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第9章 恋と別れのリグレット
第412話 恋と別れのリグレット⑬ ~進路~
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※ 注意 ※
一部、差別的な発言があります。
ご注意ください。
******
受験生になって、今後の進路を考えた時、司書の仕事に就きたいと思った。
司書は、図書室の先生や図書館で働く人達のこと。私は、本が好きだったし、人と関わるのも嫌いじゃなかった。
人との会話は、片耳難聴の私にとっては、疲れるものでもあったけど、それ以上に、楽しいものでもあったから。
だけど、どうしても聴力のことを考えたら、比較的、静かな場所で働きたかった。
そう思えば、司書になるのが、私には一番適している気がして、そうなれば、自ずと受験先は『教育学部』がある大学になった。
でも、初めは地元の大学を受験しようと決めていたのに、いつからか、家を出た方がいいような気がしていた。
そして、一人暮らしをしようと決断したのは、家族の会話を聞いてしまったから……
◇◇◇
「蒼一郎くん。最近は両親から、お見合いを勧められるらしい」
勉強の合間に、たまたま一階におりると、ちょうどリビングで、家族が話しているのが聞こえてきた。
会話の内容は、蒼一郎さんのこと。
蒼一郎さんは、今も変わらず、うちに尋ねてくる。あや姉に、手を合わせるために。
そして、その際に、蒼一郎さんが、父に愚痴を零したらしい。母親が『早く結婚しろ』とうるさいと……
「そう、あの親御さんなら言いそうね。蒼一郎くん、もう34歳だったかしら。それで、あなたはなんていったの?」
母が、お茶を差し出しながら、父に問いかける。そして、その傍で、理久は静かに両親の会話を聞いていた。
「親御さんの肩を持つつもりはないが……いい人がいたら、迷わず手を取りなさいとは言っておいた。彩音のことを思い続けてくれるのは有難いが、彼には、彼の人生がある。この先、ずっと結婚もせず一人でいるのは、あまりに酷だろう」
「そうね……もし罪の意識を感じてるなら、早く解放されて欲しいわ。あの子は、何も悪くないのに」
「そうだな。でも、自分の親が彩音を死に追いやったのが、どうしても許せないんだろう……だから、今もずっと彩音を思い続けてくれてる。でも、どんなに思い続けても、彩音は、もう帰ってこない。なら、その想いに縛られず、ちゃんと自分の人生を見つめて欲しい」
「そうね。蒼一郎くんなら、きっと、素敵な子が現れるはずだわ。とってもいい子だもの。それに、蒼一郎くんにまた恋人ができれば、あかりも安心するんじゃないかしら」
「あかり、まだ気にしてるのか?」
「ずっと、気にしたままよ。明るく振るまってはいるけど。あの子、蒼一郎くんに会うと、いつも申し訳なさそうな顔をするの……きっと、彩音ちゃんの自殺を阻止できなかったことで、蒼一郎くんに負い目を感じてるんじゃないかしら」
「…………」
両親の話を聞きながら、私は冷えた廊下に立ち尽くしていた。
悲しみは、連鎖していく。
想いは断ち切れずに、いつまでも深く根をはり続ける。
蒼一郎さんは、今でも、あや姉を愛していた。
だけど、蒼一郎さんが、あや姉を思えば思うほど、私は、より深く心を痛めた。
壊れた幸せは、決して元に戻ることはないから。
あや姉は、もう二度と戻ってこないから。
だからこそ、蒼一郎さんに、合わす顔がなかった。
そして、そんな私の気持ちに、母は気づいていたのだろう。
どんなに明るく振舞っても、家族には、気づかれてしまう。
いつまでも、心配をかけてしまう。
なら、やっぱり、ここにいたらダメだと思った。
ちゃんと、安心させてあげなきゃいけない。
私は、もう大丈夫だと。
しっかり乗り越えた姿を見せて、安心させてあげなくちゃ──…
◇
◇
◇
「え? 一人暮らしをしたい?」
それから、すぐのことだった。
家族が集まるリビングで、私は突然『一人暮らしをしたい』と申し出た。
家族にとっては、まさに青天の霹靂といった所。父は目を見開き、母は困惑し、弟は開口一番に『ダメだ』と口にした。
「なに言ってんだよ、姉ちゃん! 一人暮らしなんて絶対ダメ! 危ないじゃん!」
「そうよ。大体、大学には家からでも通えるでしょ。わざわざ一人暮らしなんてしなくても」
「大学は、桜聖大を受けたいと思ってるの」
「え?」
いきなり進路の変更を提示した私に、家族は皆に困惑した。
桜聖大とは──『桜聖福祉大学』
それは、私たちが暮らす宇佐木市の隣、桜聖市にある大学だった。
宇佐木市の外れにあるここ篝町からは、電車で約3時間ほどかかる。合格すれば、確実に実家から通える距離じゃない。
そして、その桜聖大には、私が行きたいと思っている教育学部もあったし、私は、どうしても桜聖大を受けたいと、真面目に家族にお願いをした。
でも──
「こんなギリギリになって、何を言ってるんだ。教育学部にいくなら、地元の大学でも大丈夫だろ!」
そう言って、父はすぐさま反対した。
勿論、すんなり受け入れて貰えるとは思ってなかった。女の子の一人暮らしは、何かと心配な面も多い。
だからこそ、家族は、みんなして反対した。
だけど、私だって、そこは譲れなかった。
ここにいたら、いつまでたっても、前に進めない。
家族に心配をかけて、この優しさに甘えて。
きっと、この優しい場所にいたら、私は一生、一人で生きていくことなんて出来ない。
「お願いします。私、自立したいんです」
品よく三つ指をついて、深めに頭を下げた。
すると、家族は徐に眉をひそめ
「自立って、何も今じゃなくても……っ」
「だって、ここにいたら、私いつまでたっても変われないもの」
「え?」
「私、大人になりたいの! もう、迷惑かけたくないの! だって私、あや姉のことがあってから、心配かけてばかりだもの! お父さんにもお母さんにも、理久にも! だから、早く自立して、もう大丈夫だってことを証明したい」
「……」
「本当に、もう大丈夫だよ。お風呂にも一人で入れるようになったし、もうパニックなんておこしたりしない。ちゃんと一人でも生活できる。それに私、結婚したくないの」
「え?」
「結婚はしたくない。子供も欲しくない。だから、ずっと一人で生きていこうと思ってる」
「な……なに言ってるの?」
「まさか、彩音の事があったから、そんなこと言ってるのか?」
「違うよ。私が自分で決めたの。自分の将来を見つめて、その方がいいと思ったの。だって私は、障碍のある子は産みたくないものッ」
「……っ」
瞬間、場の空気が凍りついた。
娘の口から出てきた、偏見の言葉。
それは、両親にとっては、あまり聞きたくない言葉だったかもしれない。
だけど、これは――私の本心だった。
怖かった。
あや姉のように、好きな人の家族に否定されるのが、怖くてたまらなかった。そして
「ごめんね、こんなにひどいこと言って……でも、結婚したら、絶対に子供を望まれるでしょ。それで、もし耳の聞こえない子が産まれたら、みんなして、私を責めると思う……きっと、おばあちゃんも、そうだったじゃないかな?」
幼い日、祖母が私に謝ったのが、なんとなくわかった気がした。
きっと、祖母は、たくさん責められて来たのだろう。『娘の耳が聞こえないのは、お前のせいだ』と。
だから、おばあちゃんは、謝っていたのかもしれない。孫にまで、同じような苦しみを背負わせてしまう――そう思ったから。
「もう、そういう悲しみの連鎖は、繰り返したくないの……私が結婚しなければ、みんな安心でしょ? 大丈夫だよ。私は絶対に、あや姉みたいにはならない」
「…………」
「それに、今の時代、お一人様なんて珍しくもないし、きっと、一人でも楽しく生きていけると思うの。だから、そのためにも、今から一人で暮らしを始めて、自分の生き方をしっかり見つめておきたい。だから、お願いします。家を出ることを許してください。桜聖大を、受けさせてください」
話ながら、涙がこみ上げてきた。
だけど、決して涙を流さず、私は、はっきりとそう告げた。
前に進むためには、必要なことだった。
決意してしまえば、もう迷うことはない。
進まなきゃ、変わらなきゃ。
一人で生きたいなら、甘えてはいられない。
「お願いします……っ」
そして、歩き始めてしまえば、もう振り向くことはないと思った。
だから、必死にお願いした。
すると、それから、しばらくして
「分かったわ」
「ちょ、稜子、何を言ってるんだ!? 俺は許さないぞ!」
「あなたは、黙ってて」
「……っ」
すると、母が口を開き、納得いかなかった父はすぐに反論したけど、それを、また母が静止し、その横で、理久は何も言わず、私たちを見てめていた。
すると、その後、母が穏やかに口を開いた。
「あかり、行きたい大学があるのなら、受けていいわ。一人で暮らしたいと言うなら、それも、やってみればいい。私は反対しないし、応援する。だけど、ひとつだけ言っておくけど、私は、あかりに障碍があっても、産みたくなかったなんてと思ったことは一度もないわ」
「……っ」
瞬間、堪えた涙が一気に溢れそうになった。
優しい声が、胸に響く。
常に、寄り添ってくれた温かい母の声が――
「障碍があろうがなかろうが、あかりも理久も、私たちにとっては大切な子よ。だから、あかりがこの先、自立して、大人になったとしても、いつまでも心配し続ける」
「え?」
「だから、意地を張らずに、困ったことがあれば、必ず頼って来なさい。それだけは約束して。できないなら、一人暮らしは認められない」
「…………」
母の言葉に、私は黙り込んだ。
迷惑をかけたくないから出ていくのに、それなのに『頼ってきて』といわれて、返事に困った。
だけど、これをのまなくては、一人暮らしはさせてもらえない。そう思うと、私は、小さく「わかった」と口にした。
「お姉ちゃん、出て行っちゃうの!?」
すると、ひと段落ついて、理久が、ここぞとばかりに声をあげた。とても不満そうに
「いやだよ、俺! 姉ちゃんと離ればなれになるなんて!」
「俺も嫌だ! 大事な娘に一人暮らしなんて!」
「お父さんと理久は、もう少し子離れと姉離れをして頂戴。それに、どの道、大学に合格したらの話よ。大体、桜聖大は、かなり人気の大学でしょ。確か泊り込みで受験に行かなきゃいけないって聞いたけど」
「そ、それは知ってる。だから、受験前に泊まるホテルもちゃんと自分で見つけるし、引っ越し後の生活費も、自分でアルバイトをして何とかするから!」
「アルバイトだって!? そんなのダメに決まってるだろ! お父さんは」
「お父さんは、過保護すぎるの!」
「当たり前だろ、あかり! こんなに可愛いうちの娘が、バイト先で、金髪のチャラそうな男にそそのかされたらどうするんだ!?」
「そんな人に、そそのかされたりしないし!」
「ウソだ! 絶対、姉ちゃん騙されて、怪しいツボとか買わされそうだもん!」
「ちょっと理久まで! 壺なんて買ったりしないし!?」
「うーん。でも確かにバイトをするのは、私も反対ね」
「え? ちょっと、お母さんまで……っ」
「だって。あかり、ちょっと抜けてるし」
「え!?」
「まぁ、生活費と学費は、私たちが出すし、バイトはせず、学業に専念しなさい」
「で、でも、それじゃぁ……っ」
自立すると言えるのか?
結局、親に甘えてしまう自分に、悔しさが込み上げてくる。なんで、うちの家族はこんなにも、私に甘いんだろう。
まるで、温泉にでも浸かってるみたいだ。温かくて、気持ち良くて、気を抜けば、のぼせてしまいそうなほど。
だけど、これは自分が、愛されているからなのだろう。愛されているからこそ、こんなにも後ろ髪を引かれてしまう。
でも、もう決めたことだ。
私はこの家を出て、一人で生きていく。
なら、いつまでも、泣いてはいられない。
世界は、変わらずに回っていく。
どんなに、苦しくても
どんなに、悲しくても
人は、生きていくしかない。
こんな不完全な身体でも──…
だから、進もう。乗り越えよう。
進んでいれば、いつか必ず
春が来る。
だって、冷たい雪は
いつまでも降り続くわけじゃないはずだから……
一部、差別的な発言があります。
ご注意ください。
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受験生になって、今後の進路を考えた時、司書の仕事に就きたいと思った。
司書は、図書室の先生や図書館で働く人達のこと。私は、本が好きだったし、人と関わるのも嫌いじゃなかった。
人との会話は、片耳難聴の私にとっては、疲れるものでもあったけど、それ以上に、楽しいものでもあったから。
だけど、どうしても聴力のことを考えたら、比較的、静かな場所で働きたかった。
そう思えば、司書になるのが、私には一番適している気がして、そうなれば、自ずと受験先は『教育学部』がある大学になった。
でも、初めは地元の大学を受験しようと決めていたのに、いつからか、家を出た方がいいような気がしていた。
そして、一人暮らしをしようと決断したのは、家族の会話を聞いてしまったから……
◇◇◇
「蒼一郎くん。最近は両親から、お見合いを勧められるらしい」
勉強の合間に、たまたま一階におりると、ちょうどリビングで、家族が話しているのが聞こえてきた。
会話の内容は、蒼一郎さんのこと。
蒼一郎さんは、今も変わらず、うちに尋ねてくる。あや姉に、手を合わせるために。
そして、その際に、蒼一郎さんが、父に愚痴を零したらしい。母親が『早く結婚しろ』とうるさいと……
「そう、あの親御さんなら言いそうね。蒼一郎くん、もう34歳だったかしら。それで、あなたはなんていったの?」
母が、お茶を差し出しながら、父に問いかける。そして、その傍で、理久は静かに両親の会話を聞いていた。
「親御さんの肩を持つつもりはないが……いい人がいたら、迷わず手を取りなさいとは言っておいた。彩音のことを思い続けてくれるのは有難いが、彼には、彼の人生がある。この先、ずっと結婚もせず一人でいるのは、あまりに酷だろう」
「そうね……もし罪の意識を感じてるなら、早く解放されて欲しいわ。あの子は、何も悪くないのに」
「そうだな。でも、自分の親が彩音を死に追いやったのが、どうしても許せないんだろう……だから、今もずっと彩音を思い続けてくれてる。でも、どんなに思い続けても、彩音は、もう帰ってこない。なら、その想いに縛られず、ちゃんと自分の人生を見つめて欲しい」
「そうね。蒼一郎くんなら、きっと、素敵な子が現れるはずだわ。とってもいい子だもの。それに、蒼一郎くんにまた恋人ができれば、あかりも安心するんじゃないかしら」
「あかり、まだ気にしてるのか?」
「ずっと、気にしたままよ。明るく振るまってはいるけど。あの子、蒼一郎くんに会うと、いつも申し訳なさそうな顔をするの……きっと、彩音ちゃんの自殺を阻止できなかったことで、蒼一郎くんに負い目を感じてるんじゃないかしら」
「…………」
両親の話を聞きながら、私は冷えた廊下に立ち尽くしていた。
悲しみは、連鎖していく。
想いは断ち切れずに、いつまでも深く根をはり続ける。
蒼一郎さんは、今でも、あや姉を愛していた。
だけど、蒼一郎さんが、あや姉を思えば思うほど、私は、より深く心を痛めた。
壊れた幸せは、決して元に戻ることはないから。
あや姉は、もう二度と戻ってこないから。
だからこそ、蒼一郎さんに、合わす顔がなかった。
そして、そんな私の気持ちに、母は気づいていたのだろう。
どんなに明るく振舞っても、家族には、気づかれてしまう。
いつまでも、心配をかけてしまう。
なら、やっぱり、ここにいたらダメだと思った。
ちゃんと、安心させてあげなきゃいけない。
私は、もう大丈夫だと。
しっかり乗り越えた姿を見せて、安心させてあげなくちゃ──…
◇
◇
◇
「え? 一人暮らしをしたい?」
それから、すぐのことだった。
家族が集まるリビングで、私は突然『一人暮らしをしたい』と申し出た。
家族にとっては、まさに青天の霹靂といった所。父は目を見開き、母は困惑し、弟は開口一番に『ダメだ』と口にした。
「なに言ってんだよ、姉ちゃん! 一人暮らしなんて絶対ダメ! 危ないじゃん!」
「そうよ。大体、大学には家からでも通えるでしょ。わざわざ一人暮らしなんてしなくても」
「大学は、桜聖大を受けたいと思ってるの」
「え?」
いきなり進路の変更を提示した私に、家族は皆に困惑した。
桜聖大とは──『桜聖福祉大学』
それは、私たちが暮らす宇佐木市の隣、桜聖市にある大学だった。
宇佐木市の外れにあるここ篝町からは、電車で約3時間ほどかかる。合格すれば、確実に実家から通える距離じゃない。
そして、その桜聖大には、私が行きたいと思っている教育学部もあったし、私は、どうしても桜聖大を受けたいと、真面目に家族にお願いをした。
でも──
「こんなギリギリになって、何を言ってるんだ。教育学部にいくなら、地元の大学でも大丈夫だろ!」
そう言って、父はすぐさま反対した。
勿論、すんなり受け入れて貰えるとは思ってなかった。女の子の一人暮らしは、何かと心配な面も多い。
だからこそ、家族は、みんなして反対した。
だけど、私だって、そこは譲れなかった。
ここにいたら、いつまでたっても、前に進めない。
家族に心配をかけて、この優しさに甘えて。
きっと、この優しい場所にいたら、私は一生、一人で生きていくことなんて出来ない。
「お願いします。私、自立したいんです」
品よく三つ指をついて、深めに頭を下げた。
すると、家族は徐に眉をひそめ
「自立って、何も今じゃなくても……っ」
「だって、ここにいたら、私いつまでたっても変われないもの」
「え?」
「私、大人になりたいの! もう、迷惑かけたくないの! だって私、あや姉のことがあってから、心配かけてばかりだもの! お父さんにもお母さんにも、理久にも! だから、早く自立して、もう大丈夫だってことを証明したい」
「……」
「本当に、もう大丈夫だよ。お風呂にも一人で入れるようになったし、もうパニックなんておこしたりしない。ちゃんと一人でも生活できる。それに私、結婚したくないの」
「え?」
「結婚はしたくない。子供も欲しくない。だから、ずっと一人で生きていこうと思ってる」
「な……なに言ってるの?」
「まさか、彩音の事があったから、そんなこと言ってるのか?」
「違うよ。私が自分で決めたの。自分の将来を見つめて、その方がいいと思ったの。だって私は、障碍のある子は産みたくないものッ」
「……っ」
瞬間、場の空気が凍りついた。
娘の口から出てきた、偏見の言葉。
それは、両親にとっては、あまり聞きたくない言葉だったかもしれない。
だけど、これは――私の本心だった。
怖かった。
あや姉のように、好きな人の家族に否定されるのが、怖くてたまらなかった。そして
「ごめんね、こんなにひどいこと言って……でも、結婚したら、絶対に子供を望まれるでしょ。それで、もし耳の聞こえない子が産まれたら、みんなして、私を責めると思う……きっと、おばあちゃんも、そうだったじゃないかな?」
幼い日、祖母が私に謝ったのが、なんとなくわかった気がした。
きっと、祖母は、たくさん責められて来たのだろう。『娘の耳が聞こえないのは、お前のせいだ』と。
だから、おばあちゃんは、謝っていたのかもしれない。孫にまで、同じような苦しみを背負わせてしまう――そう思ったから。
「もう、そういう悲しみの連鎖は、繰り返したくないの……私が結婚しなければ、みんな安心でしょ? 大丈夫だよ。私は絶対に、あや姉みたいにはならない」
「…………」
「それに、今の時代、お一人様なんて珍しくもないし、きっと、一人でも楽しく生きていけると思うの。だから、そのためにも、今から一人で暮らしを始めて、自分の生き方をしっかり見つめておきたい。だから、お願いします。家を出ることを許してください。桜聖大を、受けさせてください」
話ながら、涙がこみ上げてきた。
だけど、決して涙を流さず、私は、はっきりとそう告げた。
前に進むためには、必要なことだった。
決意してしまえば、もう迷うことはない。
進まなきゃ、変わらなきゃ。
一人で生きたいなら、甘えてはいられない。
「お願いします……っ」
そして、歩き始めてしまえば、もう振り向くことはないと思った。
だから、必死にお願いした。
すると、それから、しばらくして
「分かったわ」
「ちょ、稜子、何を言ってるんだ!? 俺は許さないぞ!」
「あなたは、黙ってて」
「……っ」
すると、母が口を開き、納得いかなかった父はすぐに反論したけど、それを、また母が静止し、その横で、理久は何も言わず、私たちを見てめていた。
すると、その後、母が穏やかに口を開いた。
「あかり、行きたい大学があるのなら、受けていいわ。一人で暮らしたいと言うなら、それも、やってみればいい。私は反対しないし、応援する。だけど、ひとつだけ言っておくけど、私は、あかりに障碍があっても、産みたくなかったなんてと思ったことは一度もないわ」
「……っ」
瞬間、堪えた涙が一気に溢れそうになった。
優しい声が、胸に響く。
常に、寄り添ってくれた温かい母の声が――
「障碍があろうがなかろうが、あかりも理久も、私たちにとっては大切な子よ。だから、あかりがこの先、自立して、大人になったとしても、いつまでも心配し続ける」
「え?」
「だから、意地を張らずに、困ったことがあれば、必ず頼って来なさい。それだけは約束して。できないなら、一人暮らしは認められない」
「…………」
母の言葉に、私は黙り込んだ。
迷惑をかけたくないから出ていくのに、それなのに『頼ってきて』といわれて、返事に困った。
だけど、これをのまなくては、一人暮らしはさせてもらえない。そう思うと、私は、小さく「わかった」と口にした。
「お姉ちゃん、出て行っちゃうの!?」
すると、ひと段落ついて、理久が、ここぞとばかりに声をあげた。とても不満そうに
「いやだよ、俺! 姉ちゃんと離ればなれになるなんて!」
「俺も嫌だ! 大事な娘に一人暮らしなんて!」
「お父さんと理久は、もう少し子離れと姉離れをして頂戴。それに、どの道、大学に合格したらの話よ。大体、桜聖大は、かなり人気の大学でしょ。確か泊り込みで受験に行かなきゃいけないって聞いたけど」
「そ、それは知ってる。だから、受験前に泊まるホテルもちゃんと自分で見つけるし、引っ越し後の生活費も、自分でアルバイトをして何とかするから!」
「アルバイトだって!? そんなのダメに決まってるだろ! お父さんは」
「お父さんは、過保護すぎるの!」
「当たり前だろ、あかり! こんなに可愛いうちの娘が、バイト先で、金髪のチャラそうな男にそそのかされたらどうするんだ!?」
「そんな人に、そそのかされたりしないし!」
「ウソだ! 絶対、姉ちゃん騙されて、怪しいツボとか買わされそうだもん!」
「ちょっと理久まで! 壺なんて買ったりしないし!?」
「うーん。でも確かにバイトをするのは、私も反対ね」
「え? ちょっと、お母さんまで……っ」
「だって。あかり、ちょっと抜けてるし」
「え!?」
「まぁ、生活費と学費は、私たちが出すし、バイトはせず、学業に専念しなさい」
「で、でも、それじゃぁ……っ」
自立すると言えるのか?
結局、親に甘えてしまう自分に、悔しさが込み上げてくる。なんで、うちの家族はこんなにも、私に甘いんだろう。
まるで、温泉にでも浸かってるみたいだ。温かくて、気持ち良くて、気を抜けば、のぼせてしまいそうなほど。
だけど、これは自分が、愛されているからなのだろう。愛されているからこそ、こんなにも後ろ髪を引かれてしまう。
でも、もう決めたことだ。
私はこの家を出て、一人で生きていく。
なら、いつまでも、泣いてはいられない。
世界は、変わらずに回っていく。
どんなに、苦しくても
どんなに、悲しくても
人は、生きていくしかない。
こんな不完全な身体でも──…
だから、進もう。乗り越えよう。
進んでいれば、いつか必ず
春が来る。
だって、冷たい雪は
いつまでも降り続くわけじゃないはずだから……
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