神木さんちのお兄ちゃん!

雪桜

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第3章 バレンタインと告白

第331話 未来と約束

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 その日の夜は、とても冷えていて、月の光がやけに明るい夜だった。

 吐く息が自然と白くなる中、コートを着てマフラーを巻いた飛鳥とあかりは、二人並んで、夜の道を歩く。

 こうして並んで歩くのは、決して初めてではないはずなのに、不思議といつもと違う感覚がした。

 それは、夜という、この時間帯のせいか、はたまた、この気持ちを自覚したせいか……?

「今日は、ありがとうございました」

 しばらく歩くと、あかりが改めてお礼を言った。いつものように、ふわりと笑って。

 だけど、そんな穏やかなあかりの姿をみて、飛鳥はスっと目を細めた。

 なぜなら、少しだけ、気になっていたことがあったから──

「ケーキ、食べる時さ」

「え?」

「蓮の声、聞こえてなかったんじゃない?」

 率直に問かければ、あかりはその後、申し訳なさそうに視線を落とした。

「あー……気づいてたんですね」

「うん、コーヒーじゃなくて青汁とかだったら、どうするつもりだったんだよ」

「え!? 青汁!? そ、それは、その……ごめんなさい」

「別に謝らなくてもいいけど。でも、聞こえなかったのなら、遠慮せず聞き返せばいいよ」

「そう……ですけど。でも、何度も聞き返すのは、怖いです」

「怖い?」

 ゆっくりと、あかりの歩幅に合わせながら歩く。だが、その言葉には、思わず足を止めた。

「怖いって……なんで?」

「何度も聞き返すと、嫌な顔をされます」

「……」

「聞くことって、人と人が繋がる最初のコミュニケーションだと、私は思うんです。でも、私はそれが、とても『不完全』で、人が多くなればなるほど、聞き取るのに苦労して、何度も聞き返しては、嫌な顔をされることがあります」

「…………」

「聞こうと必死に耳を傾けても、なかなか上手くいかないんです。話しかけられているのに、気づけなかったり、聞き間違って、変な返答をしていたり、声が音として伝わってきても、何を言ってるのか言葉として認識できないこともあります。もちろん、聞き返すのが一番いいのは分かってはいるんですけど、それが何度も積み重なると、人を不快にしてしまって……だから、嫌われないように、聞こえているフリをしてしまったりして、聞き返すのを怖がるようになってしまいました」

「…………」

 それは、悲しそうにと言うよりは、ひどく申し訳なさそうに。

 思い返せば、聞き取れないことで、あかりがよく謝っているのを思い出した。

 聴きたいのに、できないもどかしさ。
 人を不快にさせてしまうことへの、罪悪感。

 もしかしたら、あかりは、常にそんなものを抱えながら、生きているのかもしれない。

「あの……さっきは色々とフォローしてくれて、ありがとうございました。おかげで助かりました」

 すると、飛鳥を見つめて、あかりが、そう言って頭を下げた。

 テーブルを囲んで夕食をとる中、あかりは、何度かみんなの声を聴き逃していた。

 誰が喋ったのかわからず、キョロキョロすることがあったり、真剣に人の言葉を読み取ろうと、口元を見ているのが印象的で、時折、聞こえていないのに気づいては、耳元で話しかけて教えてあげた。

 正直、片方聞こえているなら大丈夫だと、勝手に思っていた。

 だけど、騒がしい場所で、あかりを観察して垣間見た。

 全く、大丈夫ではないのだと──

 大丈夫に見えていたのは、あかりが必死に聞いて、考えて、話を合わせていたから──…


「誘ったの、迷惑だった?」

 不意に芽生えたのは、わずかな──後悔。

 すごく、気を使わせていたかもしれない。騒がしい場所に、無理やり招き入れて、不安にさせていたかもしれない。

「い、いえ、迷惑ではありません! 今日は、とても楽しかったです!」

 一歩ふみだしたあかりと、距離が近づいた。

 その言葉に嘘はないのか、その後、優しげな笑顔をうかべたあかりに、思いのほかホッする。

「ホントに?」

「はい、本当です! あ……でも、私の反応が悪いことで、神木さんのご家族に嫌われたら嫌だなって不安は、ありました。私、大丈夫だったでしょうか?」

「それは、大丈夫だよ。むしろ、うちの家族みんなあかりのこと気に入ってるみたいだし、そこは心配しなくていいと思うよ」

「そう、ですか。よかった……っ」

 本当に、ホッとしたのだろう。

 安心したように胸に手をあてたあかりを見て、今までにどのくらい、誤解されて悲しい思いをしたのかが気になった。

 初めて会った時、自分もあかりを変わった子だと思った。

 話が上手く噛み合わないのは、普通の人にとって、とてもストレスになる。

 あかりの場合、見た目ではわからないから、誰もがみんな"健聴者"だと疑わない。

 そして、あかり自身も、それに答えようと、必死に頑張ってる。

「神木さんの家族って、いつもあんなに賑やかなんですか?」

 すると、またあかりが話しかけてきた。夜の道は静かだからか、あかりとの会話は、とてもスムーズだった。

「まぁ、いつもあんな感じだよ。今は父さんもいるから、いっそう、うるさいけど」

「神木さんの家族って、なんだか、とてもあったかいんですね。賑やかで優しくて……思わず、実家にいる家族の事を思い出しちゃいました」

「実家? そう言えば、あかりの家族って、どこに住んでるの?」

宇佐木うさぎ市の方です。お正月は帰らなかったので、夏に会ったきりですが……うちも結構、賑やかで」

「寂しくない?」

「え?」

「賑やかな家族と暮らしてて、でも、今は一人で……寂しくないの?」

 あかりの目を見て、真っ直ぐに問いかければ、あかりは、一瞬驚いた顔をして黙り込んだ。

「前から気になってたんだけど、なんであかりは、一人で生きていこうとしてるの?」

「…………」

 外の空気が、ピンと張りつめると、前にした、たあいもない雑談を思い出す。

 ギリギリで志望校を変えて、家を出ることにしたって、あかりは言っていて、司書を目指すのも、一人で生きていくために必要な学歴や資格を取るためだといっていた。

 でも、人は一人では、生きられない。

 きっと、それは、あかりだって、よく分かってるはずなのに……それでも、あかりは、一人で生きていく、なんていう。

らくだからですよ」

「え?」

 瞬間、あかりの声が響いた。
 まるで、闇に溶けるみたいに、ひっそりと。

 だけど、その言葉に目を丸くしていると、あかりは、またにっこり笑って明るく話しかけてきた。

「一人暮らしって、とっても楽なんですよ! 自分の好きものを食べたい時に食べられるし、夜更かしても誰にも怒られないし、自分の好きなタイミングで、誰にも気を使わず、好きなことして生きられるんです。それは私にとって、とても楽な生活で……たまに、こうして友達と遊んで、また一人の家に帰って好きな時間を過ごすのが、私にはあってるんです。だから私は今、すごく幸せで、だから、寂しくなんてありません」

「…………」

 なんの迷いもなく『幸せ』だと言ったあかりに、胸の奥にモヤモヤと何かが渦巻いた。

「一人が楽だから、"子供もいらない"っていってたの?」

「え? あー、そういえば、前にそんな話しましたね。……そうですよ。この先、結婚する気もないですし、子供を望まないのは当然です。あ、そういえば、神木さんは子供6人欲しいとか、言ってましたよね? 神木さん似の子供が6人もいたら、凄いことになりそうですけど!」

「どういう意味だよ」

「だって、神木さん凄く綺麗ですし。それに、バレンタインは兄のせいで悪魔のイベントになったって、華ちゃんも言ってましたし、それが6倍になったら、ちょっと恐ろしいと言うか……でも、神木さんは、たくさんの家族に囲まれている方が、似合っている気がします。いつか、叶うといいですね?」

「………」

 そう言った後、あかりは、また前を向いて歩き出した。

 俺は、あかりの背中を見つめながら、ゆっくりと、その後に続いた。

 きっと、あかりが想像する"俺の未来"に、あかりはいなかったのだろう。

 もし、好きな子が望む未来と、自分が思い描く未来が、全く違うものだったとしたら

 この『恋』はどうなってしまうんだろう。

(俺が……あかりの望む未来を受け入れたら)

 叶うのだろうか?

 一緒には暮らさず、結婚もせず、子供も持たない。

 俺が、それを受け入れたら、あかりは、振り向いてくれるんだろうか?

 だけど、それは、俺にとって……

(幸せって……言えるのかな?)



 ◇

 ◇

 ◇

「ありがとうございました。家まで送って頂いて」

 その後、あかりのアパートに着くと、あかりは、玄関前で、ぺこりと頭を下げた。

 寒い冬の季節、頬はすっかり冷えていた。すると、それを見て、あかりが気をきかせたのか

「あの、寒くないですか?なんでしたら、うちで、何か温かいものを飲んでから帰っても」

 そう言って、俺を見上げてきた。

「お前な、一人暮らしなんだから、気安く男を家に入れるなって、前にも言っただろ」

「あ、それもそうですね?」

(こいつ、もしかして俺のこと、まだ、女友達とか思ってるんじゃ)

 相変わらず警戒心のないあかりに、呆れ返る。

 俺だからってのもあるだろうけど、未だに男として認識されてないような気がして、不安になった。

 なにより、少しでも男として意識してたら、部屋には入れないような気がする。

「あかり……」

「はい?」

 不意に声をかければ、再びあかりと目があった。俺は、そっとあかりの手をとると

「これ、あげる」
「?」

 そう言って、あかりの冷たい手の平に、個包装されたクッキーをのせた。

 華に頼まれて、俺が作ったクッキー。

「俺からのバレンタインね♡」
「え?」

 すると、あかりが間の抜けた声を発した。よほど予想外だったのか、すごく驚いてる。

「ば、バレンタインって……っ」

「せっかく作ったんだから受け取ってよ。それと、ホワイトデーのお返し、楽しみにしてるから♪」

「……!」

 少し意地悪めいた声で、そう囁けば、あかりは顔を赤くして、更に困った顔をした。

「お、お返しって!?」

「倍返しでも、3倍返しでも、好きなだけ返していいよ~」

「な、なんですか、それ! まるで詐欺師の手口じゃないですか……!」

「うわ~詐欺師はひどいな~。愛情込めて作ったのにー」

「っ……で、でも、お返しなんて言われても……あの、じゃぁ、先に教えてください」

「え?」

「はい。私、神木さんの好きな物が、よくわからなくて、前に本のお返しを考える時も、すごく悩んだんです。だから、今、教えてください。神木さんがほしいもの」

「…………」

 困り果てるあかりは、思いのほか可愛くて、その表情と『ほしいもの』といわれたその言葉に、思わず

「あかり」
「はい?」

 そう返してしまった。

 もし、ここで、あかりが欲しいと、あかりのことが好きだって告白したら、あかりは、どんな反応をするんだろう。

 少しは、男として見てくれるかな?

 でも、きっと、そんな単純な話ではなくて、俺がここで、あかりを望んだら、あかりは、俺の元からいなくなってしまうんだろう。

 なら……

「あかりの……時間ちょうだい」
「え?」

 そう言って囁けば、あかりは目を見開いた。

 お互いに、思い描く未来があって。だけど、その未来は正反対のもので、この思いが叶わないのは、よくわかったはずなのに

 それでも、俺は、まだ

 あかりのことを──諦められない。


「春になったら、桜、見に行かない?」

「桜?」

「うん、あかりは、桜嫌い?」

「いえ、好きです……けど」

「じゃぁ、約束。俺と一緒に、桜を見に行って」

 いつものように、にっこりと笑ってそういえば、あかりは少しだけ考えたあと、了承してくれた。

(バカだな、俺も……)

 無理やり約束を取り付けさせて、なんて強引なんだろう。

 それでも、今、まだ、この関係でいたいと思った。

 友達でいい。
 交わらなくていい。

 だから今は、ただ

 あかりに、傍にいて欲しいって……。
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