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第10章 涙の向こう側
第156話 心配と気配
しおりを挟む「あかりー、おはよう!」
その日、あかりが講義室につくと、同じ学部の安藤が声をかけてきた。
あかりは、机に座っている安藤に気付くと、ふわりと笑顔を浮かべて、明るく挨拶をする。
「おはよう、安藤さん」
「レポート仕上げてきた?」
「うん、なんとか……」
その後、少しだけ話をして、あかりは安藤の右隣の席に座ると、授業の準備をしながら、ふと外を眺めた。
空には厚い雲がかかり、昨日よりも激しい雨が、ザーザーと音を立てて降っていた。
(昨日は、びっくりしたなー)
雨を見つめながら、あかりは昨日の「神木さん」とのことを思い出す。
あの時、エレナの元に行こうとした自分の腕を掴んだ彼の姿は、とても弱々しかった。
酷く震えていて、掴まれた手は、どんどん冷たくなって、部屋に連れてきて、眠りについたあとも、少しうなされてるように見えた。
(……少し、言いすぎたかな?)
正直、あんな説教じみたことをするつもりなかったし、落ち着いたなら、すぐに帰ってもらうつもりだった。
だけど──あの時、無理をして笑う姿に、どこか思いつめているような表情に、不意に思い出してしまった。
「大丈夫だよ」といって笑った
あの人のこと──
「安藤ちゃーん!」
「?」
窓の外を見つめながら、考え事をしていると、今度は講義室の入口から、安藤の友人である青木の声が響いた。
青木は、安藤とあかりの側までくると、少しつまらなそうな声を発した。
「聞いてよー、今日、神木先輩、お休みだったー」
「あんた本当、神木先輩のこと大好きだよね」
「だってーこんな雨の日だからこそ、イケメン見て、憂鬱な気分ふきとばしたいじゃん!! 神木先輩くらいだよ、3日たっても飽きないイケメンって!」
「まー確かに。でも休みって、風邪でもひいたのかな?」
「うーん。なんで、休んだかは、分からないんだけどね」
(休み……?)
飛鳥が休んでいると聞き、あかりは、ふむと考え込む。
昨日の夕方、公園で倒れた彼を介抱していたら、ポツポツと雨が降り始めた。
雨脚が強まる前にと、ふらつく彼を必死に支えながら、家まで連れて来たはいいが、彼をベッドに寝かせたあと、あかりは濡れた髪をタオルで拭き取ってあげることしか出来ず
(……もしかして、昨日の雨で?)
風邪をひいてしまったのだろうか?
確かに、酷く震えていたし、手はとても冷たかった。だが、小雨に晒された程度で、服はさほど濡れていなかったのだが……
(……やっぱり、着替えさせてあげた方が良かったのかな? それとも、お風呂でしっかり身体を温めてから、帰ってもらった方が……っ)
昨日の自分の対処が正しかったのか、あかりは、真面目に考え込んだ。だが
(うーん、でも、着替えるっていっても、私の服しかないし。それにお風呂すすめるとか、さすがに無理……)
実際にそう対処したらと考えたら、とんでもなかった。
なぜなら、あかりは女の一人暮らし。
そんなあかりが、まだ付き合いの浅い男性を相手に、わざわざ着替えやお風呂を進めるなんて出来るわけがない。
今回は突然のことで、仕方なく家にあげたが、本来なら男性を家になんて絶対にいれない。
(……やっぱり、あれが私に出来る精一杯だったかも)
風邪対策なんて髪を拭いて、スープや紅茶を提供したくらいかもしれない。
だが、自分の対処が至らないばかりに、風邪をひかせてしまったのなら、なんとも申し訳ない。
あかりは、俯いていた視線をあげると、再び窓の外を見つめた。
(神木さん、大丈夫かな?)
それに──
(エレナちゃんも、連絡ないし)
机の上に置いたスマホを手に取ると、あかりは、その画面を見て眉をひそめた。
昨夜、飛鳥が帰った後、あかりはエレナにメッセージを送った。だが、暫くして"既読"は着いたが、それに、返事はなく──
(また、お母さんに……怒られてたりとかしないよね?)
漠然とした不安が過ぎる。
脳裏によぎるのは、昨日、母親に手を引かれ、泣きながら謝っていた、エレナの姿。
(何事も、なければいいけど……っ)
◆
◆
◆
パタン───
「……?」
遠くの方で、部屋の扉が閉まる音がして、飛鳥は、ゆっくりと目を覚ました。
朝、蓮華を見送ったあと、飛鳥は、再び横になり、そのまま眠りについた。
あれから、どのくらい眠っていたのだろう。
布団にくるまりながら、飛鳥は、ふと人の気配を察知して、呆然とした意識を、少しだけ覚醒させる。
(華……?)
「もう、帰宅する時間なのか」と、飛鳥は、夢の中にいるようなフワフワとした思考を保ったまま、うっすらと瞳を開けた。
だが、視線の先にある時計の時刻は──まだ11時37分。テストがあり、早めに帰宅するとはいえ、華と蓮が帰宅するのは、確か2時過ぎ。
いくらなんでも、早すぎる。
「…………」
すると、視界に揺らぐ時計の針を見つめたあと、飛鳥は今一度、目を閉じた。
まだ、熱があるのか、頭は重いし、身体もいうことを聞かない。それでも、気だるい身体をわずかに身じろき、横向きから仰向けの体勢をかえると、飛鳥は先程の「音」について、また考える。
華ではない。蓮でもない。
なら、今この家にいるのは、きっと、自分ひとり。
(あれ、じゃぁ……)
さっきの扉の音は…………誰?
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