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章1

聖女さまのおつかい(3)

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 半泣きで逃げ帰り、詩絵里の滞在先になると聞いていた中継地点の宿へ転移した。

 もともとは、定期報告の時間になったら宿の外にて落ち合う予定だったのだ。
 どこの部屋に宿泊しているかまでは聞いていない。

 透が途方にくれていたところ、ウィルが気配察知で部屋に見当をつけてくれた。

 部屋の扉を叩くと、扉の向こうから詩絵里が顔を出した。

「あら、透くん。まだ報告には早いけど、どうかしたの?」

 そのまま彼女が透を部屋の中に招き入れる。

 すみません助けてください、と言おうとして、声が出ないことを思い出す。

 詩絵里もまた透の体を見て察し、アイテムボックスから紙とペンを取り出してくれた。

 椅子に腰を下ろして、経緯を書き込んで見せる。

「わかったわ。透くん、私が捏造した”事情”をメモ帳に書くから、それを街の人に見せなさい」

 言って、詩絵里が透の服のポケットからメモ帳を引き抜いた。
 こんな時のためにメモ帳を常備していたのに、気が動転して忘れていた。

「ギベオンの交渉をするチャンスよ」

 この世界の書き文字で、彼女はメモ帳に2ページほど文章を書き連ねていく。

 1ページ目には、「聖なる力と引き換えに言葉を失ってしまった」という身体的な事情、「人を癒す力、アンデッドを人に戻す力がある」という治癒魔法の説明、「何度も使えるものではなく、命を削って行使している」という行使にあたってのデメリットが記された。

「たぶんだけど、街に戻ったら領主の屋敷あたりにお招きいただくことになるわ。半強制的にね。
「あなたは誰なのか?」「神の力なのか?」「その魔法は他の人間にも習得可能なのか?」とか、いろいろ訊いてくると思うけど……あちらが勝手に勘違いしてる分は、否定も肯定もせず笑顔で流してちょうだい」

 書き込みながら、詩絵里が器用に透への指示を別途説明していく。

 肯定するなら頷き、否定は首を振る。
 否定も肯定もできない場合は微笑みで誤魔化す。

 手話という概念のない世界において、話せない状態でのコミュニケーションの取り方は筆談を除けばこの3通りしかない。

 偉い人の屋敷に招かれるというからには、物語に出てくる王様との謁見のように、たくさんの護衛がいて、たくさんの家臣がいて、大勢の人の目にさらされながら偉い人と会話をすることになるのだろう。

 そんな状況で、自分がまともに会話できるとは思えない。

 今回は、タイミングよく女体化していて幸運だったかもしれない。

「それから、お礼に金品を差し出される流れになるんじゃないかしら。ひょっとすると「教会を作る」とか「銅像を作る」とか言い出すかもしれないけど、そういうのはきっぱり断っちゃって。
代わりに2ページ目を見せるのよ。ギベオンを探してるので売ってくれる商人を紹介してくれって書いてるから」

 書き上げたメモ帳が透の手に返却される。

 言われるまま先ほど書き込まれた部分の2ページ目を開けると、「礼は不要だが、ギベオンを探している」ということ、「もし在庫があれば、適正価格で売ってほしい」とも書かれていた。

「ギベオンを売ってくれる約束までこぎつけたら、それだけで上出来よ。値段交渉なんてしなくていいから、そこまで来たらいったん私のところまで来て。白金貨で払うことになると思うし」

 白金貨? 以前勝宏にこの世界の通貨価値を教えてもらったことがあったが、その時は小銅貨、銅貨、銀貨、金貨の四種類しか教わらなかった。

 金貨が1枚で1万円くらいの価値で、一般市民が四人家族で生活するなら一か月金貨10枚とかなんとか。

 きょとんとした透の様子を見て、詩絵里が説明を付け足した。

「白金貨、まあ一般人は高価すぎて使わないし、商人と手を組んだりしない限りは見たことないわよね。これが白金貨よ。1枚で日本円にして100万円くらいかしらね」

 詩絵里が話の途中で、何気なくアイテムボックスから一枚の硬貨を取り出して見せた。

「で、こっちが大金貨。これは1枚10万円くらいよ。大金貨の方はたまに使われてるけど、白金貨になってくると貴族か、商人やギルドが大口取引をする時くらいしか使われないわ」

 次に取り出されたのは、透が見たことのある金貨をさらに分厚く大きくしたような貨幣である。

 大きさだけで言うと白金貨一枚よりも重そうだが、金属の価値がそれだけ違うのだろう。

「逆に言うと、ギベオンはそれだけ価値がある素材なの。国が国家予算から買うような代物よ」

 詩絵里は、今ここで白金貨を数枚透に持たせるのではなく、ギベオンの取引が可能になったらまたお金を受け取りに来るようにと指示してきた。

 それはつまり、透が服のポケットに数枚入れていってどうにかなるような推定額ではない、ということだ。

 両手に白金貨の袋を抱えていく羽目になるのかもしれない。

 いやまあ、そもそも1枚100万円の価値のあるコインを無造作にポケットに突っ込んでいけるほど透に度胸はないのだが。

 転生者って、国家予算レベルの資産力を持つものなんだなあ。

 リセットリングのデスペナルティ、アイテムボックス内の道具や資金がすべて消失するデメリットがいかに凶悪かが分かる。

 こちらの世界に来たばかりのころは、勝宏の金銭感覚によく青ざめたものだが、彼はまだまともな部類だったのかもしれない。

 明らかに運用される桁が違う。

「聖女を囲い込みたいからって軟禁しようとしてくるケースも考えられなくもないけど、その時はギベオンとか気にせず転移で逃げちゃっていいからね。無理せず怪我する前に、勝宏くんのとこか、私のところまで逃げてきなさい」

 こ、怖い。
 そうなったらお言葉に甘えて逃げ帰らせていただきます。

 部屋を退出する直前、詩絵里とルイーザの「これでギベオンは手に入ったようなもの」などという会話が聞こえた気がしたが、プレッシャーになることを避けるために透は聞かなかったことにした。



 転移で鉱山都市に戻る。

 先ほど転移した地点に降り立つと、まだ――というより、先ほどよりも多くの人々が透の消えた街の中央に集まっていた。

「聖女様!」

 街の人間総出で、兵士どころか騎士まで集まり、姿を消した透を探していたようである。

 到着した瞬間、透を見つけた騎士に捕まり、詩絵里の予想通り領主の屋敷にドナドナされるはめになった。

 ポケットにしまっているメモ帳とペンを服の上から確認しつつ、応接室に通される。

 本などで見かけるような、王様の謁見の間みたいな部屋でなくてよかった。

 豪奢な長テーブルと、広い部屋の隅には複数の護衛と思しき兵士たちがいる。

 フレグルシムの領主は、四十代くらいの男性だった。

 言葉を話すことはできないので、一礼してメモ帳の1ページ目を破り、提示する。

 領主の傍に控えていた執事らしき男性が、それを受け取って確認したのち紙そのものを領主に渡しに行った。

「なんと……。我が領の危機を救っていただき、ありがたく思う。聖女殿はご自分を犠牲にしてあの力を行使なさったのだな」

 犠牲にといっても、たかだか寿命換算数日程度の対価だ。
 一都市規模の人命が救えるなら安いものだろう。

「実はな、私の息子レオニスが死病にかかっておったのだ。それがあの慈悲の光を浴びてからというもの、急に回復に向かい始めておる」

 新着情報。
 オフィスの治癒魔法、病気も治すらしい。

 思った以上に万能すぎてなんだか若干薄ら寒い。

「医者も匙を投げ、ギフト持ちの子供たちに薬を作らせても治る見込みの薄い病だと言われておった。領民の命、そして息子の命を救っていただいたお返しをしたいのだが」
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