上 下
10 / 158

9 宿屋一家side

しおりを挟む
――――――開封の儀 当日


「はぁ、まだかい、あいつは」

「本当に……!人をこんだけ待たせておいて。さあさあ、皆さん、もう一杯お茶を……」


宿屋の店主ことナサニエルはイライラしてうろつき出し、その妻パドマは特別な客人にハラハラしながら茶を出していた。


「もう待ちくたびれた。現物引き換えが基本だからな。これ以上待つには割に合わない。醜悪な顔の餓鬼だろ?いくら力持ちだからって、銀貨で10枚出せるかどうか……」


奴隷商の男は、食堂の椅子を乱雑に蹴った。慌ててパドマが『そこをなんとか!』と頭を下げる。
アイツにもし精霊がつけば高く売れるし、そうでなくても異常に力持ち。

ここのところ反抗的な目になってきたし、力で負ける前に奴隷商に売りつけるべき。そう判断したナサニエルは、奴が開封の儀のため宿屋から離れている隙に、奴隷商を呼んでいた。

奴隷商の露骨に粗暴な見た目と、雰囲気の悪い宿屋に、常連客はいぶかしみながらも階上へ上がっていく。今日は、食事は外で取ろうと決めて。


銀貨で10枚と言えば一ヶ月の売り上げに遠く及ばないが、本人の力持ちっぷりを見せれば金貨1枚分には化けるはず。

そう高く見積もってにやにやしていたナサニエルは、開封の儀帰りの泥ねずみを待っていたが、夕方になっても、夜になっても、帰ってこない。
痺れを切らした奴隷商は、時間を浪費したと言って激昂した。


「もう時間切れだな、帰る」

「そんな!アイツは、高く売れるんです!顔に大きな火傷跡があって、酷く醜いですけど、とても力持ちなんです!どうか、どうか、見つけて捕まえてください!」

「いやぁ、そんなもん、捕まえる程の価値もねえ。力持ちなんてぇのは案外いるんだぞ?いいか、その為に人員を裂くには、すげぇ美人だとか、すげぇ魔力を持つとかがなけりゃ、オレらは動かねぇ。どーしても?売りたいなら?ハッ、お前らで捕まえてきな」

「そんな……」


思う存分散らかして出て行った奴隷商に、パドマとナサニエルは肩を落とした。一体、何故帰ってこない?

彼らは泥ねずみに手をわずらわされるのがとても嫌いだった。だからいくらイライラしても、泥ねずみを探したり、人に話を聞くなんて、奴の支配者としてのプライドが許さず、時間だけが過ぎていく。



泥ねずみがいなくなって三日も経てば、あらゆる場所で埃が目立つようになった。

水差しの水を飲んだら虫が入っていたとクレームが入り、ナサニエルは必死に水を汲んだ。

ナサニエルはこれまで、料理の下準備をする他は、少し遠くの市場へ出掛けて良い食材、珍しい調味料などを仕入れていたのだが、それを行う時間は無くなった。
必死で料理をしているのに、腕が落ちたと言われてしまう。

重たい台車には、泥ねずみが運んでいた量の半分もない。それなのに、これ以上は重過ぎて動かせなくなってしまうから、ナサニエルは息を切らして何度も往復するしかなかった。その為、下処理に時間をかける余裕もない。


シーツが、部屋が、食堂が汚いとクレームが入った。


パドマはこれまで、近所の主婦たちと井戸端会議にいそしみあらゆる噂をかき集め、食堂でそれを披露するのを生きがいにしていた。

しかしもうそんな時間はない。パドマは掃除、洗濯をするのに一日の大半を使った。

(おかしい。あのグズが淡々とこなしていたというのに。10室しかないのに、一室綺麗にするのに半刻以上かかる上、汗だくになっちまう)


パドマは泥ねずみが働きだしてから6年、せっせと蓄えた脂肪により身体が重くなっていたことに気付いていなかった。









泥ねずみがいなくなって五日。ついに常連客が離れ出した。良質な客程、静かに去っていく。

野菜の皮剥きを延々とやっていた泥ねずみが居なくなったので、料理の提供は著しく遅くなった上、何か物足りないと言われることが多くなった。泥ねずみに用意させた調味料も、野菜も在庫が無くなった。

その頃になってようやく、パドマは裏庭の畑の存在を思い出した。慌てて向かうと、水を与えられずに乾涸びた野菜たち。


「ど、どうするんだいあんた!野菜が」

「どうするったって、買うしかねぇだろ!泥ねずみの作った野菜が、買った野菜より美味しい訳がねぇだろ」

「……あんた……」









パドマは知っていた。野菜の味は、裏庭で採れたものの方が上。味が濃厚かつ大きい。しかし、それを認める訳にはいかなかった。そのため、裏庭が野菜を育てるのに適していただけだと考えた。

(新しいのを雇えばいい。泥ねずみのやっていた分をやらせれば、また楽ができる)

パドマは商業ギルドへ行って、募集を出した。しかし、その内容を見て、給金を見て、誰もが鼻で笑った。

そんな低賃金で、多岐にわたる業務をこなせる人は来るはずもない。


「パドマさん。厨房にて食材の下処理、食材の搬入、水汲み、洗濯、掃除、畑の手入れ。これでこの給金なんて、馬鹿にしています?奴隷でも買ったら如何ですか?」

「いや、奴隷なんて……外聞が悪いだろう?素行も悪いし、いつ寝首を掻かれるか……」

「あの泥ねずみはどうしたんですか?たしか、開封の儀でふらついた・・・・・と。それだけ魔力が多ければ貴族にも目をかけて貰えたでしょうに」

「!!」


ギルド職員に言われて、そこで漸く、パドマは泥ねずみの魔力の高さを知った。








「あんた!あんた……っ!アイツ、魔力がけっこうあったんだって!聞いたかい?!」

「なにっ?!そんな……っ、それでアイツは逃げたのか?!許せん!今まで養ってやった恩も忘れて……!」

「なあにママとパパ、またケンカぁ?最近多いんじゃない?」

「「黙っとけ!!」」


ひいっ、と息を呑んだマリーを放置し、愚かな二人は考えた。絶対に、取り戻さないと。あれを捕まえ、金に換えないと、口惜しい。


「アイツの居場所を知ってそうな人が、いたか?」

「そういえば、最近は見ていなかったが……数年前、トア爺だけは泥ねずみの様子を気にかけていたよな。そうだ、トア爺なら!」


もしかしたら何か知っているかもしれない。彼はここらの住民の良心で、ナサニエルたちも病気にかかればトア爺に頼るしかないため、下手に出て聞いてみることにした。


「泥ねずみ?はて……?」

「知っているだろ……でしょう?数年前、トア爺さんがウチに来てくれて、あいつの部屋に入っていった!金は払ってないが……まさか、あの時の金を根に持って、あいつを匿っているんじゃ?」

「はっはっ!爺が貧乏人から金を取っていないのはおぬしらも知っておるだろう?それから、爺は毎日たくさんの患者を診るからの、とーんと思い出せんわ。思い出したら連絡してやるかの」

「じゃなくて!今!今!!どこにいるのか知っているか!?」

「知らんのう。そもそも、泥のような顔、という子も思い出せん」

「嘘だろ!?あんな醜い顔を……!?」

「あんた、もうダメだ。トア爺は歳なんだ。耄碌もうろくしちまってる」


あんなに特徴のある顔を思い出せないなんて……と、ナサニエルたちは悪態を吐きながら去っていく。その情けない後ろ姿を見つめながら、トア爺はため息を吐いた。

今、かつて『泥ねずみ』と呼ばれた少年は、トア爺の部屋で休んでいる。かくまい続けられるのも時間の問題だ。
せめて今だけは、自分の全てをかけて看病してやろう。そう決めた。

こうして、ロキを見つけられなかったナサニエルの宿屋は、滑落の第一歩を、力強く踏み出した。


しおりを挟む
感想 62

あなたにおすすめの小説

フリーター転生。公爵家に転生したけど継承権が低い件。精霊の加護(チート)を得たので、努力と知識と根性で公爵家当主へと成り上がる 

SOU 5月17日10作同時連載開始❗❗
ファンタジー
400倍の魔力ってマジ!?魔力が多すぎて範囲攻撃魔法だけとか縛りでしょ 25歳子供部屋在住。彼女なし=年齢のフリーター・バンドマンはある日理不尽にも、バンドリーダでボーカルからクビを宣告され、反論を述べる間もなくガッチャ切りされそんな失意のか、理不尽に言い渡された残業中に急死してしまう。  目が覚めると俺は広大な領地を有するノーフォーク公爵家の長男の息子ユーサー・フォン・ハワードに転生していた。 ユーサーは一度目の人生の漠然とした目標であった『有名になりたい』他人から好かれ、知られる何者かになりたかった。と言う目標を再認識し、二度目の生を悔いの無いように、全力で生きる事を誓うのであった。 しかし、俺が公爵になるためには父の兄弟である次男、三男の息子。つまり従妹達と争う事になってしまい。 ユーサーは富国強兵を掲げ、先ずは小さな事から始めるのであった。 そんな主人公のゆったり成長期!!

全能で楽しく公爵家!!

山椒
ファンタジー
平凡な人生であることを自負し、それを受け入れていた二十四歳の男性が交通事故で若くして死んでしまった。 未練はあれど死を受け入れた男性は、転生できるのであれば二度目の人生も平凡でモブキャラのような人生を送りたいと思ったところ、魔神によって全能の力を与えられてしまう! 転生した先は望んだ地位とは程遠い公爵家の長男、アーサー・ランスロットとして生まれてしまった。 スローライフをしようにも公爵家でできるかどうかも怪しいが、のんびりと全能の力を発揮していく転生者の物語。 ※少しだけ設定を変えているため、書き直し、設定を加えているリメイク版になっています。 ※リメイク前まで投稿しているところまで書き直せたので、二章はかなりの速度で投稿していきます。

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~

おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。 どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。 そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。 その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。 その結果、様々な女性に迫られることになる。 元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。 「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」 今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。

解呪の魔法しか使えないからとSランクパーティーから追放された俺は、呪いをかけられていた美少女ドラゴンを拾って最強へと至る

早見羽流
ファンタジー
「ロイ・クノール。お前はもう用無しだ」 解呪の魔法しか使えない初心者冒険者の俺は、呪いの宝箱を解呪した途端にSランクパーティーから追放され、ダンジョンの最深部へと蹴り落とされてしまう。 そこで出会ったのは封印された邪龍。解呪の能力を使って邪龍の封印を解くと、なんとそいつは美少女の姿になり、契約を結んで欲しいと頼んできた。 彼女は元は世界を守護する守護龍で、英雄や女神の陰謀によって邪龍に堕とされ封印されていたという。契約を結んだ俺は彼女を救うため、守護龍を封印し世界を牛耳っている女神や英雄の血を引く王家に立ち向かうことを誓ったのだった。 (1話2500字程度、1章まで完結保証です)

【書籍化確定、完結】私だけが知らない

綾雅(要らない悪役令嬢1/7発売)
ファンタジー
書籍化確定です。詳細はしばらくお待ちください(o´-ω-)o)ペコッ 目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。 優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。 やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。 記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2024/12/26……書籍化確定、公表 2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位 2023/12/19……番外編完結 2023/12/11……本編完結(番外編、12/12) 2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位 2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」 2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位 2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位 2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位 2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位 2023/08/14……連載開始

子爵家の長男ですが魔法適性が皆無だったので孤児院に預けられました。変化魔法があれば魔法適性なんて無くても無問題!

八神
ファンタジー
主人公『リデック・ゼルハイト』は子爵家の長男として産まれたが、検査によって『魔法適性が一切無い』と判明したため父親である当主の判断で孤児院に預けられた。 『魔法適性』とは読んで字のごとく魔法を扱う適性である。 魔力を持つ人間には差はあれど基本的にみんな生まれつき様々な属性の魔法適性が備わっている。 しかし例外というのはどの世界にも存在し、魔力を持つ人間の中にもごく稀に魔法適性が全くない状態で産まれてくる人も… そんな主人公、リデックが5歳になったある日…ふと前世の記憶を思い出し、魔法適性に関係の無い変化魔法に目をつける。 しかしその魔法は『魔物に変身する』というもので人々からはあまり好意的に思われていない魔法だった。 …はたして主人公の運命やいかに…

異世界召喚に条件を付けたのに、女神様に呼ばれた

りゅう
ファンタジー
 異世界召喚。サラリーマンだって、そんな空想をする。  いや、さすがに大人なので空想する内容も大人だ。少年の心が残っていても、現実社会でもまれた人間はまた別の空想をするのだ。  その日の神岡龍二も、日々の生活から離れ異世界を想像して遊んでいるだけのハズだった。そこには何の問題もないハズだった。だが、そんなお気楽な日々は、この日が最後となってしまった。

少し冷めた村人少年の冒険記

mizuno sei
ファンタジー
 辺境の村に生まれた少年トーマ。実は日本でシステムエンジニアとして働き、過労死した三十前の男の生まれ変わりだった。  トーマの家は貧しい農家で、神から授かった能力も、村の人たちからは「はずれギフト」とさげすまれるわけの分からないものだった。  優しい家族のために、自分の食い扶持を減らそうと家を出る決心をしたトーマは、唯一無二の相棒、「心の声」である〈ナビ〉とともに、未知の世界へと旅立つのであった。

処理中です...