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第9章 【過去編】偏愛と崩壊のカタルシス
第128話 偏愛と崩壊のカタルシス⑪
しおりを挟むどうしてあの時
もっと声を張り上げなかったんだろう。
それに、気づいたのは
きっと俺だけだった。
話しをする父とゆりさんの背後。
公園の入口付近に見えたのは
ゆらりと揺れる綺麗な金色の髪と
酷く虚ろで冷たい──青い瞳。
(……ッ)
無表情に忍び寄る、その人物が目に入った瞬間、俺は喉首を押さえつけられたように、また声が出せなくなった。
そして───
グサ───ッ!!
次の瞬間、俺の目の前に映し出されたのは、ナイフを手に背後から、ゆりさんを刺した
あまりにも恐ろしく残酷な
──「母親」の姿だった。
第128話 偏愛と崩壊のカタルシス⑪
◆◆◆
何かが駆け寄ってくる音に気づいて、父が振り向いた時には、もう既に遅かった。
誰もいない公園内に響くのは、肉を裂く不気味な音。
そして、それを目にした瞬間、場の空気は一瞬にして凍りついた。
そこには、無警戒だったゆりさんの腰元を、母がナイフで一刺しにしていて、俺は身動き一つ、瞬き一つできず、その場に立ち尽くすと、目に焼き付いた光景に息をのんだ。
「──ッ!」
ドサッ──と、ゆりさんが小さく声を漏らし、崩れ落ちるように膝をついて、俺は必死にゆりさんを支えようと、手を伸ばした。
まだ、幼かった俺に覆い被さるようにして、力なく倒れたゆりさん。
座り込み倒れそうになりながらも、必死の思いで抱きとめると、掴んだ部分から、なにか生暖かいものを感じた。
ヌルリとした感触。
自分の手についた、それにゆっくりと視線をむければ、その手は──赤く赤く、血に染まっていた。
「ひッ……!」
傷口からはじわじわと血が滲んでいた。溢れでる血液は、制服のシャツやスカートに染み渡り、何が起こっているのか分からず、呆然と手を震わせる俺の側で、ゆりさんは痛みに耐えるように、唇を強く噛み締めていた。
そして──
「あなたが、滅茶苦茶にしたのね……っ」
ナイフを握りしめた母が、ゆりさんを見おろしてボソリと呟いた。
「あなたが、侑斗を誑かしたのね!」
母が、なにか勘違いをしているのが分かった。
鬼のような形相に、射るような視線。
その姿に、以前のような優しい母の面影は一切なく、その綺麗な金色の髪も、澄んだ青い瞳も、整った顔立ちも、美しいはずのその全てが、酷く禍々しいものに見えた。
「侑斗だけじゃなく、今度は私から飛鳥まで奪うの!! 返して、返して、私の──」
声を張り上げた母が、ナイフを握りしめた手を、頭上高く振り上げた。
それは、ひどく見慣れた光景だった。
癇癪を起こした母が、よく見せる姿。
でも、今、壊そうとしているのは、明らかに「物」ではなくて──
「おい! なにやって…!!」
振り上げた母の手は父が強引に掴んだことにより、その動きを静止させた。
腕を掴まれた事で、ナイフが手から離れると、それは公園の地面の上に鈍い音をたてて落ちる。
「落ち着け!! この子は、飛鳥を保護してくれたんだ!!」
父が何とか落ち着かせようと声を荒らげる。
だけど、それでも母はゆりさんに掴みかかろうとしていて、俺はゆりさんを抱えたまま、呆然とその光景を見つめていた。
「許さない、あなたのこと、絶対許さなぃからッ!!」
「……」
感情的な母の声が響く。
何を、許さないの?
ゆりさんが、何をしたの?
この人は……ゆりさんは
俺を、助けてくれたのに───?
(ッ……俺の……せぃだ……っ)
ずっと、あのまま、家にいればよかった。
母の言うことを聞いて、逃げたりしないで
今まで通り、ずっとずっと「独り」で過ごせばよかった。
俺が、家から出たりしなければ
俺が、ゆりさんと出会わなければ
ゆりさんは、こんな目に
あわなかったかもしれないのに────
「ぁ、すか……っ」
「……!」
呆然と母を見上げたまま涙を流し始めた俺をみて、ゆりさんが小さく声をかけた。
ゆりさんは、さっきと変わらないふわりと柔らかな笑みを浮かべて、俺を包みこむように優しく抱きしめると
「……飛鳥の……せい、じゃ……なぃ…から……だから……そ、んな顔…し、ない……で」
そういって、俺の頭をなでると、ゆりさんは俺を強く抱きしめて、そのまま、ゆっくり目を閉じた。
「……っ、ぁ……や、だ…っ」
──嫌だ。
いやだ。
なんで?
どうして?
俺が、もっとしっかりしていたら
俺が、もっと強かったら
俺が、もっと大人だったら
こんな事にはならなかったの?
「ゆ、り……さんっ! やだ、お、ねがぃ、目……ぁけ、……ッ」
身体が震えて、涙が止まらない。
いやだ
いやだ
いやだ。
こんなの、嫌だ──
「ゆり、さん……おね、がぃ……ッ、死なないで───ッ!」
その時、俺は初めて、大切な人を、かけがえのない人を、失う恐怖を知った。
もう、あんな思いしたくない。
誰かを失う。
あんな恐怖、味わいたくない。
もうだれも、失いたくない。
だから、絶対に、守るって決めたはずなのに
それなのに、俺は───……
◆
◆
◆
「……ぅ、…ンッ」
月明かりが灯す薄ぐらい室内で、写真を手にした飛鳥は、突如、激しい吐き気に見舞われた。
とっさに口元を手で覆うと、せり上がってくる不快感に必至に耐える。
(……落ち、着け……っ、頼む、から……、)
昼間と同じ様に、動悸がして手が震え始めて、視界がボヤつきだして、飛鳥は、そんな自分に必死に言い聞かせる。
また、倒れるわけにはいかない。
乗り越えなきゃいけない。
なんとしても──
「……はぁ、っ……は、」
なんとか吐き気を抑えこめば、今度は荒い呼吸を整えるため、自分の胸もとに手を当てた。
着ているTシャツごと、その手をきつく握りしめれば、つまるような息苦しさのある呼吸を必死に整えようと模索する。
あぁ…やっぱり、思い出すのすら
こんなに、辛い。
いまだに、目に焼き付いて離れない。
あの日の母の姿と
あの、恐ろしい光景。
なんど、夢にみただろう。
なんど、うなされただろう。
でも、それを
いつも 、ゆりさんが
母さんが
抱きしめて、落ち着かせてくれた。
でも、今は
──もう、いない。
もう、ゆりさんは
どこにもいない……っ
「はぁ、……はぁ……っ」
なかなか治まらない呼吸に、自分の「弱さ」を垣間見た気がした。
結局、誰かにすがらなきゃ、ダメだなんて
俺はなんで、こんなに弱いんだろう。
もう、絶対に、あんな思いしたくないって誓ったのに
もう二度と、ゆりさんを傷つけたくないと
誓ったのに──
『絶対に守るよ!』
そう、約束したのに……っ
結局俺は、守れなかった。
守れずに
死なせてしまった。
ゆりさんを
華と蓮の
母親を────
「……、……っ、はぁ…」
なんとか、呼吸が整い始めてたころには、酷く汗をかいていた。
ふと視線をそらせば、部屋にある姿見に、自分の姿が写っているのが見えた。
金色の髪に
青い瞳に
人形のように綺麗な顔
全部全部、あの人と
同じ姿。
いつか、自分も、あの人のように
誰かを傷つけてしまうかもしれない。
そう考えたら
──怖い。
自分のこの顔が
自分に流れる、あの人の「血」が
怖くて怖くて、仕方ない。
(……こんな、んで……本当に……話せる、のか……?)
もし、これを知ったら
華と蓮は、どう思うだろう。
今まで通り、俺と
接してくれるだろうか?
もし、軽蔑されたら?
もし、拒絶されたら?
今の関係が
壊れてしまったら?
そう、思ったら
話せない。
────知られたくない。
俺が
ゆりさんを
華と蓮の「母親」を
刺し殺そうとした「女」の
「息子」だなんて───……っ
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