お嬢様と執事は、その箱に夢を見る。

雪桜

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エピローグ

始まりの朝

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「奥様、お待ちください! 旦那様は、まだ寝込んでらっしゃいます!」

 次の日、新年二日目の朝。
 別邸の中では、ちょっとした騒動になっていた。

 昨日、この阿須加家のお嬢様・阿須加 結月が使用人達と共に失踪した。

 そして、その件で、結月の父である洋介は、寝込んでしまい、朝になっても起きてこないと聞いた美結は『叩き起してくる』と言って、朝食の席から抜け出した。

「奥様! 今の旦那様は、お心を患っておられます! あまり辛辣な言葉をおかけになると、メンタルが死にます!」

「別に、夫を殺すつもりはないわ」

「ですが! 奥様のお言葉は、その……時折、ナイフのように切れ味バツグンなので、今の旦那様に耐えられるかどうか」

「…………」
 
 スタスタと廊下を進む途中、メイドの一人が慌てて声をかけるのだが、まさか、ここまで恐れられていたとは。美結は、これまでの自分の行いを反省した。

 結月を守るためとはいえ、いささか厳し過ぎたのかもしれない。

 まさに切れ味バツグンな悪女だったのだろう。

 ──バタン!

「洋介!!」

 だが、洋介の部屋にやってきた美結は、無作法に扉をあけ、ベッドの中で憔悴中の洋介に、案の定、キツめの言葉を発した。

 すると、先程のメイドが

「お、奥様! おやめくださいっ!」

「大丈夫だっていってるでしょ。あなたは、もう下がりなさい。洋介と二人きりで話をしたいから」

 いくら、洋介のメンタルがミジンコ並とはいえ、さすがに心配をかけすぎではなかろうか?

 メイドに心配かけまくる洋介をなんとかしなくてはと、美結は、さっさとメイドを追い返すと、その後、扉を閉め、洋介がいるベッドまで歩み寄った。

 すると、その騒々しさに気づいたのか、洋介がムクリと起き上がる。

 顔を上げた洋介は、酷くゲッソリしていた。

 一晩で髭もマダラに伸び、普段のような清潔感やスマートさは、ほとんどない。

 なるほど、このやつれようを見れば、メイドが心配するのも無理はない。

 すると美結は、情けない様子の洋介を見て、小さく、ため息を吐くと

「いつまで、落ち込んでるつもり?」

「そんなこと言われても……結月が……っ」

 力なく呟いた洋介は、相当なショックを受けているようだった。

 だが、自分の娘に、捨てられたのだ。
 ショックを受けない方が、おかしいだろう。

 だが、美結は、そんな洋介に

「起きて。今日も、仕事でしょ」

「仕事なんて……行ける状況か? お前は、なんで、そう平然としてられるんだ……結月が、娘がいなくなったんだぞ……っ」

 洋介の言い分は、最もだった。
 でも、美結だって平気なわけじゃない。

 でも、ここで落ち込んでいても、結月は、戻ってこない。

「洋介……私、ずっと、あなたの子供が欲しかったの」

「?……何言ってるんだ? 子供なら結月が」

「そうよ。結月はの子」

 その言葉を、強く強く噛み締める。

 結月は、洋介の子だった。
 愛する人との大切な娘だった。

 それなのに、私たちは、ずっと結月を苦しめていた。

 自分の都合を勝手に押し付けて、結月の心を殺し続けてきた。

「ごめんなさい」

「え?」

「結月が、出ていったのは、全部、私のせいよ。私が、酷い母親だったから」

 ほんの少しだけ違う真実を話し、美結は、洋介に謝った。すると洋介は
 
「なにをいってるんだ。僕も結月には、酷いことをしてきた。美結の言ったとおりだよ。当主の重圧や仕事のストレスを、結月や使用人達にぶつけていた。こんなに器の小さい男、当主に相応しくなくて当然だ」

 人として、親として、最低なことをしてきたのだと、今になって気付かされた。

 きっと、今回の件がなければ、一生気づかなかったかったかもしれない。

「結月は、今、どうしてるだろう? 幸せだろうか?」

 そして、洋介がぽつりと呟いた。
 まるで、父親のように──

「幸せよ、きっと。好きな人と一緒なんだから」

「そうだな。だが、まさか、その相手が、五十嵐とは」

「何よ、不満なの? いっとくけど、あんなにハイスペックな男、そうはいないわよ。それに、いずれ結月と結婚して、うちの会社を継いだとしたら、ホテル王だって目じゃないかもね、あの手腕なら」

「な!? ホテル王って!? まさか、五十嵐にやるつもりなのか、会社を!?」

「別に、そういうわけじゃないわ。決めるのは、あの子たちだし。でも、結月自身は、五年後に遺産を放棄する気でいるみたいだけど、放棄は絶対にさせない」

「え?」

「遺産は、全て結月に相続させるわ。だって、結月だけでしょ。私と洋介の子は──」

 そう言って、ふわりと笑った姿が、若い頃の姿と重なった。

 まだ、お互いに恋をしたばかりの頃。
 阿須加家の柵に囚われる前の、幸せだった頃──

「なんか……雰囲気変わったな、美結」

「そう?」

「あぁ、まるで、憑き物が落ちたみたいだ」

「……そうなのかしら? でも、それをいうなら、洋介も同じでしょ」

「え?」

「どん底まで落ちたはずなのに、不思議とスッキリした顔をしてるわ」

「………」
 
 そう言われ、洋介は、改めて自分のことを省みる。

 確かに、落ち込んではいるし、ショックなのは確かだが、それとは別に、どこか生まれ変わったような気持ちだった。

「……そうか。確かに、目が覚めた気がするよ。きっと、結月のおかげだ」

 娘に捨てられた。
 でも、そのおかげで気づけた。

 自分の愚かさと、娘の大切さに。

 だが、ここまでされないと気づかないなんて、一体、どこまで馬鹿な親なのだろう。

 呆れつつもため息をつけば、美結と洋介は、その後、笑い合った。

 悲しみと、後悔と、希望を胸にして──

「洋介、一緒に変えましょう。この一族を」

「あぁ、結月が、変えてくれって願ったんだ。なら、叶えてやろう」

 心を一つにすれは、二人の手は、自然と重なり合った。

 それは、新たな『夢』の始まりだった。

 ──いつかまた、娘に会いたい。

 夫婦で誓った、希望に満ちた夢の始まりだった。

 







          

     エピローグ「始まりの朝」









 ✣✣✣


 一月二日。
 神隠し騒動があった、次の日。

 阿須加家の屋敷がある星ケ峯から、車で5時間ほど離れた地域に、のどかな田舎町があった。

 そこには、友禅とした日本家屋が立ち並ぶ、風情ある景色が広がっていた。

 美しい山々には、ほのかに雪がつもり、冬景色は、美しい絵画のよう。

 そして、そんな田舎町に佇む武家屋敷の中で、結月は、ゆっくりと目を覚ました。

 阿須加の屋敷の中とは違う、和風の室内。
 そして、真冬の室内は、どこか、冷えた空気をまとっていた。

 だが、不思議と寒さを感じないのは、に抱きしめられているからかもしれない。

 結月が瞳を開ければ、そこには、端正な顔立ちをした青年の姿があった。

 あどけない表情で寝息を立てているのは、五十嵐 レオ 。結月の元・執事であり、将来を誓い合った愛しい人。

 そして、その愛しい人の腕の中で、結月は、べにを指したように頬を赤らめ、昨夜のことを思い出した。

 昨夜は、確かに布団を、用意した。

 だが、結月が寒いといったからか、あっという間に、レオの布団の中に引っ張りこまれた。

 そして、ひとつの布団の中で身を寄せあいながら、二人は、なにげない話に花を咲かせた。

 すると、いつしか睡魔が襲ってきて、そのまま眠ってしまったようだった。

(レオが、まだ起きてないなんて、珍しいこともあるのね?)

 そして、目覚めた結月は、レオの寝顔を見つめながら、不思議な感覚に陥っていた。

 今までは、執事として、誰よりも早く目覚め、結月が起きるのを待っていたレオ。

 だが、今日のレオは、結月よりも遅く、まだ目覚める気配がなかった。

 だが、それもそうだろう。
 昨日は、駆け落ちを成功させ、この家に来た。

 そして、その後は、結月が住みやすいよう、レオは、一人でバタバタと動きまわり、生活の基盤を整えていた。

 駆け落ちの決行と、長距離の運転。その上、新居の整理に、料理や家事までこなすとなれば、流石に疲れもするだろう。

 レオは、結月が起きたのにも気づかず、ぐっすり眠っているようで、結月は、そんなレオの胸元に擦り寄り、鼻先をくっつけた。

 朝の微睡みの中、ピタッとレオの体に抱きつくと、結月は、好きな人の香りに酔いしれた。

 今なら、何をしても気づかれないと思った。
 だって、眠っているのだから。

 すると、結月は、そのまま、レオの心臓の音に耳を傾ける。

 好きな人の心音。それは、結月が大好きな音だった。

 前に記憶を中途半端に思いだし、パニックになった時に、抱きしめて聞かせてくれた音。

(安心する……)

 それは、今にも眠ってしまいそうなほど、安心する音だった。

 だが、ここで眠ってしまっては、もったいない。

 結月は、レオの胸元から耳を離すと、今度は、その顔を、まじまじと見つめた。

(まつ毛、思ったより長いのね……それに、肌も綺麗)

 常日頃から、整った顔立ちをしているとは思っていた。

 だが、改めて凝視すれば、その姿は、まさに彫刻のように美しく、まさに美男子だった。

 そして、こんなにも素敵な人が、自分の恋人なのかと、まるで、他人事のように思う。

 正直、まだ信じられない。
 レオと駆け落ちしたなんて──

 でも、それは紛れもない現実で、結月は、それを確かめるように、最後に、レオの手をとった。

 自分の手と重ね合わせれば、その大きさに、逞しさを感じる。

 長い指先に、角張った骨格。

 だが、執事の時は、手袋越しだったからか、その手には、まだ、数えるくらいしか触れていなかった。

 だからか、こうして直接、触れられるのが嬉しい。

 結月は、嬉しそうにレオの手に触れ、その後、指を絡めた。

 布団の中で弄ぶように、優しく優しく戯れる。

 すると、それからしばらくして、弄ぶ結月の手を、レオがギュッと握り返してきた。
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