お嬢様と執事は、その箱に夢を見る。

雪桜

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最終章 箱と哀愁のベルスーズ

絶望と希望

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「旦那様とお嬢様が、親子であるかどうか。そのを、ご覧になりたいですか?」

 その瞬間、美結は息を呑んだ。

 結果──たった二文字のその言葉が、頭の中で何度も反芻はんすうする。

 それは、ずっと避けてきたことだった。

 洋介との間には、長いこと子供ができなくて、でも、望月玲二と関係を持った直後に、結月を授かった。

 なら、どう考えても、結月の父親は、望月玲二でしか考えられず、結果を知るのを恐れた美結は、調べようとすらしなかった。

 だって、調べなければ、まだ奇跡を信じることができた。

 結月は、洋介の子だという、ほんの小さな小さな希望を持ち続けることができた――…

「け、結果は……っ」

 紡ぎだす言葉には、恐怖がにじみ出ていた。

 知りたくなかった現実が
 知ろうとしなかった結果が

 今、目の前にある。

 声を発することもできず、美結は、戸狩の手を掴んだまま、硬直する。

 結果を知ったら、どうなるの?

 もし、結月が、望月玲二の子だと確定してしまったら、今度こそ、あの子たちを引き裂かなきゃいけなくなる。

 兄妹で愛し合ってしまった二人を、見つけ出して、別れさせて、二度と会えないよう引き裂かなきゃいけなくなる。

(そんなの……っ)

 そんなことしたくない。
 やっと、あの子が掴んだ幸せを、潰したくない。

 好きな人と結婚して、穏やかに暮らしたい。
 そんな囁かな娘の夢を、壊すなんて出来ない。

 なら、知らない方がいい。
 だって、知らなければ、まだ夢を見ていられる。

 結月と五十嵐は兄妹じゃない。
 そう信じて、生きていける。

 なら、知らないふりをしよう。

 戸狩だって、例え結月が、洋介の子じゃないとしっていても、その父親が、五十嵐の父親だとは思わないだろう。

 なら──真実をしるのは、私だけ。

 だから、私が、この秘密を隠し、地獄まで連れていけば、誰も傷つかない。

「私は……っ」

 すると美結は、改めて決心する。

「……知りたく、ない」

 もう、これ以上、娘を苦しめたくないから――…

 躊躇いがちに、そう紡げば、戸狩は、震える美結の手を見つめながら

「本当によろしいのですか? これが、最後のチャンスですよ」

「最後?」

「はい。この書類は、この後、私が処分いたします」

「……っ」

 だが、そういわれ、美結は躊躇した。

 結月は、あの屋敷から出て行った。なら、この先は、調べたいと思っても、調べることすらできない。

 なら、これが最後。でも――
 
「知らなくていいわ! だって、知ったところで、誰も幸せにはなれないじゃない! 世の中には、はっきりさせない方がいいってこともあるの!」

「…………」

「だって、わかるのよ。見なくても、結果は、わかりきってる……ずっと、そう、やることなすこと、全部裏目に出て、やってくるのは絶望ばかり……きっともう、希望なんてどこにもないわ。なら、せめて、結月を守りたいの……あの子の幸せを……もう、壊したくない……っ」

 必死に頭を下げて、戸狩に懇願した。

 そして、そんな二人の姿を、美結の足元いた白猫が、小首を傾げながら見つめていた。

 だが、戸狩には分からなかった。

「なぜ、それが、結月お嬢様を守ることになるのですか? 私には、奥様の考えていることが、よくわかりません」

「…………」

 分かるわけはないだろう。

 だって、結月と五十嵐が、実は兄妹で、その関係を黙認しようとしているなんて、口が裂けても言えない。

 すると、二人の間には、しばらく沈黙が続いた。

 そして、戸狩は、諦めたように息をつくと
 
「畏まりました。そこまで仰るなら、この鑑定書は、このまま処分いたします」

 すると、封筒を手にした戸狩は、一礼し、その場から退いた。

 扉に向かって、慎ましい足音が室内に響く。
 だが、戸狩が、ドアノブに手をかけた時──

「にゃー」

 と、白猫が声を上げ、戸狩の元に駆け出した。

 美結の傍にいたユヅキが、軽やかに室内を駆け、戸狩の足元までやってくる。

 それは、まるで、引き留めようとでもしているように

「な……何をしてるの?」

「この子は『確認しろ』と言ってるみたいですね」

「……っ」

 すると、戸狩が再び口を開き、美結は小さく唇をかみしみめた。

 擦り寄る白猫は、尚も戸狩にまとわりついていて、その後、ユヅキを抱き抱えた戸狩ら、再び美結の前にやってきた。

 そして、白猫を差し出され、美結は、ユヅキを受け取りと、再び問いかける。

「結月は……知りたいの?」

 ──結月は、どうしたい?

  先程、そう問いかけたことを思い出した。
 結月に決めて欲しかった。
 この先、どうすればいいのか?

 すると、美結の腕の中にいたユヅキは、再び「にゃ~」と鳴き声をあげ、美結は困惑する。

「な、んで……っ」

 それは、まるで肯定しているみたいだった。
 結月が返事をしているように聞こえた。

 本当の娘じゃないのは分かっているのに、

 まるで、結月が「逃げないで」と言っているようだった。

 どんな残酷な結果が出たとしても、自分の罪と、しっかり向き合えと――

「奥様。もう一度、お聞きいたします。結果を、お知りになりたいと思いますか?」

 すると、戸狩が、再度、鑑定書を差し出してきた。

 どうするのが正解なのか、もうよく分からなかった。

 だが、差し出された封筒を目にした瞬間、美結は、無意識に、それに手を伸ばしていた。

 震える手で、恐る恐る受け取る。

 すると、ユヅキを抱き抱えた美結は、ゆっくりとその鑑定書を、封筒から取り出した。

 ──怖い。

 18年、ずっと避けてきた。
 知りたくないと、目を背けてきた。

 そして、これを開けば、もう後戻りは出来ない。

 でも──

「……っ」

 瞬間、書面を開けば、そこには、DNAに関するデータと文字が羅列されていた。

 そして、その判定の欄には、結月と洋介の親子関係を示す確率が、パーセンテージで記載されていた。

 100%に近ければ、洋介の子で
 0%に近ければ、望月玲二の子。

 それは、まさに、絶望と希望が入り交じる瞬間で、だけど、判定の数字を見た瞬間、美結の瞳からは、無意識に、涙が零れ落ちた。

「う……、っ」

 瞬間、美結はカーペットの上に崩れ落ちた。

 全身の力が抜け、力なく膝をつけば、抱きしめていた白猫が、トンと地べたに着地した。

「うそ、だって……10年も……ッ」

 二人が親子である確率は――99.999%

 その数字を見た瞬間、美結は肩を震わせ、食い入るように鑑定書を見つめた。

 子供が欲しいと望んでから、10年も授からなかった。

 だから、もう無理だと思っていた。
 洋介の子を身篭ることは、一生できないのだと。

  それなのに──

「嘘ではありません。お嬢様は、です」

 すると、戸狩が、改めて結果を伝えれば、美結は、声を上げ泣き崩れた。

 何度と、洋介と結月の名を呼び、予想外の結果に胸を熱くする。

 それは、ずっと願っていことだった。
 夢見ていたことだった。

 でも、叶わないと諦めていた。
 結月が、洋介の子であるはずがないと。

 希望なんて、どこにもないと──


 ✣

「奥様。これから、いかがい なさいますか?」
「え?」

 その後、暫く泣いていると、また戸狩が話しかけてきた。

「これ、から?」

 どうすればいいのだろう?

 結月は、望月玲二の子じゃなく、洋介の子だった。

 じゃぁ、結月と五十嵐は、兄妹じゃない。
 二人を引き離す必要もない。

 なら、これから、どうすればいいの?
 私は、どうしたいの?

「私は……抱き、しめたい……っ」

 結月を、抱きしめたい。
 最初に、思い描いたのは、それだった。

「五年後……結月は、戻って来るの?」

「はい。会社の内情が改善したと判断できた時には、一度だけ会いに来ると、お嬢様の手紙には書いてありました」

「じゃぁ……あの会社を何もかも綺麗して、一族を変えることが出来たら……私は、結月を……抱きしめてあげられるかしら?」

 それは、もう二度と出来ないと覚悟したことだった。

 可愛い我が子を抱きしめられたのは、赤子の時の数週間だけ。

 何度、あの子を、抱きしめたいと思ったことだろう。

 何度、あの艶やかな髪を撫でて、笑いかけてあげたいと思ったことだろう。

 でも、無理だった。
 悪魔のような女になると、決めたのだから──

「でも、迷惑よね……こんな母親に、今さら愛されても……っ」

 だが、それは、自分本位な考えでしかなかった。

 美結は、これまでの日々を思い出す。

 最低な母親だった。
 結月を、苦しめるだけの冷酷な母親。

 散々、虐げてきた。
 何ども、非情な言葉をかけて、何度と傷つけてきた。

 今更、母親らしくされても、結月を困らせるだけかもしれない。

 だって、結月の手紙には、もう限界だって書いてあった

 あんなにも悲しい手紙を書かせたのは、紛れもなく私で、今更、許されるわけもなかった。

 なら、きっともう、母親だなんて思ってくれない。

「宜しいのでは、ありませんか?」

「え?」

 だが、戸狩は、全く対象的なことを言ってきて、その言葉に、美結は目を見開いた。

「宜しいって、結月は、私たちを捨てたのよ……っ」

「そうですね。ですが、遺産放棄の手続きをするなら、書面での、やり取りでも可能なはずです。でも、それでも、お嬢様は、もう一度だけ戻ってくると仰っているのです。お二人が、お心を入れ換えたら──と」

「…………」

「確かに、お嬢様は、ご家族を捨てました。でも、心の奥底では、まだ、夢を見てらっしゃるのかもしれません」

「夢?」

「はい、──と」

「……っ」

 それは、結月の手紙に書かれていた言葉だった。

『幼い頃から、私はずっと夢見ておりました。お父様とお母様に、愛されたいと』

 それは、結月がずっと願っていて、ずっと叶わずにいた夢だった。

「きっと、これは、どんなに優秀な執事でも、叶えられない夢でしょう。叶えられるのは、奥様と旦那様だけです。なら、叶えて差し上げてはいかがでしょうか? お嬢様が、ずっと願っていた最後の『夢』を――」

 

 それは、普通な子なら
 誰しも持っているものでした。

 でも、この屋敷のお嬢様は
 持っていませんでした。

 どんなに煌びやかな暮らしをしていても
 何人もの執事やメイドたちを侍らせていても
 
 決して、手に入らないものでした。

 だけど、そんな、ある日
 お嬢様の前に、男の子が現れます。

 男の子は、お嬢様に愛を与えてくれました。
 そして、お嬢様も、男の子に愛を与えました。

 二人は、初めて恋をし、約束をします。
 大人になったら『家族』になろうと。

 そして、月日は流れ、大人になった男の子は、執事として、お嬢様の屋敷にやってきました。

 男の子は、とても優秀で
 お嬢様の夢を、なんでも叶えてくれます。

 そして、二人は、ついに屋敷から逃げ出し、夢を叶えました。

 二人は、結ばれ、とても幸せになりました。
 
 だけど、たった一つのだけ
 叶えられていない夢がありました。

 それは、お嬢様が
 幼い頃から、願っていた囁かな夢。

 ──お父さんとお母さんに、愛されたい。
 
 そんな、子供なら誰もが持っているはずの物を、お嬢様は、最後まで持つことができませんでした。

 そして、その夢は、どんなに優秀な執事でも
 叶えることができない夢でした。
 
 だけど──
 その夢も、いつか叶うかもしれません。

 だって、絶望しかでてこない
 その箱の底には


 『希望』が残っていたのですから──…



 そして、二人の恋はフィナーレを迎えます。

 優しい優しい、子守唄ベルスーズを響かせながら

 何もかも終わって、箱の中は、再び『空っぽ』になりました。

 では、次は、この箱に、何を入れましょう?

 夢か?
 希望か?
 それとも、愛か?

 ですが、その箱の中に
 もう『絶望』は一欠片すらも入らないことでしょう。

 なぜなら
 今のお嬢様と執事には

 とても輝かしい未来が待っているのですから──…


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