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章1

幕間 【どこかの世界の誰かの話:望郷】 (1)

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 それから3年近くを、がきんちょ――ヤクモはこの国で過ごした。

 勇者ヤクモの師匠ポジだったはずの俺はというと、突き放しても嫌味な態度を取ってもノーダメージで犬のようになついてくるヤクモのせいで、周囲からは保護者と認識されてしまっている。

「ウィリー! 見て見てこれ! おれんとこの飲み物なんだけど!」

 朝からそこらで雑草同然の花を引っこ抜いてまわっていた勇者サマは、城の厨房に向かったはずだが。

 まさかおまえ、その手に持ってるカップの中身は今朝の雑草か。

「なんつーもの飲んでんだおまえの世界の連中は……雑草じゃねえか」

「いや、ホントはコーヒー豆がいいんだけど、この世界ないっぽいからさ。で、タンポポコーヒー」

 厳密にはタンポポもどきコーヒーだな、と花の品種さえもろくに確認していないらしい男がけらけら笑っている。

「ちゃんと味見はしたから、大丈夫! 飲んで!」

 どうやら手にしたカップは、俺のために厨房から持ってきたもののようだ。

 仕方ない。かわいい弟子が用意したものだ。
 一口くらいは耐えてやってもよかろう。

 泥水でも飲むつもりで、受け取ったカップに口をつける。

「……まっず」

 いやマジで泥水かよこれ。

「え、不味い? まじ?」

 俺の手にあったカップに、そのまま背伸びしたヤクモがかぶりつく。
 行儀悪く歯でカップを傾け、中身を啜った。

「おまえ、本当にこれ作り方合ってんのか? くそ不味い。人間の飲み物じゃねえ。こんなもんいくらおまえの世界の連中でも飲んでるわけねえだろ」

「えー? わりとコーヒーっぽい味だと思うんだけどなあ……苦みをまずいって言ってるんじゃないよな? コーヒーは苦いものだぞ?」

「不味いもんは不味い」

 カップを食んだままのヤクモを退かせ、残りを呷る。
 せっかく作られたものを捨てるわけにはいかない。

 空になったカップを彼に渡して、踵を返した。

「ウィリー、どこいくんだよ」

「上司に呼ばれてる。ついてくんな」

「……はーい」

 俺がそう告げると、かわいい弟子は素直に自分の部屋に戻っていく。

 あいつはあれで、聞き分けはいい。
 ここ3年で身体の方はすっかり縦に伸びてしまったが、根っこは未だに子供のままだ。

 まったく。

 なんでこんな子供を騙すようなことしてんだ、うちの上司は。




 ヤクモはガイアの槍を生成できるようになり、瞬く間に力をつけていった。

 実戦経験でのD級闇目も難なく討伐に成功。

 その力をもって、ここしばらくは近隣を中心に闇目たちの討伐に赴く日々が続いている。
 ヤクモのレベルは現状、87にもなるはずだ。

 未だ、北方山脈へ向かう許可は下りない。

 実力でいうならば、もう十分すぎる。

 この国、この城にとどまって近隣の闇目たちを相手にするだけの時期はとっくに過ぎているはずなのだ。

 それもこれも、上司――あの姫君の指示である。

 ヤクモは彼女を信じ切っているようだが、レイアには予知能力などはない。

 どころか彼の召喚すら、彼女が行ったものではなかった。

 病に臥せっている王の命によって集められた人柱を使い、少なくない犠牲を払って――実際に召喚を行ったのは、「悪魔イグニス・ファトゥス」という存在。

 レイアはその力を借りてヤクモを呼び、仇敵を討とうとしている。

 王の病だって、どうせレイアが裏で毒でも盛っているのだろう。

 愚王と呼ばれていた男だ、彼女が「要らない」と判断すれば、すぐにでも崩御の知らせが広まるに違いない。

 彼女の目的が闇目の根絶であることは、間違っていない。
 ヤクモに明かしていた世界を救いたいという気持ちも本物だ。

 だが、それ以外はことごとく嘘にまみれている。

 ヤクモがもとの世界に戻るすべを、彼女は持っていない。

 闇目のボスを倒せば自動で故郷に帰れる、というのも方便だ。

 人を食らう悪魔として恐れられているイグニス・ファトゥスが、子供一人の願いを聞き入れるために対価なしで故郷へ送り届けてくれるとはとうてい思えない。

 彼が無事に故郷へ戻るためには、再び同じ手順を踏んで大勢の人柱を用意するしかない。
 ほかに方法があるとするなら――。

「ああ、来ましたか。ウィリアム」

「うーっす。で、なんすか」

 腹に一物どころか二つも三つも抱えている姫君が、そんな様子をおくびにも出さずに美しく微笑む。

「恋愛相談です」

「はあ」

「ヤクモに、けんもほろろに振られてしまいました」

「そりゃよかったですね」

 彼女はこの3年間で、勇者ヤクモにさりげなくアタックを繰り返していた。

 最初は控えめに。
 しかしそれではあのにぶちん、全く気付く気配がない。

 徐々にアプローチは大胆になっていき、とうとう先日、面と向かって愛の告白をしていたようである。

 結果は聞かされていなかったが、この様子では。

「どうも、あの子には別に好きな相手がいるようですね」

 やっぱり玉砕か。

 闇目の創造主を討ち果たしたあとは、勇者として影響力を持つだろうヤクモを自国に取り込みたい……そんな打算からくるような愛の告白では、あのお子様には響かなかったに違いない。

 捕らぬ狸の皮算用なんかするからだ、まずは仇敵の打倒が先だろうに。

 いち市民でしかない俺にはそう思えてならないが、姫君はそういうわけにはいかなかったのだろう。

 良くも悪くも、彼女は為政者なのだ。

「ほーん? ならさっさと帰してやりゃいいじゃないすか、どうせあっちの世界の人間だろ」

「いいえ」

 しかし、そうなるとますます、用が済んだらヤクモはあっちに帰してやらなきゃ可哀想だ。

 あちらへ帰るための手段を持っているだろうイグニス・ファトゥスと接触する段取りに考えを巡らせていると、俺の何気ない返しに姫君が冷めた視線を送ってきた。

「ヤクモを魅了しているのは、ウィリアム。あなたです」

「はあ? 何言ってんすか」

 男が趣味だってか? 男どころか恋すらろくに知らなさそうなあいつが?

「あなたがそれを信じる信じないは、私には関係のないことです。ですが、アルカスフィアの国民として、私に忠誠を誓う者として……どうすべきか、分かりますね?」

 その言葉に、急激に思考が冷えていった。
 まるで、調子に乗っていたところに突然冷水を浴びせられたかのように。

「……仕事なら、ちゃんと言葉にして指示してくださいよ」

 ここ最近、かわいい弟子と戯れているのが愉快で、忘れていた。

 いや、彼の隣に立てる気になっていた、のかもしれない。

 ――そうですね、と、姫君が口を開く。

「あなたが彼を受け入れ、勇者ヤクモが生涯この国に留まるように……”夢を見せてあげなさい”」
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