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第12章 二人の母親
第175話 社長と愛人
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「私の愛人に、なるというのは?」
「……ッ」
身体のラインに沿って、サワサワと男の手が這う。服越しとはいえ、その不快な手付きには、嫌悪感でいっぱいになった。
「冗談は、やめてください」
「冗談ではないさ。賢い君なら分かるだろう。女手一つで子供を育てるのは大変だ。だが、私には金も地位もある。いずれこの会社も、父から私が継ぐことになっているんだ。君が望むならいくらでも援助してあげられるし、娘さんのためにもなる。悪い話ではないだろう」
「…………」
腰に回した手を引きよせ、後ろから抱き込むようにして、囁きかけられる。秘書課行きなんてただの口実で、本当の目的はこちらだろう。
常に側において、好き放題するつもりでいたのか?
バカにしてるにも程がある。
「奥様に、悪いとは思わないの?」
「心配しなくても妻も理解しているさ。副社長の妻として、ほかよりも贅沢な暮らしができてるんだ。愛人の一人や二人、なんてことはない」
耳元でクスクスと笑う男の声が、酷く耳障りだった。
我が物顔で這いずり回るゴツゴツとした男の手。首筋にかかる熱い息とタバコの香り。
その全てが不快で仕方ない。
だが、逃げ場のないエレベーターの中、助けを呼ぶにも、いささか無理があった。
頭上にある位置表示画面を確認すると「6」の数字が表示されていた。
12階から降りてきて、まだ半分──
こんな時に限って、誰一人乗り込んでこないのだから、自分は本当に運がないと思う。
「しかし、こんなにも美しい君を捨てた男が二人もいたなんて、まだに信じられないな」
すると、どこか釈然としない言葉が降ってきて、ミサは眉を顰めた。
副社長の沢木は、ミサに2回、離婚歴があるのを知っていた。
つまり「捨てた男」とは、自分の前の夫達のことを言っているのだろう。
「二人じゃないわ。私を捨てたのは"一人"だけよ」
「ははは、それは失礼。だが、今ですらこうなんだ。若い頃の君は、さぞかし美しかったんだろうね。正直、羨ましいよ。君を抱いた、男たちが──」
「……ッ」
腰に回された腕が、徐々に上へと伸び、スーツのジャケットの中にまで忍びこんで、ブラウスの上から肌をまさぐり始めた。
副社長と平社員。立場的に逆らえないとでも思っているのか?
布一枚隔てて這いずり回る男の手は、まるで獣のようで、そしてそれは、次第に胸へと移動していく。
「しかし、バカな男もいたものだな。私なら、絶対に手放したりしないというのに……一体、どんな男だったんだい?君を捨てた男って」
「…………」
抵抗しないのをいいことに、男は笑いながら、ミサの身体を弄び、いさなむのを楽しんでいた。
そして──どんな男。
そう問われて、思い出したのは、最初の夫の顔。
「──ぐぁッ」
すると、その瞬間、突如走った鋭い痛みに、沢木が悲鳴を上げた。
ガタン!と、エレベーター内に重い音が響くと、どうやら、ミサに関節技をかけられたらしい。男は、痛みに逆らいきれず、ガクリと膝をつく。
「副社長。私、浮気男、大嫌いなの」
「……っ」
自分の体を撫で回していた、その腕を捕らえ、容赦なく冷たい床に平伏させたミサは、男を見下ろし、蔑むような視線を向ける。
「それにしても、品のない人ね。お金や地位をひけらかさないと、女一人口説けないなんて。ハッキリ言って、あなたには、なんの魅力も感じないし、抱かれたいだなんて微塵も思わないわ」
そう言って、冷たく吐き捨てると、その瞬間、エレベーターが一階に到着した合図音が鳴り響いた。
ミサは、無理やり乱された服を手早く直し、肩からずり落ちたバッグをかけなおすと、また男に微笑みかける。
「秘書の話も、愛人の話も、はっきりお断りさせて頂きます。それと、もし、またこのようなことがあったら、次は相澤社長に、ご相談させて頂きますね?」
「え?な、なんで、相澤さんに」
沢木はその言葉を聞いて、顔を青くする。
相澤は、大手企業の社長で、自社とも繋がりの強い大口の取引相手だった。
「先日、秘書課の手伝いして、お会いした際に、気に入られたようで『困ったことがあったら相談するように』と、個人的に名刺を頂いたんです。我が社にとっても大切なお得意様。でも、副社長が社員にセクハラしてる会社だなんて知ったら、相澤社長、どうするのかしら?」
見惚れてしまいそうな綺麗な笑顔を浮かべて、ミサはそう言い放つ。
大口の取引相手。それも大手企業の社長に嫌われでもしたら、今後の取引に大きく影響する。
「……っ」
「今のことは、なかったことにしてあげます。でも、いずれ社長になるつもりがあるのなら、こんなバカなことしてないで、しっかり、仕事してくださいね?」
そう言って、副社長室がある「30階」と「閉まる」のボタンを押すと、ミサは「お疲れ様でした」と挨拶をして、エレベーターをあとにした。
ふわりと金の髪を靡かせながら、会社のエントランスを抜けると、夕日に染まったビルの外へと出る。
すると──
《一体、どんな男だったんだい。君を捨てた男って……》
先程の男の言葉を思い出して、ミサは足を止めた。
捨てた男──その言葉に
《ミサちゃんて、頑張り屋さんだね?》
出会った頃の記憶が蘇る。
初めて愛した男は、その時まだ大学生で、五歳年下の自分は、高校生だった。
片思いから始まって、再開して数年後、恋人同士になった。
触れられる度に、胸が高鳴った。
優しく名前を呼びながら、髪をすいてくれるのが心地よかった。
抱きしめられる度にキスをして、幾度となく、肌を重ねて愛し合った。
当たり前のように、側にいた。
当たり前のように、笑いあって
当たり前のように、結婚して
可愛い息子にも恵まれて
幸せだった───
そして、あの「幸せ」が
「永遠」に続くのだと
思っていた───…
「気持ち悪い……っ」
不意に、さっきの荒々しい男の手の感触が蘇ってきて、今更ながらに、ひどい吐き気が襲ってきた。
愛した男とは、全く違う感触。
「侑、斗……っ」
一人、身を竦め、無意識に縋りついたのは、唯一愛した『夫』の名だった。
結局、私のことを、ちゃんと見てくれたのは──侑斗だけだった。
「本当、何もかも……っ」
──────上手くいかない。
「……ッ」
身体のラインに沿って、サワサワと男の手が這う。服越しとはいえ、その不快な手付きには、嫌悪感でいっぱいになった。
「冗談は、やめてください」
「冗談ではないさ。賢い君なら分かるだろう。女手一つで子供を育てるのは大変だ。だが、私には金も地位もある。いずれこの会社も、父から私が継ぐことになっているんだ。君が望むならいくらでも援助してあげられるし、娘さんのためにもなる。悪い話ではないだろう」
「…………」
腰に回した手を引きよせ、後ろから抱き込むようにして、囁きかけられる。秘書課行きなんてただの口実で、本当の目的はこちらだろう。
常に側において、好き放題するつもりでいたのか?
バカにしてるにも程がある。
「奥様に、悪いとは思わないの?」
「心配しなくても妻も理解しているさ。副社長の妻として、ほかよりも贅沢な暮らしができてるんだ。愛人の一人や二人、なんてことはない」
耳元でクスクスと笑う男の声が、酷く耳障りだった。
我が物顔で這いずり回るゴツゴツとした男の手。首筋にかかる熱い息とタバコの香り。
その全てが不快で仕方ない。
だが、逃げ場のないエレベーターの中、助けを呼ぶにも、いささか無理があった。
頭上にある位置表示画面を確認すると「6」の数字が表示されていた。
12階から降りてきて、まだ半分──
こんな時に限って、誰一人乗り込んでこないのだから、自分は本当に運がないと思う。
「しかし、こんなにも美しい君を捨てた男が二人もいたなんて、まだに信じられないな」
すると、どこか釈然としない言葉が降ってきて、ミサは眉を顰めた。
副社長の沢木は、ミサに2回、離婚歴があるのを知っていた。
つまり「捨てた男」とは、自分の前の夫達のことを言っているのだろう。
「二人じゃないわ。私を捨てたのは"一人"だけよ」
「ははは、それは失礼。だが、今ですらこうなんだ。若い頃の君は、さぞかし美しかったんだろうね。正直、羨ましいよ。君を抱いた、男たちが──」
「……ッ」
腰に回された腕が、徐々に上へと伸び、スーツのジャケットの中にまで忍びこんで、ブラウスの上から肌をまさぐり始めた。
副社長と平社員。立場的に逆らえないとでも思っているのか?
布一枚隔てて這いずり回る男の手は、まるで獣のようで、そしてそれは、次第に胸へと移動していく。
「しかし、バカな男もいたものだな。私なら、絶対に手放したりしないというのに……一体、どんな男だったんだい?君を捨てた男って」
「…………」
抵抗しないのをいいことに、男は笑いながら、ミサの身体を弄び、いさなむのを楽しんでいた。
そして──どんな男。
そう問われて、思い出したのは、最初の夫の顔。
「──ぐぁッ」
すると、その瞬間、突如走った鋭い痛みに、沢木が悲鳴を上げた。
ガタン!と、エレベーター内に重い音が響くと、どうやら、ミサに関節技をかけられたらしい。男は、痛みに逆らいきれず、ガクリと膝をつく。
「副社長。私、浮気男、大嫌いなの」
「……っ」
自分の体を撫で回していた、その腕を捕らえ、容赦なく冷たい床に平伏させたミサは、男を見下ろし、蔑むような視線を向ける。
「それにしても、品のない人ね。お金や地位をひけらかさないと、女一人口説けないなんて。ハッキリ言って、あなたには、なんの魅力も感じないし、抱かれたいだなんて微塵も思わないわ」
そう言って、冷たく吐き捨てると、その瞬間、エレベーターが一階に到着した合図音が鳴り響いた。
ミサは、無理やり乱された服を手早く直し、肩からずり落ちたバッグをかけなおすと、また男に微笑みかける。
「秘書の話も、愛人の話も、はっきりお断りさせて頂きます。それと、もし、またこのようなことがあったら、次は相澤社長に、ご相談させて頂きますね?」
「え?な、なんで、相澤さんに」
沢木はその言葉を聞いて、顔を青くする。
相澤は、大手企業の社長で、自社とも繋がりの強い大口の取引相手だった。
「先日、秘書課の手伝いして、お会いした際に、気に入られたようで『困ったことがあったら相談するように』と、個人的に名刺を頂いたんです。我が社にとっても大切なお得意様。でも、副社長が社員にセクハラしてる会社だなんて知ったら、相澤社長、どうするのかしら?」
見惚れてしまいそうな綺麗な笑顔を浮かべて、ミサはそう言い放つ。
大口の取引相手。それも大手企業の社長に嫌われでもしたら、今後の取引に大きく影響する。
「……っ」
「今のことは、なかったことにしてあげます。でも、いずれ社長になるつもりがあるのなら、こんなバカなことしてないで、しっかり、仕事してくださいね?」
そう言って、副社長室がある「30階」と「閉まる」のボタンを押すと、ミサは「お疲れ様でした」と挨拶をして、エレベーターをあとにした。
ふわりと金の髪を靡かせながら、会社のエントランスを抜けると、夕日に染まったビルの外へと出る。
すると──
《一体、どんな男だったんだい。君を捨てた男って……》
先程の男の言葉を思い出して、ミサは足を止めた。
捨てた男──その言葉に
《ミサちゃんて、頑張り屋さんだね?》
出会った頃の記憶が蘇る。
初めて愛した男は、その時まだ大学生で、五歳年下の自分は、高校生だった。
片思いから始まって、再開して数年後、恋人同士になった。
触れられる度に、胸が高鳴った。
優しく名前を呼びながら、髪をすいてくれるのが心地よかった。
抱きしめられる度にキスをして、幾度となく、肌を重ねて愛し合った。
当たり前のように、側にいた。
当たり前のように、笑いあって
当たり前のように、結婚して
可愛い息子にも恵まれて
幸せだった───
そして、あの「幸せ」が
「永遠」に続くのだと
思っていた───…
「気持ち悪い……っ」
不意に、さっきの荒々しい男の手の感触が蘇ってきて、今更ながらに、ひどい吐き気が襲ってきた。
愛した男とは、全く違う感触。
「侑、斗……っ」
一人、身を竦め、無意識に縋りついたのは、唯一愛した『夫』の名だった。
結局、私のことを、ちゃんと見てくれたのは──侑斗だけだった。
「本当、何もかも……っ」
──────上手くいかない。
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