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第5話『私もあなたの願いを叶えたいの』

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長倉賢二という男は私の幼馴染である。

とは言っても、あんまりにも長く幼馴染をやっていたせいか、友達というよりは姉弟という方がしっくりくるかもしれない。

そのくらいずっと近くに居た。

幼稚園の時に出会ったアイツは、のんびりとした性格で、いつも私に引っ張られていたらしい。

そしてそれは小学校に入ってからも変わらず、私の記憶の中に居る賢二はいつだって何を考えているのか分からない顔で、私たちとは違う世界を生きていた。

慌ただしく日々の生活を生きる事もなく、ただ自分の時間を生きていた。

私はそんな賢二を普通の世界に連れていく事が己の使命だと思い込んでいた。

でも、中学、高校と時間が進んでいけば、私などは賢二の足を引っ張る事しか出来ない人間なのだと思い知らされた。

本当ならば彼はもっと良い高校へ行けただろうし、大学だって地元じゃなくて都内の大学へ行けたのだ。

でも、私が居るからと同じ高校へ、近くにある大学へと選び続けた。

それは、中学から彼に恋していた私にとって、嬉しい事であったが、周りの人にとっては面白くない事だったのだろう。

私は何度も言われた言葉をよく覚えている。

『お前のせいで彼の才能が無駄に消費されていく』

『才能ある人間の足を引っ張ることしか出来ない人間』

『分不相応な思いで彼の邪魔をするな』

耳を塞いでも、私の中で染み付いたその声は、今でも私の中に残り続けている。

だから、だから私は、せめてもう二度と邪魔をしない様にと、これ以上賢二に嫌われない様にと他の男と付き合って、離れようとしたのに。

全て振り切ろうと思っていたのに!!

『もう。大丈夫だ。柚子。もう泣かなくていい』

私が苦しい時に、どうしようもない時に、そんな優しい言葉を掛けてくれて、支えてくれて……。

そして、お母さんを助けてくれた。

生涯に一度しか使えないって言ってた奇跡の力で、お母さんを助けてくれた。

自分は知らないなんて言ってたけど、あれからあの力について何も話さないし、嘘を吐くときの癖だって昔から何も変わっていない。

嘘が吐けない性格の人が居ると聞いたことがあるが、賢二はそういう人間なんだなと思う。

でも、そんな所も好きだ。

正直で、真っすぐで、進むと決めたら迷わない。

そんな賢二が好きだ。

でも、私に何が出来るだろう。何の才能も無くて、特別可愛いわけでも無くて、頭も良くない私に、何が出来るだろう。

どれだけ考えても分からなかった私は、とりあえず直接本人に聞いてみる事にした。

「ねぇ、賢二」

「なんだ?」

「私の良い所って何かある?」

「柚子の良い所……?」

眉間にしわを寄せながら考え込む賢二に、私は心の中で悲鳴を上げた。

そんな真剣に悩まないで! 考え込まないで!!

私は賢二に質問した事を後悔しながら、それでも彼の言葉を待った。

「どこから言うか難しいが、まずよく笑う所だな」

「馬鹿みたいに?」

「明るいという意味だ」

「そっか。照明の代わりくらいにはなれるかな?」

「いや、人間は照明にはなれないだろう」

「じゃあ私、やっぱり役立たずだ」

「なぜそうなる。良い所だと言っているだろう。確かに柚子が笑ってもLED照明には敵わない。彼は彼で人生の全てを燃やして明るくしているんだからな。当然だ。そもそも照明の歴史は……」

なんか賢二がよく分からない事を言い始めた。

慰めようとしているのだろうか?

照明の凄さとか話してるし。違うかもしれない。

「しかし、柚子の明るさはそういう明るさではなく、光ではない明るさを俺に与えてくれるんだ。いや、暗闇の様な世界で生きていた俺にとっては、むしろ光そのものだったのかもしれない」

「私って、賢二の役に立ってたの?」

「当たり前だ。もし、柚子と出会う事が出来なければ、俺は今こうして生きていたかすら分からない」

「そんな事無いよ。きっと賢二は普通に生きてた。だって頭良いじゃない」

「どれだけ知識を詰め込めるとしても、一人じゃ、俺は生きていけないよ」

「一人になんてならないよ! だって頭も良いし。格好いいし。優しいし! 誰も放っておかないよ!」

「でも、それでも。誰も俺を見ては居なかった。俺を通した向こう側にある、才能だとか見た目だとかそんな俺でなくても良い物ばかりを見ていた」

そんな事ないと言いたい。

だって、私はずっと見てきたもの。

不器用だけど、それでも頑張って『普通の世界』に生きようと、私と歩幅を合わせて歩いてくれるこの人を。

だから、他の人だって見てきたハズだ。

「柚子。お前だけだ。お前だけが俺に生きる道を教えてくれた。何も見えない暗闇の世界を照らしてくれた」

「だから、お母さんの為に奇跡を使ってくれたの?」

「あぁ……って、違う! 今のは、嘘だ! 奇跡は」

「賢二。私、もう分かってる」

「柚子、君は……いつも鋭いな」

「賢二が分かりやすいだけだよ」

「そうか」

「そうだよ」

私は涙が出そうになるのを必死に堪えて、笑った。

賢二も顔を赤くしながら、困った様に笑う。

「ねぇ、一つ聞いても良い?」

「なんだ?」

「もし、お母さんのことが無かったら、賢二は何を願おうとしたの?」

「それを聞いて、どうする?」

「別に、ただの興味本位だよ」

「嘘だな。その願いを自分が代わりに叶える。とでも思っているんだろう」

お酒で赤くなり、眠そうに揺れていた瞳が不意にナイフのような鋭さを以て私を貫いた。

その視線に、心臓が跳ねる。

「だって、貰いっぱなしじゃ嫌だよ」

「逆だ」

「逆?」

「俺がずっと柚子に貰いっぱなしだったんだ。君の人生の負担になっていた。寄りかかってばかりで、自立せず、君に頼ってばかりいた。だから、俺は自分の力では無いが、少しでも君に返したかったんだ」

あぁ。もう駄目だ。

止まらない。涙が、溢れてしまう。気持ちが。

「でも、私だっていっぱい助けてもらった。勉強だって、賢二に助けて貰えなかったら、きっと小学校中退してたよ」

「柚子、小学校に中退は無いぞ」

「それくらい駄目だったって事!」

「そ、そうか」

「だから、ここまではお相子なの。だから願いの分だけ私が多く貰ってる。そうでしょ?」

「いや」

「そうでしょ!?」

「あ、あぁ。そうだな」

「だから、お願い。私もあなたの願いを叶えたいの」

私の言葉に賢二は少しの間、目を閉じて考えていた。

そして、考えがまとまったのかゆっくりと目を開いて言葉を紡ぐ。

「君の弱みにつけこみたい訳では無いから、無理なら断ってくれて構わないのだが、最近仕事が少し忙しくてな、家の事があまり出来ないんだ」

「うんうん。言ってたね」

「そう。そこで、だ。可能なら、嫌でないなら、家事の手伝いをお願いしても良いだろうか?」

「家事って、掃除洗濯料理とかってこと?」

「そう」

「私、高級料理店の料理みたいのは出来ないよ?」

「いや、別に高級料理店の料理などは食べてないよ。料理は弁当屋で買った物を食べるから……」

「え? 毎日弁当屋さん?」

「あぁ」

「駄目だよ! そんなの! あ、別に弁当屋さんが駄目だって言ってるわけじゃ無いけど、それでも毎日はバランスが悪いでしょ!」

「いや、ちゃんと考えてるぞ。野菜も食べてるし」

「例えば」

「野菜炒めとか」

「毎日食べてるの?」

「いや、まぁ、たまに」

「ふぅーん。分かった。良いよ。賢二のお願いは分かった。奇跡にはほど遠いけど、叶えるよ。賢二の健康は私が守る!!」

「……」

「何笑ってるの?」

「いや、変わらないな。と思って」

「何? 成長してないって事?」

「そうじゃないさ。ただ、君は昔から何も変わらず、俺を引っ張ってくれる。奇跡なんかじゃ到底届かない俺の憧れなんだなと思ってな」

「ヘン! 褒めても私は手を抜かないからね! どうせ好き嫌いばっかりの生活してるんでしょ! 徹底的に叩き直してやるから!」

「……助かるよ」

大変嫌そうに頷いた賢二を見て、私は笑った。

奇跡が私に与えたものは大きい。でもそれは私が奇跡の力を手に入れたって返せる物じゃないだろう。

でも私だから出来る事がある。それを見失わなければ、きっとそれで良いのだろう。

「しかし、柚子。やっぱり考え直した方が良いんじゃないか? 一人暮らしの男の家に行くなんて、不味いだろう」

「いや、別に」

「じゃあ言い方を変える。俺が気にするんだ」

「はぁ? 何が気になるってんのよ。あー。分かった。エッチなビデオがあるんでしょー。このこの」

「そうじゃなくてな。緊張するんだ」

「はぁ? 緊張? いや幼馴染だけど私ら。こうして飲むのだって何回も」

「違うだろう! 家に来るというのは、その、違うだろう! そりゃ柚子は魅力的な女性だ。そういう経験も多いだろうが、俺は、知らないんだ」

は?

え? なに、これ?

「えっと、なに? まるで賢二が私の事、女として見てるって聞こえるんだけど」

まさか。そんな訳がない。

だって、バレンタインだって、誕生日だって、何を言っても何も反応が無かったのに!

こんな、突然!

「まぁ、端的に言えば、そうだ……な」

あぁ、分かった。

これが奇跡か。願う事で何でも叶う奇跡の力。それが知らない間に私に宿ってて、それで、今この奇跡が私の前にあるんだ。

そうに違いない。

だって、そうじゃなきゃ、こんな事、こんな、だって、あり得ないもの。

「こんな事を言われても困るかもしれないが、俺はずっと柚子の事を……」

夢なら覚めないで欲しい。

奇跡なら、消えないで、欲しい。この願いを……消さないで。
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