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91ナサニエルとパドマは
しおりを挟む――――ロキと会う数日前に時は遡る――――
フォルナルクにやってきたナサニエルとパドマがまず、驚いたのは、イヤゴー村より数段、治安が良いこと。
暗がりに行けば流石に、ガラの悪い連中はいるが、ボロボロの身なりで歩いていても石を投げつけられることはない。精々が顔を顰められるくらいだ。
早速、例の商会に面接を申し込む。何日か待って、ようやくその日がやってきた。
「ええと、ナサニエルさんと、パドマさん、ですね」
「何をしにきた!?」
二人いる面接官のうち、一人は見覚えがあった。トア爺だ。ある日ふと居なくなったなとは思ったが、余裕がなくて気にも留めなかった。
彼は怒りをギラギラと灯した目で、二人を睨んでいた。
「えと、トアさん?大丈夫ですか?」
「……ふぅ。いや。わしは一旦失礼する」
「トア爺!?なんでここに!?おい、同じ村出身だ!口をきいてくれ!」
トア爺はナサニエルの叫びに一切反応せず、ドスドスと床に刺さりそうな勢いで出て行ってしまう。残されたのは、針のように鋭そうな、いかにも仕事の出来そうな、眼鏡の男性一人。
年齢や職歴、出来ることややりたいことなどを淡々と聞かれて、面接官はサラサラと何か書き付けていた。ナサニエルとパドマは、しきりにトア爺を褒めそやし、懇意であることをアピールした。
男はにっこりと笑って面接の終了を告げたので、受かったのだと思った。
しかし、帰る直前。
門から出たところで、『不採用です』と告げられた。何故。おかしいだろうと掴みかかると簡単に捻られて、『向上心の無さと、態度の悪さ、求めるスキルが無い』と理由を言われても、納得出来なかった。
恐らく二人は、どんな理由であっても素直に認めることは出来なかった。
放り出されても諦められなかった二人は、再び冒険者の仕事をやりながら、あの商会で面接した場所へと通う日々が始まった。
こちらから手を出さなければ、あちらも手を出すことは出来ない。ニヤニヤと門番を眺めながら、二人は、もっと上の立場が出てくるのを待った。直談判するのだ。
この町は治安が良い。その反面、町中の仕事は態度の良い冒険者に取られてしまい、ナサニエルやパドマのように、嫌々、舌打ちしながら掃除をするような者は需要がない。かといって町を守る外壁の外に行く勇気もない。
二人はその日の仕事にも困るようになり、どんな最低な宿にも泊まれず、貧民街に身を寄せた。
そこは彼らと同じように、待遇の良い仕事を求めて他からやってきたものの、仕事にありつけなかった者達の吹き溜まりだった。それも、領主の救済措置も間に合わないくらい、どんどん増えている。
「聞いたか、あそこの従業員……」
「ああ、『ユウキュー』とかいう、金を貰いながら休める日があるらしい……狂ってる」
「そうだ。オレたち、仕事にありつければ程々の金でいい。なんなら半分でもいいのに、何故だ」
かの商会の従業員はフォルナルク出身が多く、当然彼らから友人へと、友人から酒場へと、酒場から町全体へと、その考えられない程の高待遇の噂を聞く。
「何故だ、何故俺らほどの人材を雇わない。おかしい」
「アンタは知ったこっちゃないが、あたいは違う。あたいこそ選ばれるはずなのに。あんな短時間の面接でわかる訳がない……」
やっと稼いだ金は一日の食費で消える。それでも少ししか買えなくて、常に飢餓感は拭えない。貯金?そんなもの持っていたって、貧民街の乱暴者に取られるだけだ。それなら食費に回さないと。
一日を生きて終えられれば、明日また生き延びられるか、願いながら眠りにつく。それは皮肉にも、かつてのロキと同じであった。
そしてあの日。泥ねずみと再会した。
そうだ、ロキ。ようやく思い出したその名前。おそらく一度も呼んだことのない名前を連呼しても、泥ねずみの反応は殆どなかった。
あんなに長い間、養ってやったのに!
二人の中では、泥ねずみに施してやった記憶しかない。何故なら、泥ねずみが働くことや、身をストレス解消に捧げるのは『当たり前』の事だから。
簡単に憤った二人だったが、ロキにぐうの音も出ないほど言い返されて、挙げ句の果てには、気づけば貧民街に戻っていた。
言霊の力と、今度接触すれば犯罪者になってしまう。そうすれば鞭打たれながら鉱山奴隷になるだろうという恐怖もあり、もうロキに何かしようとする気も起こらなかった。
あの泥ねずみ――ロキの商会の勢いは留まるところを知らない。フォルナルクに次々と系列店が増えていくのを、ナサニエルは歯を擦り潰すように噛みながら、横目で見るしか無かった。
あの泥ねずみの成功など、見たくないのに気になって仕方ない。
あれから何度も社員寮の正面に行っては様子を見ようと考えたが、――そちらの方向に行こうとすることすら出来なくなっていた。
まるで透明の膜でも張られたように、足を踏み出そうとするのを妨害される。何らかの魔法で対処されてしまったようだった。
ナサニエルは悔しさに荒れた。数年前までは自分の支配下にあったのに、今では歯牙にもかけられていない。
妻パドマはそうなってからは諦めて、貧民街の中でより快適に暮らそうと足掻いていた。彼らの夫婦関係はほとんど終了していたが、それでも協力しなければ生きていけなかったのは――ナサニエルとパドマの、ロキ商会への態度が貧民街でも噂になっていたからだ。
ロキ商会は比較的貧民でも話を聞いてくれる方で、少なくとも、一度は就職のための面接を受けさせてくれる。そこで落とされたとしても、普通の商会は面接どころか門前払いをするのが当たり前。その為、貧民街の中では唯一の希望が、ロキ商会だったのだ。
「おい、お前らのせいで面接すら受けられなくなったらどうするんだ?」
「は……?」
ナサニエルは目つきの悪い若者に取り囲まれて、びくびくと肩を振るわせた。パドマもまた、媚びるようにしながらも、顔に恐怖を滲ませている。
「あそこの商会はな、この貧民街からも就職してった奴がいる。ああ、俺らから見ても有能なやつだった。だから俺らは妬まないし恨まない。だが、お前らはなんだ?自分らが仕事が出来ないのが悪いのに、商会の悪口ばっかり言って」
「い、言っていない!ただ、あんな奴の下で働くなんて、気の毒だと……」
「あ“あ”ん?お前らがそう『思う』のは勝手にしろ。だがな、言うのはだめだ。『貧民街の奴らが悪い噂をばら撒いている』となると、もうここから採ってくれないかもしれない。どう責任をとるんだ?」
ひぃ、と上がりそうになる悲鳴を喉で殺す。若者は、この貧民街の中でも最も一目を置かれている、元締めのような存在だった。ここで、彼に逆らってはいけない。
ナサニエルとパドマはその本能からの忠告に従い、もう二度と悪口は言わないことを誓わされた。
二人は貧民街でも爪弾きとなり、イヤゴーの村へ帰ろうとするも、乗り合い馬車に乗る十分な金も無かった。
仕方なく歩いて向かおうとして、魔物に喰われたのか、野盗に襲われたのか。
その後、二度と姿を見かけることはなかった。
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