15歳を過ぎてもまだ、魔力覚醒、およびスキルが顕現しない者は……平民と同じ。魔力なしと呼ばれるのだ。貴族には滅多に現れない。そして今、18歳の僕は、未だ覚醒しないまま。

 レギアス殿下もいつしか、僕を蔑むようになっていた。けれど僕の方は、出会った頃の殿下の優しさが忘れられなくて、みっともなく、縋るように彼のサポートを続けていた。


 そして数日前。


 僕は過ちを犯した。


 卒業パーティー。ようやく結婚出来ると浮かれた僕は、酔っ払い過ぎたらしい。
 気付けば控え室にいたのだ。それも、知らない男と。

 聞いた話によると、その現場に王子が乗り込み、全裸にシーツを巻いただけの僕と裸の男が、同衾しているのを見た、と。なぜ伝聞なのかと言えば、その時、僕の意識は、ほとんど無かったから。

『穢らわしい!婚約破棄だ!』

 記憶がなくても、状況が状況で。
 そうなったのも、分かる。僕は他人事のように、ただ首を縦に振った。







 王子を裏切った者として断首でもされるかと思いきや、長年王子を支えた者として、それだけは免れた。ただもう僕の命は王家の預かりになったらしく、王城へ士官することが決定されていた。

 後で分かった事だが、僕の体からは大量の媚薬成分が検出された。意識が混濁するどころか、死んでもおかしくないレベルの。
 それに僕の相手とされる男は、煙のように消えてしまった。王子側の協力者だ、今頃逃げおおせていることだろう。僕も全く記憶が無く、探すことも出来ない。

 十中八九、はかられた。王子が瑕疵かしなく愛しい令嬢と婚約するために。

 そんなわけで、僕は絶賛鬱状態。これから王子やその妃となる男爵令嬢に仕え、一生独身で、一生を王家に捧げないといけないなんて、無理すぎる。

 父や弟は抵抗したけれど、僕も説得し、今日を持って除籍の手続きは完了した。これで家族に迷惑はかからないと、普通なら思うかもしれないけど……、そう判断するのは甘いだろう。

 何度も逃げようと思った。けれどそうなれば、侯爵家がどうなるかだなんて火を見るよりも明らか。……耐えるしかないのだ。少なくとも、王家が僕を手放そうと思えるまで。


 この夜会は僕との婚約破棄と、男爵令嬢との婚約が成立したことを公表するもの。今更公表なんかしなくたって、何があったかなんて皆んな知っている。

「シオン・ウィンストン!貴様は侯爵令息という身分を振り翳し、低位貴族のものを虐げ、更には、あろうことか不貞を冒し、私を裏切った!貴様のような性根の腐った賤しい者は、次期王妃に相応しくない。婚約破棄をする!」

 優しかった王子の声、ではない。
 もうあの頃の彼は、いない。

「私はこの、男爵令嬢ながら清廉で心根の優しい、アレアリア・エッラと婚約を成立させた。皆の者、良く周知するといい」


 アレアリア嬢が清廉なら、この世の殆どの人間は天使になれるんじゃないだろうか。
 けれど、そう言えば王子の怒りを買う。だから誰も、忠言しなかった結果。

「シオン・ウィンストンは本来極刑のところ、被害を受けたアレアリアが寛大かんだいにも許した。私も彼女を見習い、不貞という大きな罪を見逃してやることにした。代わりに!シオンはウィンストン家から除籍の上、一生涯王家に仕えることとする」

 オオーッ、と拍手が沸き起こった。

 反吐が出る。皆の考えていることは分かる。アレアリア嬢がいくら王妃としての教養を備えていなくとも、僕という使い勝手の良い駒が側にいれば、何とでもなるだろう、と。

 しかも平民に堕ちた身分。反発もしない便利な執務処理機を、対価なしに手に入れられた王家。パチパチという乾いた拍手が、どうにも耳障りだ。

「シオン……シオンは?どこにいる!あのアバズレは!」
「好き勝手に……っ、」

 憤るエリオットを抑える。そんなことをしても、エネルギーの無駄遣いだ。貴族社会における王子は、絶対的権力。それに、僕たちが敵うことはない。

 指に挟んだグラスで、一気に酒を煽った。ぬるい液体が喉を焼いて、身体を蝕んでいく。はぁ、気持ちいい。くらくらと腐りかけの熱い体に、夜風が冷たくて。

「……シオン、飲み過ぎだ。さすがにそれ以上は……」
「そう?どうでもいい。ほら!世界はこんなに綺麗」

 上を見上げると、満点の星空。
 僕がいくら蔑まれようが、貶められようが、星はいつでもひかひかと輝いている。こんな小さな存在なんか、知ったこっちゃない、と言わんばかりに。

「エリオットも飲む?瓶ごと持ってきたから」

 サイドテーブルに、ちゃんとね。適当に注ごうとすると、手元が震えて覚束ない。けれど、無理やり並々と注いだ。

 狼狽えるエリオットは、僕がバルコニーから落ちないか心配らしく、腕を掴んでいる。その手を取って、微笑んでみせた。

「飲まないなら……エリオット。僕と控室、行く?」

 銀の尻尾が、エリオットの腕に絡まり、彼は大いにたじろいでいた。

「!し、シオン……、知っているだろう。俺に、婚約者がいることは」
「行くの、行かないの」
「………………行く」
「やったー」

 棒読みで喜び、またもう一杯、酒を煽った。











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